説教「新しい生活を喜びつつ」

2018年1月14日、六浦谷間の集会 
降誕節第3主日

説教・「新しい生活を喜びつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記14章15-25節
    ヨハネの手紙<一>5章6-12節
     マルコによる福音書1章9-11節
賛美・(説教前)讃美歌54・411「すべしらす神よ」、
    (説教後)讃美歌54・529「ああうれし、わが身も」


 今朝は日本基督教団の教会暦は「降誕節第3主日」でありますが、他の教会暦は「顕現後第一主日」としています。顕現祭は1月6日でありました。顕現とはエピファニア(Epiphania)でありますが、もともと人の目には見えない神様の本質が、目に見えるものとなって現れる事であります。その本質が主イエス・キリストであります。クリスマスにお生まれになったイエス様に、東の国の占星術の学者達がお会いし、伏し拝んだとされています。口語訳聖書は博士でありました。顕現祭における占星術の学者、又は博士は、それぞれの国で王様になっている場合が多いようです。
 娘の羊子がスペイン・バルセロナに滞在していますので、私達夫婦も何回か滞在しています。2014年10月から2015年1月にかけて滞在したときは顕現祭を体験しました。クリスマスを体験したのですが、むしろ日本のクリスマスより静かなクリスマスのようでした。11月の終わりの待降節の始まりからクリスマス飾りが始まることは同じであります。イエス様が御生まれになったという馬小屋も飾られますが、飼葉桶には、まだイエス様がいないのです。12月25日になって、ようやく飼い葉桶にはイエス様が存在するのでした、クリスマスのミサには祭壇にイエス様の人形が置かれており、ミサが終わりますと神父さんが抱いているイエス様の足に、ミサに出席した人たちはキスをして帰って行くのでした。イエス様の足にキスをするのでも神父さんはその都度、布でキスした部分を拭き、次の人がキスをするのでした。クリスマスは教会が中心でもありました。ところが1月6日は顕現祭で、この日はまさにお祭り騒ぎとなります。三人の王様が船でバルセロナに、大勢の御供を連れてやってきます。王様の一行は町の広場に造られた場所に座ります。お供の人たちが、そこに集まってきている大勢の人たちにお菓子を配ったり、余興をしたりするのです。身動きもできない人たちがこの広場に集まります。従って、現場に行くのは危険なので、私たちはテレビの実況をみて様子を知ることができました。クリスマスは教会で、顕現祭は街中でお祝いするという状況でした。
 ネットで顕現祭を検索してみました。王様が秘密の石を洞窟に隠し、それを子ども達が探しあてるという行事もありました。探しあてた石には生きる指針が書いてあるといわれます。ギリシャ正教会は、顕現祭はイエス様が洗礼を受けた日としています。そのことから伝説的な行事が生まれているのです。この日は海の水さえ甘く飲めるようになるとされ、ギリシャ各地で水にちなんだ催しが行われます。当日はギリシャ正教の司教が海や川、湖に木製の十字架を投げ入れます。それを取ればその年の幸福が約束されるという十字架を目指して、若者たちが次々に水に飛び込みます。港町では十字架が投げ込まれると同時に港に集まった船が一斉に汽笛を鳴らして祝福するということです。
 顕現祭は学者達がイエス様を拝んだ日とされており、一方イエス様が洗礼を受けた日としてこの日を迎えている人々もいるのです。いずれにしても顕現、神様の本質が、目に見えるものとなって現れる事でありますから、主イエス・キリストの存在が公になったことなのであります。神様の御心が見える形で現れたことであります。それは見える救いの形であり、救いの洗礼、救いのバプテスマとなっていくのであります。

 今朝は主イエス・キリストの洗礼を示されますが、聖書の歴史を通して水による救いが示されています。最初に水の救いを示すのは創世記であります。創世記2章によりますと、エデンの園から一つの川が流れ出ていたということです。エデンの園全体を潤し、その川が四つに分かれて行ったということです。第一の川はピション川、第二の川はギホン川、第三の川はチグリス川、第四の川はユーフラテス川でありました。チグリス、ユーフラテス川は私たちも聞き及んでいる川でもあります。創世記で述べていることは、神様のエデンの園から地球上に潤いを与える水が流れ出ていることを示しているのです。エゼキエル書47章には「命の水」について記しています。エルサレム神殿の敷居の下から水が湧き出ています。その水は都の救いの水となっていくのであります。
 こうして命の水について記すと共に、今朝の出エジプト記は水が人々を救う手段となっているのであります。聖書の人々は奴隷の国エジプトから、神様によりモーセを通して脱出することができました。人々はエジプトを出て、神様が示すカナンの国へと向かいます。ところがエジプトの王様ファラオは心を翻して、軍隊を派遣して聖書の人々を追ってくるのであります。人々は後ろから迫ってくるエジプトの軍隊に対して恐れおののきます。しかも、前方は海でありました。この海は紅海と呼ばれ、葦の海とも呼ばれています。後から迫ってくるエジプトの軍隊に対して、人々はモーセに詰め寄ります。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『放っておいてください。自分達はエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか」と言うのです。モーセは神様の導きを信じています。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」と諭し、神様の救いの業を示すのであります。
 後にはエジプトの軍隊、前は海、どうにもならないとき、神様はその海の水を二つに分けるのであります。それにより聖書の人々は水が分かれた海の乾いた道を歩いていくのであります。人々が全員渡り終えると、今まで雲の柱で進むことができなかったエジプトの軍隊が、遮る雲の柱がなくなったので、同じように海の底を通って追いかけてきます。しかし、神様は海をもとのようにしますので、エジプトの軍隊は溺れ死んでしまうのであります。神様の救いの御業を身をもって示されたのでした。
 海の救いについては二つの記録があります。一つは神様に言われたとおり、モーセが「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べ、」海を二つに分けたということです。それは16節に記されていることです。もう一つは21節で、モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変り、水は分かれた、と言うことです。後の記録の方が現実的です。モーセが海に手を差し伸べると、水が分かれたという一瞬のことではなく、夜もすがら東風が吹いて、水を分けたということは頷けることでもあります。いずれにしても海の水を分けて人々を救ったということであります。言わば水の中から救いが与えられたということであります。その水はエジプトの軍隊を滅ぼしたのでありますが、聖書の人々は水により救いが与えられました。

 水は救いの手段であることを聖書は記しています。それを私たちに示されたのは主イエス・キリストであります。イエス様の洗礼についてはマタイによる福音書ルカによる福音書それぞれも記しています。マタイは洗礼を授けるヨハネとの対話を記しています。イエス様がヨハネから洗礼を受けようとすると、ヨハネは「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私のところへ来られたのですか」と言うのです。するとイエス様は「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言われ、そしてヨハネから洗礼を受けた、とマタイによる福音書は記しています。マルコ、ルカはそれらの対話は省略しています。おそらくマタイが記すような対話があったものと思われます。
 聖書は洗礼と記すとき、ルビとして括弧でバプテスマと記しています。キリスト教の教派によっては洗礼とは言わないでバプテスマとしています。洗礼式ではなくバプテスマ式と言うのです。バプテスマとはギリシャ語で「浸す」と言う意味です。水に浸すということです。水に身体を浸すことは、もともとユダヤ教で行われていた儀式であります。これは他の宗教からユダヤ教に改宗するときにバプテスマを施したのであります。それをヨハネが罪の悔い改めの儀式に変えました。ヨハネの厳しい審判は人々を悔い改めに導いたのであります。人々はヨハネのもとに来て、神様の前に罪の悔い改めをいたしました。そこへ主イエス・キリストが来られ、ヨハネから洗礼を受けたのであります。バプテスマが罪の悔い改めであるなら、イエス様も罪があり、悔い改めたのかと素朴に思います。若い頃、教会の青年会で議論しあったものです。マタイの報告のように、これは正しいことであると言われるのです。
 人間は原罪をもっていることは聖書の示しなのであります。原罪については創世記のエデンの園にいるアダムとエバの物語によって示されています。エデンの園では、二人は何を食べても良いのです。しかし、神様は一つだけ戒めを与えていました。園の中央の木の実は食べてはならないということでした。彼らはその戒めを守っていました。ある日、蛇なる存在が二人に言うのです。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と言うことでした。どの木もとなると、みんなと言うことになりますが、どの木からも食べても良いと言われ、園の中央の木の実は食べてはいけないといわれたのです。蛇にそのように言われると二人は気になります。禁断の木の実を改めて見つめるのです。「その木はいかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるように唆していた」のであります。思わず二人は手を伸ばしてその実を食べてしまうのであります。欲望を満足するためには、戒めを犯し、他者を排除して自分の欲望を満足させること、これが原罪でした。人間はこの原罪をもっているのです。イエス様は人間としてこの世に現れたとき、原罪を持つ人間として罪の悔い改めのバプテスマを受けることになったのであります。イエス様が罪を犯したとか、犯さなかったとかと言うことではなく、原罪を持つ一人の人間としてバプテスマに向かったのであります。
 主イエス・キリストご自身が洗礼を授けたという記録は聖書にはありません。しかし、イエス様はご自身が洗礼を受けたように、この洗礼を大事な業、救いのバプテスマと位置づけたのであります。イエス様が復活し、そして昇天されるときお弟子さん達に命じました。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼・バプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と示し、人々に救いのバプテスマを授けるようにされたのであります。主イエス・キリストの死と復活を経て聖霊降臨が与えられ、初代教会より「父と子と聖霊の名によって」バプテスマが授けられるようになったのであります。そして、その洗礼は主イエス・キリストの十字架による贖い、救いを信じた者が、十字架を基として人生を生きるスタートラインとしての洗礼、バプテスマでありました。

 キリスト教は主イエス・キリストの十字架の救いを信じた人々が、罪を悔い改め、イエス様の十字架の贖いを信じて洗礼を受けるのであります。洗礼を受けるということは、人生の土台をイエス様の十字架として歩むことなのです。しかし、人間は原罪を持つ者として、いつも自己満足と他者排除の生き方になってしまいます。そのため、イエス様の聖餐に与るのです。イエス様がお弟子さんたちと最後の晩餐をしたとき、パンを示しながら、「今後はイエス様の御体として食しなさい」と示されたのです。その後、杯をまわしながら、イエス様の御血潮として飲みなさいと示されたのです。キリスト教は、このイエス様のパンとぶどう酒により信仰が養われることになるのです。聖餐式としていますが、聖餐式に臨むことによって、再びイエス様の十字架の贖いを示され、救いの原点に戻され、新たなる力をいただきながら歩むのです。従って、洗礼を受けていない人が、聖餐式に臨んでも救いの意味がありません。洗礼を受けた者が、再び十字架の贖いを示されるために聖餐をいただくのです。
 洗礼を受けていて聖餐式に与れない人がいます。それは幼児洗礼の場合です。子どもが生まれたとき、両親は子どもがイエス様のお心によって成長してほしいとの願いにより幼児洗礼を願います。しかし、その洗礼は本人の意思ではありません。本人が成長して、イエス様の十字架の贖いを信じたとき、そこで堅信礼が行われるのです。本人の口でイエス様の十字架の救いを告白するのです。それによりキリスト者となり、聖餐式をいただきながら歩むことになるのです。我が家の三人の子供たちも幼児洗礼を受けました。そして、いずれも中学生の頃に堅信礼を受け、教会員として歩むようになったのです。
 バルセロナにおります羊子とイグナシオさんの間に昨年の2月に男の子が与えられました。両親は早速幼児洗礼を考えていました。彼はカトリック教会の信者であり、羊子はプロテスタント教会の信者です。どちらで幼児洗礼を受けるか、特別に悩むことなく、まずプロテスタントの幼児洗礼を授けたのでした。昨年、羊子は義也と共に7月から8月にかけて帰国しました。そのとき、8月12日に六浦谷間の集会において幼児洗礼式を執行しました。この時はイグナシオさんは来られませんでしたが、彼の希望でもありました。そして、バルセロナにおいて10月15日にカトリック教会で幼児洗礼式をしていただいたのです。二重の洗礼になりますが、幼児洗礼は保護者の祈りですから、それはそれで良いと理解しています。大勢の皆さんから祝福された洗礼式でありました。皆さんの祈りに励まされて、十字架のイエス様の救いを信じて歩む人生であることをお祈りしているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。救いのバプテスマへと導いてくださり感謝いたします。すべての人々に救いのバプテスマを証しできるようにしてください。主の名によって祈ります。アーメン。