説教「喜びの人生を歩む」

2017年5月14日、横浜本牧教会
「復活節第5主日

説教・「喜びの人生を歩む」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記12章1-7節
    ヨハネによる福音書14章1-14節
賛美・(説教前)讃美歌21・546「世界中の父や母を」
    (説教後)538「力の限りに」


 今朝は社会的には「母の日」であります。社会的と申しましたが、本来は教会的なのであります。しかし、発展的には、やはり社会的なのかも知れません。私の小学生のころ、学校に行くと、造花の赤いカーネーションに「お母さんありがとう」と書かれたリボンが付けられたものを渡されました。それを胸に付けて一日を過ごしたものです。母の日は第二日曜日ですから、金曜日ころに渡されたのかも知れません。公立の小学校で、母の日を設けていたのです。しかし、母の日といっても、いろいろな家庭状況があり、今はそのような取組みはなくなっています。
「母の日」の起源については。毎年、示されていることでありますが、改めて触れておきます。アメリカ、マサチューセッツ州ウェブスターのメソジスト教会で始まったといわれます。日曜学校教師を26年間も務めたクララ・ジャーヴィスという女性は、ある日「十戒」の第五戒「あなたの父母を敬え」について教え、特に母の愛に心から感謝することを教えたのでした。このことを心に深くとめていた女性の娘アンナは、母が召天し、母の記念会のとき、教会の会場にカーネーションをたくさん飾ったのでした。列席者は大きな感銘を受け、今後このような会を毎年開くことにしたのでした。やがてそのことを知った有名な百貨店の社長ジョン・ワナメーカーが、5月の第二日曜日に百貨店の店先で盛大な母の日記念会を催しました。1908年(明治41年)のことで、この日の模様を新聞が報道したため、各地に広がって行ったのでした。教会で行われたのが始まりですが、しかし、広めたのは新聞社であり、初めから社会的なこととして広まっていったのです。日本では1923年(大正12年)に最初の母の日が祝われたということです。教会で始まりましたが、広めたのは社会でありました。そして、デパートにしても商売をする人は、この日は絶対になければならない日になっているのです。
 ところで、十戒の第五戒、「あなたの父、母を敬いなさい」と教えられていますが、ただ両親を敬えと教えているのではありません。父、母はそれだけ長く人生を生きているのです。それだけ多く、神様の御心を示されているのです。神様の御心を両親から示されるということなのです。「あなたの父、母を敬いなさい」と教えた後に、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」と教えています。年長者を敬うことは、聖書の基本的な教えです。父、母を敬うことと共に、年長者を敬いなさいと聖書は教えています。「白髪の人の前では起立しなさい」とも教えられています。高齢者は長い人生で、それだけ多く神様の御心を示されているのです。高齢者を敬うことは、神様の御心を示されるということなのです。韓国では新しく大統領が決まりましたが、韓国では年長者を尊重することが根付いているようです。昔のことですが、神奈川教区の議長をしていた頃のことです。韓国から来られた牧師がいまして、教区の会議でその韓国の牧師も出席していました。会議では、一つの課題に対して、韓国の牧師と、日本人の牧師と激しく論議していました。激しく論議していた韓国の牧師が、ふと相手の年齢を聞くのです。相手が自分より年齢が上であることを知り、それ以後は激しい論議もおさまり、相手を尊重するような意見を述べるようになりました。年長者はそれだけ多く神様の御心を示されているということが基本なのです。神様の御心に生きるならば祝福を受けるとの示しであります。父、母を敬うことは、神様の御心を示されることであり、神様の御心によって、この世の中をどう生きるのか。神様の祝福がいただけるのか。今、この世に生きている私たちの課題なのです。その意味でも、年長者は責任を持たなければならないのです。祝福をいただき、「喜びの人生を歩む」こと、何よりの願いです。

 祝福をいただき、喜びの人生を歩んだのはアブラハムでした。聖書の民族の最初の人がアブラハムです。神様の御心に従い、祝福をいただいたので、聖書の人々は、先祖のアブラハムを誇りにしていました。新約聖書の時代になって、イエス様が現れる前にバプテスマのヨハネが登場しています。ヨハネは声を大にして人々に、神様の御心に生きるよう教えるのですが、「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな」ときびしく言うのです。人々は、先祖のアブラハムが神様から祝福されたので、我々も祝福されていると思っていたのです。そのような短絡的な思いを断ち切るように導いているのです。アブラハム=我々ではなく、アブラハムのように御心に従う歩みが必要であるということです。
 アブラハムの御心に従う姿が祝福されたのですが、しかし、そのアブラハムも極めて人間的な歩みでもありました。アブラハム物語は今朝の聖書、創世記12章から始まりますが、11章の終わりの部分にアブラハム系図が示されています。テラの子供としてカルデアのウルで生まれ、その後、父と共にカナンの地方に住むことになります。そのアブラハムに神様の導きが始まります。神様は「わたしが示す地に行きなさい」と言い、アブラハムを導き出すのでした。アブラハムは神様のお導きに委ね、故郷を後にしたのでした。そのとき、「あなたを大いなる国民とする」と約束されたのです。大いなる国民にするということは、子孫がたくさん与えられるということです。しかし、アブラハムと妻サラの間には子供が与えられませんでした。それでアブラハムは、神様は約束されているのに、現実は、大いなる国民どころか、子供が生まれないということで不平、不満を述べています。アブラハムは忠実に神様の御心に従ったと言われますが、常に不平を述べていたのです。しかし、全体的には忠実に従う姿勢でもありました。その姿勢が祝福されたということです。結局、大いなる国民にするといわれましたが、アブラハムにはイサクという子供一人と、妻サラのお墓の土地を得ただけで終わるのです。イサク、その子供のヤコブの時代を経て大いなる国民になっていくのです。
 神様に対して不平、不満を述べたアブラハムでした。しかし、神様の御心に従うことで祝福の人生を歩むことになるのです。聖書は、このアブラハムを何かと登場させ、信仰者の模範としているのです。私もアブラハムの信仰を示されています。神様に何かと疑問を投げかけながらも、神様の御心に従うアブラハムに示されているのです。私の名前は鈴木伸治(ノブハル)ですが、パソコンのパスワード等は「ノブラハム」としています。昔、宮城の教会で、会計さんが献金の集計をしているとき、私の献金袋を処理しながら、「これはノブラハム先生」なんて言われていたのです。宮城の教会で、礼拝の説教では、何かとアブラハムの信仰についてお話していたものですから、ノブハルとアブラハムが重なるようになったようです。まことに名誉ある名前にしてくれたと感謝しています。「喜びの人生を歩む」こと、それは神様のお導きに委ねることであります。

神様のお導きに委ねるということですが、現実の歩みは、やはりいろいろな問題の渦中に生きなければなりません。そのような私たちでありますが、主イエス・キリストは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と示しています。ヨハネによる福音書14章からはイエス様の弟子達への決別説教であります。この後、主イエス・キリストは十字架の道を歩まれます。お弟子さん達と分かれなければなりません。そういう意味で「心を騒がせるな」とお弟子さん達を励ましているのですが、この言葉はヨハネによる福音書が書かれる状況が反映しているのです。イエス様の十字架の死、埋葬、復活、聖霊降臨、これらの導きをいただきながらお弟子さん達は福音を宣べ伝えて行きました。ヨハネによる福音書が書かれたときは、だいたい紀元100年頃であります。その頃、主イエス・キリストを信じる人々が次第に増えてきています。それと共に迫害も増えておりました。特にユダヤ教の迫害は、会堂追放という生活に関わることでもありました。ユダヤ人は会堂を中心に生活しています。エルサレムの神殿に行かなくても、それぞれ町には会堂があり、聖書の示しを与えられているのです。会堂追放は出入を禁止することですが、会堂追放を受けた人に対しては交際をしてはいけないことになります。物の売り買いが出来ません。すなわち生活ができなくなってしまうのです。日本では村八分という処置がありますが、同じような断罪でもあります。
 そのような迫害の中でヨハネ福音書は書かれています。そのような苦しみの人々に「心を騒がせるな」と励ましているのです。そのような迫害に生きたとき、「父の家には住む所がたくさんある」と示し、神様の祝福が与えられることを教えています。神様を信じ、主イエス・キリストを信じて生きる人生は、例え迫害の中に生きようとも祝福であることを教えているのです。イエス様に委ねて生きる、それが私たちの人生なのです。そのことを強く勧めているのがヨハネの手紙です。ヨハネによる福音書ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録とありますが、書いている人はそれぞれ異なります。しかし、福音書と手紙は同じ群れ、すなわちヨハネ教団に属する人とされています。同じ教団に属していますので、信仰的にも証においても同じところがあります。このヨハネの手紙においても、福音書のイエス様の教え、「わたしは道であり、真理であり、命である」導きを深めているということです。「わたしの子たちよ。これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりではなく、全世界の罪を償ういけにえです」と示しています。道であり、真理であり、命であるイエス様の導きに委ねて生きることを教えているのです。
 今朝の新約聖書ヨハネによる福音書14章1節から14節までですが、次の15節に「あなたがたは、わたしを愛しているならば、私の掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と示されています。「喜びの人生を歩む」ために、「弁護者」であるイエス様がおられることを教えています。「弁護者」はギリシャ語ではパラクレートスという言葉です。このパラクレートスは「一緒に呼び出される者」であります。すなわち、裁判においての弁護士であります。一緒に呼び出されて、弁護してくれるのです。「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者」がいるということです。「たとえ罪を犯しても」と言われますが、罪から遠ざかろうと努力しているのですが、人間的な弱さがあり、結果において罪を犯してしまうのです。しかし、そのためにパラクレートスのイエス様が私を導いてくださっているのです。繰り返しパラクレートスのイエス様が私に対して忍耐をもって導いておられることを、しっかりと受け止めたいのであります。
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 前週の5月10日は私の78歳の誕生日でありました。78年間の人生を振り返り、神様の絶大な御導きを示されております。ここに示されている「たとえ罪を犯しても」との言葉が重くのしかかってきますが、罪から遠ざかろうと努力してまいりましたが、人間的な弱さがあり、結果において罪を犯してしまっています。しかし、パラクレートスのイエス様が共に歩んでくださっていることに希望を持って今日まで歩んでまいりました。
 今朝は母の日を覚えつつ礼拝をささげていますが、私の今日までの信仰の人生の基は私の母であります。母の導き、母の励ましにより信仰の人生へと導かれたのであります。日本の太平洋戦争における敗戦から3年を経た頃、母は病院で療養中でありました。ある日のこと、見知らぬ子ども達が病室を訪問しました。花を差し出しながら、回復の言葉をかけてくれたのです。見れば、私の兄を亡くしたばかりであり、同じような年齢の子ども達から花束を贈呈され、感銘深く受け取ったのでした。それは6月の第2日曜日のことでした。いわゆる「こどもの日・花の日」の行事として、近くの日曜学校の子ども達がお見舞いしてくれたということです。このことを深く受け止めた母は、その後退院しますと、早速私をその教会の日曜学校に連れて行ったのでした。私が小学校3年生のときであります。花を贈られた礼を述べながら、今後息子を通わせますから、よろしくお願いしますというわけです。それからは日曜日になると、母は私を無理やりに日曜学校に送り出しました。自分の気持ちではなく、母の思いにおいて日曜学校に通ったということです。3年生のときは途中からでしたが、4年生、5年生、6年生のいずれも精勤賞をもらうほど、学校の運動会で休むほかは休むことなく日曜学校に通わせられました。中学生になってからは二人の姉が出席していた横浜の清水ヶ丘教会に通うようになり、そこで高校3年生のときに洗礼を受け、その後伝道者への道が導かれてきたのであります。
 母は鈴木家の浄土真宗の信仰を持っていましたが、自分を喜ばせてくれた日曜学校の生徒たちに感銘を与えられたのです。自分の子供も、人様に喜んでもらう、そういう人になってもらいたい、それが母の祈りになりました。私は、今日まで、その母の祈りを常に示されながら歩んできたのです。人様に喜んでもらう人になるには、イエス様のお導きに委ねることであります。私は、小学校を卒業してからは私立中学に進みました。公立の中学があるのに、私立中学に進むほど豊かではありません。毎月、月謝というものを納めるのですが、母は月謝を私に渡しながら、「これは貯金のつもりなんだよ」と言うのです。考えようによっては、嫌な言い方かもしれませんが、今では母の貯金として、私の存在があるのです。人様に喜んでもらう人になる、その貯金を崩しながら、私の今があるのです。イエス様のお導きに委ねつつ歩む人生、「喜びの人生を歩む」ことになるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。私たちを御心によりお導きくださり感謝いたします。いよいよお導きに委ねて歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。