説教「死んでも生きる信仰」

2021年4月25日、六浦谷間の集会

「復活節第4主日」       

                      

説教・「死んでも生きる信仰」、鈴木伸治牧師

聖書・ネヘミヤ記2章11-18節

   コリントの信徒への手紙<一>12章3-13節

   ヨハネによる福音書11章17-27節

賛美・(説教前)讃美歌21・327「すべての民よ」

   (説教後)575「球根の中には」

 

 復活節第4主日になりました。今年のイースターは4月4日でありましたが、イエス様は復活後40日間、ご復活のお姿をお弟子さんたち、人々にお示しになり、励まされたのであります。そして、40日後の、今年は5月13日になりますが、天に昇られるのであります。従って、今はご復活のイエス様に励まされ、導かれるのであります。

 もう一度、ご復活の日のことを示されておきましょう。イエス様は十字架に架けられて、その後埋葬されるのが金曜日でした。土曜日は安息日なので、聖書の人々は何もできないのであります。神様は天地創造を日曜日から始めて、金曜日に終え、土曜日に安息されたということが根拠となっています。そのため、土曜日は神様の創造を感謝し、御業を示されながら、一日を過ごすのです。イエス様が埋葬されましたので、安息日が終わるや、お墓に行ったのはマリアさんと他の婦人たちでした。それぞれ福音書はお墓参りを記していますが、マルコとルカによる福音書が記すように、イエス様のご遺体に香料を塗るためのお墓参りであったようです。しかし、お墓にはイエス様の遺体はありません。そこに居た天使により、イエス様はご復活されたと示されるのでした。その後、お弟子さんたちもイエス様のお墓に行きますが、そこにはイエス様のご遺体がないことを確認するのでした。そのお弟子さんたちにご復活のイエス様が現れ、ご復活を証しされるのでした。ご復活を示されたとき、マリアさん達やお弟子さんたちは、お墓に存在しないイエス様を示されました。そのお墓からよみがえったことが、復活信仰の基となっているのです。今朝は、イエス様のご復活から、「死んでも生きる信仰」を示され、永遠の生命への導きでもあるのです。

 今朝の旧約聖書は都エルサレムの再建者・ネヘミヤの働きが示されています。この時代はバビロン捕囚から解放されて、順次エルサレムに帰っていく状況でありました。ネヘミヤは聖書の国イスラエルはバビロンに滅ぼされますが、そのバビロンを滅ぼしたペルシャの王様に仕えているのです。彼は献酌官であったといわれます。王様にお酒を差し上げる係りでありますが、これは信用のおける大事な役目であったのです。ある時、ネヘミヤは都エルサレムの様子を聞く機会がありました。報告によると、「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にいます。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」ということでありました。これを聞いたネヘミヤは幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神様にお祈りをささげました。そして、その上でペルシャの王様が、ネヘミヤを都エルサレムに行くことの許しを与えるようにお願いしたのであります。このネヘミヤの祈りは答えられました。神さまはペルシャの王様の心を動かし、ネヘミヤが故郷に帰ることを許されたのであります。

 そこで今朝の聖書になります。ネヘミヤ記2章11節以下は、ネヘミヤが荒廃したエルサレムの城壁を調べて周ることが記されています。くまなく調べてからネヘミヤは人々に言いました。「御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない」と人々に言うのでした。すると彼らは「早速、建築に取りかかろう」というのでありました。こうしてネヘミヤは人々と共に都の再建に取り掛かり、完成したのであります。神さまがネヘミヤを動かし、ペルシャの王様の心をも動かし再建へと向かわせしめたのであります。そして、人々も神さまのお心をいただいて、都の再建に取り掛からせたのであります。しかし、都エルサレムには他の民族が住みついています。捕囚で多くの人々がバビロンに連れて行かれた後、外国人が住みつくようになり、捕囚にならなかったイスラエルの人々を迫害し、不幸へと追いやったのであります。従って、ネヘミヤを始め、再建に立ち上がった人々の前に、常に立ちはだかって阻止しようとしたのであります。敵の妨害については3章33節以下に記されています。このような困難がありますが、再建へと導かれたのでありました。真に生きる者へと導かれたのであります。

 真に生きる者へと導かれること、十字架の贖いと復活の主を信じることであります。新約聖書はラザロの死と復活の中で示されたイエス様の約束でありました。主イエス・キリストはマルタとマリア、そしてラザロとは親しくしていました。そのラザロが病気であることの知らせを受けます。しかし、イエス様はすぐには行きませんでした。知らせを受けてから二日を経たのちにラザロのところへ赴いたのでありました。その時は既にラザロは死んでいたのです。そのような状況でイエス様を迎えたマルタは、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」というのでした。その時、イエス様は言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と示されています。イエス様が「わたしは復活である」と言われたとき、そこには十字架の贖いが根底になっています。十字架の贖いを成し遂げたイエス様は死んで葬られるのでありますが、復活されたのであります。十字架と復活はこの時点では成し遂げられてはいません。しかし、ヨハネは主イエス・キリストの証を示すとき、十字架と復活を根底にしなければ福音は語れないのであります。十字架の贖いと死んだイエス様を甦らせた神様を信じる者は、すなわち神さまの御力を信じる者は、肉体の死を迎えるにしても、新しい命を与えられて生きるようになるのであります。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と主イエス・キリストは教えておられるのです。

 今朝のヨハネによる福音書において、死んだラザロのもとにやってきたイエス様を迎えたのはマルタでした。「イエス様がここにいてくださったら、ラザロは死ななかったでしょうに」というマルタさんにたいして、復活信仰を与えています。そして、イエス様はラザロが埋葬されているお墓に行きます。そして、墓の中に埋葬されているラザロに対して、「ラザロ、出てきなさい」と言われるのです。その言葉に導かれて、死んだラザロが墓から出てくるのです。お墓は死んだ者を埋葬する場であります。もはや生きてあいまみえることはありません。しかし、イエス様によって、お墓から新しい命が導かれているのです。イエス様も十字架にお架りになって埋葬されました。そのお墓から新しいご復活を示されたのです。イエス様のご復活と共に、死んでいるものが皆、よみがえったと聖書は証しています。イエス様により、お墓は新しい復活の場として示されているのです。すなわち、イエス様の十字架の救いを信じる信仰により、永遠に生きる者へと導かれるのであります。

 ここで大塚平安教会の墓地について示されておきます。1982年に完成された墓地の建設と意義が示されていますので、参照しておきます。

「私たちキリスト者は天国に国籍を持つものであります。しかし、現実はこの世に生きる者であり、この世の歩みをしている者であります。人は生まれて死を迎えるまで、その人生80年、90年と言われますが、実に様々な問題と関りを持ちつつ生きます。喜怒哀楽交々に、社会と家庭の中にあって歩んでおります。人は何故に生まれ、そして死んでいくのでしょう。あたかも旅人のように、この世に現れては消えていくのです。何故と言うならば、神が私たちに生を与え、賜物を与えたのでした。そして人はそれぞれの姿において生きますが、賜物としての人生を主のお心により生きるならば、それが神の栄光を現わしていると言うことなのです。私たちが主のご栄光としての人生であるとしたら、この上ない喜びであります。しかし、その人生は戦いでありました。自己の内部にある欲望は、常に他社を排除しつつ生きようとするからです。さらにまた、主のお心に生きることは、対人関係においても妨げる存在があるでしょう。自己との戦い、立ちはだかる存在との戦いをするものですが、私たちを励ますのは、やがて天の国、ふるさとへ帰れると言う平安であり、希望でありました。聖徒たちは、こうした戦いの後ふるさとへ帰りました。この聖徒たちを埋葬した墓地の前に佇むとき、聖徒たちの力強く歩んだ姿が蘇ってまいります。そして、それは神様のご栄光であることを示されるのでした。私たちも一人の聖徒として、この世の人生を力強く生きるでしょう。ふるさとへの希望を持ちつつ歩みたいと願います。」(1983年2月)

お墓は、永遠の命への信仰が導かれる場なのです。イエス様の埋葬から永遠の命への信仰が導かれているのです。

<祈祷>

聖なる御神様。イエス様のご復活のお導きを感謝いたします。与えられている永遠の命を喜びつつ歩ませてください。主の御名によって。アーメン。

noburahamu2.hatenablog.com