説教「ささげる人生の祝福」

2020年3月22日、六浦谷間の集会
「受難節第4主日

 

説教、「ささげる人生の祝福」 鈴木伸治牧師
聖書、サムエル記上10章1-8節

   コリントの信徒への手紙<二>1章15-22節
   ヨハネによる福音書12章1-8節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・139「うつりゆく世にも」
   (説教後)讃美歌54年版・391「ナルドの壺」

 


 受難節第四週の歩みとなりました。今年は2月26日から受難節に入りました。イースター、復活祭が今年は4月12日であり、2月26日から4月11日までの40日間、イエス様の十字架への道を示され、その十字架が私をお救いくださる根源であることを示されつつ歩むのであります。今はその受難節のさなかを歩んでいます。受難節の歩みは十字架を仰ぎ見つつ歩むことです。それが私達の祝福への道なのです。
 今日は早くも3月22日であります。「早くも」と言いますのは、昨年の3月17日に宮城県の陸前古川教会の礼拝で説教をさせていただき、その日の午後には娘の羊子のピアノリサイタルが開かれたのでした。ちょうど一年を過ぎたということです。過ぎ去ってみれは早いものですが、久しぶりに訪れた古川教会を今でも懐かしく思い出しています。この陸前古川教会には1973年に牧師として赴任しています。1969年に神学校を卒業し、最初の教会が東京の青山教会でした。そこでは副牧師として4年間務めました。そして、その後に赴任したのが陸前古川教会であったのです。青山教会では副牧師でしたので、責任を持つ職務ではありませんでした。陸前古川教会に赴任することで、初めて牧師としての責任ある職務をすることになったのです。実は、前任の牧師が幼稚園園長も担い、40年間の務めを果たし隠退されましたので、その後任ですから、牧師と共に園長も担うと思っていたのです。そうしましたら、赴任の間際になって、園長は教会員が担うので教会の務めに専念してほしいということでした。当初の話と異なるので、受託を保留にしていました。しかし、せっかく教会の務めに専念してほしいというのですから受託したのでした。その頃の教会は礼拝出席は20名前後でした。教会員も30名程度で、教会の務めに専念すると言ってもそんなに職務があるのではありません。その頃、私は34歳頃ですから、教会に来ていた若い皆さん、中学生や高校生の皆さんと共に、いろいろな活動をするようになったのです。今まで夏期学校なるものは開催してませんでしたが、夏休みになると二泊三日くらいで、近辺の施設で楽しく過ごしていたのです。一年前、陸前古川教会の説教をさせていただいたとき、昔、中学生や高校生であった皆さんが出席されました。今ではそれぞれ結婚されており、お連れ合いと共に礼拝に出席してくださったのです。今でも礼拝に出席する皆さんを、うれしく、感謝したのでした。
 陸前古川教会時代は今から40年前のことです。時を経てもイエス様の十字架を仰ぎ見つつ歩まれている皆さんとして示されたということです。説教の導入として一年前の陸前古川教会を訪れたことのお話しをいたしました。私達に求められていること、十字架を見つめて歩むことを示されるのであります。そうすれば「祝福のお導き」が与えられるということなのです。受難節第四週に当たりまして、主イエス・キリストがご受難により、十字架による栄光のメシア、救い主であることを深く示されたいのです。今は十字架を見つめること、そこに祝福の歩みが導かれるということです。

メシアとは「救い主」という意味ですが、正確には「油注がれた者」との意味です。指導者となるべき人の頭に油を注ぐのです。油注がれた者は指導者となり、人々をよりよく導く使命があります。すなわち、メシアは我々を幸せにしてくれる存在であり、その意味で「救い主」として信頼するようになるのです。今朝の旧約聖書サムエル記上におきまして、サウルという人が油を注がれます。従って、サウルはメシア、救い主にならなければなりませんが、彼は救い主にはなれなかったのであります。その頃、聖書の人々は12部族による歩みでした。祭司サムエルの指導の下に歩みを進めていたのです。祭司とは神様の御心を示し、人々を導く働きをする人です。人々は何事も祭司に相談し、あるいは指示を受けて歩んでいたのです。世襲的な面もあり、サムエルには二人の子どもがいますが、この子供達はどうしようもない生き方をしています。人々から不正な利益を求めたり、賄賂を取っていたのです。それで人々はサムエルに訴えるのです。サムエルの後継者は不正な者であるから、ここで王様を選任してほしいと申し出るのでした。これに対してサムエルはこの民族の中心は神様なのに、王様を選ぶことはよろしくないと思います。それで神様にお祈りします。しかし、神様は、人々の気持ちは変えられないから、望む通りに王様を選任しなさいと示すのです。
 こうして王様が立てられることになりました。サウルは当初は神様の御心を求めては、人々の指針としていました。しかし、次第に人間的な思いになって行くのであります。サウルは王として周辺の国々と戦い、勝ち戦をしていきます。しかし、サウルは神様のお心ではなく、家来達の心になびくようになります。ひたすら敵の戦利品ばかりを求めるようになるのです。神様はこのようなサウルを見捨てることになります。そして、次に油を注がれるのは少年ダビデでありました。油注がれた者は忠実に神様のお心を行わなければならないのであります。メシアは油注がれた者として、人々を救い、人々を平和に導かなければなりません。サウルの次の王、ダビデは忠実に御心に従い、実行します。しかし、ダビデも極めて人間的な生き方があり、神様の怒りを買うこともありました。メシアを人間に求める限り、人間は失望しなければなりません。しかし、ダビデは総合的には神様の御心に忠実に生きた人です。人々を平和に導いたのです。従って、後の世の人々は再びダビデのような人が現れ、我々を救ってもらいたいという希望を持つ様になったのです。これが旧約聖書の中にある「救い主待望思想」でありました。その希望はイエス様が現れた新約聖書時代でも人々が持っていたのです。ですから新約聖書福音書にはイエス様が救い主であると信じる人々、いや違うと思う人々の姿が記されているのです。新約聖書は、今や「救い主が現れた」ということを人々に示しているのですが、それを信じない人々の記録であります。主イエス・キリストが現れ、結局、人間はどうしても救われないので、十字架にお架りになって「救い」を実現されたことが、新約聖書の証しということなのです。

「メシア」との語は旧約聖書が書かれているヘブル語であります。メシアをラテン語で言えばメサイアとなります。そして、新約聖書が書かれてギリシャ語で言えばキリストであります。従って、「イエス・キリスト」は名前と苗字ではなく、「救い主イエス」との
告白なのです。イエス様を信じて歩むことが「油注がれた者」であります。メシアは「油注がれる」との意味ですが、新約聖書の時代には油を注ぐという儀式はなくなりました。それに類することを考えれば「洗礼」がその意味になるでしょう。なぜならばメシアは神様のお心を実行するからです。洗礼を受けた者は神様のお心に生きるからであります。今朝のコリントの信徒への手紙<二>1章21節には、「わたしたちとあなたがたとをキリストに結びつけ、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です」と示されています。洗礼を受けてイエス様を信じて歩むこと、「油注がれた者」としての歩みとなるのです。
今朝のヨハネによる福音書はイエス様への油注ぎが示されているのです。イエス様はマルタさんとマリアさんの家に行きます。弟子達も一緒でありますので、夕食の接待は大変であったでありましょう。マルタさんは一生懸命に給仕をしています。同じような状況がルカによる福音書10章38節以下に記されています。そこでもマルタさんとマリアさんの家にイエス様が来られました。マルタさんは接待に忙しくしているのに、マリアさんはひたすらイエス様のお話を聞いているのです。そこでマルタさんはイエス様に、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようおっしゃってください」と言います。その時イエス様は言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」とイエス様は言われています。この部分と今朝の状況は似ているようです。相変わらずマルタさんはもてなしに忙しくしています。しかし、マリアさんは純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持ってきて、イエス様の足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐったのであります。家の中は香油の香でいっぱいになったということです。1リトラは326gです。
 マリアさんがイエス様に香油を注いだとき、弟子のイスカリオテのユダが、「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と批判します。当時の世界では1デナリオンは一日分の生活費です。300日分の生活費を無駄にしていると言っているのです。聖書も記しているように、イスカリオテのユダは人間的な損得しか考えなかったのです。これは損得ではなく、マリアさんの信仰であることをイエス様は示しています。イエス様は言われました。「この人のするままにさせておきなさい。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」と示されたのであります。まず信仰であると示しているのです。まず神様に委ねる、その様な生き方が求められているのです。この社会には、私達がしなければならないことがたくさんあります。だから私達はいろいろと心を寄せているのです。その様な状況でありますが、まず神様への信仰が大切であるということです。神様に自分をささげて生きるとき、自ずとしなければならないことが導かれて来るのです。私達の人生は損得を計算しながらの歩みではなく、神様に委ねつつ歩むことなのです。マリアさんのイエス様への香油注ぎは信仰であることを示しているのであります。
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「祝福へのお導き」は十字架にお架りになり、私達をお救いくださったイエス様を信じることであります。そのため、私達はいつも十字架を仰ぎ見つつ歩むこと、そこに祝福のお導きがあるということを今朝は示されているのです。損得の計算では人生の祝福はないということであります。本日の旧約聖書で、「メシア」を示しているのは、神様の御心に生きる姿として「メシア」を示しているのです。メシアに選任されながら、損得に生きたサウルの失格をも示していたのでした。十字架を仰ぎ見て生きる人生が祝福であるのです。そして、私たちも油注がれた者であり、メシアとしての歩みが導かれていることを示されているのです。
 先ほども一年前に陸前古川教会をお訪ねしたことをお話しいたしました。昔の皆さんと久しぶりに懐かしい再会をしました。その時、佐瀬真理さんという方が、イースター献金をおささげくださいました。昨年のイースターは4月21日です。私たちがお訪ねしてのは、その一ヶ月前であり、受難節を歩んでいるときでありました。それなのに六浦谷間の集会を覚えてイースター献金をおささげ下さったのです。立派な信仰に歩まれている佐瀬真理さんを示されたのであります。その佐瀬真理さんのお母さんは、今は天におられますが、私たちが古川に滞在していた頃、何かと牧師家族を心にかけてくださったのです。陸前古川教会に赴任するため、家族で車で赴きました。まだ幼い二人の子ども達なので、国道6号線で行きました。4号線がありますが、交通量も多く、6号線の方が安全と思ったからです。それでゆっくりと向かったので、途中二泊もしました。本当は一泊して翌日の夕方には着くことで連絡しておいたのです。しかし、二泊して翌日の朝に教会に到着したのでした。そうしましたら教会の玄関に佐瀬春子さんがお待ちくださっていたのです。前日に到着すると思って、前日もお待ちくださっていたということです。前日には教会の数人の方がお待ちくださっていたようですが、翌日になっての到着の時には、佐瀬春子さんの他にはどなたもおられませんでした。何時に着くともお知らせしなかったので、おそらく朝からずっとお待ちくださっていたのでしょう。
 この佐瀬春子さんには陸前古川教会の6年半、何かとお世話になりました。何よりもお連れ合いの佐瀬三男さんと共に私どもの三人の子どもたちを可愛がってくださいました。古川を離れるとき、三人の子どもたちのそれぞれの貯金通帳を下さったのです。子供たちのために少しずつ貯金してくださっていたのでした。礼拝にはいつも出席されていましたし、夜の祈祷会にも出席されていました。教区の総会議員でもあり、いつも私に伴って教区総会に出席されていました。6年半を経たとき大塚平安教会からお招きをいただいたとき、その赴任を一番喜んでくださったのは佐瀬春子さんでした。「先生はこのような田舎に引っ込んでいる方ではなく、中央で働くべきです」と言って送りだしてくださったのです。その佐瀬春子さんの予言の通り、大塚平安教会の牧師を務めつつ神奈川教区の総会議長を務めたり、日本基督教団の総会書記を務めたりしたのでした。
 佐瀬真理さんの結婚にも立ち会い、その後、赤ちゃんが生まれて幼児洗礼を授けさせていただいています。ご両親の信仰を受け継ぎ、佐瀬真理さんは信仰を力強く証しされながら歩まれていることを示されたのです。
祝福の人生、その根源は主イエス・キリストの十字架を基とすることを示されたのであります。この十字架は、私に存在する自己満足、他者排除を滅ぼしてくださるのです。もはや損得の人生ではなく、祝福の人生が導かれているということです。
<祈祷>
聖なる御神様。私たちに十字架の救いを与えてくださり感謝致します。いよいよ十字架を基として歩ませてください。イエス様の御名前によりおささげ致します。アーメン。

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