説教「光に導かれている喜び」

2016年10月30日 横浜本牧教会
「降誕前第8主日

説教、「光に導かれている喜び」 鈴木伸治牧師
聖書、創世記3章1-7節
    ヨハネによる福音書3章16-21節
賛美、(説教前)讃美歌21・377「神はわが砦」
    (説教後)讃美歌21・567「ナルドの香油」   


 本日は久しぶりに講壇に立たせていただき、御言葉を取り次がせていただくお恵みを感謝しています。2010年4月から9月までの6ヶ月でしたが、代務者そして幼稚園の園長を務めさせていただきました。それ以来となると6年ぶりになりますが、その後にお招きをいただいています。2013年11月24日でした。前任の牧師から、お招きの電話をいただいたとき、伝道礼拝でもなく、特別礼拝でもなく、何でお招きをいただくのか尋ねました。そしたら隠退牧師だからというのです。お招きをいただく日は謝恩日ということで、その日はこちらの教会にも関係が深い牧師をお招きの予定であったようですが、断られたというのです。もう高齢になっているからでもあります。隠退牧師であるからとの理由でお招きをいただくこと、ありがたいことですが、なんとなく気が抜けるようでしたが、もちろんいやいやながら説教したのではなく、喜びつつ御言葉を取り次がせていただきました。そのようなことを思い起こしながら、今月から月に一度ですが、御言葉を取り次がせていただくこと、やはり隠退牧師としてお招きをいただいたときとは姿勢が異なると思います。今も隠退牧師には違いありませんが、この10月から早苗幼稚園の園長を務めさせていただいていることもあり、再び現役に戻った思いで御言葉を取り次がせていただくのであります。
 2010年9月で横浜本牧教会の代務者、早苗幼稚園の園長の職務が終わりまして、その10月からは無任所牧師になります。隠退するのは2011年6月ですが、どこの教会にも所属しなくなりましたので、さて、日曜日はどこの教会に出席しようかと夫婦で話し合っていました。そのように思案していましたが、夫婦二人でありますが、自宅で礼拝することにしたのです。9月に代務者を退任しましたが、その後も日曜日の礼拝説教は作成していました。その説教はネットで公開しています。説教ができている、牧師と信徒がいるということで、六浦谷間の集会として夫婦二人で礼拝を捧げるようになったのです。夫婦で礼拝を捧げるとき、最初、躊躇したのは、説教を語る場合、どのような言葉で御言葉を取り次ぐかということです。礼拝の会衆は連れ合いのスミさんだけです。教会でお話しするように、「○○であります」とか、「です。ます」調ではお話ししにくいということです。それで、説教は作成されているので、プリントを読み上げることにしたのでした。だから丁寧な言葉であっても、プリントを読んでいるのですから、連れ合いのスミさんに丁寧な言葉で語ることができるのです。プリントを読んでいると、この字は間違っているとか、こういう言葉の使い方はない等といろいろと指摘されます。連れ合いのスミさんは漢字にはうるさい人で、良く気がつくのです。しかし、そのように指摘された説教をネットで公開しますので、ちょうど良い校正の時にもなっています。
 自宅ですから、礼拝中にもいろいろなことがあります。お祈りの最中に電話があったり、宅急便さんやら郵便局等が来たり、お巡りさんが来たこともありました。家の住民調査とかで、調査書には両親の名まであり、亡くなった経緯等を話したりして、結構中断することもあります。あるいはまた、説教中、連れ合いのスミさんがいなくなります。いなくなっても一人で説教を読み進めています。寒くなったので、羽織るものを取りに行ったのでした。そして、最後の頌栄が歌われ、祝祷が行われ、その後二人で「あなたに平安がありますように」と挨拶するのです。この挨拶は大塚平安教会時代に行っていました。礼拝が終わり、互いに平安を祈りつつ挨拶を行うのです。
 こうして、隠退をしていますが、神様に向かう姿勢は隠退してはいません。死ぬまで神様に向かいつつ歩みたいのであります。どのような状況に置かれましょうとも、「光に導かれている喜び」があり、神様に向かいつつ歩むことです。
さて、今週は、明日になりますが、10月31日は宗教改革記念日であります。宗教改革記念日と申しますと、この日によってプロテスタント教会が存在するようになったのです。それまでの教会をローマカトリック教会と称しています。カトリックと言うのは「公同教会」と言う意味です。カトリック教会を旧教と言い、プロテスタント教会を新教と言うのは間違いです。プロテスタントと言うのは、「プロテスト」、「抗議した」と言うことです。今までのカトリック教会に抗議してできたのがプロテスタント教会と言うことになるのです。16世紀にプロテスタント教会ができたのですが、まだ500年の歴史です。それに対してカトリック教会は紀元313年にキリスト教が公認されてからの歴史だとすると、1700年の歴史を歩んでいたのです。
キリスト教ローマカトリック教会として発展していきます。中世の時代、16世紀になりまして、当時のカトリック教会は、大きな教会を造ることが目的であり、人々の献金を奨励するのです。その一つとして「免罪符」を発行して売り出します。この免罪符というお札を買うことによって、どんな罪も赦されるというのです。こんなにありがたいことはない訳で、人々は競って免罪符を買ったのでした。「あなたがたが免罪符を買うために、お金を箱に入れた瞬間にあなたがたの罪は赦される」との触れ込みです。マルチン・ルターはまずそのことに疑問を持ちます。そして、図書館で聖書に出会うのです。当時のキリスト教は聖書など用いないし、知らないのです。教父と言われる人たちが教えるもので、それで信仰が導かれていたのです。ルターは初めて聖書を紐解き、初めてイエス・キリストの救いの導きを知ったのでした。聖書を読めば読むほど、今のカトリック教会は間違っていることを知るのでした。人が救われるのは、免罪符ではなく、信仰によって義とされると言う信仰へと導かれたのです。そこで、ルターは95の問題点を書き、教会の扉に張り出しました。1517年10月31日であります。それが大きな波紋となり、激しく論争が展開されるのです。ルターはカトリック教会から破門されることになりますが、そのルターを引き受けたのがドイツの国でした。ヨーロッパの国々はかねてよりローマ・カトリック教会に対して良い思いをもってなく、ルターが反旗を翻したとき大いに喜んだのでした。ドイツに逃れたルターは聖書に向かい、聖書から信仰を強められて行ったのです。ルターと共に各国で宗教改革運動が始まりました。フランスではカルバンという人が聖書に根ざした新しい信仰を人々に示しました。まさに聖書は新しい歩みを導いてくれるのです。カトリック教会にプロテスト、抗議してできたのでプロテスタント教会と称しました。それが今から500年前です。日本にプロテスタントキリスト教が伝えられるのは2009年の年で150年でした。まだ150年しか経っていないのです。

 キリスト教の簡単な歴史をお話しましたが、カトリック教会にしても、プロテスタント教会にしても信仰の内容は同じです。どちらも聖書を聖典として、信仰の基としています。イエス・キリストの十字架による救いも、同じように信仰の原点としています。十字架による罪の救いを信じているのです。今、私達は「新共同訳聖書」を用いています。この聖書はカトリックプロテスタントの聖書学者が共同で聖書を訳しなおしたのです。その場合、問題となるのは固有名詞でした。カトリック教会では「イエズス・キリスト」でありますが、プロテスタント教会は「イエス・キリスト」です。この「イエス・キリスト」の固有名詞は社会的にも広まっているので、カトリック教会は妥協したのです。今まで「イエズス様」と称していましたが、「イエス様」と呼びかけるようになったのです。
ルネッサンスの時代に触れましたが、堕落すること、本来の道から外れること、これは人間が根本的にもっている罪があるからです。その罪とは自己満足であり、他者排除というものです。人間は存在が始まった時から、この罪なる姿をもっていたのです。
 聖書の旧約聖書、創世記3章は人間の原罪を示す聖書です。人間の根本的な罪を示しています。神様が天地創造をされたことは創世記1章、2章に記されています。聖書は創世記に、天地は神様によって創造されたと記しています。聖書によりますと、最初は混沌とした状況であり、その混沌に神様が言葉を与えます。「光あれ」と神様が言葉を与えますと、光が現れ、闇と光を分けられたと記します。神様は順次言葉を与え、陸ができ、動植物ができて行くのです。いかにも神話です。これをもって、天地の始まりであるとは、もちろん科学的には言えないわけです。しかし、科学者が天地の始まりを調べれば調べるほど、限りなく言えることは、神様が最初を造られたということです。聖書は天地創造を科学的に証明しようとしているのではありません。天地創造を記すことによって、神様のメッセージを与えているのです。何が何だか分からない状況に神様の言葉が与えられる、すると見えるようになる、形あるものができてくると言うことです。何が何だか分からないこの社会、だからこそ、神様の言葉が与えられていることを受け止めなければならないのです。
 そして、人間も創造されました。人間創造の一つの資料は創世記2章7節に記されます。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と示しています。ここでは神様が粘土で人の形を造る。しかし、まだ人間ではない。その土の形の顔の鼻に神様の息を吹き入れた。すると人間は生きる者になったと記しているのです。すなわち、人は神様の「命の息」をいただいて生きた者として存在するのですが、その神様の「命の息」から離れ、人の思いに生きるとき、罪が生まれてくることを聖書は示しているのであります。
神様はアダムさんを造り、そしてエバさんを造りました。そして、二人をエデンの園に住まわせられるのであります。そして「園のすべての木からとって食べなさい。ただし、善悪の知識の木から取って食べてはならない」と命じたのであります。二人は神様の戒めを守りつつエデンの園で過ごしていました。ある日、最も賢い蛇が現われ、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と二人を誘惑するのです。二人は今まで神様の戒めだからと、禁断の木には近づかなかったし、忘れてもいたと思われます。しかし、改めて「そうなの?」と聞かれると気になるのでした。そして、改めてその木を見ると「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた」のであります。神様の「命の息」をいただいているのに、それはどこかに行ってしまい、今は自分の満足をさせることが優先されているのです。食べること、美しいこと、賢いこと、人間の根本的な願いなのであります。これらの人間の欲望を満たすために、つい人を押しのけてしまうのです。人を切り捨ててしまうのです。これが人間の原罪であると聖書は示しているのです。創世記は神様の「命の息」から離れることにより、原罪におちいることを示しているのです。常に「命の息」を保っていなければならないのです。それができない人間の弱さを創世記は示しています。結局、旧約聖書は神様のお心に生きることができない人間の歴史を記しています。

神様はそのような弱い人間でありますが、人間をあきらめません。人間が永遠の神の国に生きることができるように、御子イエス・キリストをこの世に生まれせしめたのでありました。新約聖書ヨハネによる福音書3章16節以下に記される神様のお心に希望が与えられています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と示されています。神様がイエス・キリストを世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、イエス・キリストによって世が救われるためであります。イエス・キリストによって神様の「命の息」が人々に与えられ、その「命の息」によって永遠の神様の国に生きるものへと導かれるのであります。その命の息を与えるイエス・キリストを、聖書は「光」として示しています。「光が世に来たのに人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ」と示し、闇すなわち人間の原罪に生きる姿を指摘しているのです。こうして原罪を求めて生きてしまう私たちでありますが、光は常に私たちの前にあり、私たちを導いておられるのです。光に導かれた人々が永遠の神様の国に召されるのです。その光はイエス様の十字架から発せられているのです。それは原罪からの救いでありますが、苦しみからの解放であり、悲しみへの慰めが十字架であるのです。イエス様が十字架にお架かりになったのは、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」ためでありました。悲しく生きるときも、苦しみを持って生きるときにも十字架を仰ぎ見ることによって平安が与えられ、この状況を、勇気を持って生きる者へと導かれるのであります。神様は、天地万物をお作りになる時、最初に「光あれ」と言われましたが、私たちを導く宣言でありました。その宣言の中に、イエス・キリストの十字架の救いを示しているのです。

 今朝は「光に導かれている喜び」を示されています。「光あれ」と聖書はまず救いの原点を示されました。人間が根本的な原罪を持つ姿であってもイエス・キリストの十字架を通して救われているのであります。カトリック教会、プロテスタント教会、その他、信仰を持つ姿勢が異なりますが、キリスト教はイエス様の十字架の救いが基なのであります。カトリック教会に対してプロテスト、抗議してできたプロテスタント教会ですが、今は互いの信仰を尊重しつつ歩んでいるのであります。
 私どもの娘がスペインのバルセロナでピアノの演奏活動をしていますが、先日は一時帰国しまして、倉敷や神戸でコンサートを開かせていただきました。10月2日の日曜日にはこちらの教会に出席させていただきまして、礼拝後の歓迎会でピアノを演奏させていただきました。
娘はバルセロナに滞在すること15年になります。私たちも三度バルセロナで滞在しました。2014年10月に、娘はスペイン人と結婚することになり、サグラダ・ファミリア教会で式を挙げることになったのです。その教会の神父さんが、娘の羊子の父親がプロテスタント教会の牧師であることを知り、それでは一緒に結婚式の司式をしましょうと言ってくれました。サグラダ・ファミリア教会で神父さんと牧師が結婚式の司式をする、前代未聞のことですが、不思議な結婚式が行われたのです。さらに、滞在しているうちにもクリスマスを迎えました。羊子は別の神父さんの教会で、ミサの奏楽をすることになりました。私たちも一緒にミサに出席したのです。そしたら、そこの神父さんが私も一緒にミサを行うように勧めるのです。戸惑いましたが、神父さんのガウンを着て、カトリック教会のミサを司ったのでした。プロテスタントの牧師がミサを司ること、これも前代未聞です。こうして、私自身、カトリック教会の神父さんたちとお交わりが導かれたのです。
 隠退牧師として夫婦二人で礼拝をささげていますが、やはり牧師としてサクラメント、いわゆる聖礼典を執り行うことが喜びなのです。ですから、そろそろバルセロナに行こうかな、と思っていました。結婚式をさせてくれるは、ミサを行わせてくれるは、ですから行こうと思っていましたらこちらの教会の職務に導かれたのであります。
「光に導かれている喜び」は、まず十字架を仰ぎ見ること、御心を求めることです。御心を求めれば。すぐに与えられるのでしょうか。なかなか示されないこともありますが、光に導かれている喜びをまず持つことです。教会で礼拝を捧げること、イエス様の十字架の救いをいつも示されることです。私たちの生活がどのようになりましょうとも、私たちはイエス様の光に導かれているのです。その喜びをいただきつつ、日々の歩みを導かれたいのであります。神様が「光あれ」と言われ、私たちの現実にイエス様を与えてくださっているのです。私たちは神様が、「光あれ」と言われた中に導かれていることをしっかりと受け止めたいのです。教会に導かれていること、教会付属の幼稚園に関わっていること、神様の光の中に入れられていることなのです。「光に導かれている喜び」をさらに増し加えたいと今朝は示されたのであります。
<祈り>
聖なる神様。イエス様の光によるお導きを感謝いたします。光を掲げて歩むものへとお導きください。イエス・キリストの御名によっておささげいたします。アーメン。