説教「神様がお導きくださるので」

2017年11月12日、横浜本牧教会
「降誕前第7主日」 

説教・「神様がお導きくださるので」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記15章1-7節
    ヨハネの手紙<一>3章11-18節
     マルコによる福音書12章18-27節
賛美・(説教前) 讃美歌21・403「聞けよ、愛と真理の」
    (説教後)507「主に従うことは」


 今日は11月の第二日曜日でありまして、教会では子供たちを祝福しながら礼拝をささげるのです。「祝福」というのは、神様のお恵みが与えられ、神様のお心をいただいて良い成長が与えられるようお祈りすることなのです。早苗幼稚園では誕生祝福礼拝が行われています。その月にお誕生日を迎えるお友達に祝福のお祈りが与えられます。お祈りするお友達の頭に手を置いて、「神様のお恵みと祝福がたくさんありますように」と園長先生がお祈りします。そうするとお祝いする皆さんが大きな声で「アーメン」と言います。「アーメン」というのは、「その通りです。私も同じ願いです」と言う意味です。ですから幼稚園の先生がお祈りするとき、「このお祈りをイエス様のお名前を通しておささげ致します」と言うのですが、「このお祈りを」というと皆さんが、「イエス様のお名前を通しておささげします。アーメン」と一緒にお祈りしています。みんなで神様にお願いしているのです。神様はみんなのお祈りを聞き、きっと良いように導いてくださるのです。「導く」という言葉も難しいのですが、「励ましたり」、「力を与えたり」してくれるので、元気に過ごすことなのです。私達は「神様がお導きくださるので」毎日元気に過ごすことができるのです。
 毎日、私たちが元気に楽しく過ごすために、神様は「お約束」をくださるのです。私達もお友達と約束をします。幼稚園から帰る時、あるいは学校の帰りにお友達と別れるとき、「あしたまた遊ぼうね」と約束するでしょう。神様も私達に約束してくれるのです。「良い子になろうね。イエス様のお心をもてば、元気になるよ」と約束を与えてくれています。その約束をしてくれるのが、この礼拝なのです。日曜日に礼拝に出席します。おうちの人と出席しますが、どうして日曜日に礼拝に出席しなければならないのだろう、と思うことがあります。日曜日だから、友達と約束したので遊びたいのに、と思います。礼拝は神様が約束をくださるので、だからいつも大人の人達は礼拝に出席しているのです。大人の礼拝はつまらないと思いますので、子供の教会があります。教会学校と言っていますが、学校ではありません。子供の教会、子供の礼拝なのです。その子供の礼拝でも、神様のお約束が与えられ、元気に楽しく過ごすことができるのです。
 私は前に大塚平安教会という教会の牧師でした。幼稚園の園長もしていました。ある日のこと、まだ小学校5年生の女の子が、洗礼を受けたいと言ってきました。洗礼は、神様が私たちを良い人に導いてくださるので、そのお導きをいただきますということなのです。洗礼を受けるのは、大人の人たちなのですが、その女の子は、「私も洗礼を受けます」と言っているのです。まだ小学校5年生です。さて、どうしましょう。だから「なんで、洗礼を受けたいの」と聞きました。そしたら「神様にお約束して、毎日の生活をしたいのです」というのでした。もう、びっくりしました。洗礼を受けることを、「神様にお約束」することだというのです。その通りだと思いました。大人の皆さんは、洗礼を受けるということは、イエス様が十字架で導いてくださることを信じて洗礼を受けます。それが「お約束」なのです。洗礼を受けなくても、私たちは礼拝に出席することは、神様のお約束をいただくことであり、私たちも神様にお約束して、お友達を心から愛しつつ過ごすのです。

 聖書のお話を見てみましょう。昔、アブラムさんという人がいました。後でアブラハムという名前になりますが、最初はアブラムさんです。そのアブラムさんに神様は言います。「あなたは、今、住んでいるところから、神様が導く場所に行きなさい。そこであなたを大きな国民にします」との約束をくださるのです。今は少しの家族だけで過ごしていますが、多くの人々と共に過ごすようになりますよ、とい約束です。みんなと一緒に過ごせるのですから、これはうれしいことです。だからアブラムさんは神様のお約束をいただいて、住んでいた家を出ることになり、神様の約束の場所に行ったのです。神様は「あなたを祝福する」と言っているのです。祝福は元気と力をいただくことですから、アブラハムさんは元気に神様のお導きに従ったのでした。神様のお約束に従ったアブラムさんでしたので、アブラムさんには多くの人々が与えられ、みんなが喜んだという聖書のお話しです。それはアブラムさんが神さまのお約束を信じ、守ったからでした。神様のお約束は私たちが喜ぶことへとお導きくださるのです。
 神様のお約束はアブラムさんばかりではありません。いろいろな人たちにお約束をくださっています。聖書には少年サムエルさんのお話しが記されています。サムエルさんはまだ小さい子供です。幼稚園か小学校の1、2年生くらいです。サムエルさんはエリさんのお弟子さんになりました。エリさんは神様のお宮の仕事をする人です。祭司と言われていました。サムエルさんも祭司になるために、まだ子供ですが、エリさんと共に生活するようになったのです。ある日のこと、夜寝ていると、「サムエル、サムエル」と呼ぶ声がします。サムエルさんはエリさんが呼んでいるのだと思い、エリさんが寝ている部屋に行きます。「お呼びになったので参りました」と言います。するとエリさんは、「わたしは呼んではいない。自分の部屋で寝なさい」と言われるのです。サムエルさんがしばらく寝ていると、また「サムエル、サムエル」と呼ぶ声がします。やっぱりエリさんが呼んでいると思い、エリさんのところに行きます。すると、エリさんは呼んでないというのです。確かに呼んでいたのに思いつつ、また自分の部屋で寝ています。するとまた「サムエル、サムエル」という呼ぶ声が聞こえるのです。「やっぱりエリさんが呼んでいる」と言いつつエリさんのところに行きます。「呼ばれたので来ました」とサムエルさんがエリさんに行ったとき、エリさんは気がつくのです。「わたしは呼んでないのに、呼ぶ声を聞くのは、神様が呼んでおられるのだ」と知りました。それでエリさんは、「今度呼ばれたら、それは私が呼んでいるのではなく、神様が呼んでいるのだから、神様にお答えしなさい」と言いました。そして、またサムエルさんが寝ていると、呼んでいる声を聞きます。サムエルさんはエリさんの言われた通り、布団の上に座り、お祈りしながら、「神さま、お話しください。私はここにおります」と神様に向かって言うのでした。そこで、神様はサムエルさんに、これからのことをお話しされ、お約束をくださったのです。そのお約束により、サムエルさんはみんなから喜ばれる人になったのです。
 「神さま、私はここにおります。神様のお約束をお話しください」というお祈りは、私たちもしなければならないのです。神様のお約束は、私たちを元気にしてくれます。イエス様のお心をいただいて、「自分を愛するように、お友達を愛する」、そういう人に導いてくださるのです。神様のお約束をいただいた人たちが、元気に過ごしたことが聖書にはたくさん記されています。聖書は私達に神様のお約束を下さっているのです。

 神様のお約束ですが、昔の人々は神様のお約束である「十戒」を守って生きることでした。私たちの大切なお約束でした。そのお約束というのは、「お友達をいじめてはなりません」、「お友達のものを盗んではいけません」、「意地悪してはいけません」ということです。そういうお約束を守れば、神様が元気をくださるということです。そういうお約束ですが、人々はなかなかお約束を守ることができませんでした。だから、神様は、今度はイエス様によってお約束をくださったのです。イエス様のお約束です。「あなたがたは自分を愛するように、お友達を愛しなさい」とお約束をくださっています。そのお約束により元気になりますよ、ということなのです。ところが「十戒」にしても、イエス様のお約束にしても、私たちはなかなか守ることができないのです。どんなお友達とも一緒に過ごしなさいと言われるとき、あの子がいるから嫌だと思ったり、好きなお友達だけならいい、と思ってしまうのです。好きなお友達とだけ遊び、嫌いなお友達とは遊ばないことになるのです。それではお約束を守っていることにはなりません、とイエス様は言われています。どんなお友達とも一緒に過ごすことが神さまとのお約束であるとイエス様は教えておられるのです。人々は、イエス様が良いお約束をくださっているのに、守ることができません。それで、イエス様は悪い人達によって十字架で殺されてしまいます。イエス様は死んでいくとき、私たちの中にある悪い思いも一緒に無くしてくださったのです。教会には十字架が飾られていますが、イエス様が私達の悪い姿を失くしてくださった「しるし」なのです。十字架を見つめることは、イエス様のお約束をいつも与えられるということなのです。だから私達は、もう「好き、嫌い」とい言葉を忘れなければなりません。お友達がいるから一緒に遊び、すごすことなのです。祝福をいただく皆さんはそういう元気な皆さんになるのです。
 今日の新約聖書のお話しは、ちょっと分かりにくいお話です。ある人が結婚しました。ところが結婚しましたが男の人は死んでしまいました。それで、女の人はまた結婚します。しかし、また男の人は死んでしまいます。こうして女の人は7人の男の人と結婚しました。やがて女の人も死んでしまいます。それで、死んでからみんな天国にいるわけですが、女の人は誰のお嫁さんなのか、ということなのです。そういうことをイエス様に尋ねたのでした。するとイエス様は、天国ではみんな天使になっているので、結婚ということはありません。天国はみな同じように神様の喜びをいただいているのですよ、と言われたのでした。だから天国にいるようにみんな一緒に喜びあって過ごしなさいということになのです。「自分を愛するように、お友達を愛する」こと、これがお約束なのです。
 イエス様が良いお話をしてくださるので、いつも大勢の人たちがイエス様のお話を聞きに来ています。子供たちもお家の人と一緒に来ています。でも子供たちはイエス様のお話しは難しそうなので、周りで声を立てて遊んでいます。するとイエス様のお弟子さんたちが、「子供はうるさいから、あっちに行きなさい」というのです。それを聞いたイエス様はお弟子さんたちに言いました。「子供たちをわたしのところに来させない」と言い、そして小さい子供を抱っこして祝福のお祈りをしてくれたのです。小さい子供たちは神様のお約束をちゃんと守ることができます、と言われています。皆さんはイエス様のお約束を守ることができ、いつも元気に過ごすことが出来るのです。


 私達もお友達と約束しながら、毎日楽しく過ごしています。私達の約束は大切なことですが、イエス様のお約束を守ってお友達と過ごすことが大切なのです。
 昔、私がまだ小学校三年生のときです。その頃、教会学校に出席していました。私が教会学校に出席するようになるのは、実は私の母、お母さんが教会学校に連れて行ったのです。前にもお話をしましたが、私のお母さんは病気で入院していました。ある日のこと、見知らぬ子供たちがお母さんの病室に入ってきました。そして、お花をくださるのです。「早く良くなってください」と言われながらお花をくださったと思います。お母さんは、大変喜びました。それは6月の第二日曜日でした。教会学校は「こどもの日・花の日」礼拝をささげるのです。そして、みんなで持ってきた花を、病気の人や老人の皆さんにあげるのです。その日にその教会学校のお友達が、私のお母さんを訪ねてくださり、お花をいただいたのでした。そして、しばらく入院していましたが、良くなって退院しました。そしたら、日曜日になって、私を連れてその教会学校に出席しました。教会学校の先生に、お花を贈られたお礼を言いました。そして、これからはこの子が教会学校に出席しますから、よろしくお願いしますといっているのです。ちょっとびっくりしました。自分はそんなこと思っていないので、お母さんが教会学校の先生に約束しているのです。それからは日曜日になると、「さあ、教会学校に行きなさい」と言って、無理に行かせられるのでした。「きのう、友達と野球をすることを約束してるんだ」というのですが、「お母さんは教会学校の先生と約束してる」というのです。そんなわけで、私は小学校のとき、毎週日曜日に教会学校に出席することになるのです。
 私のお母さんは、教会学校の先生と約束したといっては教会に送り出してくれたと思いますが、それは神様のお約束をいただくために送り出してくれたと思っています。ぜんぜん知らない子ども達からお花を贈られたお母さんは、「うちの子も、人様から喜んでもらう人になってもらいたい」と思い、それには教会学校に出席することだと思っていのです。教会学校に出席することは、イエス様のお約束をいただくことなのです。お友達を大切にする、そういう人になることを思っていたのです。
 私達が、しあわせに過ごすことができるのは、イエス様のお約束をいただくことです。「自分と同じように、お友達を大切にする」こと、そのお約束をいただきつつ過ごすと、お友達みんなと一緒に楽しく過ごすことができるのです。
 そのように神様がイエス様によって私たちをお導きくださっていることを、今日は教えられました。

<祈祷>
聖なる御神様。神様のお約束により、私たちを元気に、そして楽しく過ごすことができましてありがとうございます。いつもお約束をいただくことができますよう。イエス様のお名前によってお願い致します。アーメン。