説教「御心を示されながら」

2024年1月14日、六浦谷間の集会

降誕節第3主日

                      

説教・「御心を示されながら」、鈴木伸治牧師

聖書・サムエル記上3章1-10節、

   ガラテヤの信徒への手紙1章11-24節

   ヨハネによる福音書1章35-51節

賛美・(説教前)讃美歌21・287「ナザレの村里」

   (説教後)讃美歌21・432「重荷を負う者」

  今朝は主イエス・キリストが世に現れたとき、最初にお弟子さんになった人々を示されながら、私たちも弟子としての歩みを導かれたいのであります。弟子は師である先生を見つめ、指導をいただき、次第に師である先生に近づいていくのであります。しかし、まったく師である先生と同じになってしまうのではなく、師である先生の真理を受け止めつつ、私に与えられた賜物により、師である先生の教えと真理に生きることであります。イエス・キリストが福音を与えてくださいましたが、選ばれた最初のお弟子さんたちも、イエス様の福音を人々に伝えながら歩んだのであります。今朝のヨハネによる福音書によりますと、最初にイエス様に従ったのはアンデレさんと言われます。そのアンデレさんが兄弟のペトロさんをイエス様のところへ連れて行きました。そして、ペトロさんは選ばれた12人のお弟子さんたちの中心になって、イエス様に従い、その後は人々にイエス様の福音を宣べ伝えたのです。イタリアのローマ、ヴァチカンの中心はサン・ピエトロ大聖堂ですが、そこに祀られているのはペトロさんであります。ペトロさんの信仰を中心にしているのがカトリック教会であるのです。私たちはプロテスタント教会ですが、明治以来、外国の宣教師たちがイエス様の福音を伝えたので、多くの皆さんが信仰へと導かれているのです。喜びを与えられる。その喜びを人々に伝えること、それが伝道でありますが、伝道された者は、自らも伝道者になることです。イエス様の最初の弟子たちの伝道を示されながら、私達も伝道者へと導かれたいのであります。

 今朝の旧約聖書サムエル記上3章に記される少年サムエルのお話は意味深く示されます。サムエルの母ハンナさんは子どもが与えられないので、神殿に行ってはお祈りをささげていました。そのことは1章の初めの部分に記されています。1章10節、「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。『万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげします。』」とお祈りするのでした。この祈りを神様は聞いてくださり、ハンナさんに男の子が与えられ、サムエルと名付けたのでした。そして、ハンナさんはお祈りしたとおりに、サムエルが乳離れすると共に、まだ幼いのでありますが、神の宮にいる祭司エリさんのもとへ連れて行ったのでありました。サムエルは幼くして宮に仕える者となり、エリさんの指導で成長するのでありました。

 今朝の聖書は、もはや少年になっているサムエルです。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」という時代でした。サムエル記の前はルツ記、その前は士師記であります。士師記は、一時的に現れた強い人が聖書の人々を救ったという記録です。聖書の人々はエジプトから脱出し、40年間荒野を彷徨し、ようやく神様の約束の地・カナンの土地に定着したのであります。定着したものの、もともとそこに住んでいた人々が、聖書の人々を攻撃してきますので、そのようなときに、地域的に強い人が現れ、敵から守ったのが士師といわれる人たちでありました。これらの士師たちは聖書の民の全体を救ったというのではなく、地域的な救済でありました。「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることはまれであった」と言っているのは、そのような時代的な背景であったからです。つまり、全体的には平穏な社会であったということなのです。しかし、サムエル記をもって今までの12部族宗教連合は終わりを告げ、一つの王国となるのであります。風雲急を告げてきたからでありました。周辺の国々は王国であり、結束して攻めてくることにより、連合体としての聖書の人々は対抗できないのであります。サムエルさんの時代に王国となり、サムエルさんは王国の見張り役として生きたのでした。

 少年サムエルに主の御心が示されることが今朝の聖書であります。今、少年サムエルに神様の呼び声が聞こえてきます。夜、寝ているサムエルは呼び声を聞いたので、祭司エリさんのもとへ行きます。「お呼びになったので参りました」というと、エリさんは「わたしは呼んでない。戻ってお休み」と言います。そのようなことが三度あったとき、エリさんはサムエルを呼んでいるのは神様であることを知るのでした。従って、今度呼ばれたら、神様に向かって答えなさいと示すのです。そして、サムエルを呼ぶ声がしました。その時、サムエルは「どうぞお話しください。僕は聞いております」と神様に向かって答えたのでした。神様は少年サムエルに、これから神様が行うべきことを告げます。3章19節に記されるように、「主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」のであります。「どうぞお話しください。僕は聞いております」との姿勢こそ、お弟子さんとしての歩みなのです。

 ヨハネによる福音書の今朝の聖書は「最初の弟子達」であります。最初に弟子になったのはアンデレさんでありました。彼は、最初はバプテスマのヨハネの弟子でしたが、師であるヨハネさんがイエス・キリストを指して、神の小羊だと言ったので、そのイエス様の後をついて行くのです。すると、イエス様が「何を求めているのか」と声をかけてくれるのです。そのアンデレさんが兄弟シモンさんをイエス様のところへ連れて行きます。すると、イエス様はシモンに声をかけます。「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩という意味)と呼ぶことにする」というのでありました。このシモンがペトロと呼ばれるようになります。そして、イエス様は、今度はフィリポさんに出会い、「わたしに従いなさい」と声をかけます。フィリポさんは友達のナタナエルさんをイエス様のところに連れて行こうとします。するとナタナエルさんは、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言って誘いを断るのですが、フィリポと共にイエス様のところに行きます。するとイエス様はナタナエルを見て、「まことのイスラエルの人だ。この人には偽りがない」というのです。「どうしてわたしのことを知っておられるのですか」と言うナタナエルに、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われたのでした。するとナタナエルは、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言います。イエス様は言われます。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われ、「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われるのでした。「人の子」とはイエス様のことです。天が開け、天使たちが主イエス・キリストのもとに天を昇ったり降ったりするのを見る、つまり、神の国がこの世に実現するのを見ることになりますよ、と示しているのであります。旧約聖書・創世記で、ヤコブが石を枕にして野宿しています。その時、夢を見るのです。天にまで達しているはしご・階段があり、御使いたちがその階段・はしごを登ったり降ったりしているのです(創世記28章10節以下)。このことは、神様の御心の国が実現することを意味しているのです。天が開け、天使たちがイエス様のもとに昇り降りする様は、まさに神の国の実現なのであります。そのために声をかけられたのがアンデレ、ペトロ、フィリピ、ナタナエルでありました。そして、旧約聖書はサムエルを示しているのです。これらの人々はイエスの招きを聞きました。そして、彼らはイエス様のお弟子さんとして、イエス様に従うことになりました。「主よ、お話ください。僕は聞いております。」と神様に向かうことこそ、私たちに求められていることなのです。

 イエス様の福音、喜びの導きを私達もいただいています。そして、この福音を人々にお伝えしているのです。何をどのようにお伝えしているのか、と考える必要はありません。イエス様の十字架の救いを信じて、喜びつつ歩むこと、そのことで人々への証しとなり、イエス様の救いの証しを人々にお伝えしているのであります。今朝はガラテヤの信徒への手紙が示されています。パウロさんという人の証しが記されています。パウロさんは、もとはユダヤ教を熱心に学ぶ人でした。その熱心さが、その頃、次第に増え広がってきたイエス様の救いです。パウロさんはそれが面白くなく、イエス様を信ずる人々を迫害し始めるのでした。ダマスコとい町にいるイエス様を信じる人々を迫害するために出かけたとき、復活のイエス様のみ言葉を聞くことになるのです。「パウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」との声を聞いたとき、彼は初めて目が開かれ、イエス様を信じる者へと導かれたのでした。パウロさんの回心については使徒言行録9章に記されています。今まで迫害していたイエス様の教えをいただく者になったとき、イエス様を信じる人々はパウロさんを恐れて近づかなかったのですが、パウロさんの熱心な証しを受け止めるようになりました。パウロさんはイエス様の十字架の救いを人々に示すため、多くの手紙を書いています。新約聖書の多くはパウロさんが書いているのです。イエス様を信じる人々を迫害していたパウロさん、しかし、今は熱心なイエス様を信じる人になり、その喜びを多くの人々に伝えたのでした。私たちもイエス様の御心を示され、お弟子さんとしての歩みを導かれているのです。

<祈祷>

聖なる神様。主の弟子へと導かれ感謝致します。いよいよ師である主イエス様を仰ぎ見つつ歩ませてください。キリストのみ名により、アーメン。

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