説教「救いについていく」

2020年1月19日、六浦谷間の集会
降誕節第4主日

 

説教、「救いについていく」 鈴木伸治牧師
聖書、サムエル記上3章6-14節

   ガラテヤの信徒への手紙1章11-24節
   ヨハネによる福音書1章35-42節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・120「いざうたえ友よ」
   (説教後)讃美歌54年版・517「『われに来よ』と主は今」

 


今朝は主イエス・キリストが世に現れたとき、最初にお弟子さんになった人々を示されながら、私たちも弟子としての歩みを導かれたいのであります。弟子は師である先生を見つめ、指導をいただき、次第に師である先生に近づいていくのであります。しかし、まったく師である先生と同じになってしまうのではなく、師である先生の真理を受け止めつつ、私に与えられた賜物により、師である先生の教えと真理に生きることであります。イエス・キリストが福音を与えてくださいましたが、選ばれた最初のお弟子さんたちも、イエス様の福音を人々に伝えながら歩んだのであります。今朝のヨハネによる福音書によりますと、最初にイエス様に従ったのはアンデレさんと言われます。そのアンデレさんが兄弟のペトロさんをイエス様のところへ連れて行きました。そして、ペトロさんは選ばれた12人のお弟子さんたちの中心になって、イエス様に従い、その後は人々にイエス様の福音を宣べ伝えたのです。イタリアのローマ、ヴァチカンの中心はサン・ピエトロ大聖堂ですが、そこに祀られているのはペトロさんであります。ペトロさんの信仰を中心にしているのがカトリック教会であるのです。
 信仰に生きた人々の証しをいただきながら歩む私たちであるのです。横浜本牧教会員の吉澤暢紘さんが去る1月8日に天に召されました。76歳ですから、まだまだご活躍でしたが、病となり、召されたのであります。14日の告別式には列席させていただきました。吉澤さんのお人柄を示すと思われる多くの皆さんが参列されました。吉澤さんと出会いますのは、私が2010年4月から9月まで横浜本牧教会の代務牧師、付属の早苗幼稚園に就任した時でした。しかし、その期間は、吉澤さんは海外勤務であり、時々、帰国されては礼拝に出席されていましたので、その程度のお交わりでした。その後、2016年10月から2018年3月まで早苗幼稚園の園長に再び就任しました。吉澤さんは海外勤務が終わり、教会の諸職務を担っていました。専任の牧師が就任してないので、教会の事務的なことを一切担っておられたのです。教会の役員であり、幼稚園委員会の委員でもありましたので、何かと共に協議しながら歩んだのでした。その吉澤さんは歌うことでは才能を持たれ、合唱団に所属されていました。教会では礼拝後の讃美歌練習の指導をされていました。礼拝においては吉澤さんの美しく歌う賛美の声が、今でも耳に残っています。
 2017年5月28日にはスペイン・バルセロナにあるサグラダ・ファミリアのミサで聖歌をささげられました。娘の羊子がサグラダ・ファミリアのミサで奏楽をしていることもあり、その前から羊子とはお交わりがありましたので、吉澤さんとお仲間がバルセロナを訪れることになったので、ミサにおける聖歌となったのでした。このことで吉澤さんが所属する合唱団の皆さんがサグラダ・ファミリアのミサで聖歌をささげることになりました。吉澤さんと羊子との話し合いの中で決まったようです。従って、吉澤さんは合唱団の皆さんと共に再びサグラダ・ファミリアのミサで聖歌をささげることになり、その日を心待ちにしておられたのです。何事も吉澤さんの信仰の賜物と示されています。横浜本牧教会を担いつつ歩まれた吉澤さんはイエス様のお弟子さんとして歩まれたと示されています。

 今朝は、旧約聖書ではサムエルさん、書簡ではパウロさん、福音書ではアンデレさん、ペトロさん、フィリポさんとナタナエルさんというお弟子さんを証ししています。いずれも神様の召しをいただき、お弟子さんとしての人生を力強く生きたのであります。これらの人々を示されながら、私たちもまた、神様の御旨としての人生へと導かれていることを示されたいと願うのであります。
 サムエル記上3章に記される少年サムエルのお話は意味深く示されます。サムエルの母ハンナさんは子どもが与えられないので、神殿に行ってはお祈りをささげていました。そのことは1章の初めの部分に記されています。1章10節、「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。『万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげします。』」とお祈りするのでした。この祈りを神様は聞いてくださり、ハンナさんに男の子が与えられ、サムエルと名付けたのでした。そして、ハンナさんはお祈りしたとおりに、サムエルが乳離れすると共に、まだ幼いのでありますが、神の宮にいる祭司エリさんのもとへ連れて行ったのでありました。サムエルは幼くして宮に仕える者となり、エリさんの指導で成長するのでありました。
 今朝の聖書は、もはや少年になっているサムエルです。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」という時代でした。サムエル記の前はルツ記、その前は士師記であります。士師記は、一時的に現れた強い人が聖書の人々を救ったという記録です。聖書の人々はエジプトから脱出し、40年間荒野を彷徨し、ようやく神様の約束の地・カナンの土地に定着したのであります。定着したものの、もともとそこに住んでいた人々が、聖書の人々を攻撃してきますので、そのようなときに、地域的に強い人が現れ、敵から守ったのが士師といわれる人たちでありました。これらの士師たちは聖書の民の全体を救ったというのではなく、地域的な救済でありました。「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることはまれであった」と言っているのは、そのような時代的な背景であったからです。つまり、全体的には平穏な社会であったということなのです。しかし、サムエル記をもって今までの12部族宗教連合は終わりを告げ、一つの王国となるのであります。風雲急を告げてきたからでありました。周辺の国々は王国であり、結束して攻めてくることにより、連合体としての聖書の人々は対抗できないのであります。サムエルさんの時代に王国となり、サムエルさんは王国の見張り役として生きたのでありました。
 少年サムエルに主の御心が示されることが今朝の聖書であります。今、少年サムエルに神様の呼び声が聞こえてきます。夜、寝ているサムエルは呼び声を聞いたので、祭司エリさんのもとへ行きます。「お呼びになったので参りました」というと、エリさんは「わたしは呼んでない。戻ってお休み」と言います。そのようなことが三度あったとき、エリさんはサムエルを呼んでいるのは神様であることを知るのでした。従って、今度呼ばれたら、神様に向かって答えなさいと示すのです。そして、サムエルを呼ぶ声がしました。その時、サムエルは「どうぞお話しください。僕は聞いております」と神様に向かって答えたのでした。神様は少年サムエルに、これから神様が行うべきことを告げます。3章19節に記されるように、「主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」のであります。「どうぞお話しください。僕は聞いております」との姿勢こそ、お弟子さんとしての歩みなのです。
3.
 ヨハネによる福音書の今朝の聖書は「最初の弟子達」であります。いずれもイエス・キリストから言葉をかけられ、その言葉を聞いて、そしてイエス様のお弟子さんへと導かれたのでした。ヨハネによる福音書によれば、最初に弟子になったのはアンデレさんでありました。彼は、最初はバプテスマのヨハネの弟子でしたが、師であるヨハネさんがイエス・キリストを指して、神の小羊だと言ったので、そのイエス様の後をついて行くのです。すると、イエス様が「何を求めているのか」と声をかけてくれるのです。そのアンデレさんが兄弟シモンさんをイエス様のところへ連れて行きます。すると、イエス様はシモンに声をかけます。「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩という意味)と呼ぶことにする」というのでありました。このシモンがペトロと呼ばれるようになります。そして、イエス様は、今度はフィリポさんに出会い、「わたしに従いなさい」と声をかけます。フィリポさんは友達のナタナエルさんをイエス様のところに連れて行こうとします。するとナタナエルさんは、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言って誘いを断るのですが、フィリポと共にイエス様のところに行きます。するとイエス様はナタナエルを見て、「まことのイスラエルの人だ。この人には偽りがない」というのです。「どうしてわたしのことを知っておられるのですか」と言うナタナエルに、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われたのでした。するとナタナエルは、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言います。イエス様は言われます。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われ、「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われるのでした。「人の子」とはイエス様のことです。天が開け、天使たちが主イエス・キリストのもとに天を昇ったり降ったりするのを見る、つまり、神の国がこの世に実現するのを見ることになりますよ、と示しているのであります。旧約聖書・創世記で、ヤコブが石を枕にして野宿しています。その時、夢を見るのです。天にまで達しているはしご・階段があり、御使いたちがその階段・はしごを登ったり降ったりしているのです(創世記28章10節以下)。このことは、神様の御心の国が実現することを意味しているのです。天が開け、天使たちがイエス様のもとに昇り降りする様は、まさに神の国の実現なのであります。そのために声をかけられたのがアンデレ、ペトロ、フィリピ、ナタナエルでありました。そして、旧約聖書はサムエルを示しているのです。これらの人々はイエスの招きを聞きました。そして、彼らはイエス様のお弟子さんとして、イエス様に従うことになりました。「主よ、お話ください。僕は聞いております。」と神様に向かうことこそ、私たちに求められていることなのです。
 大塚平安教会は大工さんが「はしご」を忘れていったので、いまだに「はしご」がかかっているとユーモアを交えて言われる人がいます。創立40周年のとき、礼拝堂を改修しました。講壇の両端には小部屋があったのですが、それらを撤去して講壇を広い空間にしたのです。それまでは比較的に小さい十字架がかけられていました。広い空間になったとき、講壇を象徴的にまとめることで12本の柱と「はしご」を掲げることにしたのでした。柱は十本しか見えませんが、「はしご」と柱を兼ねたので10本にしか見えないのです。12本の柱はイエス様の12人のお弟子さんであります。イエス様の柱となるとの意味もあるのです。イエス様のお弟子さんとして神の国を広めていく使命を与えられているのです。
4.
 イエス様の福音、喜びの導きを私達もいただいています。そして、この福音を人々にお伝えしているのです。何をどのようにお伝えしているのか、と考える必要はありません。イエス様の十字架の救いを信じて、喜びつつ歩むこと、そのことで人々への証しとなり、イエス様の救いの証しを人々にお伝えしているのであります。
 先ほども示されましたが、横浜本牧教会員の吉澤暢紘さんのお証しをいただきました。1月8日に召天され、1月13日に前夜式、14日に葬送式が行われましたので、葬送式に参列させていただきました。最近、ご病気になられて、療養されておられると思っていました。つい最近まで、お元気な吉澤さんとお交わりをしていたからです。2018年7月6日に専任の牧師、園長の就任式が行われました。実は、2018年3月まで一年半でしたが横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を務めていました。専任の園長が決まりましたので退任したのですが、在任中は吉澤さんともいつもお会いしながら勤めていたのです。そして就任式にお会いして、新しい歩みのお祝いをしたのでした。その時が最後にお会いした時です。その後一年くらいして、吉澤さんがご病気で療養されておられることを伺っていました。そして、この度、天に召されていったのでありますが、葬送式に列席して、改めて吉澤さんのちから強い信仰の証しを示されたのであります。吉澤さんは76歳でしたが、洗礼を受けられたのは50歳の時であったといわれます。もうずっと若いころから信者てあると思っていたのです。もともと歌うことの賜物をお持ちで合唱団に所属されていました。合唱団でマタイ受難曲キリスト教の曲を歌う中で、教会へと導かれたのでした。洗礼を受けられてから3年後にリンパ腫の宣告を受けられたのでした。それからはお連れ合いの食事療法をいただきながら今日まで歩んでこられたのです。従って、最近ご病気になって召されたのではなく、実に23年間も病と向き合いながら、与えられた歩みをちから強く歩まれていたのです。吉澤さん共に過ごした日々を思い出していますが、まったくご病気であることは示されませんでした。
 2017年5月にバルセロナに訪れたとき、娘の羊子がサグラダ・ファミリアのミサで奏楽をしていこともあり、そのミサでお仲間と共に聖歌をささげられたのでした。そのことで、今度は合唱団の皆さんとサグラダ・ファミリアのミサで聖歌をささげることになったのでした。いつも神様を見上げつつ歩まれた吉澤暢紘さんはイエス様のお弟子さんとして歩まれたことを示されています。
 私たちもイエス様の御心を示され、お弟子さんとしての歩みを導かれているのです。
<祈祷>
聖なる神様。主の弟子へと導かれ感謝いたします。いよいよ師である主イエス・キリストを仰ぎ見つつ歩ませてください。イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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