説教「日々、新しく生きる」

2016年8月21日、野毛山教会 
聖霊降臨節第15主日

説教、「日々、新しく生きる」 鈴木伸治牧師
聖書、出エジプト記13章17-22節
    ヨハネによる福音書8章12-20節
讃美、(説教前)讃美歌21・360「人の目には」
    (説教後)讃美歌21・505「歩ませてください」


 日々、新しく生きること、私たちの願いであります。新しく生きて、一日が祝福のうちに導かれること、そのような日々であることを願っています。そうであれば、きっと私の目標の人生を着々と歩むのではないでしょうか。そうであれば、家庭にあって、社会にあって、人との関係にあって、何もかも良く導かれるのではないでしょうか。と、私たちは思うのです。しかし、「新しく生きる」とはどういう生き方なのでしょうか。今までの自分とは違う、そういう生き方を思ってしまいます。今までの自分とは違うといっても、この世に生きているのですから、今までと同じ日々の歩みがあるということです。
 前任の大塚平安教会を退任したのは2010年3月からでした。そして4月からは横浜市金沢区にある家に住むようになっています。私は、もともとこの家で成長したのです。生まれは横須賀市浦郷町というところでした。そこは日本軍の追浜飛行場があるところで、戦争が激しくなり、飛行場付近は危険であるということで強制的に転居させられたのでした。私が4歳頃のことでした。23歳で神学校に入ってからは家を出ての歩みとなります。東京の青山教会を始めとして宮城県の教会でも牧会しましたが、神奈川県の大塚平安教会の牧師として30年間務めました。その大塚平安教会を退任して、成長した実家に住むようになりましたが、47年ぶりに戻ってきたというわけです。隠退後は成長した家で生活するようになっていますが、今年は隣組班長という役目を担うようになりました。住民として順番なのですから、引き受けています。戸惑うのはお祭りです。どこの地域もお祭りは、地域の活性化のために、地域として力を入れています。住んでいる地域も、お祭りには神輿や屋台がやってくるので、その接待をします。私はキリスト教だから、神道のお祭りには協力できないと言うわけにはいかないのです。飲み物や食べ物を出したりして、神輿を担ぐ人、屋台を引っ張ると人達の接待をするのでした。
 皆さんも地域に住むことで、不本意ではありますが、協力しなければならないことがあるでしょう。しかし、協力したからといって、自分は神道の信者になったと言うわけではありません。地域と共に生きながらも、自分としての歩みが導かれているのです。昔、日本キリスト教協議会の中に宗教研究所がありますが、その研究所が主催して、諸宗教の研修が行われていました。その研修会の中で、今も解せない思いを持っていることがあります。カトリック教会を学ぶ研修会があり、ミサに出席しました。カトリック教会では、ミサにおいては必ず聖餐式が執行されます。ところが研修の責任者は、我々はプロテスタントであるのでと言い、研修参加者には、ミサの聖餐式には与らせなかったのです。同じキリスト教であり、何故ミサにおいて聖餐式に与らなかったのか、今も心に残っています。
娘がスペインでピアノの演奏活動をしていますので、大塚平安教会を退任して以来、三度バルセロナに滞在ました。二ヶ月、三ヶ月生活するうちにも、娘がカトリック教会でミサの奏楽をしていますので、私達もミサに出席し、聖餐式にも預かっていました。娘は近くにはプロテスタントの教会がないので、カトリック教会に出席するようになっているのです。今ではサグラダ・ファミリア教会のミサの奏楽も担当しています。2014年にも約三ヶ月、バルセロナに滞在しました。丁度クリスマスで、娘は知り合いの神父さんの教会のクリスマス・ミサの奏楽を担当することになり、私達夫婦も一緒にミサに出席しました。すると、そこの神父さんが、私も一緒にミサを司るようにと言われるのです。びっくりしましたが、神父さんのガウンを借りてミサを一緒に担当させていただいたのです。奨励までさせられました。もちろん娘がスペイン語に訳してくれたのです。そして、そのミサにおいて聖餐式が行われ、神父さんと共に司らせていただきました。プロテスタントの牧師が、カトリック教会のミサを担当し、聖餐式まで司る、前代未聞でありますが、それぞれの信仰のもとに、神様に向かうことが導かれたと思っています。
 私の思い出話しをしているようですが、どのような状況に置かれましょうとも、神様に向かう姿勢は新しい歩みであると申し上げたいのです。どのような状況になりましょうとも、神様に全身を向けているのです。日々、新しく導かれているのです。
2.
 旧約聖書出エジプト記13章17〜22節により神様の導きが示されています。「火の柱、雲の柱」との表題であります。21節に「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」と示されています。常に神様の導きが先立ってあることを示しているのです。出エジプト記は聖書の人々がエジプトの国で奴隷として生きること400年間、その苦しみを神様が受け止め、モーセを通して脱出させたことが記されています。当初はエジプトに寄留する聖書の人々ですが、次第に聖書の人々が増えていくことに恐れをなしたエジプトの王様ファラオが、聖書の人々を奴隷にしてしまうのであります。希望もなく、日々、苦しみに生きていた人々でした。神様はモーセを通してエジプトに審判を与え、聖書の人々を解放したのでありました。それについては出エジプト記に記されています。
 17節、「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかも知れない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた」と示しています。今、聖書の人々は新しい歩みが導かれているのです。しかし、人間は困難な状況になると、元の道に引き返そうとするのです。戦いをすることになれば、奴隷でもいいから、エジプトに帰りたいと思うこと、神様はお見通しでした。そのことは、この後も繰り返し動揺する人々にありました。聖書の人々が葦の海、紅海に向かったとき、エジプトの軍隊が追いかけてくるのです。そして、前方は海になります。どうにもならないと人々は思いました。それで、モーセに詰め寄るのです。それは14章11節以下に記されます。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なしめるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか」というのです。この時、神様は海の水を分け、人が通れる道を海の中に造りました。人々はその道を通って向こう岸に行くことができました。追いかけてきたエジプトの軍隊もその道を通っていくのですが、その時、海は元のようになりエジプトの軍隊は海に沈んでしまうのでありました。昼は雲の柱、夜は火の柱が新しい歩みを導いているのです。
 このことは、この後も続きます。海の中を渡るという驚くべき神様の導きを経験しながら、今度は食料が無くなったということで不平を言います。その時、神様はマナという食べ物を与えます。40年間の荒れ野の旅の間、マナを食べて導かれたのでした。その他にも、水の問題もありました。その時も人々はモーセに詰め寄りますが、神様は水を与えています。神様の恵みを示され、与えられても、なかなか確信に至らない人々であったのです。
 「雲の柱、火の柱」が人々を導いたと示されています。これは神様のご臨在を示しています。具体的に考えてしまいます。入道雲のように前方にあり、その方角に進んだということでしょうか。火の柱は燃える大きな松明のようなものが先立って進むのでしょうか。聖書学者の中には、地平線に見える活火山の火と煙が導きの象徴として考えられたと説明しています。しかし、具体的に考える必要はありません、神様が確実に先立ち、人々を導いていることを示す証であるのです。神様は現実におられて、先立って進まれているということです。日々、新しい歩みへと導いてくださっているのです。
3.
 主イエス・キリストは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と示されています。新約聖書ヨハネによる福音書8章12〜20節が今朝の聖書であります。今朝の聖書の冒頭、12節に「イエスは再び言われた」と示しています。再び言ったということ、それは前の段落で言われたことでありますが、8章11節で「わたしもあなたを罪に定めない、行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われたのであります。この8章には罪を犯した人が、イエス様と出会ったことが記されています。 人々が罪を犯した人をイエス様のところに連れてきます。この罪を犯した人は石で打ち殺せと戒律に定められているが、あなたならどうするかと言うのです。それはイエス様を試すためで、答え方によっては訴える口実になるのです。イエス様はかねてより救いの教えを示しており、そのイエス様が、戒律通りに石で打ち殺せというなら、人々は失望するでしょう。逆に石で打ち殺してはいけないと言えば、戒律違反ということで訴えることができるのです。どちらとしても言えない状況でありました。その時、イエス様は「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この人に石を投げなさい」と言われました。これを聞いた人たちは、一人去り、また一人去り、結局、この人を連れてきた人たちは誰もいなくなってしまったのです。「罪を犯したことのない者」と言われたとき、やはり自分には思い当たることがありました。誰も石を投げられなかったのです。「わたしもあなたを罪に定めない」とイエス様は言われました。この人は、大きな希望を与えられて、新しい人生を歩み始めたと示されるのです。
 「あなたを罪に定めない」と言われたイエス様は、再び言われたのです。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と示されたのであります。イエス様の光に従う者は暗闇の中を歩まないのであります。もはや罪を犯す状況はありません。イエス様の光の中にいるからであります。ヨハネによる福音書は主イエス・キリストが世の光として来られた事を証しています。まず1章1節以下に「初めに言があった」と書き始め、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」と示しています。この言をイエス・キリストに置き換えれば良いのです。9章5節にはイエス様が「わたしは、世にいる間、世の光である」と示されています。12章35節にはイエス様が「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい」と示しています。このようにイエス様を光として人々に示していますが、それは、ヨハネによる福音書はイエス様が世の人々に永遠の命を与えるために来られた事を証するからであります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と示されています。これがヨハネによる福音書の示しなのであります。
4.
 個人的なことですが、私の姉の信仰の人生をお話しさせていただきます。姉は約20年前に召天しました。15年間、病と闘いながら天に召されたのであります。姉は若いときに信仰に導かれました。清水ヶ丘教会の草創期でした。日曜日に礼拝に出席して、家に帰りますと、当時の倉持芳雄牧師の説教を初めから終わりまで母に語り聞かせていました。キリスト教信者でもない母が、姉が喜びつつお話しする説教の内容を聞いていたことも、示されています。私は五人兄弟でしたが、すぐ上の兄は、日本の敗戦後、小学校3年生でなくなっています。上の三人は姉たちで、二番目と三番目は結婚して家にはおりません。私は高校生の頃、将来は伝道者になる導きを与えられていました。しかし、なかなか神学校に入れなかったのは、私は末っ子でもあり、両親が次第に年を重ねている状況でした。だから、私が牧師になると、両親と一緒には住めなくなるし、両親を放り出して牧師になるということには、躊躇していたのです。そういうときに姉が、「お父さんとお母さんとは私が暮らすから、あなたは牧師さんになりなさい」と励ましてくれたのです。それで私は牧師の道を歩むことになりました。最初の青山教会で4年間、宮城の陸前古川教会で6年半の牧師をして神奈川県の大塚平安教会に赴任することになりました。それから間もなくでありますが、姉が病を患うようになり、その後入退院を繰り返し、父が亡くなってから二年後に姉も天に召されたのであります。姉が召されたとき、姉は私に対して責任を果たしてくれたとつくづく示されました。「お父さんとお母さんとは、私が一緒に暮らすから、あなたは牧師さんになりなさい」と励ましてくれたこと、その両親を送って、「責任を果たしたよ」と私に言いつつ天国に召されたと思っています。
 その姉は、だんだんと手足が動かなくなっていくのですが、それでも毎日、日記を書いていました。日記の最後には必ず、「今日も一日生かされて感謝」と記しているのです。病に過ごしながらも、今日も一日生かされたという喜びを記しているのです。その姉は、朝目覚めるとともにイエス様の光をいただいていたと思います。今日もイエス様のお導きの光がある、その喜びを持ちながら、病と闘いながら過ごし、一日が終われば「今日も一日生かされて感謝」と喜びつつ眠りについたと示されているのです。
 私達の前にはイエス様の光が輝いています。光の中にいるから、何をしても良いというのではありません。イエス様の光が、必ず私達の歩む道を照らしてくださっているのです。光の道を歩む私達は「日々、新しく生きる」存在であることを今朝は示されたのであります。日々、新しく生きる祝福の人生へと導かれているのです。喜びの人生なのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様の光を私達にくださいまして感謝致します。光をいただき、日々、新しく歩むことができますよう導いてください。主のみ名によって祈ります。アーメン。