説教「いつも力が与えられ」

2016年7月31日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第12主日

説教、「いつも力が与えられ」 鈴木伸治牧師
聖書、士師記6章36-40節
    ヨハネの手紙(一)5章1-5節
     ヨハネによる福音書7章1-9節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・240「とざせる門を」
    (説教後)讃美歌54年版・514「よわきものよ」


 前週は三崎教会の礼拝説教のお招きをいただきました。三崎教会は、だいたい隔月にお招きをいただいています。三崎教会は2012年7月29日に最初の礼拝説教のお招きをいただきました。2011年6月に隠退しまして、その後は月に一度、横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当させていただいています。三崎教会にお招きいただくのは、2012年の6月に開催された神奈川教区総会に出席したからでした。選挙の時となり、私はもはや選挙権がありませんので、議場を出て受付付近の展示物等を見ていました。そこへ三崎教会の生野隆彦牧師が入って来られたのです。そこで立ち話をしているうちにも、三崎教会で説教をすることになったのです。生野牧師は三崎教会の牧師でしたが、退任されて若い牧師を招かれました。ところがその若い牧師は2年で退任されてしまい。その後は生野先生が代務者となって担っているのです。そのため説教はいろいろな牧師を招いているということでした。それで、以後、隔月にお招きをいただいて講壇に立たせていただいているのです。三崎教会には、私の最初の教会、青山教会員の方が出席されています。山田さんという方ですが、教会の近くの高齢者住宅に住んでおられるのです。40年ぶりの再会でした。山田さんは、私達が礼拝説教に行くたびにお寿司屋さんで昼食を御馳走してくださるのです。その喜びもありますが、三崎教会の皆さんの中には、私の説教を喜んでくださる方があり、隔月の説教でありますが心待ちにしてくださっているといことでした。三崎教会には清水ヶ丘教会時代にお交わりいただいた方もおられます。清水ヶ丘時代は高校生、青年の頃でしたので、二人の姉の弟ということで、何かと心にかけていただいたのです。
 ところで先ほども触れましたが、横須賀上町教会には毎月一度、説教と聖餐式を担当させていただいていました。横須賀上町教会は2010年10月から専任の牧師がいなくなり、代務者を立てて歩むようになりました。そのため月に一度、説教のお手伝いをするようになったのです。2012年4月からは伝道師が就任しますが、伝道師は聖礼典(洗礼式、聖餐式)の執行ができませんので、私が聖餐式と共に説教を担当するようになったのです。7月10日は、もはや聖餐式の執行はありませんでした。伝道師が牧師になりましたので、牧師が聖礼典を執行することになるのです。聖餐式の御用はなくなりましたが、説教は今までのように月に一度お願いしたいと言われました。しかし、横須賀上町教会は牧師と共に歩む教会となりましたので、去る7月10日の説教をもちまして、同教会の御用を終了することにしたのです。6年間、お招きをいただきましたことを、心から感謝しています。
 この説教で他教会における説教の御用をすることの経緯を述べていますのは、実は、先日、ある方から、今に至るまで御言葉を取り次ぐバイタリティーを示されました、とのメールをいただいたからです。現役を隠退しているのに、いまだに御言葉を取り次いでいることに驚かれているようです。私自身も隠退しているのに、毎週のように説教を作成し、六浦谷間の集会の礼拝で語り、それをブログで公開しているのですから、神様の御力をいただいていると示されているのです。どこの教会からもお招きをいただかなくても、毎週、六浦谷間集会で礼拝をささげていますので、御言葉に向かい、説教を作成することは、終わりがないと示されています。いつもは連れ合いのスミさんと二人で礼拝をささげています。そのスミさんが手術して入院することがありました。日曜日になり礼拝を捧げるのですが、スミさんがいないので一人で礼拝を捧げることになります。しかし、我が家の子供たちが都合をつけて出席したのです。もはや77歳にもなりますが、この年になっても御言葉に仕えることができること、「いつも力が与えられ」ていることを示されているのです。私の証しとしてお話しをしましたが、神様はいつも力を与えてくださっているのですから、勝利の道を踏みしめて歩みたいのであります。ヨハネの手紙には、「世に勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」と示されています。世の勝利者として歩むことを示されているのであります。
2.
 旧約聖書士師記はギデオンの信仰の勝利を示しています。士師記は一時的、地域的に登場した強い人、士師たちの信仰を記すものです。奴隷の国エジプトから脱出し、神様の導きのもとに、乳と蜜の流れる土地カナンに到着しました。今まで人々を導き、指導してきたモーセは、約束の地カナンを前にして使命を終えたのでした。モーセの後継者はヨシュアでした。若きヨシュアモーセの後を継いで約束の地カナンに侵入していったのであります。神様はモーセにカナン侵入にあたり、土地の人々を皆殺しにすることを命じます。カナンに入るまで、モーセは神様の命令通りにします。その後、ヨシュアに引き継がれたとき、ヨシュアは無益な殺生はしない方針を取り、必要な土地を得たとき、その後は戦いをしませんでした。従って、その土地にいた人々が生き残ることになるのです。神様がモーセにカナンの土地に侵入したら皆殺しにせよと命じたことが、ヨシュアによって証明されることになるのです。すなわち生き残った人々が力を増し、聖書の人々に立ち向かってくるようになるのです。さらに、カナンの宗教、偶像礼拝の風習が、ただ神様のみを礼拝する聖書の人々に影響していくのでありました。皆殺しにしなければ、力を増して立ち向かってくるでしょうし、偶像崇拝になじんでいくのであります。
 士師記ヨシュアの後の時代になります。地域的にカナンの人々が聖書の人々に立ち向かってきています。そして、偶像崇拝が広がりつつありました。そういう中で立てられたのが士師、救助者といわれる人々でした。オトニエル、左利きのエフド、女預言者デボラ、そしてギデオンになります。その後、エフタ、サムソン等の士師が神様によって立てられ、聖書の人々を救済するのでした。
 ギデオン物語は士師記6章から始まります。冒頭に、イスラエルの人々が神様の目には悪とされることを行っていたことが記されます。すなわち、偶像礼拝でありました。それで神様は偶像礼拝を懲らしめるために、ミディアン人の力を強くするのでした。ミディアン人はイスラエルの人々を苦しめます。6章6節に、「イスラエルは、ミディアン人のために甚だしく衰えたので、イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ」と記されています。それで神様は助け主、士師を選びました。それがギデオンでありました。ギデオンは常に神様に御心を求める人でした。
 神様のお使いがギデオンに現れ、ギデオンがイスラエルの危機を救済するために選ばれたことを告げます。するとギデオンは、お告げのしるしを見せて欲しいと願います。神様のお使いはギデオンが用意したパンと肉を岩の上に置かせます。神様のお使いが杖を岩に触れると岩から火が燃え上がり、パンと肉を焼き尽くしたのでありました。それによりギデオンは自分が士師、救助者として選ばれたことを確信いたします。そのギデオンに神様は偶像礼拝の祭壇を破壊するように命じます。ギデオンは言われたとおり、バアルの祭壇を打ち壊したのでした。そのとき、町の人々は祭壇を壊したギデオンを責めるのですが、それよりもミディアン人やアマレク人が結束してイスラエルに攻め上ってくるのです。ギデオンはイスラエル人に呼びかけて、せめて来る大軍と戦おうとするのです。そこで今朝の聖書になります。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます」と神様のお心をいただこうとしているのです。神様はそのように答えてくれました。さらにギデオンは、今度は反対に、羊の毛だけが乾いていて、土は一面に露が置かれることを願うのです。そのようになりました。このことにより、ギデオンは自分を通してイスラエルを救おうとされていることを確信するのです。
3.
 人の思いなのか、神様の御心なのか、ヨハネによる福音書7章の今朝の聖書が示しています。7章は表題に「イエスの兄弟達の不信仰」とされています。まさに兄弟達の人間的な思いが露骨に表れています。ちょうど仮庵の祭りが近づいているときでした。仮庵の祭りは、聖書の人々が奴隷の国エジプトを出て、神様の約束の地、乳と蜜の流れる土地を目指して荒れ野の40年間を旅するのですが、その40年間、天幕の生活でした。いわゆる仮住まいは救いへ至る順序でありました。今、約束の地で生きるとき、テント生活を感謝しての祭りが行われるようになりました。仮庵の祭りには各地にいる聖書の人々が都エルサレムに集まり、神様に感謝をささげるのであります。
 その仮庵の祭りにイエス様が行くように勧めるのがイエス様の兄弟達であります。イエス様の兄弟達がいます。マタイによる福音書13章55節にイエス様の兄弟達の名が記されています。いずれも弟になりますがヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダであります。妹もいたことが記されています。この兄弟達は、この時点ではきわめて人間的な思いでおりますが、後にイエス様を信ずるものへと導かれるのです。中でもヤコブは最初の教会の中心的な人になります。12人のお弟子さんの中にヤコブがいますが、そのヤコブよりも重要な存在として主の兄弟ヤコブの存在があるのです。
 仮庵の祭りが近づいているとき、兄弟達は兄であるイエス様に言います。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちに見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい」と言うのでした。つまり、こんな地方にいないで、都のエルサレムに行き、一旗あげなさいといっているのであります。イエス様がガリラヤ地方で神様の御心とその業をなしていることについては、イエス様の兄弟達も見たり聞いたりしていました。しかし、信じる姿勢ではなく批判的に見ていたということでしょう。きわめて人間的な思いで一旗あげなさいといっているのであります。その時、イエス様は都には行かないといいます。それはイエス様の時がまだ来ていないからであります。ヨハネによる福音書2章には「カナの婚礼」について記されています。お祝いの婚礼でぶどう酒が無くなってしまいます。イエス様のお母さんであるマリアさんが、イエス様にこの事態を言います。するとイエス様は、「わたしの時はまだ来ていない」と言い、お願いを断っているようにも受け止められるのです。しかし、そうは言いながら水をぶどう酒に替える奇跡を行っています。今朝の聖書も、都には行かないと言いますが、それはイエス様の時が来ていないからでありますが、イエス様は後で都に行くことになるのです。しかも、隠れるようにして都に行ったのでありますが、公然と人々に教え始めるのでありました。隠れるようにして都に行ったものの、都ではイエス様についていろいろ噂されていました。今朝の聖書の後の部分12節で、「群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた」と示されています。つまり、都の人々は主イエス・キリストを自分の思いで評価しているということであります。そのため、イエス様は、ご自身が神様の御心であることを証されているのであります。16節、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである」と示しています。神様の御心なのか、人間の思いであるのか、ここに主イエス・キリストがはっきりと示しているのであります。神様の御心に生きること、信仰の勝利者へと導かれるのであります。
4.
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つのか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」とヨハネの手紙(一)5章で示されています。主イエス・キリストを救い主として信じる人が、信仰による勝利者であることを示しているのであります。
 時々、大塚平安教会の創立50周年記念誌、60周年記念誌を紐解いて読んでいます。それぞれの記念誌には教会員の皆さんのお証が掲載されているのです。特に60周年記念誌の皆さんのお証は、皆さんの愛唱聖句と愛唱讃美歌が記されています。ほとんどの皆さんは愛唱聖句や愛唱讃美歌に励まされて歩まれていることをお証されているのです。一人の姉妹のお証を感銘深く示されました。息子さんは人工透析をしながら生活していますが、目も難病となり、ほとんど見えなくなってしまいました。息子さんのお連れ合いも病でなくなっています。姉妹は自分を取り巻く苦難に耐えながらも、何もかも投げ出したいとの思いがありました。しかし、いつも心に示されていたことは、「神は我々と共におられる」(マタイ1章23節、Ⅰコリント10章13節)のみ言葉でありました。「神はいつも傍らにいてくださる」と聖書の言葉を心の支えとしている自分に気付くのです、と証されています。神様のみ言葉は、私達の力となり、私達を支えてくださるのです。イエス様の十字架の救いの言葉をいただき、力を与えられて歩むことを示されているのです。
 <祈祷>
聖なる神様。信仰による勝利の人生を導いてくださり感謝します。イエス様のみ救いがいよいよ力となりますようお導きください。主のみ名によりおささげします。アーメン