説教「今日、楽園に生かされて」

2018年11月25日、六浦谷間の集会 
「降誕前第5主日」 収穫感謝日、謝恩日、終末主日

説教・「今日、楽園に生かされて」、鈴木伸治牧師
聖書・サムエル記下5章1-5節
    コリントの信徒への手紙15章20-28節
     ルカによる福音書23章35-43節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・258「貴きみかみよ」、
 (説教後)讃美歌54年版・524「イエス君、イエス君、みすくいに」

 本日は11月の第四日曜日であり、いくつかのことを覚えながら礼拝をささげています。まず、本日は「収穫感謝日」であります。他の国でも収穫祭がおこなわれています。日本の教会が「収穫感謝日」としているのは、アメリカが第四木曜日に「収穫感謝祭」を行っているので、11月の第三、または第四日曜日を「収穫感謝日」として礼拝をささげています。神様が私達にお恵みを下さっているので、私たちが日々の歩みを導かれているのです。使徒言行録14章16節以下には、「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです」と示されています。まさに神様は自然の恵みを通して、私たちを導いてくださっているのです。人間はその恵みを思うことなく、これは自らが植え、育て、収穫したと思っています。しかし、あの小さな種粒から、どうして芽が出てくるのか、その自然の神秘を探ることはできないのです。神様が自然の神秘を導いてくださっているのです。収穫感謝日には教会の皆さんが果物、野菜等を持ちより、聖壇付近に飾り、これはまさに神様のお恵みであることを感謝しつつ礼拝をささげます。
 本日はまた「謝恩日」とされています。謝恩とは、長年牧師として歩まれた皆さんが、隠退されて過ごされていますが、隠退された教師、またご遺族への感謝をあらわす日にもなっています。私自身も隠退教師になっています。牧師はもともと信徒でありました。神様に召されて教師、牧師になりますと死ぬまで教師の身分になります。隠退しても隠退教師なのです。私も50年間、牧師として歩んでまいりました。まだまだ働かれるではありませんか、と言われますが、そうだとしてもお手伝い程度の働きはできるでしょう。しかし、牧師としての務めはありませんが、今でも幼稚園の園長を担っています。幼稚園という牧会を担っているのです。日本基督教団は年金制度を設けています。隠退教師に年金を支給しています。年金の財源は牧師の掛金がありますが、教会の献金で支えることになります。「謝恩日」には謝恩日献金をささげ、年金の財源としています。また、「隠退教師を支える100円献金運動」があります。全国の教会の信徒の皆さんが、毎月100円をささげる運動です。この運動からも年金局に繰り入れ、年金の財源にしているのであります。
 さらに、今朝は「終末主日」であります。来週の12月2日からは早くもアドベントになります。主イエス・キリストがこの世に到来するのを心から待望するのです。今年のクリスマス礼拝は12月23日であります。アドベントはクリスマスの4週間前から始まるのです。キリスト教の暦はクリスマスをもって新しい歩みが始まります。昨年の新しい歩みは本日の25日の終末主日の週をもって終わります。そして、次の週の12月2日から新たなる歩みとなるのです。終末主日におきまして、終末を深く受け止めなければなりません。天地宇宙の始まりがあったのですから、天地宇宙の終わりもあるということです。聖書は終末を教えていますが、その時には主イエス・キリストが再び現れて、正しい者と悪いものを選別すると示しています。マタイによる福音書24章43節以下に、「家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」とイエス様がお示しになっています。
 本日は11月25日の第四日曜日のいくつかの意義を示されながら、「今日、楽園に生かされて」喜びの人生を示され、祝福の歩みを導かれたいのであります。「楽園に生かされる」ことは、神様の御心をいただくことでありますが、その道筋が本日の示しなのであります。

 旧約聖書ダビデイスラエル国家の王様に選任されたことを記しています。サムエル記下5章からであります。聖書の国イスラエルは、もともと王国ではありませんでした。神様を中心とする12部族の宗教連合体でありました。従って、各部族の長を中心にそれぞれが歩んでいたのです。しかし、周辺の国々に悩まされておりました。その時、現れたのが士師と言われる人たちです。ギデオン、サムソンという士師が現れて、苦難にある人々を救ったことが士師記に記されています。そういう中で、我々も王国になる必要があるとして、祭司サムエルに王を立てるように申し入れるのです。そして、最初に立てられたのがサウル王でした。サウル王は当初は神様の御心をもって国を治めていましたが、次第に自分の思いで国を治めることになるのです。それで、神様はサウルではなく、ダビデを王として選任します。
 ダビデか次なる王として選任されることは、サムエル記上16章に記されています。士師の時代が終わり、サウル王となりますが、サウルが神様から見放され、神様は次なる王としてダビデを選任します。祭司サムエルはエッサイの家に行き、その子供たちと面接するのです。エッサイの子供7人と会いますが、いずれも王としての人材ではありませんでした。ところがエッサイにはまだ一人、末の子供がいました。今は羊の番をしているということで、そのダビデが呼ばれ、サムエルと対面することになります。サムエルはまさにこの人こそ王になるべきと示され、ダビデに王の選任として油を注ぐのでした。こうして王として選任されますが、現実にはサウル王がいます。そのサウル王の家来になるのです。ダビデはサウル王の家来として戦いで目覚ましい働きをするので、ダビデの名声が高くなります。それを妬んだサウル王はダビデを殺そうとまでするのです。ダビデはサウル王から逃れて生きるようになるのです。そのことを記しているのがサムエル記上であります。
 サウル王が戦いで死にました。その子どものヨナタンダビデとは親友の仲ですが、彼も戦いで死んでいくのです。こうしてダビデには敵対する者がいなくなり、全イスラエルの王様に選任されたのであります。それが今朝の聖書です。ダビデは長老たちから油を注がれます。「油を注ぐ」ということは、救い主として選任することであります。油注がれた者は指導者となりますが、神様の御心により人々を指導するのです。神様の御心による指導ですから、良い歩みが導かれるということであります。「油を注ぐ」との言葉は「メシア」であります。メシアは良き指導者、救い主であります。従って、「メシア」は「油を注ぐ」と言う意味ですが、「救い主」との意味に変わっていったのであります。ダビデは30歳で王となり、40年間王様でした。ダビデはまさにメシアでした。いつも神様の御心を人々に示したのであります。そのため、後の世の人々が、苦しい時代にあって、再びダビデが現れることを待望するようになりました。それがメシア待望になったのであります。「楽園に行かされる」希望を求めるようになったということです。その「楽園に生かされる」ことはイエス・キリストによって実現したのであります。

 11月第四日曜日は終末主日であり、主イエス・キリストが十字架上で死ぬ状況が新約聖書の示しであります。マタイによる福音書は、東の国の占星術の学者たちが、都のエルサレムにやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と言いながら探し歩きました。実際のヘロデ王は穏やかではありません。自分が王であるのに、新しい王が現れたとは、いったいどういうことか。学者たちはイエス様にお会いしますが、ヘロデ王には生まれた場所を告げずに帰って行きます。イエス様は王様として現れましたが、それはまた待望していたメシアの出現でありました。人々はイエス様の教えに驚き、また喜び、受入ました。まさに「楽園に生かされる」喜びが与えられたのです。しかし、一部には「ダビデの子よ」と呼びかける人がいますが、そういう呼び方をするのは危険でもあるのです。「ダビデの子」は王としての存在であるからです。救い主ではないか、と人々は思いながらも口には現すことができません。人々はイエス様により、驚くべき奇跡を体験し、心を揺さぶる御心の示しをいただくのですが、メシアとしての確信が持てなかったのであります。「楽園に生かされる」確信ができなかったということです。
 時の指導者の妬みによりイエス様は十字架にかけられました。ローマから派遣されている総督ピラトの命令により、十字架には「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げられていました。占星術の学者たちも総督ピラトも外国人であります。外国人がイエス様を「ユダヤ人の王」と呼んだのでありました。主イエス・キリストはこの世に現れ、神様の御心を示し、苦しい状況にある人々をお救いになりました。差別を受けて生きる人々が多くいました。病にある者、社会の底辺におかれる人々、イエス様は社会の人々から除外されている人々と共におられたのであります。主イエス・キリストが十字架に架けられて死ぬのは、時の指導者達の妬みによるものですが、神様は救いようのない人間をお救いになるために、むしろイエス様が十字架で死なれることを御心とされたのでありました。すなわち、主イエス・キリストの十字架の死と共に、人間の奥深くにある罪、自己満足、他者排除をイエス様の十字架の血により贖われたのであります。私たちは十字架を仰ぎみるとき、私の罪をイエス様が贖ってくださったと信じるのであります。そして十字架を仰ぎ見ることにより、イエス様が私のすべてを受け止めてくださっていることを知るのです。イエス様は自分の命により私達に「楽園に生かされて」生きる道を与えてくださいました。私たちはイエス様により永遠の命へと導かれているのであります。

11月も下旬になる頃、知人の皆さんから喪中のご挨拶をいただいています。以前は、知人のご家族、特にご両親とか、祖父母の方がご逝去され、新年のご挨拶はご遠慮するということでした。しかし、最近は、私のような年齢になると、知人の方の喪中なのでした。お連れ合いがお亡くなりになられたとか、お子さんがお亡くなりになられたという、そのような喪中のご挨拶が多くなっています。
大塚平安教会時代の数人の方からも喪中のご挨拶をいただいています。柵山弘子さんからお連れ合いの柵山悦也さんの喪中のご挨拶をいただいています。悦也さんは今年の1月7日に84歳でご召天になられました。柵山さんからは力強いお証をいただいています。1989年3月31日発行の「湘北地区報」(7号)に原稿をお寄せくださった柵山悦也さんの証をここに紹介させていただきます。
「主にありて」(ホーリネス教会弾圧下の家族)、柵山悦也(大塚平安教会員)
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」。1月7日朝、天皇の死を知った時、私の頭をよぎったのは冒頭の聖句でした。私の両親が特高警察に踏み込まれ、検挙されたのは1942年(昭和17年)戦争中のことでした。当時私は小学3年生、私達一家は満州国奉天市霞町9番地(現中国東北地方瀋陽市)ホーリネス奉天霞町教会の牧師館に住んでいました。父はホーリネス聖教会に属し満州伝道の責任者として、母も伝道師として福音伝道に従っておりました。此のホーリネス教会弾圧の始まる前に、日本基督教団から時局に応じ聖日礼拝には講壇に日の丸を掲げ、君が代を歌い、東に向かって宮城を遥拝し、天皇を崇めてから礼拝を守る様にとの通知がありました。しかし、それに従わず、キリストの再臨を説いていたのが不敬罪に当たるということで父は起訴され、母は取調べ中に病気になり、二週間ほどで家に帰されました。教会は解散、閉鎖没収されました。父も身体を悪くし翌年釈放され帰ってきました。信者の方の尽力で住居が与えられました。そして、特高警察に目をつけられない為に、郊外にあった満州飛行機の防衛課の庶務として勤務し、母も同じ課の守衛寮の寮母として働くことになりました。両親とも牧師だった事、キリスト者である事を隠さず働いていました。守衛さん達から先生、先生と相談を受けたり親切にされて喜んでいました。様々な出来事に出会いましたが、主の恵の中で家族全員が無事社宅を出て霞町の教会へ戻ることが出来ました。そこを孤児収容所として帰国迄、社会福祉に生きた両親、一燈園の孤児たちと共に日本に引き上げることが出来たのも主の恵でした。この時代を生きた両親の信仰から教えられます。「すべての人は上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している…」(ローマ人への手紙13章)。この世にあっては、この世の事柄に従うが、どうしても譲れない事、神以外のものを神とする事には反対し、信仰の上から強固にそれを守って生き、そして聖書を片時も離さず、絶えず祈りを捧げていた両親でありました。
まさに柵山悦也さんは「今日、楽園に生かされて」生きた人生であったと示されています。主イエス・キリストの十字架の救いをしっかりといただき、日々、楽園に生きる喜びを持ちつつ歩まれたのでした。イエス様の十字架がいつも私たちを導いてくださっているのです。日々、楽園に生かされている喜びを持ちつつ歩みたいのです。
それからもう一人、角田敏太郎さんからも喪中のご挨拶をいただいています。お連れ合いの真澄さんが今年の7月11日に84歳で召天されています。その御葬儀に列席させていただきました。その喪中のご挨拶には次のように記されていました。「私はキリスト教の死生観に基づき、喜びのうちに妻を主イエス様のみもとに送ったと信じています」と記されています。お連れ合いと共に「今日、楽園に生かされて」日々の歩みが導かれたのです。角田さんは若いときに電車により、片足が無くなりました。義足でありましたが、いろいろな社会運動に参加しつつ歩んでいました。その活動はイエス様の楽園への導きでした。この世の楽園、天国の楽園を示されつつ歩まれているお証として示されたのでした。
<祈祷>
聖なる御神様。多くの恵みをいただいておりますこと感謝であります。さらに楽園に生きる者へと導いてください。主イエス・キリストの御名によりささげます。アーメン。