説教「慈しみが与えられ」

2016年8月14日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第14主日

説教、「慈しみが与えられ」 鈴木伸治牧師
聖書、出エジプト記34章4-9節、
    ヨハネによる福音書8章1-11節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・162「あまつみつかいよ」
    (説教後)讃美歌54年版・502「いともかしこし」


 8月も半ばとなり、日々暑い日を過ごしています。明日は8月15日であり、日本の敗戦記念日であります。先日は今の天皇陛下の「お言葉」がテレビで放映され、日本中の人々がテレビの前に集まったと思います。約11分間、天皇陛下は今の気持ちを述べたのであります。それは80歳を過ぎている天皇が、象徴天皇としての公務を司るには無理が出て来つつあるということであり、直接には言いませんでしたが、生前退位ということでした。象徴天皇としての務めを、今の天皇に対して軽減するのではなく、務めを果たせる存在が必要であるということなのです。生前退位という言葉を使うことは憲法上できないので、その気持ちを述べたということです。政府もこの天皇の「お言葉を」を受け止めており、今後は論議されて行くようです。その天皇の「お言葉」がテレビで放映されるということで、日本中の人々がテレビの前に集まりました。その様子を示されながら、1945年(昭和20年)8月15日の「玉音放送」を思いだしていました。日本中の国民が玉音放送のラジオの前に集まり、襟を正して聞いたのでした。その放送を聞いて悲しむ人、喜ぶ人がいたのです。とにかく天皇陛下のお言葉に、全国民が頭を下げて聞いたのです。今回も天皇の「お言葉」ということで、ほとんどの人々がテレビの前に集まったのではないでしょうか。玉音放送の時、その頃、私は6歳でした。8月15日、両親や姉たち、そして近所の人もいたと思いますが、一緒にラジオの前にかしこまって聞いていました。昔の我が家のラジオは天上のすぐ下に置かれており、高いところから天皇陛下の声を聞いたのでした。その時の様子はほとんど覚えていませんが、それを期に戦争が終わったことを示されたのです。そして、私は翌年の4月から小学校1年生になったのでした。
 この「玉音放送」は、日本が戦争に負けたことを述べたものであり、従って8月15日が終戦記念日敗戦記念日と言われるようになっていますが、これはポツダム宣言を受託したことの内容でもあるのです。ポツダム宣言とは、日本の敗戦を受け止める宣言でありました。正式に降伏文書に署名するのは9月2日であります。それにより、各国は9月3日を対日戦勝記念日としているところもあります。1941年(昭和16年)から大東亜戦争が始まりました。後に太平洋戦争というようになりましたが、4年間、日本はドイツやイタリアと同盟を結んだりしながら戦争を展開したのでした。1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原子爆弾が落とされましたが、その前にアメリカ、イギリス等が「日本への降伏要求の最終宣言」が発せられていたのです。なかなか応じない日本に対して原子爆弾が落とされたという経緯があるのです。
 今では8月15日をもって敗戦記念日としていますが、やはりこの日をもって戦争が終わったことを示されることは意義があると思います。何のための戦争であったのか、多くの犠牲者が出た戦争は、絶対に繰り返さないという信念をもって歩まなければならないのです。今、日本の平和憲法を改正しようという動きがある中で、平和憲法を守り続ける姿勢を持たなければならないのです。戦争は悪なのです。その悪の歴史を持つ私達は、常に悪を悔い改めて歩まなければならないのです。歴史を導く神様は、悪の歴史があったとしても、慈しみをもって導いてくださっているのです。今朝は、常に慈しみをくださる神様の導きを示されているのです。

 今朝の旧約聖書は、慈しみを持って導いてくださる神様を示しています。出エジプト記が示されています。聖書の人々はエジプトに寄留するようになります。それはアブラハム、イサク、そしてヤコブの時代になりますが、飢饉、冷害があり、エジプトの大臣になっていたヤコブの子ども、ヨセフのもとに身を寄せるようになるのです。ヨセフ物語は割愛しますが、すべては神様のお導きでありました。時代を経て、聖書の人々がエジプトに住むようになる経緯を知らない王様が、民族が増えて行く聖書の人々に脅威を感じて奴隷にしてしまうのです。奴隷の苦しみが続きます。その奴隷の人々を神様はモーセを立てて救い出すのでした。エジプトを出て、モーセが神様から奴隷の人々を救い出すように申しわたされたシナイ山の麓で宿営をするようになります。数字は確かではありませんが、100万人にもなる人々です。モーセは奴隷の人々を救いだした報告をするため、シナイ山に登ります。そこで神様は十戒を与え、これからは十戒を中心に生きるように示すのでした。十戒は人間が生きる基本的な戒めであります。モーセシナイ山に登ったまま、なかなか戻らないので、聖書の人々は不安になります。それで、金の子牛の偶像を作り、これからは偶像を中心にして生きようと、お祭り騒ぎをするのでした。そこへ、モーセシナイ山から下山します。偶像を中心に踊り狂っている惨状を見たとき、モーセは授かった十戒を偶像に投げつけます。偶像は破壊され、偶像を拝んだ人々は滅ぼされたのでした。
 モーセは再びシナイ山に登ります。神様が授けた二枚の石の板、十戒が刻まれていましたが、それを偶像に投げつけたので、十戒はなくなっていたのです。神様はモーセに石の板を用意させ、再びシナイ山に登るように命じるのでした。そこで、再び十戒が与えられるのです。それが今朝の聖書です。神様はモーセに言われました。「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者」と示しています。神様がご自分の姿勢をモーセに示しているのです。この言葉は十戒にも示されています。神様の戒め、十戒を守らなければ、その責任を子ども、孫の代の三代、四代まで問うと言います。しかし、守れば幾千代にも及ぶ慈しみを与えると約束しているのです。十戒を守らなければ孫の代まで責任を問うのは、酷い神様だと思いますが、しかし、守れば永遠に、末永くお恵みをくださるというのですから、神様の慈しみ、お恵みは大きいと言えるのです。
 今、神様が改めて十戒を与えたとき、聖書の人々の偶像礼拝という大罪を許しておられるのです。まさに神様は憐れみ深く、慈しみを与えられる神様なのです。そこで、モーセは人々の大罪の赦しを願い、この罪深い人々を神様の祝福の民としてくださいとお願いしているのです。こうして再び与えられた十戒です。モーセは奴隷の人々を救い出す使命を果たしましたが、更に人々が神様の祝福の民となるために、十戒を中心にして導いていくのです。十戒を中心にして、いろいろな掟や約束事が定められます。それらを守りながら歩むことが聖書の人々の歩むべき道なのです。その後も神様の約束を守らない人々ですが、神様は時には罰し、滅ぼされますが、忍耐強く、慈しみを与えられる神様なのです。

 旧約聖書の神様は、「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」神様として出エジプト記は示していました。主イエス・キリストが人々の前に現れたとき、まさに旧約聖書の神様をそのまま証されているのです。旧約聖書では、十戒に示されるように、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」との戒めがあります。神様はヤハウエという名であります。昔はエホバと読んでいました。聖書のヘブライ語の発音が良く分らなかったからです。しかし、その後、エホバではなくヤハウエと読むようになったのです。しかし、聖書の人々は神様をヤハウエとは呼びません。「みだりに神様の名を唱えてはならない」と示されていますから、神様の名を言わないで、「主」(アドナイ)と呼ぶようになるのです。このように聖書の人々の信仰に従い、今の聖書は神様の名を直接記さないで、神様の名の部分を「主」と訳しているのです。昔の文語訳聖書は「エホバ」と書いていましたが、口語訳聖書になったときから「主」と書き、神様の固有名詞は書かないことになっています。今の新共同訳聖書も同じようにしています。それ程、畏れ多い神様なのです。旧約聖書の人々にとって、神様は畏れ多い存在なのです。しかし、主イエス・キリストが人々の前に現れたとき、イエス様は畏れ多い神様を「父なる神様」として人々に示したのでした。イエス様は旧約聖書が証しする本来の神様、「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」神様を人々に示されたのでした。
 それが今朝の聖書の示しなのです。今朝はヨハネによる福音書8章に記される「赦し」のイエス様であります。今朝は8章1節からでありますが、その前の7章53節には、「人々はおのおの家に帰って行った」と記されています。人々は仮庵の祭りで都に集まっていたのです。仮庵の祭りは、もともとは収穫祭でした。それが歴史を導く神様の救いの出来事を記念する日に変えられて行きました。先ほども出エジプトについて示されましたが、聖書の人々は奴隷から解放されて、神様の約束の土地カナンへと向かうのですが、40年間、荒れ野を彷徨いながら旅をするのでした。その旅の間は、粗末な家を作っては仮住まいとしながら過ごしたのでした。その神様の導きを覚えるために「仮庵の祭り」を行います。都に集まり、簡単な仮住まいを作っては神様の導きを感謝したのです。今朝の聖書は、その仮庵の祭りが終わったばかりの時です。神様の慈しみを示されたばかりでした。
 イエス様のもとに社会の指導者たちが、一人の女性を連れて来ました。この女性は罪の現場で捕えられた人です。指導者たちはこの女性を連れてきて、イエス様に言うのです。指導者たちは、罪の現場を捕えたので、モーセの戒めによれば、石で打ち殺せと命じているので、イエス様ならどうするかと問うているのです。イエス様を試して、訴える口実を得るためであると聖書は記しています。指導者たちの言い分に対して、イエス様が、この女性を赦してやりなさいといえば、モーセの戒めをおろそかにしているというでしょう。赦さないで、モーセの戒め通り石で打ち殺せといえば、情けを知らないと批判するでしょう。どちらの答えも指導者たちの批判の的になるのです。この様な狡猾な質問は度々ありました。他の意地悪な質問も見ておきましょう。指導者たちの質問は、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているか、適ってないか」という内容です。当時の聖書の世界はローマの支配下にありましたから、ローマの皇帝に対して税金を収めなければなりませんでした。律法とは十戒を中心とした定めです。ローマの皇帝なのか、モーセの定めなのか、どちらに答えても不利になります。ローマに支配されているのであるから、税金を払いなさいと言えば、国民の反感を買うことになるのです。反対にローマの支配者に税金なんか納めなくても良いといえば、ローマに訴える口実になるのです。そこでイエス様が答えたことは、流通している銀貨の皇帝の肖像と名を示しながら、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われたのでした。誠に明解であり指導者たちは驚いたと言われています。今も、イエス様は意地悪な質問に答えなければなりません。
 イエス様は意地悪な質問をされても、しばらくはかがみこんで地面に何か書いていました。しかし、しつっこく質問するのでイエス様は立ち上がり、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この人に石を投げなさい」と言われたのです。「どうする、どうする」と答えを求めていた人々は、このイエス様の言葉に胸を刺されたのです。一人去り、また去り、結局、そこにはイエス様と女性の他は、誰もいなくなったのでした。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。もう罪を犯してはならない」と言われたのです。ここにイエス様の慈しみ、憐れみが示されています。神様は慈しみをくださっているのです。新しい歩みを導いてくださっているのです。

 罪を犯した者が更生する、その取り組みが保護司の制度であり、刑務所や少年院です。大塚平安教会時代、まず横浜保護観察所の保護司を担当しました。少年院や刑務所を出所した人は、しばらくは保護司の指導下に置かれます。毎月、一度は保護司に生活状況を報告するのです。面接をしながら、人々と共に歩むことを示していました。また、その後は刑務所の教誨師、少年院の篤志面接委員を担いました。刑務所では、最初の30分間は聖書をみんなで読み、お話しをし、讃美歌を歌います。その後の30分間は懇談をします。出所したら教会に行ってもいいですか、という質問もありました。大いに勧めましたが、その後の消息は分かりません。刑務所で聖書のお話しを求めている人たちは、他の人たちも同じでしょうが、自らの罪を悔い改めているのです。神様は慈しみを与えてくださっているのであり、新たに歩むならば、必ず祝福への人生へと導いてくださると示していました。皆さんが出所して、社会復帰したならば、まさに慈しみの神様のお導きを信じて歩んでもらいたいのです。少年院では、一対一の面接でした。刑務所ではグループの集会でしたが、個人面接で、今後のことを話しあうのでした。少年たちが悩んでいるのは、出所して、自分の家に帰ることです。近所の人たちは、悪い姿の自分を知っているのです。だから帰るのはつらいというのでした。確かに辛いけれど、もはや昔の自分ではないこと、皆さんに自分から心を開いて声をかけて行くこと、皆さんは必ず受け止めてくださることをお話していました。神様の慈しみ、お導きが与えられていることを示していたのです。
<祈祷>
聖なる神様。常に慈しみを与えてくださり、お恵みをくださり感謝致します。慈しみが原点です。新しい歩みへと導いてください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。