説教「信仰の生涯を目ざして」

2017年10月15日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第20主日」 

説教・「信仰の生涯を目ざして」、鈴木伸治牧師
聖書・ヨシュア記6章1-5節
    ヘブライ人への手紙11章17-22節
     マタイによる福音書21章28-32節
賛美・(説教前) 讃美歌54年版・218「夜を守る友よ」
    (説教後) 495「イエスよ、この身を」


 今朝は10月15日の礼拝でありますが、日本基督教団は今朝から「信徒伝道週間」、「キリスト教教育週間」と定めています。イエス様を信じる者、一人ひとりが伝道者となり、皆さんにイエス様の十字架の救いを示さなければならないのです。このことは、本日からの「信徒伝道週間」に限らず、一年間の歩みの中でも務めが与えられているのです。イエス様を信じる者は一生、「信仰の生涯を目ざして」歩むのですから、いつも信仰の証しをしながら歩まなければならないのです。
 私自身、今日までキリスト教の主イエス・キリストの十字架の救いを信じて歩んでまいりましたが、多くの信仰の先輩たちの証しを示されています。成長した清水ヶ丘教会、神学生時代に出席した川崎教会や曙教会で高齢のキリスト者の皆さんを示されていました。そして、伝道者になり、最初の青山教会、陸前古川教会、登米教会の皆さんの信仰の証しを示されました。そして大塚平安教会で30年間皆さんと共に歩みましたが、皆さんの信仰の歩みを示されているのです。今は横浜本牧教会、三崎教会の皆さんとのお交わりをいただいていますが、皆さんの信仰のお証をいただき、励まされているのです。横須賀上町教会は今は関わっていませんが、昨年7月まで6年間のお交わりをいただきました。どちらの教会も高齢の皆さんがおられ、信仰の生涯を証しされつつ歩まれていることを示されています。もちろん若い皆さんも教会生活で力強く奉仕されながら歩まれていますが、高齢者の皆さんの信仰が教会の土台となっていることは確かであります。
信仰の生涯、一生信仰と言うと、若い時に信仰を持ち、そのまま死ぬまで信仰の生涯をまっとうすることを思います。「信仰の生涯」、「一生信仰」と言う言葉がぴったりの人であると思います。しかし、人生の途上、教会に導かれ、イエス・キリストの十字架の救いを示されて、そのことが基となって生活するようになること、それも信仰の生涯と言えるでしょう。その場合、洗礼を受けているとか、いないとかではなく、イエス様を見つめながらの人生と言うことです。洗礼を受けるには家庭の問題、いろいろな関わりで受けられない人もおられます。洗礼を受けている、いないに関わらず、イエス様を見つめて生きることが信仰の生涯と言うことなのです。そして、教会で皆さんと共に礼拝をささげつつ日々の歩みが導かれているのです。
マレーシアの教会で牧師として過ごしているとき、私と同じように70歳を過ぎている方を、当初はクリスチャンと思っていました。しかし、その方は洗礼を受けていないがお連れ合いがクリスチャンであり、共に礼拝をささげながら今日まで過ごしてきたと言われました。洗礼を受けるには、そういう機会がないままに来ていると申されるのです。このような生き方も「信仰の生涯」と示されています。いつもイエス様を示されながらの人生であるからです。また、クリスチャンではないご夫婦も毎週礼拝に出席されていました。洗礼を受けていませんので、聖餐式は受けられないのですが、いつも日曜日に教会で皆さんと共に礼拝をささげることを喜んでおられるのです。「信仰の生涯」であると示されます。

 今まではともかく、神様の御心を示され、今後はその御心に従って生きること、信仰の生涯なのです。旧約聖書ヨシュア記から示されます。しかし、今朝のヨシュア記を読む限り、「一生信仰」とか「信仰の生涯」が何所に示されているのかと思います。あまり関係がないような戦のことが記されているからです。
 今朝の聖書はイスラエルの人々が奴隷の国エジプトから脱出して、神様の導きである「乳と蜜の流れる土地」カナンに向かっている時であります。エジプトを脱出したイスラエル民族はモーセに導かれて荒野をさまよいつつ、約束の地へと向かったのです。いよいよ約束の土地を目の前にしたとき、モーセの役目は終わります。そして、後継者ヨシュアに引き継がれるのです。ヨシュアに率いられて、約束の土地へと目指すにはエリコと言う町を通らなければならないのです。しかし、エリコの町は城門を閉ざして、イスラエルの人々を通すことを拒んでいます。それで行き詰っているわけですが、神様の導きを与えられるのです。すなわち、毎日エリコの町の周辺をイスラエルの人々が一周するということです。七日間、毎日一周し、七日目には七周しなさいと言うことであり、終わった時には鬨の声を上げると言うことです。毎日、町の周りを多くの人々が歩き、最後は七周もして鬨の声を上げると、城壁の石垣は緩んでいるので、何所かは崩れ去ると言うわけです。そして、そこから突入してエリコを占領するということなのです。昔のことですから、また約束の土地へと導かれていくので、その障害になることは排除しなければならないのです。
 ここで先ほども示されましたが、この聖書から「信仰の生涯」が示されるのかと言うことです。ここの聖書の記述だけでは示されないのですが、ヨシュアの信仰を示しているのです。神様の御心に従うヨシュアの信仰を示しているのです。モーセに導かれて約束の土地カナンに近づいたとき、モーセはカナンの土地を調べるために12人の斥候を派遣します。その中にヨシュアもいました。12人の斥候は40日間、カナンの土地を調べて帰ってきました。そして報告したことは、カナンの土地は確かに「乳と蜜の流れる土地」であり、酪農に適し、果樹の栽培も豊かであると言い、実際に果物を携えて帰ってきました。ところが10人の斥候は、カナンの土地には巨人のような人がいて、住民も強い人ばかりであるから、入って行かない方が良いと報告するのです。それを聞いた人々は不安を感じ、カナンの土地に入って行くのを嫌がるようになるのです。ところがヨシュアとカレブと言う人は、カナンは神様の約束の土地であり、この土地へと導いてくれたのであるから、勇気を持ってカナンに入って行くべきであるとモーセに進言し、人々を説得するのです。モーセはこの二人の助言を受け止め、カナンへと向かった経緯があります。モーセの後継者として人々の指導者になったヨシュアは、絶えず神様の御心を求めてイスラエルの人々を導いたのでした。
 カナンの土地に入ったイスラエルの人々はそれぞれの土地が与えられ、そこで生きることになります。それに先立ち、ヨシュアは 人々を集めて、今後の生き方、信仰の生涯について求めています。「あなたたちは主を畏れ、真心を込め、真実をもって神に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし、主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいるアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」と、自分の「信仰の生涯」を明言するのです。「わたしとわたしの家は神様を信じて生きる」と宣言し、今までも神様のお導きによって生きてきたのであるから、これからも神様に委ねて生きてゆくと証ししているのです。「信仰の生涯」、「一生信仰」を宣言しているのです。

 自分の人生は神様の御心によって生きる、と宣言したヨシュアですが、宣言した通りにその後の人生を生きたということです。イエス・キリストもまた信仰の生涯を導いています。そのことで一つのたとえ話をしています。ある人に二人の息子がいます。ある日のこと、二人の息子の兄に対してぶどう園で働くようにと言いました。ところが兄は「いやです」と断るのです。しかし、後で考え直して、ぶどう園に行き働いたのでした。今度は弟にぶどう園で働くように言います。弟は「お父さん、承知しました」と良い返事をします。ところがこの弟はぶどう園には行かなかったというのです。「ぶどう園で働く」と言うことは、神様の御心をいただいて信仰に生きることを示しています。問題は兄と弟の存在です。イエス様は当時の社会で、神様の御心に厳格に生きている律法学者やファリサイ派の人々と、徴税人や罪人と称される人々を示してはお話されています。人々の模範のような律法学者は神様に祝福されないと示し、むしろ自分を空しくして神様の御心をいただこうとしている徴税人や罪人こそ神様に祝福されると示しているのです。そのような観点から、このたとえ話を示されるとすれば、兄の存在は徴税人や罪人になります。この人たちは社会の片隅に追いやられているのです。だから、御心を示されても、すぐには自分の生活の中に入ってこないのです。しかし、考えてみて、神様はこんな自分にも御心を与えてくださっているのだ、と思うようになるのです。それでぶどう園に行って働くようになるのです。信仰の生涯へと導かれるのです。それに対して弟は、神様の御心をすぐに受け止めようとします。「承知しました」と答えます。御心に生きることが神様の祝福であることを知っているからです。しかし、ぶどう園に行かなかった。彼は神様の御心を知っているのです。実際、それを守って生きているのです。それが律法学者でありファリサイ派の人々なのです。そんなことは分かっている、もうずっと律法、すなわち神様の教えを守って生きているのです。ぶどう園で働くこと、いまさらそんなことを言われなくても分かっているというわけです。
 このたとえ話は、最後の締めくくりとして、バプテスマのヨハネを示しています。イエス様より先に現れて神様の御心を人々に示した人です。結局、時の指導者、律法学者やファリサイ派の人々はヨハネの言葉を信じませんでした。しかし、社会の片隅に追いやられている徴税人や罪人と言われる人々がヨハネの言葉を信じたのでした。イエス様はヨハネの例を示しながら、今、神様の御心を示しているイエス様を信じるか、信じないのか、人々の姿勢を求めているのです。

 新約聖書の大半を記しているパウロですが、パウロはイエス様の福音、教えを拒否した人です。彼はユダヤ教の熱心な信者であり、ユダヤ教の中心である律法を一生懸命学んでいたのです。イエス様が十字架に付けられた後、そのイエス様の福音を信じる人々が次第に増えて行くのです。それに対して、パウロはイエス様を信じる人々をとらえては牢に入れ、迫害していたのです。ところが迫害していたイエス様に出会うことになるのです。そのため、一時は目が見えなくなるのですが、やがて彼はイエス様の福音を真に受け止めて生きるようになるのです。それは十字架の福音であり、十字架を信じて生きる者へと導かれていくのです。今まで律法と言い、戒律を守って義人になると言う生き方でしたが、十字架が自分自身のすべてを救ってくださると言う信仰へと導かれたのでした。当初は拒否したとしても、ぶどう園に行って働く者へと導かれたのでした。
 当初はキリスト教を拒否しましたが、後に喜んでキリスト教を受けていれた方を示されています。前任の大塚平安教会時代、教会員のお連れ合いが天に召されました。もうかなり高齢であったと思います。お知らせをいただいて、すぐにお宅に伺いました。その御夫婦のすぐ近くに息子さん家族が住んでいました。私が伺っとき、その息子さんも来ておられました。葬儀をキリスト教で行うことには反対されていました。私が伺うと赤い顔をして怒っておられました。しかし、亡くなった方のお連れ合い、教会員ですが、キリスト教で葬儀を行うことで進めているのです。お連れ合いは、その方が教会の礼拝に出席することを励ましてくれていたと申します。いずれは自分も出席したいと申されていたというのです。それで、前夜式、告別式を行いました。私自身、亡くなった方のことについては存じていません。しかし、亡くなった方のお連れ合いの証しを参考にしながら式辞を述べさせていただきました。葬儀が終わったとき、息子さんの姿勢が変わったことを知りました。むしろキリスト教で行われたことを喜んでおられるのです。そして、数年後、教会員のその婦人も召天されました。息子さんはすぐに教会に連絡してくれたのです。キリスト教で葬儀を行うことには、喜んでお任せくださったのです。このご夫婦は教会の墓地に埋葬されていますが、毎年、11月の召天者記念礼拝には、息子さんは献金を送られて来るのでした。そして、盆暮れには牧師にお届け物をくださるのでした。キリスト教に反対されていましたが、喜んで受け止めるようになられたのです。この方の歩みも「信仰の生涯」と示されています。
 旧約聖書の示しで、ヨシュアの信仰を示されました。人々を前にして、「わたしとわたしの家は主に仕えます」と証ししたのでした。この証しは、私達に強く示しを与えています。私の家族は、教会が自分の家でした。最初の青山教会時代は副牧師でしたので、家は別の場所に住み、通っていました。そのとき上二人が生まれていますが、間もなく宮城の陸前古川教会の牧師になりました。牧師館は教会と共にありました。三番目の子供が生まれ、子供たちは教会の中で成長しました。そして、大塚平安教会に招かれましたが、牧師館は教会の中にあり、そこで子供たちは成長し、それぞれ成長して、それぞれの歩みをするようになりました。この子供たちは、教会で成長したことを喜びつつ歩んでいます。そして、それが信仰として子供たちを支えていると示されています。2010年3月に退任しましたが、11月より「六浦谷間の集会」として夫婦で礼拝をささげるようになっていますが、子供たちも時には出席しています。また、今でも横浜本牧教会や三崎教会の礼拝説教をさせていただいていますが、いつも子供たちも一緒に出席しています。「わたしとわたしの家は主に仕えます」と証していますが、子供たちも喜んで信仰の歩みを過ごしていると示されています。信仰の生涯を目ざして歩むことを祈っているのです。祝福の人生であるからです。
 主イエス・キリストの十字架の救いを仰ぎ見つつ歩むこと、信仰の生涯なのです。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架の救いを感謝致します。今この時から、十字架を仰ぎ見て歩む者へとお導き下さい。イエス・キリストの御名によっておささげ致します。アーメン。