説教「信じて生きる人生」

2012年9月9日、横須賀上町教会
「三位一体後第14主日

説教、「信じて生きる人生」 鈴木伸治牧師
聖書、創世記15章1〜6節
   ルカによる福音書17章11〜19節
賛美、(説教前)讃美歌21・357「力に満ちたる」
   (説教後)讃美歌21・461「みめぐみゆたけき」


 既に9月の歩みを導かれていますが、私は、8月はいくつかの教会からお招きをいだき、それぞれの教会の講壇に立たせていただきました。8月12日はこちらの横須賀上町教会でしたが、19日は三崎教会の講壇に立たせていただきました。三崎教会の生野隆彦牧師は2年前に退任されましたが、その後に就任した牧師が今年3月で退任されましたので、生野牧師が代務者として責任を持つようになり、礼拝の担当は幾人かの牧師が担当するようになっています。8月26日は横浜本牧教会のお招きをいただきました。今は森田裕明牧師が牧会をされていますが、牧師の夏休みと言うことで私がお招きをいただいたのです。森田牧師が就任する前の半年間、私が代務者として責任を持ったからであります。そして、前週の9月2日は私の出身教会、清水ヶ丘教会の講壇に立たせていただきました。清水ヶ丘教会は今年で65周年を迎えており、今年は9月30日に創立記念礼拝を行うので、講壇の依頼をいただきました。しかし、私はその日であるとお引き受けできないので、9月2日に担当することになったのでした。
 清水ヶ丘教会は65周年を迎え、「清水ヶ丘教会源流を知るプロジェクト」を発足させ、宣教の原点を学んでいるのです。その意味でも出身である私がお招きをいただいたのですが、出身であったにしても、私が清水ヶ丘教会に関わるようになるのは中学、高校生、そして23歳で神学校に入りますので、12、3年間にすぎません。しかも中学、高校生の時代ですから、当時の宣教の取組み、教会形成と言うことについては分からないままに、出席しつつ過ごしていたのです。そういう中で高校3年生のときに洗礼を受けることになりますが、教会の皆さんとの交わり、また信仰の指導をいただきつつ過ごしたことでした。
 清水ヶ丘教会は1945年の日本の敗戦後に設立されました。日本の敗戦後、人々は夢中になって復興を目指して生きていたのです。1947年に横浜ミッション教会が設立されましたが、その3年後の1950年には現在の地に清水ヶ丘教会を設立しています。そして2年後の1952年には今の会堂の前の教会を新会堂として与えられたのでした。従って、私は中学生になって、新しく建てられた教会から出席するようになっているのです。南太田の丘に教会が建てられたこと、まさに人々に光を与えたのです。しかも新しい教会と共にミッション診療所が設立されたことも、人々にとって光であったと思います。この光は人々に新しい命を与えたのであります。私が中学、高校生時代に出席していた礼拝も200名はおられたと思います。今でもそれくらいの礼拝出席者が与えられながら教会の歩みが導かれているのです。
 9月2日に講壇に立たせていただいたとき、私が出席していた当時の皆さんも、まだまだ多くおられました。もう50年前になるのですが、大分高齢になられておられる方もあり、私と同世代の皆さんも、私と同じように年を取っているのですが、元気に礼拝に出席されていました。他の教会に転会されていた方も、わざわざ出席してくださり、旧交を温めたのでした。50年間、それぞれ歩む現実はことなりますが、それぞれにおかれた状況の中で、信仰の道を導かれているのです。「信じて生きる人生」の喜びをあたえられているのです。私の場合は信仰50年、60年の歩みですが、こちらの教会の皆さんも信仰70年、80年の方もおられるでありましょう。「信じて生きる人生」がどんなにか祝福であり、喜びであるか。それは信仰10でありましても、5年でありましても、1年でありましても、同じ喜びなのであります。
 今朝は「信じて生きる人生」を改めて示され、励まされるのであります。

 今朝は旧約聖書の人物、イスラエル民族の始祖アブラハムの信仰の人生を示されています。アブラハムの信仰の人生は、創世記12章に記されることから始まります。神様はアブラハムに現れ、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」と言われました。アブラハムが神様のお言葉を信じて旅立つのは75歳でした。そして創世記25章7節以下にアブラハムの死と埋葬について記されています。アブラハムの生涯は175年であったと記されているのです。実に100年間、「信じて生きる人生」を歩んだのでした。まさに信仰の人生でありました。神様から約束を与えられて旅立ちました。「あなたを大いなる国民にする」と約束されたのです。だから、多くの国民になる順序が示されるはずなのですが、それが一向に見えないので、一体、神様の約束はどうなっているのか、との焦りを持つアブラハムでした。それが今朝の聖書の示しになっています。
 創世記15章におきまして、神様は再び祝福の約束を与えるのです。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」と言われたとき、アブラハムは不満げに言います。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています」と言うのでした。それに対して神様は、「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と再び約束を与えるのでした。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と聖書は記しています。 
 アブラハムと妻サラとに与えられた子供はイサクでした。アブラハムが100歳、サラが90歳のときでありました。結局、彼らに与えられた子供はイサクだけでした。そして、得た土地と言えば、サラがなくなったので、埋葬するために、アブラハムはマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑を所有することになりましたが、土地と言えばこれだけでした。確かに不平を述べ、人間的に振舞う姿がありましたが、しかし、常に神様に従う、御心に従う人生であったのです。このアブラハムの100年間の信仰の人生は、後々まで語り継がれ、神様から祝福されたアブラハムとして、人々の誇りとなったのでした。
 「信じて生きる人生」は、何もかも、神様の御心に従って生きるのか、その通りです。しかし、アブラハムは御心に従いながらも、神様に抗議しています。約束が与えられながら、現実は全く異なると言うことです。だから、人間的な思いになり、妻サラからではなく、サラに使えるハガルから子供を得たりしたのでした。この振る舞いは不信仰です。それでも神様は人間の思いを超えて、神様の御心を持って導いたのでした。もはや、子供が生まれないと思われる年齢になって、あなたがたから子供が生まれると言われたとき、アブラハムもサラも笑ったのであります。その笑いが本当の笑いとなり、イサクと名付けたのでした。イサクとは「笑う」と言う意味なのです。喜びの笑いとなったということです。この人生、失敗もあり、神様の御心に反する歩みもあります。しかし、常に御心に戻されて生きる、それが「信じて生きる人生」なのです。信仰の原点があるから、常にその原点に戻されて歩むのです。

 主イエス・キリストも信じて生きる人生を示しておられます。今朝のルカによる福音書は17章11節以下に示される「らい病を患っている10人の人をいやす」イエス様を示しています。私が使用している聖書は「らい病」と記しています。1993年に発行されている聖書です。その後、「らい病」という表現は差別表現として、「ハンセン病」と言われるようになり、1996年に「らい予防法」が廃止されますと、公的機関も「ハンセン病」と言うようになっています。聖書も「重い皮膚病」と書き換えています。ところが、この表現も、すぐに差別表現につながってしまうのです。子供たちの世界で、皮膚疾患の人にたいして「重い皮膚病」と言い、差別的に対処すると聞いています。今は「らい病」と言っても、治療法が確立されており、人に移ることも根絶されていますので、差別的表現でなくなりつつあります。今朝は、「病気の人」という表現で示されます。
  イエス様がエルサレムへ上る途中、サマリアガリラヤの間を通られたときのことです。 ある村に入ると、病気を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫んでいるのです。イエス様は病気を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。他の聖書では、病気の人たちに対して、手を置いて治してあげるとか、汚れた霊を追い出したりして癒していますが、ここでは祭司のところに行きなさいと指示しているのです。聖書の世界では、病気を判断するのは祭司の務めでした。旧約聖書レビ記13章1節以下には、病気の判断の仕方が記されています。参照するのは割愛しますが、祭司は規定に細かく示されたことに照らして判断するのです。
 イエス様は、まず祭司のところに行って体を見せなさい、と言っておりますが、ここではまだ治ってはいないのです。しかし、10人の人はイエス様の言葉を信じて祭司のもとに赴きます。従って、この時点では皆信仰に基づいて祭司のところに向かっているのです。だから、10人の病気の人は行く途中で清くなり、病気が癒されたのです。ここには記されませんが、10人の人たちは祭司のところに行き、祭司から病気ではないと証明されたのです。祭司の証明がない限り、病気が治ったということを公には言えないのです。10人の人は喜んだことは言うまでもありません。ところが、病気が癒されて、これはイエス様が癒してくださったと信じ、イエス様のもとに来て感謝を述べたのは一人だけでした。それも聖書のユダヤ人ではなく、外国のサマリア人であったというのです。イエス様は「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」と言われています。ここに信仰があると示しているのです。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われています。自分が癒され、これは神様の癒しであることを心から受け止め、感謝をささげること、それが信仰であることを示しておられるのです。確かに10人の人たちは、イエス様に言われるまま、まだ治ってもいないのに祭司のもとに向かいました。信仰の姿です。しかし、信仰は導きの結果を神様に感謝することが信仰の原点なのです。神様のお導きがあり、導かれて歩んだとき、祝福へと導かれた、その祝福を感謝すること、それが信仰であると示されているのです。信仰があっても、行ったまま帰らないでは信仰にはならないということです。鉄砲玉信仰とも言えるでしょう。

「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様は言われています。この祝福の言葉はイエスからしばしば与えられています。12年間も病気の人が癒されたことについては、マタイ、マルコ、ルカによる福音書それぞれが記しています。マタイによる福音書は、9章18節以下に記されますが、病気の人がイエス様の服に触れると癒されたのでした。するとイエス様はすぐに振り向いて、「あなたの信仰があなたを救った」と祝福されています。ところがマルコ、ルカは違った角度で記しています。ルカによる福音書の場合は、8章40節以下に記されています。病気の人がイエス様の服に触れると病気は癒されました。そのときイエス様は、「わたしに触れたのはだれか」と言われました。お弟子さんのペトロは、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言い、多くの人がイエス様に触れている事実を述べるのです。「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」とイエス様は言われています。すると、病気をいやされた人は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまち癒された次第とを皆の前で話したのでした。そこで、イエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と祝福したのでした。ここに信仰の原点があるのです。
エス様のまわりにいた人たちも、イエス様に癒しを求め、その服に触れ、体に触れていたでしょう。そして癒されて喜びつつ帰って行ったのです。しかし、それは信仰ではありません。イエス様に癒しを求めて、その服に触れて癒されました。「ああ、良かった」と喜びつつそこを去るのではなく、私を癒したのはイエス様であることを告白することなのです。そこから信仰の人生が導かれて来るのです。
イエス・キリストは十字架によって死にますが、十字架の死によって、人間が克服できない自己満足と他者排除を滅ぼされたのです。この十字架の贖いによって、私たちは新しい歩みを導かれているのです。信仰の人生を始めているのです。色々な人間関係、社会問題と関わりながら歩んでいます。「信じて生きる人生」は、絶えず主イエス・キリストの十字架の贖いの原点に戻されるのです。それが聖餐式です。聖餐に与り、私が生きる原点へと戻されるのです。「あなたの信仰があなたを救った」と祝福されるのは、この時なのです。今朝も祝福をいただき、「信じて生きる人生」を歩むことを示されたのです。
<祈祷>
聖なる御神様。私達に人生の原点をお与えくださり感謝致します。常に祝福を与えられつつ歩むことを得させてください。キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。

「御言葉に向かう」はしばらくお休み致します。
9月10日から11月6日まで、娘の羊子がスペイン・バルセロナにてピアニストとして演奏活動をしていますので、行ってまいります。11月11日の週より再び説教を公開いたします。