説教「共に歩むために」

2015年8月23日 六浦谷間の集会
聖霊降臨節第14主日

説教・「共に歩むために」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記23章10-13節
    ローマの信徒への手紙14章1-9節
     ルカによる福音書14章1-6節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・361「主にありてぞ」
    (説教後)讃美歌54年版・523「身に負いえぬ」


 先週の18日は伊藤恵子さんの葬儀があり、相模原教会に行ってまいりました。伊藤恵子さんは相模原教会の牧師であった伊藤忠利先生のお連れ合いであります。伊藤先生は既に天に召されていますが、伊藤先生ご夫妻には大塚平安教会におきましても、ドレーパー記念幼稚園におきましても、いろいろとお世話になっております。1979年に私が教会と幼稚園に就任したとき、伊藤忠利先生は幼稚園の理事として運営を担ってくださっていました。1962年にドレーパー記念幼稚園が設立されたとき、伊藤忠利先生は横浜上原教会の牧師でした。大塚平安教会におきましても設立時には横浜上原教会のお世話をいただいております。伊藤恵子さんには1964年に幼稚園の先生としてお手伝いいただいています。横浜の上原から幼稚園に通うのは大変であったと思います。その後、伊藤忠利先生は1966年に相模原教会の牧師に就任されました。ドレーパー記念幼稚園が1977年に学校法人になり、その時から法人の理事としてお勤めくださっていました。1987年にドレーパー記念幼稚園は創立25周年のお祝いをしました。その時、それまでお世話になった皆さんに感謝状と記念品を差し上げました。伊藤忠利先生もその一人であります。しかし、その時、伊藤先生は病院に入院されていたのです。従って、その病院に行き、感謝状をお渡ししたのであります。病院に入院する前、幼稚園の理事会にはお連れ合いの伊藤恵子さんが車を運転して、理事会に出席されていたのです。
昨年、4月26日、ドレーパー先生の記念像除幕式が行われたとき、伊藤恵子さんもお出でくださり、その時お会いしています。95歳で天に召されたのでした。一年前にお会いでき、喜んでいます。しかし、ゆっくりお話しができませんでした。丁度娘の羊子がスペインから一時帰国しており、除幕式の夕刻からディナーコンサートを開催することになっており、ドレーパー先生記念会は途中で失礼してしまったのです。いつもお会いしてお交わりをしていたわけではありませんが、伊藤恵子さんは何かとドレーパー記念幼稚園を心にかけてくださっていたと思います。幼稚園の先生をしてくださったのは1年だけでしたが、いつもお祈りしてくださっていたのであります。
今朝は聖書の示しから「共に歩むために」、私達の生きる姿を示されるのでありますが、どのような人とも、共に歩むことが私達の人生であることを聖書から示されるのであります。聖書の示しは、私達が共に歩むためであり、一人だけ喜ぶような導きではないのです。みんなが共に喜び、みんなが共に祝福をいただく導きを与えているのです。ただ、自分の幸せを求めて、聖書のいいとこ取りをするような読み方ではなく、自分が痛みを持ちながらも他の存在と共に歩む導きを与えているのです。

 旧約聖書出エジプト記23章10節以下は「安息年」の示しであり、12節以下は「安息日」の示しであります。「安息日」についての示しは、創世記に記されています。創世記1章と2章に天地創造が記されています。1章1節以下に、「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と記されています。天地の初めについては、誰も見たわけでもないのですが、信仰を持って記しているのです。従って、創世記をもって宇宙万物の始まりということではありません。信仰的に示されなければならないのです。混沌とした状況に、神様が「光あれ」と言葉を与えると、光が現れてくるのです。神様は次々に言葉を与え、天地を造られて行ったということです。つまり神様の言葉が形あるものを創造していくということなのです。何が何だかさっぱり分からない社会だからこそ、神様が言葉を与え、形あるものに導いておられるということです。こうして6日間で創造されたのです。7日目、天地万物は完成され、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と記されています。そして、「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。第七の日を神は祝福し、聖別された」と記しています。
 このことから聖書の人々は「安息日」を大事にすることになります。聖書の人々が奴隷の国エジプトから脱出した時、神様は人々が基本的に神様の御心に生きるよう「十戒」を与えています。出エジプト記20章に「十戒」が記されています。その第四戒は、「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」との戒めになっています。聖書の人々は、示されたように生きるようになります。いわゆるユダヤ教の中心的な教えとなるのであります。
 今朝の聖書は、改めて「十戒」を教え直しているのですが、「安息日」と共に「安息年」についても示しています。「あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目にはそれを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるが良い。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない」と定めています。ここでは一週間の安息日を拡大して、七年間における安息年としているのです。安息日の場合は、牛やろばが休み、奴隷の子供たち、寄留者が元気を回復するために「安息日」を守らなければならないとしています。従って、神様が七日目に創造の業をお休みし、お休みとしたのは、この日に人々が、神様の創造を讃美し、感謝するのですが、それと共に乏しい者が生きるように導いているということなのです。また、労働者達の回復のためであるとしているのです。
 「安息日」、「安息年」と示されるとき、ここに「安息生涯」が示されているということです。六日の間、与えられた賜物により働きます。六年の間、働きが導かれます。七日目、七年目の安息を示されながら、一生の間、主の御心として「共に生きる」ことを実践して生きるのです。「共に生きるために」御心を実践するなら、ついに栄光の輝きのうちに天に召されること、ここに真の「安息生涯」が示されているのです。「安息日」の示しは、私達の永遠の生命の導きであるのです。私達にとっては土曜日の安息日ではなく、日曜日の主イエス・キリストの復活日でありますが、私達の安息日であり、礼拝をささげつつ生涯が導かれ、永遠の安息が与えられるということです。

 旧約聖書の示しは、「安息日」は労働をしてはいけないとか、何もしてはいけないとか、そのような重苦しい戒めではなく、喜びの「安息日」、「安息年」ということを教えているのです。だから主イエス・キリストも「安息日」を喜びの日としています。
 ルカによる福音書14章1節以下は、「安息日に水腫の人をいやす」イエス様を示しています。水腫といいますが、「むくみ」のような表情です。他の聖書の場合、安息日にイエス様が病気の人をいやしたりすると、時の指導者達、律法の専門家やファリサイ派の人々がイエス様を批判していることが記されます。しかし、ここでは批判される前に、安息日に病気が癒されることの是非について、イエス様が律法の専門家やファリサイ派の人々に問うているのです。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」と問うています。確かに律法は、安息日には何もしてはならない、と示しています。その日は聖なる日としなければならないからです。先ほどの出エジプト記23章5節には、「もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさなければならない」と規定しています。この日が安息日であったとしても、助け起こすことが示されているのです。その後の教え、「安息日」は喜びの日でなければならないとの関連で示されることです。イエス様はこの規定と安息日を重ねて問うているのです。律法の専門家達は当然この聖書の教えを知っているはずです。従って、イエス様の問いかけには答えることができないのです。イエス様は水腫を患う人を癒してあげました。そして、イエス様は、「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と言われたのであります。律法の専門家やファリサイ派の人々は何も言うことができませんでした。その通りであるからです。
 今朝の聖書から「共に歩む」ということを示されています。「共に歩む」ことは神様の御心に従うということです。神様の御心とは、人が共に生きて、神様の創造の恵みを喜びつつ生きることなのです。それでも、神様の御心が分からないというので、神様は「十戒」を与えられたのです。十の戒めですが、この戒めは人間が基本的に共に生きることを教えているのであり、一つひとつの戒めは神様の御心であるということです。「汝、父母を敬え」、「汝、殺すなかれ」、「汝、姦淫するなかれ」、「汝、盗むなかれ」、「汝、偽るなかれ」、「汝、むさぼるなかれ」と教えられています。これは人間関係の戒めです。この基本的な戒めは、戒められなくても当たり前のことなのですが、人間は当たり前の生き方ができないのです。だから、戒めとして、常に守ることを専念して生きることが求められているのです。神様の御心は、人が共に生きて、神様の創造の恵みを喜びつつ生きることなのです。その御心にあって何事も判断すべきであり、戒めが先行すると、律法学者やファリサイ派の人々の間違ったことになるのです。確かに「安息日」規定があり、この日は何もしてはいけないといことですが、そこに一人の人の困難がある場合、戒めを超えて救済しなければならないことは神様の御心であるということです。
 あるお医者さんに電話があり、病人が危篤であるからと病院から招集がかかりました。お医者さんは車を飛ばして病院に駆けつけるのですが、途中スピード違反で警察官につかまってしまいます。しかし、事情を話すと、パトカーが先導して猛スピードで病院に急行したというお話があります。状況的には交通ルールを違反しなければならないこともあるのです。規則通り、定められた通り、戒め通りに生きることが「正しい服従」とはならないのです。そこに神様の御心があるかということなのです。
 ルカによる福音書18章18節以下に、「金持ちの議員」について記されています。金持ちの議員がイエス様に、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねました。するとイエス様は、「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」と答えられました。すると金持ちの議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」というのです。それに対して、「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」と言われました。金持ちの議員は悲しみながら立ち去ったと記しています。掟、戒めを守る時、そこに神様の御心があるかということです。人間は定められた戒めを守ることができないので、主イエス・キリストは十字架にお架りになり、人間の根本的な罪、自己満足、他者排除を滅ぼされたのです。この十字架の救いを基として生きること、それが「共に生きる」者へと導かれるのです。神様の御心に従う人生が導かれるのであります。

 最初に伊藤恵子さんについての証しを示されました。葬儀の式辞をお聞きし、改めて伊藤恵子さんの信仰のお証を示されました。クリスチャンホームにお生まれになり、礼拝と共に人生を歩まれていました。常に礼拝を心に持ちながら歩んでいたと言われます。相模原教会は1996年に新しい礼拝堂が与えられました。その献堂式の日、私は神奈川教区議長としてお祝いに出席したのです。その時、私は開会の時間を間違えていました。相模原教会は横浜線矢部駅の近くであります。駅を降りて教会に向かっていますと、教会の玄関前で、伊藤恵子さんが教会を指さしながら、走るような素振りを私に送っているのです。「走って、走って」と言っているようで、私は小走りに教会に行ったのでした。「もう始まっています」と言いながら、礼拝堂の聖壇に私を案内してくれました。葬儀の式辞を聞きながら、伊藤恵子さんが、皆さんに対して教会を指さしながら、「走って、走って」と招いていると示されたのでした。何よりも礼拝を大切にしていました。その礼拝に多くの人を招いていたと示されたのでした。
 葬儀において愛唱讃美歌が歌われました。54年版讃美歌の523番と312番が愛唱讃美歌ということでした。523番は、「身に負いえぬ悲しみは、深くうずめんほかぞなき。はやくゆきてほうむれよ、負いなやみし汝がおもに」、「なさけふかきイエス君は、汝がかなしみ知りたもう。はやくゆきて告げまつれ、こころのやみとく晴れなん」、「こころのやみはれもせば、なおなやめる世のひとに、はやくゆきて知らせよや、すくいぬしのみめぐみを」と歌います。礼拝にいらっしゃい、イエス様があなたを引き受けてくれますよ、人々を招いておられたのでした。312番の「いつくしみ深き」もイエス様が私達の諸問題を取り去ってくださるという讃美歌です。イエス様にすべてを委ねることが、「共に歩むために」原点となるのです。この世のいろいろな制約、法的なことがありますが、「共に歩むために」イエス様の御心に立つことが原点となるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。与えられた歩みをお導きくださり感謝します。イエス様の御心にあって共に歩むものへとお導きください。主イエス・キリストの御名によりささげます。アーメン。