説教「救いの光を見つめつつ」

2016年9月25日、三崎教会 
聖霊降臨節第20主日

説教、「救いの光を見つめつつ」 鈴木伸治牧師
聖書、ダニエル書12章1-4節
    ヨハネによる福音書11章1-16節
讃美、(説教前)讃美歌21・403「聞けよ、愛と真理の」
    (説教後)讃美歌21・511「光と闇とが」


 暑い、暑いと言っていた8月も終わり、9月になりましたら次々に台風雨が襲ってまいりまして、風雨被害に心を痛めているうちにも、9月も終わりになりつつあります。前週22日は秋分の日であり、お彼岸と言う日でありました。前任の大塚平安教会時代は、教会の中の牧師館に住んでいましたので、あまり世の中の動きは影響されませんでしたが、今のところに住むようになりまして、いろいろと、特に仏教の行事等を見つつ歩むようになっています。つい先日も、朝の8時を過ぎたばかりですが、隣の家の玄関で、「ごめんください」と声をかけている人がいました。繰り返し声をかけているので、思わず窓から覗いてみました。お寺の和尚さんでした。まだ朝の8時を過ぎたばかりで、隣の人も寝ていたのかもしれません。しばらく経ってから玄関があけられたのでした。その時、今はお彼岸であると示されたわけです。お寺の和尚さんも檀家の家を周ってはお経をあげるのでしょう。和尚さんもお忙しいようで、時間など問題にしないようです。
 8月にはお盆がありました。その時、近所の人が集まって迎え火をしていました。ナスとキュウリに足をつけて、自分の家の方角に向けていました。これらは、私の小さい頃、我が家でも「迎え火」、「送り火」をしていたので覚えがあるのですが、今回は一つのことを知りました。ナスは牛なのでしょう。そしてキュウリは馬なのでしょう。それらの動物の側にナスを刻んで器に入れていました。何の意味が分からなかったのですが、私共の子供が情報を聞いてきてわかったのですが、刻んだ野菜は動物の餌であるということでした。昔は餌なんかなかったと思うのですが、今は動物への配慮もされているようでした。
 昔の我が家には、もちろん仏壇がありまして、それこそお彼岸になれば和尚さんがお経をあげに来たものです。それは続けられていたと思います。23歳の時に神学校に入り、卒業するや諸教会の牧師に就任し、ようやく隠退したのは70歳でした。ですから、約50年間は家におりませんで、仏教の行事等から疎遠になっていました。両親もいなくなりましたので、昔の家を建て替えました。今までは仏壇と言う物がありましたが、新築と同時に仏壇はなくなりました。両親もいないので、お寺の和尚さんもお経をあげに来ることはなくなりました。両親は仏教の信者でしたが、お寺の和尚さんも、鈴木家の子供はキリスト教の牧師であることを知っていますので、もはや来なくなっているのです。それで以前、お寺の和尚さんに尋ねました。両親はお寺の信者であり、鈴木家は檀家でしたが、両親がいない現在、鈴木家とお寺の関係はどのようになるのかということです。すると和尚さんは、鈴木さんの家はお寺の中にお墓があるのですから、墓檀家ですよと言われたのです。ですから、お墓がある限り、お寺の墓檀家として関わることになるのです。
 仏教のお話しばかりをしましたが、仏教のいろいろな行事は、それなりに人生を励ましていると示されています。仏教の諸行事を通して、矢張り極楽浄土への道を示しているのであると示された次第です。キリスト教もクリスマス、イースターペンテコステと言う行事がありますが、それらの行事を通して永遠の生命へと導かれるのであります。人生をどのように生きるのか。私達は生きている今、その今は主イエス・キリストの救いをいただきながら歩んでいるのですから、「救いの光を見つめつつ」歩みたいのです。今朝は、改めてイエス様の「救いの光」を示されているのであります。そして、イエス様が示してくださる「永遠の命」へと導かれたいのであります。

 「永遠の命」すなわち「天国」に召されることは私たちの根本的な願いであります。旧約聖書の思いの中には、「永遠の生命」とか「天国」への思いはありませんでした。死んだものは「陰府(よみ)」に往くと考えられていました。古代では宇宙を三階層とし、天・地・地下と考えられていました。つまり、死んだ者は地下なる世界、死人の住居に住むと考えられていたのです。陰府は神様との交わりが断たれ、神様を賛美できないので、悲しみの場とされていました。しかし、陰府は地獄としての考えはありません。聖書の人々がバビロンに捕えられ、後に解放されますが、次第に陰府が地獄化し、それと共に死者の甦りが信じられるようになってきました。
 そのような旧約聖書の中で、今朝のダニエル書は復活という希望を与えていますので、特異な示しでもあるのです。ダニエル書は大きく二つに分けられます。前半の1章から6章は青年ダニエルを主人公にした物語であります。物語の背景はバビロンに捕われの時代であります。ダニエルと三人の青年がバビロンに捕われの身として連れて行かれます。彼らは、バビロンは異教の神の国でありますが、まことの神様の信仰を守り通します。そのため、迫害にあいますが、神様のお守りと導きにより生きることができたことを示しているのです。そして、後半の7章から12章までは黙示文学であり、新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録のように象徴的な事柄を記しながら、迫害の中に生きる人々を励ましているのであります。従って、バピロに捕われていた時代の人々を励ましているのでなく、捕われの時代に信仰をもって力強く生きた人を示しながら、後の時代の人々、迫害を受けて生きている人々を励ましているのであります。
 少しダニエルの物語を見ておきましょう。青年ダニエルは捕われ人としてバビロンに連れて行かれましたが、神様の導きのままに王様に気に入られることになります。ヨセフ物語と似たところがありますが、王様が見た夢を誰も解くことができません。導きのままに青年ダニエルが王様の不思議な夢を解いてあげるのです。それによりダニエルは王様に次ぐ高官になります。ダニエルの知恵はその次に就任した王様にも喜ばれていました。そのことが他の家来達の妬みとなります。何とかしてダニエルを失脚させようとするのです。それで、他の家来達は、王様に勅令を出すようお願いいたします。勅令というのは、「向こう30日間、王様を差し置いて、他の人間や神に願い事をする者は、誰であれ獅子の洞窟に投げ込まれる」というものでした。家来達はダニエルが日に三度、神様に祈りと賛美をささげていることを知っていたのであります。王様は勅令に署名します。早速、家来達はダニエルの様子を窺います。そして、ダニエルの祈りと賛美を見届け、王様に訴えるのであります。王様はダニエルを愛していましたが、自分が出した勅令に背いたのでありますから、止む無く家来達の思うつぼにはめられてしまうのであります。ダニエルはライオンのいる洞窟に投げ込まれてしまいます。王様はダニエルをライオンの洞窟に投げ込んだことで深い悲しみを持ち、食事もせず、その夜は寝ることもできませんでした。朝になると、すぐにライオンの洞窟に行きます。そして、洞窟のダニエルに呼びかけます。「ダニエル、ダニエル、いける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」と不安な声で呼びかけるのでした。すると、ライオンの洞窟からダニエルの声がしました。「王様がとこしえまでも生き永らえますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしは何の危害も受けませんでした」とダニエルは元気に言うのでした。すぐにライオンの洞窟からダニエルは救い出されたのでした。神様はどのような苦難に生きようとも救ってくださることを示しているダニエル書であります。
ダニエル書は、そのように迫害を受けて生きる人々を励まし、12章になって復活を示し、希望を与えているのであります。12章3節、「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く」と示しています。だから、この困難な状況の中で神様を信じ、力強く生きなさいと示しているのです。

 今の状況を、神様の御心をもって生きるならば、「つまずくことはない」と示しているのが主イエス・キリストであります。ヨハネによる福音書11章は、ラザロの死と生き返りが主題のようでありますが、ラザロの生き返りは主イエス・キリストの復活の予告であり、復活の主が力強いお導きをくださることを示しているのであります。
 このヨハネによる福音書の背景にあるものはヨハネが指導する教会であります。ヨハネが主イエス・キリストの福音を宣べ伝え、そこにヨハネの教会ができるのであります。それは紀元100年頃であり、キリスト教は成立していません。しかし、主イエス・キリストの述べ伝えた信仰は次第に広がって行きました。そのイエス様を信ずる群れをユダヤ教やローマの国が迫害をしていました。従って、ヨハネの教会も世から隠れるようにして信仰に生きていたのであります。ヨハネによる福音書に登場する主イエス・キリストは孤独な姿であります。人々から理解されなく、信じられない、そういうイエス様を示しているのです。そのイエス様の教えこそまことの道であり、私達を永遠の命へと導いてくださるのである、とを示すのがヨハネ福音書であります。
 「ある病人がいた」と書き始められています。その病人はマリアさんとその姉妹マルタさんの村、ベタニアの出身で、ラザロさんという人でした。このラザロさんが病気なので、マルタさんとマリアさんは親しくしているイエス様に知らせるのです。その時、イエス様は「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」と不思議なことを言われるのでした。この後、ラザロさんは死んでしまいます。イエス様は、死んだ後にラザロさんのもとに行き、死んだラザロさんを生き返らせることが、この11章の示しであります。それについては、後に示されることになります。今朝は前段階のイエス様の示しを与えられているのであります。
 イエス様はラザロさんの病気の知らせを聞いても、なお二日間同じところにいます。そして、ようやくラザロさんのもとに出かけるのでした。「もう一度、ユダヤに行こう」と言われていますが、ここでいうユダヤは都エルサレムのことであります。弟子達は心配します。都ではイエス様が石で殺されそうになったからであります。そこに行けば、再び危険な状況になるのであります。その時、イエス様は言われました。「昼間は12時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである」と言われています。昼のうちに歩くのか、夜のうちに歩くのか、大きな違いがあります。言うまでもなく、昼歩くというのは太陽の光の中で歩くのであります。夜は太陽の光はありません。太陽の光は、実に主イエス・キリストなのであります。今は明るい光があるのです。その光の時間をおろそかにするなら、暗い危険な状況になるのです。弟子たちにとって、今は確実に主イエス・キリストがおられるのであります。イエス様の光のうちに歩むならば、都に行けば危険があるとか、人間的な心配はないことを示しているのであります。イエス様の光のうちにあるならば、決してつまずくことがないと示しているのです。弟子達の人間的な思いではなく、イエス様の光の中で歩むべき方向を示しているのであります。「わたしは世の光である」と主イエス・キリストは導いておられるのであります。

 私たちは主イエス・キリストの光をいただいて歩んでおります。このイエス様の光に日々導かれている私達であります。この光の中で人生の終わりに至るまで歩みたいのです。
 先ほども少しお話しをいたしましたが、私の家は仏教とキリスト教が混在していました。両親は浄土真宗のお寺の熱心な信者でありました。父は歩くことが困難になるまでお寺に行き来していたのです。その様な両親ですが、五人の子供のうち、私のすぐ上の兄は日本の敗戦後に亡くなりました。四人の子供たちの上二人は横浜の清水ヶ丘教会に導かれ、教会員になりました。そして後を追うように、私も清水ヶ丘教会で洗礼を受けたのです。従って、鈴木家の子供は一人を除いては三人がキリスト教の信者になっていたのです。その様な子供たちですが、両親はキリスト教の信仰を持つ子供を見守っていたのでした。一番上の姉は、日曜日に礼拝から帰りますと、その日の牧師の説教を逐一、母に聞かせていました。そして、いつも讃美歌312番の「いつくしみ深き」を母と共に歌っていました。その両親が順次亡くなって行くのですが、両親は浄土真宗のお寺に属していましたので、仏教のお葬式を自宅で行ったのです。母のお通夜の時、私の友人たちが参列してくれました。浄土真宗は葬儀の終わりに、故人を記念して和尚さんがお話しをしてくれます。和尚さんは鈴木家の家族に向かって話していたのですが、庭にいてお話しを聞いている牧師たち、5、6人いたのですが、牧師たちに向かって話すようになったのです。牧師の中には、一生懸命に頷くものですから、和尚さんも熱心にお話しをされたのでした。和尚さんは鈴木家の子供はキリスト教の牧師であることを知っていますから、庭に参列している人たちは牧師であることを心得ていたのです。お通夜が終わって、お清めの食事をするのですが、和尚さんと牧師たちが、お清めとして飲食を共にして語り合ったのでした。
 今日は仏教のお話しばかりしているようですが、どのような状況でありましょうとも、私達はイエス様を信じ、イエス様の光を見つめながら歩んでいるのです。宗教的にも社会的にも、私達はいろいろな困難がありますが、「救いの光を見つめつつ」歩む人生であり、その人生は豊かな祝福へと導かれるのです。どのような状況でありましょうとも、イエス様の救いの光が与えられているのです。救いの光を見つめつつ歩むことを示されました。
<祈祷>
聖なる御神様。今朝もあなたの光へと導かれ、感謝します。いよいよ十字架の光により、力強く歩ませてください主イエス・キリストのみ名によりおささげいたします。アーメン。