説教「生きる基を示されながら」

2012年9月2日、清水ヶ丘教会
「三位一体後第13主日

説教、「生きる基を示されながら」 鈴木伸治牧師
聖書、創世記1章1〜5節
   ルカによる福音書10章25〜29節
賛美、(説教後)讃美歌21・475「あめなるよろこび」


 今朝は、清水ヶ丘教会65周年記念の関連の中で、私がお招きをいただき、講壇に立たせていただき、感謝致します。お招きをいただきました理由は、昔を知る教職者と言うことでした。それでしたら他にもおられるわけですが、その中からお選びいただいたようです。しかし、「昔を知る」教職者と言うことですが、私が清水ヶ丘教会で過ごすのは中学・高校生の頃、そして23歳で神学校に入りましたので、それまでの12、3年と言うことになります。中学・高校生の時代ですから、教会の宣教の取組み等については、分からないままに過ごしていたのです。ですから「昔を知る」教職者と言うより、「昔において育てられた」教職者と言う方が正しいと思います。この清水ヶ丘教会で育てていただいた牧師の一人として講壇に立たせていただいているのです。
 当教会の創立者であられる倉持芳雄先生は、今は天におられるのですが、もし今もご存命ならば96歳になられております。私が今朝の講壇に立たせていただくにあたり、私を紹介してくださるとすれば、必ずあの物語をもってご紹介下さると思います。私が洗礼を受けたのは1957年10月6日の世界聖餐日礼拝でした。当教会の創立時の横浜ミッション教会が設立されたのは1947年ですから、設立後10年にして教会員に入れていただいたのです。高校3年生の時です。その頃、8月には青年会の修養会が逗子で開催され、高校生でありましたが参加したのであります。海水浴のプログラムがあり、皆さんで楽しく海で過ごしました。皆さんで泳いでいたのですが、ふと気がつくと、泳いでいるのは倉持先生と私だけでした。皆さんは浜に上がって過ごしていたのです。横に並んで泳いでいるうちに、私は今まで心の中でもやもやしていた思いを口に出していたのです。横に並んで泳いでいる倉持先生に、「洗礼を受けたいのです」と告白していました。泳ぎながらの洗礼志願告白を聞いて、倉持先生も驚いたようですが、「それは良かった。よく決心されました」と喜んでくださったのです。そして10月に洗礼式が執行されるのですが、その日の礼拝説教で、水泳中の洗礼志願告白物語を長々とお話されていました。倉持先生もよほど印象に残ったようです。その物語は、その後、何回も聞くことになります。神学生の時、講壇に立たせていただいたとき、その後も何回か講壇に立たせていただいたとき、私たちの婚約式、結婚式のとき、必ずあの物語が紹介されるのです。今回、もし倉持先生がおられたら、お話しするに違いないと思います。代わりに私がお話しさせていただいている訳です。
 中学生になってこちらの教会に出席するようになりましたが、小学生の時代は私の家から比較的近くにある関東学院教会日曜学校に通っていました。中学生になって姉の美喜子、清子がこちらの教会員でありましたこともあり、出席するようになるのです。いくつかの物語は割愛していますが、中学生になってこちらの教会に出席したとき、日曜学校中学科に出席するよう勧められました。その頃、ミッション診療所があり、その待合室で中学科が開かれていました。一度、出席しました。その頃の中学科におられたのが岩粼隆、内藤雅俊、佐藤壮介と言った連中でした。中学科で我が物顔に振舞っている姿に圧倒され、以後は出席しませんでした。従って、礼拝に出席しても、それで帰っていく孤独な少年を救ってくれたのが高校生グループ「ぶどうの会」であったのです。中学生でしたが高校生の「ぶどうの会」の交わりに入れていただいたのです。この「ぶどうの会」の交わりを通して教会に結びつき、導かれていったのであります。いつまでも昔話をしている訳には行きませんが、私の中学・高校生時代、日本の敗戦後10年もしていない時代です。いわば暗い社会に光を与えられた証をさせていただいているのです。
 日本の国は戦争をしていましたが、1945年に敗戦を宣言しました。6月23日の沖縄戦での多くの犠牲があり、8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が落とされ、8月15日に敗戦を宣言したのであります。その戦争の後、日本の国は心のよりどころのないままに復興のために生きるのですが、敗戦から2年後に横浜ミッション教会が設立されたことは、世の人々に光を与えたのであります。夢中になって生きて行くことを求めていた人々にとって、暗い社会の中で希望の光を与えたのが横浜ミッション教会であったのです。今朝は暗い社会に差し込まれている光を示され、私たちの生きる基を示されるのであります。

 暗い状況に光が与えられ、導きが始まることは聖書のメッセージです。今朝は旧約聖書創世記1章1節から5節が示されています。
創世記のはじめに天地創造が記されています。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と言うことです。そこで、神様は混沌の状況に言葉を与えます。「光あれ」という言葉です。こうして光があり、闇ができるのです。神様は次々に言葉を与えて天地を創造されました、大空ができ、大地ができ、生き物、植物が造られたと報告しています。神様の言葉が与えられることによって、形ある物が存在するようになったということを聖書は示しているのですが、何よりも第一に「光」が与えられたということです。私は、この創世記の初めの部分が気になってしょうがありませんでした。「光あれ」と神様が言われ、「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」と記されるのです。すると昼には太陽が出て、その光で明るくなり、闇の夜は太陽が隠れて暗くなる、そのような普通の考えになります。だから、ここでは太陽の存在が光と思わなければならないのです。ところが、太陽が造られるのは第四の日であったと記しているのです。創世記1章16節に「神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた」と記しているのです。これは第四日の創造であり、第二の日は大空が造られ、第三の日は陸と海が造られ、植物や果樹が造られるのであります。太陽と月はその後に造られているのであります。そうすると、最初に神様が「光あれ」と言われた光と闇は何であるかということが疑問になります。「光あれ」と神様の御言葉を与えていますが、その光は太陽を源にしているのではないのです。もう一度、最初の部分を見てみましょう。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と記されています。何が何だかさっぱり分からない状況です。混沌、闇、深淵の状況でありますが、その中に「神の霊が水の面を動いていた」のであります。そこで、神様は「光あれ」と言われたのです。「混沌あれ」と言われたのでも無く、「深淵あれ」と言われたのでもありません。神様はまず「光」を呼ばれ、「神の霊」を呼ばれたのであります。この「神の霊」は2章7節に示されている「命の息」なのです。
創世記2章7節では神様が人間を創造されています。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」と記されています。人間は土で形づくられましたが、まだ人間ではありません。その土の形に神様の「命の息」が吹き込まれて、人間は生きる者となったのです。この「命の息」はルアッハという言葉ですが、他には「霊」と訳され、「風」と訳されるのです。預言者エゼキエルが幻で示された「風」です。人間の枯れた骨が平原一面に散らばっています。そこに「風」すなわちルアッハが吹きまくるのです。人間として立ち上がるのです。使徒言行録の聖霊降臨も、この「風」ルアッハでした。力を無くしているお弟子さん達にルアッハが吹きまくり、お弟子さん達は立ち上がったのです。創世記で、神様は最初に太陽を造ったのではなく、「神の霊」をお呼びになったのです。ルアッハをお呼びになったことが「光あれ」との神様の御言葉なのです。「神様の霊」、ルアッハが神様に呼びだされて、光となったということです。まず「光あれ」と言葉を与えて、祝福の天地創造をなされたのです。祝福の天地でありました。しかし、人間の知恵が神様の祝福を見えなくさせてしまっているのです。しかし、神様はいつの時代でも「光あれ」と言われ、祝福へと導いておられるのです。

 日本の敗戦後、人々は夢中になって復興を目指して生きていたのです。1947年に横浜ミッション教会が設立されましたが、その3年後の1950年には現在のこの地に清水ヶ丘教会を設立しています。そして2年後の1952年には今の会堂の前の教会を新会堂として与えられたのでした。従って、私は中学生になって、新しく建てられた教会から出席するようになっているのです。この南太田の丘に教会が建てられたこと、まさに人々に光を与えたのです。しかも新しい教会と共にミッション診療所が設立されたことも、人々にとって光であったと思います。導かれまして私の二番目の姉の清子が診療所の看護婦として務めさせていただいたのです。この光は人々に新しい命を与えたのであります。
 今朝の新約聖書ルカによる福音書10章25節以下です。「善いサマリア人」のたとえ話を主イエス・キリストがされておられます。この聖書により、隣人を愛することを教えられるのです。しかし、今朝は違った角度から示されています。
 ある律法の専門家がイエス様を試そうとして質問します。聖書の世界はユダヤ教の社会です。人々はモーセを通して与えられた律法により生きています。律法の中心は神様から与えられた十戒です。その律法を人々に示し、教えているのが律法学者でありました。その律法学者の質問は、「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」との内容でした。それに対してイエス様は、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と逆に尋ねました。すると律法学者は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」と、すらすらと答えるのです。「正しい答えだ。それを実行しなさい」とイエス様は言われましたが、「そうすれば命が得られる」と示しているのです。律法学者は「何をすれば永遠の命を得られるか」と質問しています。はっきり言えば、善い事をすれば「おりこうさん」と言われる枠組みです。だから、律法の定めをすらすらと言うことができるのです。それに対してイエス様は、「正しい答えであり、それを実行しなさい」と言われていますが、イエス様が求めておられるのは、「律法をどう読んでいるか」ということであります。「どう読んでいるのか」と、律法に向かう姿勢を問われているのです。
 イエス様は「どう読んでいるか」と問うていますが、他のところでは「読んでいないのか」とも問うています。マタイによる福音書12章では、安息日にお弟子さん達が麦の穂を摘んで食べたことでファリサイ派の人たちが批判します。そのときイエス様は、「安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にはならない、と律法にあるのを読んだことがないのか」と答えています。律法の示すところを真実に読みなさいと示しているのです。あるいはマタイによる福音書19章33節以下に「ぶどう園と労働者」のたとえが記されていますが、その中で「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか」と言われ、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と言う詩編118編の言葉を引用しています。いずれも救いに関してであり、「読んだことがないのか」と言われているのです。「どう読むのか」、「読んだことがないのか」と言われるイエス様は、神様の御言葉にどのように向いているのかと言われているのです。神様の御言葉は「光あれ」です。その「光」は「命の息」であることを示されました。神様の「光」は私達に「命の息」を与え、真実に生きる者へと導いてくださるのです。
 この「善いサマリア人」のたとえの導入の部分を今朝は示されているのですが、律法学者は神様の御言葉は何もかも知っているのです。しかし、知っているだけで、その御言葉に向かうとき、御言葉は神様の「光」であり、「命の息」となって、私を新しい人間にしてくれることは知らないし、そのように読むことができないのでありました。「あなたはどう読むか」とイエス様は問われています。

 1945年の日本の敗戦、暗闇の中に復興を求めて歩んでいる人々に、清水ヶ丘教会は「光あれ」と神様の御言葉を世に与えたのです。神様の「命の息」をいただいて立ち上がりなさいと宣べ伝えたのであります。主イエス・キリストが十字架にお架りになって、私の中にある自己満足、他者排除を滅ぼしてくださいました。十字架により「光」の中におかれ、「命の息」をいただきつつ歩んでいるのです。私たちの「生きる基」はイエス様の十字架の救いです。それが神様の「光」であり、「命の息」なのです。私は清水ヶ丘教会の源流はここにあると思います。この社会に「光あれ」と神様の御言葉を与えたのです。
 神学生時代に講壇に立たせていただいたとき、婦人会の皆さんは涙を流しながら聞いてくださいました。終わってから皆様にご挨拶していると、皆さんが一様に言われたことは「あの伸ちゃんがねえ」と言うことでした。小さい頃から私を知っているので、今は説教を語る者になっている、「あの伸ちゃんがねえ」と言うことになるのです。それは、神様の「光」の中におかれている清水ヶ丘教会で育てられ、神様の家族の一員として育てていただいたということでした。この祝福された群れから世の人々に、いよいよ神様の「光」、主イエス・キリストの十字架の救いを発信して参りましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。私たちを光の中にお導きくださり感謝致します。神様の「命の息」を世の人々に与える者としてください。キリストの御名によりおささげします。アーメン。