説教「祝福をいただきつつ」

2015年8月30日 三崎教会
聖霊降臨節第15主日

説教・「祝福をいただきつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・箴言25章2-8節
    ルカによる福音書14章7-14節
賛美・(説教前)讃美歌21・289「みどりもふかき」
    (説教後)讃美歌21・523「キリストにはかえられません」


 今年は戦後70年ということで、新聞にしてもテレビにしても、戦争の時代を改めて示され、その後の70年を顧みているのであります。1945年8月15日に昭和天皇が日本国民に戦争の敗戦を告げたのでした。8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、さらに日本中が焦土化する状況で、日本は戦争ができなくなったのでした。私は現在76歳ですから、6歳の時に日本の敗戦を迎えました。そして、翌年の1946年4月に戦後最初の1年生として小学校に入学したのでした。そして3年生になったとき、近くの教会の日曜学校に導かれ、今日に至るまでの67年間、キリスト教に生きることになったのです。今までの人生は、まさに祝福をいただいた人生であったと示されているのです。
 先日の6月28日は30年間に渡り在職した大塚平安教会の新しい教会の献堂式でした。私の在任中も、新しく教会を建設することの準備をしていました。今までの教会は1968年に建築された建物でした。私が大塚平安教会に就任するのは1979年ですから、建築してから11年を経ていました。だからまだ新しい教会と言うわけですが、今までの教会は木造建築であり、しかも建築材料もどこかの建物の古い材料を使用したものでした。ですから1979年に私が就任し、まだ11年しか経ていないのに、もうその時点で新しい教会建設の話しが出ていたのです。しかし、だからと言って、すぐに新しい教会を建設することはできません。新会堂のために教会の皆さんが資金作りに活動するようになりました。毎週の礼拝後には必ず食事が作られ、皆さんに食べていただいていました。売上金を建築資金にしていたのです。毎年、幼稚園と共催してバザーを開催していましたが、そのためにも婦人会の皆さんが、一年がかりで準備していました。この様な準備を重ねていましたが、私は70歳になりましたので退任したのであります。それが5年前でした。その後、建築計画が急速に進められ、この度、新会堂が与えられたのであります。
 献堂式には周辺の教会の皆さんがお祝いに出席してくださいました。皆さんは30年間、今までの教会で牧会してきたことを御存知ですので、私の顔を見るなり、一様に「おめでとうございます」とお祝いを述べてくださるのです。ところが、その献堂式で、私が最初に祝辞を述べたのであります。祝辞は大塚平安教会以外の人がお祝いを述べるのであり、一番関係する私が祝辞を述べるのは、私を、もはや大塚平安教会以外の人と理解しているのではないですか、と祝辞でありながら苦言を述べたのでした。苦言を述べながらも、新しい教会ができ、新しい信仰の歩みが導かれることをお祝いしたのであります。その際、今までの教会の中における牧師館の生活の苦労はお話ししませんでした。ところが、私の退任後に代務者をしてくださった先生が、私に代わって苦労話をされたのです。教会の中に牧師館があると、プライベートの生活がおかされること、地域的にもネズミが多く出没すること等を述べてくださったのです。その方は通いの代務者で、教会の中にある牧師館に住んだのではありませんが、私に代わって苦労話をしてくださったのでした。しかし、私達家族は30年間、住み慣れた住居であり、感謝しているのです。祝福の生活でした。
今朝は神様から祝福をいただくことの示しになっています。祝福を考える場合、人間的な評価、栄誉、称賛等がありますが、人間ではなく神様の栄誉、評価、祝福こそ求めなければならないのであります。人間的ではなく、神様の祝福が与えられているかなのです。

 今朝の旧約聖書箴言であります。箴言の「箴」は「鍼、針」の意味であり、「チクリと胸を刺す」言葉ということになります。いわゆる、警告の言葉ということになりますが、昔からの「言い伝え」に関わることもあるのです。日本には「ことわざ」がありますが、昔から言い伝えられてきたことが格言となって、生活の知恵になっているのです。例えば、「井の中の蛙大海を知らず」という「ことわざ」があります。狭い世界の中に安住して、それを最も良いと思っている独りよがりの姿を戒める言葉です。自分の住んでいる世界以外のことは、基本的には知ることができませんが、書物や体験によって広い世界を知ることになるのです。格言とか「ことわざ」は生活の途上、教訓になる事柄が言い伝えられて固定的な教えとなるのです。
 箴言は格言、「ことわざ」的な要素がありますが、そこに神様の御心が示されているということで、単に格言ということにはならないのです。ソロモン王の言葉として示されているのです。旧約聖書では、ソロモンという王様は神様から知恵をいただき、人々に神様の御心として示しましたので、箴言はソロモンが与えたとされています。しかし、もちろんソロモンではなく、後の賢者がその時代に神様の御心として示したのでした。そのためには長い年月を経て箴言という形になって行ったのです。
 今朝の箴言25章は王様の立場あるいは上に立つ者の示しであります。「ことを隠すのは神の誉れ、ことを極めるのは王の誉れ」と示しています。王様は示されている事柄を権威を持って極め、実行することが務めなのです。しかし、神様は人間に対してまだまだ御心を隠しておられるということです。人間は示されていることを、極め、実行することだと教えているのです。6、7節の言葉、「高貴な人の前でうぬぼれるな。身分の高い人々の場に立とうとするな。高貴な人の前で下座に落とされるよりも、上座に着くように言われる方が良い」と言われていますが、この言葉は新約聖書で主イエス・キリストが引用している言葉でもあります。箴言では、神様の御心を深く受け止め、実践することが私達の生き方であると、ソロモンの名を借りて教えているのです。

 今朝のルカによる福音書14章7節以下は、前の段落14章1節から6節までの続きでもあります。その段落では、安息日にイエス様は病気の人を癒しました。そこには律法の専門家やファリサイ派の人々がいました。彼らは律法に忠実に生きようとしていますから、安息日を厳格に守っていたのです。律法によれば、安息日は何もしてはいけない、一切働くことを禁じているのです。しかし、イエス様は、安息日は喜びの日であることを示し、病気の人を癒したのです。その同じ食事の席で、食事に関してのお話をしています。一つは食事に招かれること、一つは食事に招くことのお話をしているのです。イエス様はファリサイ派のある議員の家で食事の席についているのです。律法学者もおり、かなりの人が共に食事の席にいたのでしょう。その食事は招待された人々で、イエス様も招待されたということです。イエス様は招待された人たちが上席を選ぶ様子を見ていたのです。日本の私達はいつも下座を選びますから、下座はいつも満席で、上席とは言いませんが、前の席ががらんと空いているのです。あるいは下座に座りたがり、後から来た人を上座に据えようとして、互いに譲り合いをしている様を見かけます。聖書の世界では、ファリサイ派の議員に招待されたので、自分は身分的にも上であると思っているのでしょう。そのような光景を見られたイエス様は、「へりくだる」ことを教えているのです。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください。』と言うかもしれない。その時、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう」とお話されました。そして、結びとして、「だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる」と言うことでした。食事の席の座り方について教えていると言うのではなく、へりくだること、自分の行動が人に評価されないことを教えているのです。評価は神様がするのであり、人の評価を求める生き方ではなく、神様の評価を求めて生きなさいと教えているのです。
 人々を食事に招くことについての教えは、神様の愛を広く実践しなさいとの教えになります。食事の席に招くのは、友人、兄弟、親類、近所の金持ちではいけないと言うことです。これは自分の世界の人々であり、神様の愛を広く実践しなければならないとの教えです。食事に招かれるにしても、食事に招くにしても、神様の評価、神様が祝福してくださることを求めて行うことの教えです。食事に招くのは、「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と教えます。その人たちは、あなたにお返し出来ないからだとしています。自分のしたことに対して、人の評価を求めること、人間の素朴な姿であります。自分の行為が何らかの形で帰ってくるという期待でもあるのです。
 以上の聖書を読むと、友達と食事ができなくなってしまうと思います。食事は誰としても良いのです。ここで示されていることは、友達と食事をしながらも、なかなか恵みに与れない人を思いなさい、と示しているのです。スペイン・バルセロナには娘が滞在していますので、私達夫婦もバルセロナに滞在しています。二ヶ月、三ヶ月も滞在していると、生活状況を体験していました。なんと言っても皆さんと食事をする機会が多いということです。何かと理由があり、皆さんをお招きしては食事をいたします。私達が滞在していることもありますが、皆さんがお招きくださるのでした。誕生日にはお友達を招いて、みんなで食事をします。2011年4月から滞在したときには、5月には私の誕生日でしたので、皆さんをお招きして食事をしました。あちらでは誕生日を迎えた人がお料理を作るということです。だから私も焼きそばでも作ろうかと思っていたのですが。運よく朝から風邪気味で料理作りはパスとなりました。2012年9月から滞在したときには、連れ合いの誕生日があり、連れ合いはオムレツを作ったりして皆さんに喜ばれたのでした。招いた人たちも自分の誕生日になると、やはり皆さんを招いて食事をします。だからいつも皆さんに招かれ食事をすることが多いのです。イエス様は、お返しできる人を招いてはならないと教えていますが、お返しと言うより、喜びを共にするために皆さんをお招きしているのです。とにかく、お友達とはいつも食事の交わりをしますが、新しい出会いがあると、やはり共に食事をしてはお交わりをするということです。
娘がサグラダ・ファミリアのミサで奏楽をしていることについて、私のブログに記しています。日本のある夫婦がバルセロナ旅行をするにしても、日曜日をはさむので、どこかで礼拝したいと思ってネットで調べているうちに、私のブログに行きつき、日本人が奏楽しているサグラダ・ファミリアのミサに出席したのでした。そして、娘と出会い、ブログを読んで出席されたこと等をお話しされたので、ぜひ一緒に食事をしましょうと言うわけで、翌日には娘の家にお招きして食事をしたそうです。とにかく出会った人とは食事をするという、一つにはスペイン気質というものであるようです。今朝のイエス様の教えがありますが、イエス様の教えは、どのような人とも交わりなさいとの示しなのです。
 主イエス・キリストは、「あなたがたは自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」と教えています。愛を持って生きなさいと教えているのですが、愛を持って生きることに、評価を求めるとしたら、愛の実践にはなりません。それは自分のためになってしまうからです。評価を求めないことが自分を捨てることなのです。

 もう随分昔の映画になりますが、映画「最後の忠臣蔵」を見ました。2011年にスペインへ赴く飛行機の中で見ました。スペインに行くには、ヨーロッパのどこかの国で乗り換えるのですが、その時はドイツのフランクフルトで乗り換えました。その飛行場までも11時間もあるのです。丁度、その様な映画がありましたので鑑賞しました。大石内蔵助は、いよいよ主君の仇、吉良上野介を打つべく江戸に向かうのですが、その時、妾の子供を一人の家来に託します。まだ、赤子でしたが、その家来は田舎に引っ込んで育てるのです。周りの人たちは、その家来が大石と共に討ち入りをしなかったことで、罵り、さげすむのです。その家来はいかなる暴言、乱暴を受けても耐えています。育てている大石の子供が成人し、どこかに落ち着くまで、一生懸命に育てるのでした。その育てている娘を町の大店の息子が見染めるのです。いよいよ、嫁入りの日、駕籠に乗せて大店の家に向かいます。すると、今まで罵声を浴びせ、乱暴した人々が、このお籠のお伴をさせてくださいと土下座してお願いするのです。この家来が大石内蔵助の隠し子を育てていたことを初めて知ったのです。籠が赴く途上、だんだんとお伴の人々が増えてきます。一様にその家来に誤り、ぜひお伴をさせてくださいとお願いするのです。今や人々の評価が上がり、その家来は有名人になったわけです。ところが、結婚の祝いの席にその家来はいませんでした。家来は自宅に帰り、もはや自分の使命は終わったと、大石内蔵助の位牌の前で自害するのでした。生きていれば、人々の評価で英雄にもなることができたのですが、自分の使命は大石の意思を貫くことであったのです。大石のために生きることが目的であったのです。
 例話としては、あまりふさわしくないかもしれませんが、主イエス・キリストの十字架の救いを喜ぶ人生は、人々の評価ではなく、ただ神様の誉れをいただくための歩み、証人としての歩みをすることであります。隣人を愛して生きることで人々の評価が上がるかも知れません。しかし、人々の評価ではなく、神様の誉れをいただきたいのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。導きを感謝します。何事も神様からの誉れを求めて歩むことができますよう導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。