説教「喜びを知らされる」

2020年12月13日、三崎教会

待降節第3主日

 

説教、「喜びを知らされる」 鈴木伸治牧師

聖書、士師記13章1-7節

マタイによる福音書11章2-19節

賛美、(説教前)讃美歌21・236「見張りの人よ」、

(説教後)讃美歌21・431「喜ばしい声ひびかせ」

 

 降臨節第三週となり、主イエス・キリストの光が一層近づいてまいりました。特に今年は世界的にも新型コロナウィルス感染予防に心を砕きつつ歩んでいる社会であり、まさに暗い社会でもあります。この時、イエス様の光は私たちの喜びであります。心から喜びつつクリスマスをお祝いしたいと願っています。

この時期はもはやクリスマス飾りでにぎやかになってきています。飾り物の中には馬小屋のヨセフさんとマリアさん、あるいはお生まれになられたイエス様のもとにはせ参じる博士さんや羊飼いさんが飾られています。そして馬小屋に眠るイエス様が飾られています。スペイン・バルセロナのクリスマス理の時期に滞在しました。やはりクリスマスの飾り物がありました。ところがヨセフさんとマリアさんが馬小屋の飼葉桶の側にいますが、飼葉桶にはイエス様がいないのです。まだクリスマスになっていないからです。バルセロナ滞在中にも、イタリアのフィレンツェにも行きました。そこの広場にも大きな馬小屋が置かれていました。人間と同じ大きさのヨセフさんとマリアさんが馬小屋の中にいるのですが、そこでも馬小屋の飼葉桶の中にはイエス様がいないのです。人々はこの飼葉桶にイエス様が置かれることを待望しているのです。

 そしてクリスマスを迎えますと、飼葉桶にはイエス様が置かれているのです。そしてイエス様は教会の聖壇に置かれています。皆さんはクリスマスのミサに出席します。イエス様のご降誕を喜びつつミサをささげ、聖餐をいただき、そして帰っていくのですが、帰る時、神父さんが抱いているイエス様の人形の足にキスをして帰るのでした。

 教会でミサをささげた皆さんは、クリスマスにイエス様がお出でになられたという実感を持ちつつ、そして喜びつつ帰っていくようでした。クリスマスのシーズンでありますが、まだイエス様はご降誕になられていないということ、そして、クリスマスにはイエス様にキスをする、そういう喜びを持って待降節を過ごしているのです。今は「喜びの知らせ」をいただいている時なのです。イエス様が私の現実に存在して、本当の喜びを与えてくださる、「喜びの知らせ」をいただいているということです。

 今朝は旧約聖書士師記により示されています。士師という存在は強い人で、人々を救った人たちです。聖書の人々は常に外国の人々に悩まされていました。そういう時に神様に選ばれ、聖書の人々を救ったのが士師といわれる人でありました

 今朝の聖書、士師記13章1節に、「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、神様は彼らを40年間、ペリシテ人の手に渡された」と記されています。聖書の人々はペリシテ人の支配に悩み苦しんでいるのであります。その叫びが神様に受け止められ、神様は一人の士師を立てようとしています。サムソンという士師です。マノアという人がいます。そのマノアと妻に天使が現われ、妻は子供が産まれなかったのですが、天使のお告げは「男の子を産む」と言うのでした。マノアもその妻もこの天使のお告げを聞くものの、それが天使だとは気がつきません。それで、マノアは天使に「お名前は何とおっしゃいますか」と聞いています。すると天使は、「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議という」というのであります。まさにマノアと妻にとって、不思議なことが起きるのです。マノアと妻は、天使が天に昇っていく姿を見ることにより、自分達に与えられる子どもは神様によってであることを知るのであります。そして、この後にサムソン物語が始まるのですが、小説を読むように面白い筋書きです。今朝はサムソンの働きを示されるのではなく、サムソンの両親にお告げが与えられ、両親はそのお告げをいただいたということです。神様の不思議な「喜びのお知らせ」をいただいたということです。

不思議と思える「神様の喜びの知らせ」を受け止めた人がいますよ、と旧約聖書は示しているのです。この不思議と思える「神様の喜びの知らせ」をしっかりといただきなさい、と示しているのが新約聖書であり、今朝のイエス様の示しなのであります。

今朝の新約聖書は、イエス様より先に現れたバプテスマのヨハネについて示しています。そのヨハネは捕らえられて牢獄にいるのですが、その牢獄から自分の弟子たちによりイエス様に尋ねているのです。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねているのです。バプテスマのヨハネは主イエス・キリストより先に現れ、人々に神様のお心に生きるように示した人でした。それについてはマタイによる福音書3章に記されています。彼は「らくだの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物にしていた」と言われます。当時、2000年の昔でありますが、その時代でも変わった姿でもありました。その彼が、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と声を大にして人々に示したのであります。人々はヨハネの叫びを受け止め、ヨハネから洗礼を受けたのであります。ヨハネは洗礼を授けながら、「わたしの後から来る方は、わたしより優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と主イエス・キリストの証をしたのでありました。このヨハネは正義をはっきりと示す人で、時の王様の生き方を厳しく批判しました。そのため捕らえられて牢獄に入れられてしまいます。牢獄にいるヨハネがイエス様に聞いているのです。来るべき救い主はあなたなのですかと聞いているのです。自分の後から来る救い主を証ししたヨハネでありますが、改めて救い主として確認したのでありましょう。

その時、イエス様はヨハネから遣わされた弟子たちに答えました。「ヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と示しています。ここにクリスマスのメッセージがあります。福音を真に示されることがクリスマスなのであります。「目が見えない」ということは、私たちは「見える」と思っていますが、真実を見ないでいるのです。自分の好みのものしか見ていないからであります。イエス様は見るべきものを真に見させてくださるのです。聞かなければならない声を真に聞かせてくださるのです。希望をなくし、無気力となり、死んだような状況でありますが、真に生きるものへと導いてくださるのです。主イエス・キリストの福音は、私が一人の人間として生きることを導いてくださるのであります。クリスマスはその主イエス・キリストがこの世に現れたことを告げる日であります。その「神様の喜びの知らせ」を私たちはどのように聞くのでしょうか。

イエス・キリストは、洗礼者ヨハネに対して、救いの内容を示し、まさに自らが救い主であることを伝えました。牢獄の中で、確信ができないヨハネにはっきりと示しました。その時、イエス様はヨハネを人々に紹介しています。ヨハネこそ救い主を指し示したものであること、およそ人間として偉大であること、彼は旧約聖書で現れたエリヤにも等しい者であることを示しています。ヨハネの呼びかけに耳を傾けるべきであることをイエス様が教えているのです。まさに今の時代は子ども達の「ごっこ遊び」に似ていると言います。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった。」最初は結婚式ごっこです。喜びの結婚式には笛の音に合わせて一同が踊るのです。しかし人々は無関心でした。次に葬式ごっこです。悲しみの葬式の歌を歌うとき、泣きまねをするのです。人々はそれも無関心であるというのです。ヨハネが神様の御心を示したとき、その喜びの知らせをあなた方は聞きましたか、とイエス様は示しているのです。そして、ヨハネが知らせた救い主の喜びの知らせを聞きましたか、とイエス様は私たちに聞いているのです。今こそ、ヨハネのメッセージを聞くときなのであります。救い主が到来することを真に受け止めるべきなのであります。

 飼葉桶は動物のお茶碗でもあります。飼い主がそのお茶碗に食べるものを入れてあげるのです。私たちもお茶碗があります。そのお茶碗に神様が食べ物を下さるのですが、それは肉体を養う食べ物でもあり、さらに私達自身を養う神様の御心なのです。ところが、私たちのお茶碗には私の好きなものでいっぱいになっており、神様が下さる食べ物がお茶碗に入らないこともあるのです。クリスマスのこの時、私たちのお茶碗、飼葉桶にイエス様を迎えるということなのです。私の飼葉桶には、まだイエス様がおられません。しかし、私を支え、導き、共にいてくださるイエス様が飼葉桶に存在してくれますよ、との喜びのお知らせをいただいています。私の飼葉桶には何も置いてはならないのです。イエス様をお迎えするために、私の飼葉桶を空っぽにしておかなければならないのです。

「喜びの知らせ」の根源は主イエス・キリストが私たちを真に生かすために十字架にお架かりになったということです。その十字架のお導きにより、私たちは私の現実に対して、勇気を持って喜びつつ生きることが出来るのであります。だから、私の飼葉桶は空っぽしておかなければならないのです。 

<祈祷>

聖なる御神様。イエス様の福音を感謝します。救いの知らせを確かに受け止めさせてください。イエス・キリストの聖名によってお祈りいたします。アーメン。

noburahamu2.hatenablog.com