説教「自分の十字架を負いつつ」

2019年3月24日、六浦谷間の集会 
「受難節3主日

説教・「自分の十字架を負いつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・ イザヤ書63章7-14節、テモテへの手紙<二>2章8-13節
   ルカによる福音書9章18-27節
賛美・(説教前)讃美歌21・300「十字架のもとに」
   (説教後)讃美歌21・436「十字架の血に」


 受難節第三主日になりました。後三週間で受難週となり、主のご復活となります。今は主のご受難が私の救いのためであることをしっかり受け止めつつ歩みたいのであります。その意味でも、主の十字架を仰ぎ見つつ歩みますので、克己の生活をしましょうということになります。克己とは、己に克ということですから、欲望を抑えて歩むことです。昔ながらの人は克己の生活をすることが受難節の歩みだと信じているのです。前任の大塚平安教会時代、受難節の期間、酒類は飲まない、甘いものは食べないと言われつつ克己の生活をされている方がありました。それらのものが好みでもあったのです。水曜日の祈祷会に、その方も出席しますが、集会が終わってからお茶が出ます。甘いものが出されて、皆さんは美味しいと言いつつ食べ、その方にも勧めるのですが、決して食べませんでした。あるいはお茶絶ちと言い、お茶を飲まないという方もありました。昔の人はその様な克己の生活をして、この受難節を歩んでいました。今の時代はその様にしましょうということはなくなっています。イエス様のご受難に与るということで、克己の生活をするのですが、イエス様のご受難、十字架の救いは喜びなのです。だから、イエス様のご受難を偲びながらも、このご受難が私達の救いであること、それを受け止め、むしろ喜びつつ歩むべきだと示されるのであります。
私たちが主イエス・キリストを信じて歩むこと、それは私たちもイエス様の歩みに倣いつつ歩むことなのです。それは受難節に限りません。常にイエス様に倣いつつ歩むことで祝福があるのです。私の青年の頃、「キリストに倣いて」(イミタチオ・クリスチ)という本を愛読しました。この本は1953年(昭和33年)に角川書店から発行されています。聖書に次ぐ宗教的古典として世界の人々に愛読されている本であります。日本においてもキリシタン時代から訳されていたとも言われています。青年の頃に読んだとき、強烈な示しを与えられたのでした。修道院に入ったような思いで読んだことが思い出されます。信仰に生きるには、常にイエス・キリストに倣うことが教えられているのです。いくつかを紹介しておきましょう。第一章は「キリストに倣って、この世のあらゆるむなしいものをさげすむべきこと」であります。1.「わたしに従ってくる者は、やみのうちを歩くことがない(ヨハネ福音書8章12節)」と、主は言われる。2.このみ言葉は、もしわれわれが自分の無知から啓蒙され解放されたいと願うならば、キリストとその生き方とに倣わねばならぬ、と勧められているのである。3.だから、われわれの主要な努力と無常の関心とは、キリストの御生活に照らして自分を訓練することでなければならぬ。
 最初の部分だけの紹介ですが、「キリストに倣いて」(イミタチオ・クリスチ)を読むとき、限りなく自分を捨てることであり、主に従うことが示されるのであります。しかし、イミタチオ・クリスチであるとき、最終的には自分の成果であるように思うのは間違いであります。イミタチオ・クリスチをしたから、信仰が導かれているのだと自分の成果にしてしまうことであります。そうではありません。神様が苦しい私達を導いてくださっていることを知らなければなりません。主の十字架が私をイミタチオ・クリスチへと導いてくださるということなのであります。

 旧約聖書イザヤ書63章7節以下から示されています。ここには神様の救いの喜びが示されています。神様がいかに人々を救いへと導いているかを示しています。ですから冒頭に、「わたしたちは心に留める、主の慈しみと主の栄光を。主がわたしたちに賜ったすべてのことを。主がイスラエルの家に賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを」と述べています。聖書の人々はバビロンに滅ぼされ、多くの人々が捕われの身となり、バビロンの空の下で苦しみつつ過ごしました。そのような苦しみの中で預言者達の希望の言葉に励まされていたのであります。約50年間の苦しみでしたが、ついに解放されました。人々は喜びいさんで故郷ユダの国に帰り、都エルサレムを中心に生活を始めたのであります。破壊された神殿の修築もなかなかはかどりませんでした。それでも、ようやく神殿を再建しましたが、人々の生活は困難極まりないのであります。喜びと希望をもって帰って来た現実は、相変わらず苦しみの現実であったのです。希望を無くしている人々に慰めを与え、希望を与えているのが今朝の聖書であります。
 歴史を顧みるならば、苦しみの中にも神様が厳然と導いておられるということであります。聖書の人々はその昔、エジプトの国で400年間の奴隷生活があります。しかし、神様はモーセを指導者にして奴隷から解放してくださったのであります。その後、40年間の荒れ野の旅がありますが、この旅を導き、ついに約束の土地カナンに入ることができたのであります。そして、再び捕われの身となりました。苦しみはいつまでも続きません。解放されて都エルサレムに帰ることができました。その後、困難な生活でありますが、歴史を導く神様の憐れみと慈しみを、心に深く刻みなさいと示しているのであります。そして、神様が常に救い主であることを示しています。神様の憐れみと慈しみを忘れてはなりませんということです。

 「だから、自分の十字架を背負って、主に従いなさい」と新約聖書は示しています。ルカによる福音書9章18節以下が今朝の聖書になっています。主イエス・キリストはひとりでお祈りしていました。お弟子さんたちも共におられました。そこで、イエス様はお弟子さん達にお尋ねになられます。「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」ということです。今朝の前の部分には、イエス様が五つのパンで五千人を養った奇跡が記されています。イエス様が人々にお話をされているとき、もう夕刻になったので、群衆を解散させ、それぞれ食事を取らせましょうとお弟子さん達が提案しました。それに対してイエス様は、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」といわれるのです。お弟子さん達は、持っているのは二匹の魚とパン五つしかありませんので、どうすることもできないと思いました。しかし、イエス様はパンが五つもあるとして、それを祝福し、五千人の人々のお腹を満たしたのでした。そのパンの奇跡を体験した人々の感想を記してはいませんでした。今、イエス様が「群衆は私のことを何者だと言っているか」とお弟子さん達に尋ねたとき、これまでにイエス様は病人を癒し、パンの奇跡を行い、神の国に生きる教えを与えてきているのです。当然、人々のイエス様に対する思いがあるはずです。
 イエス様の問いに対して、お弟子さん達は答えています。「洗礼者ヨハネだと言っています。ほかに、エリアだという人も、だれか昔の預言者が生き返ったのだと言う人もいます」と人々の見方を言いました。それを聞いたイエス様は、「それではあなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねました。お弟子さんの中でも中心的なペトロさんが、「神からのメシアです」と答えたのであります。メシア、救い主と答えました。群衆の見方は洗礼者ヨハネ、昔の預言者のような人であると言うことです。群衆の見方には救い主、メシアはありませんでした。人々は救い主、メシアの到来を待望しているはずです。聖書の人々は、歴史を通して困難な状況を歩んでまいりました。そういう中で救い主、メシア待望が生まれたのです。イエス様が現れた時代もメシア待望が人々の中にありました。しかし、イエス様が神の国の福音、病人の癒し、パンの奇跡を示したとしても、人々はイエス様を救い主、メシアとは信じなかったのでありました。人々にとって、救い主、メシアとは王様のような権力、権威ある存在であったのです。
 実際、私達も救いを与えるのは権力者、力の強い存在と思います。2014年にスペインのバルセロナに滞在しました。娘がバルセロナでピアノの演奏活動をしています。 10月21日から1月7日まで滞在したのは、1月6日の顕現祭を体験したかったからであります。顕現祭というのは、クリスマスにイエス様がお生まれになり、喜びつつ生まれた救い主を拝みに来たのは、羊飼いと東の国の占星術の学者たちでありました。その占星術の学者たちが生まれたイエス様のところに来たのは、12月25日ではなく1月6日だとされています。その占星術の学者たちが生まれたイエス様を拝み、宝物をささげたので、イエス様の救いが人々に与えられたと信じます。だからクリスマスを喜びますが、1月6日の顕現祭の方が大きな喜びとなるのです。スペインでは占星術の学者はいつの間にか王様になっているのです。三人の王様が船に乗ってスペインにやってきたということになります。王様の伴のものが人々にお菓子を配って歩くのです。広場の中央に三人の王様が座っています。大勢の人々がこの広場に集まるのです。その現場に行ってみたかったのですが、娘が大勢の人々で危険であるからと、家でテレビをみながら様子を知ることになったのです。疑問に残るのは、占星術の学者なのに、どうして王様になってしまうのか、ということです。やはり救いの喜びを知らせるのは偉大な存在、王様であるということになるのでしょう。
 さて、イエス様はご自分の存在、救いを示されます。「あなたこそ救い主です」とお弟子さんたちが告白したとき、イエス様は救い主に従う者としての生き方をお示しになられたのであります。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との教えであり。イエス様を救い主と信じるなら、自分の思いのままに生きるのではなく、救い主が示す道を歩むと言うことです。自分を捨てるというは自己満足を捨てるということです。まだ、この時点ではイエス様は十字架にお架りになっていませんのに、イエス様は「自分の十字架」と言っているのです。自分の思いではなく、イエス様の御心に生きるとき、それは自分との戦いになるのですが、その戦いが十字架を負うということなのであります。まさに克己の歩みとなると言うことであります。主イエス・キリストがこの私のために十字架にお架りになるのですから、私は自己満足を放棄してイエス様の御心の道を歩まなければならないのであります。

 神様が豊かな慈しみを私達に与えてくださっていることを、イエス様が教えてくださっているのです。旧約聖書では人々の苦しみの現実にこそ、神様が多くのお恵みを与えておられること、人々を慈しんでおられることを示されました。新約聖書はイエス様のご受難予告を示されていますが、そのご受難こそ私達を真の喜びへとお導きくださるのです。だから、受難節はイエス様のご受難を示され、このご受難は私達の救いの喜びをお与えくださるのであるとして、私達も喜びつつ受難節を歩みたいと今朝は示されているのです。
 先ほどもスペインにおける顕現節のお祝いをお話ししました。もう一度、顕現節の経緯を見ておきましょう。マタイによる福音書2章によると、イエス様がユダヤベツレヘムにお生まれになったとき、東の国の占星術の学者たちが、都のエルサレムにやってきました。彼らは東の国で不思議な星を見たのです。毎日、夜空を見上げては星の動きを見ています。不思議な星が現れ、これは偉大な存在が現れたしるしであると信じ、星に導かれるままやって来たのです。ところが彼らは導きの星を見失ってしまうのです。そして都のエルサレムにやって来たのでした。そこに大きな落とし穴があったということです。星の導きはベツレヘムを目指していたのです。そのベツレヘムは都でもなく、地方の町です。占星術の学者たちは、星に導かれながらも都のエルサレムに近づいたとき、偉大な存在は都に生まれていると思うようになるのです。偉大な存在ですから、地方の町ではないと思ったからです。結局、そのことで星を見失うことになるのです。ユダヤの王様によって救い主はベツレヘムに生まれる、ということを聞き、そのベツレヘムを目指したとき、再び星の導きをいただくようになるのです。この示しを受け止めなければなりません。私達の目指しているのは何であるかということです。都の華やかな生活にこそ救いがあるというのではなく、神様はあまり顧みられないベツレヘムにイエス様を生まれさせたのでした。私達が十字架を仰ぎ見つつ歩むということは、ベツレヘムを指し示している星の導きと同じことです。「自分を愛するように、あなたの隣人を愛して生きる」ということは、自分の十字架を負って歩むことなのです。主イエス様のご受難は私達を真の喜びへと導くのです。
 前週の3月17日は、宮城県古川にあります陸前古川教会の講壇に立たせていただきました。実はこの教会に6年半、牧師として過ごしたのであります。1973年から1979年までです。神学校を卒業して最初の教会は東京の青山教会でした。その当時は伝道師、副牧師であり、陸前古川教会に赴任することで初めて牧師としての歩みが始まったのであります。17日の礼拝には、その当時に教会におられた皆さんが出席され、久しぶりに皆さんと共に礼拝をささげることができました。礼拝堂が満席になるほど皆さんが出席されたのです。久しぶりにお会いした皆さんは、「あの頃はご苦労をかけました」と言われるのです。別に苦労した思いはありませんが、皆さんがそのように思われていること、それは私が牧師に就任しましたが、幼稚園園長には就任しなかったことであろうと思います。前任の牧師は40年間、教会と幼稚園を担って退任されたのでした。教会からお招きをいただいたとき、当然、私も教会と幼稚園を担うのであると思っていました。しかし、直前になって幼稚園の園長は担わなくてもよく、教会の牧師として就任してもらいたいということでした。しばらく考える期間を持ちましたが、結局受託して就任したのでした。そのことで昔の教会を知っている皆さんが「苦労を掛けた」と言われているのです。しかし、今はその苦労は祝福の基となっています。イエス様の十字架のお導きがあったと示されています。
<祈祷>
聖なる神様。イエス様の十字架の救いを感謝致します。私達もまた十字架を担い、イエス様の救いの喜びを増し加えてください。キリストのみ名によりささげます。アーメン。