説教「光をいただく人生」

2012年7月29日、三崎教会
「三位一体後第8主日

説教、「光をいただく人生」 鈴木伸治牧師
聖書、イザヤ書49章1〜6節
   マタイによる福音書5章13〜16節
賛美、(説教前)讃美歌21・155「山べにむかいて」
   (説教後)讃美歌21・567「ナルドの香油」


 本日はお招きをいただきまして、御教会の講壇に立たせていただくお恵みを感謝しています。お招きをいただくことになりましたのは、去る6月30日に清水ヶ丘教会で開催された神奈川教区総会にて、こちらの生野隆彦先生にお会いしてしまったからであります。先生は私が既に隠退教師になっていることをご存知であり、だから、今はどこの教会に出席しているかと問われたのです。その時のお答えをここでお話することが、私の紹介になると思いますので、少しお話ししておきます。
 私は1979年に大塚平安教会に就任しました。その時は40歳でありました。日本聖書神学校を卒業して、最初の任地は東京の青山教会でした。4年間、伝道師、副牧師として仕え、その後は宮城県の陸前古川教会に赴任しました。6年半の在任でしたが、在任中に登米教会を1年間、兼務牧師として担いました。そして大塚平安教会に赴任するのですが、学校法人大塚平安学園理事長、ドレーパー記念幼稚園園長も務めながら30年6ヶ月間、務めたのであります。そして、教会の関係施設、二つの知的障害者ホームの嘱託牧師としても務めました。さらに少年院の篤志面接委員、刑務所の教誨師等も担いつつ歩んだのであります。そして、神奈川教区議長や日本基督教団書記を担ったのですから、神様のご用命の多さに驚いてもいたのであります。いよいよ70歳になるのを期にすべての職務を退任したのであります。しかし、2010年3月に退任しましたが、その4月から横浜本牧教会の代務者を仰せつかり、6ヶ月間職務を担うことになりました。そして、その任が終わり、10月からはどこの教会にも所属しないことになりますので、連れ合いとどこの教会に出席しようかと話していたのであります。10月中は今まで関わった教会、私や連れ合いの出身教会に出席したりしていましたが、11月になって、連れ合いと二人だけで礼拝をささげるようになりました。実は、私は在任中から、説教は皆様にお話する言葉をそのまま書いていました。翌週にはその原稿を教会の皆様にプリントして配布していたのです。教会を退任しても、御言葉に向かう姿勢は続けていました。インターネットのブログでその説教を公開していたからです。そして、説教は準備されているのであるから、二人で礼拝をささげようということになり、六浦谷間の集会としての礼拝をささげるようになりました。時には私たちの子供たちやお知り合いが出席されるので、ここでささげる礼拝の意義を示されるようになりました。
 しかし、教会の御用であればお応えしていますので、月一回は横須賀上町教会の礼拝説教と聖餐式を担っております。そうであれば三崎教会においても礼拝説教を担当していただきたいとのお招きを生野先生からいただき、私はすぐに受託させていただきました。これが今回お招きをいただいた経緯ですが、こちらの教会で御用をさせていただくことに喜びをもっています。早速、生野先生からご著書の「三崎の沓跡」をお送りいただき、読ませていただきました。本当に今日に至るまで、三崎教会の祈りの宣教を示されたのであります。生野隆彦先生が2008年9月に神奈川教区伝道委員会研修会でお話された内容が、「三浦伝道の幻」(伝道のよろこび)と題して掲載されていました。三崎教会と生野先生の祈りの伝道を示されたのでありますが、その中で私は大変感銘深い一文を示されました。このような文章です。「もちろん、教会と社会福祉法人の働きは、この両者は相互依存しながら、各々が自主独立した組織と働きでなくてはならない。そして、神の福音の宣教こそがすべてに優先して進められるべきであると考えてきた。その働きは神の助けなくして成し得ぬことであり、43年の歩みの多くは、神の忍耐と憐れみによるものであったことを改めて思わずにはいられない」と記されていました。歴史を見つめたとき、「神の忍耐と憐れみ」と表現されていること、この言葉に深い感動を与えられたのであります。一般的に言うなら、「歴史を導く神様のお恵み」とか「神様のお導き」として現在を感謝するのです。現在を示されるとき、まさに「神様の忍耐」があり、「神様の憐れみ」をいただいていること、そのことをはっきりと告白されていることにたいして、感動を与えられたのでした。
 間もなく三崎教会は50年の歩みになられますが、歴史において「神様の忍耐と憐れみ」の歩みには、神様が変わることなく「光」をくださり、三浦、三崎に存在する三崎教会と皆様を御導きくださっているのであります。今朝は「神様の忍耐と憐れみ」をもって三崎教会を見守ってくださる神様が、「光」を与えて導いてくださっていることを示されたいのであります。

「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」と言われています。旧約聖書イザヤ書49章1節から6節から示されていますが、この言葉は6節に示されています。49章は「主の僕の使命」としてイザヤの預言の言葉が記されています。聖書の人々はバビロンの国に滅ぼされました。多くの人々がバビロンに捕虜として連れて行かれました。それを捕囚の民と称しています。聖書の民族は神様の御心をもって歩まなければならないのですが、指導者達は人間の知恵、力に頼って生き伸びようとしていました。当時の大国、バビロン、エジプト、アッシリア等の大国の狭間で、国の力に依存しようとしたのです。神様の御心を求めることなく、人間の力に頼ろうとしてことが、結果において神様の審判、バビロンに滅ぼされるということでした。そのため、預言者イザヤは、悔い改めて神様の御心に立ち帰るよう預言するのであります。そういう中でバビロンの国はペルシャに滅ぼされることになります。聖書の人々は捕囚から解放されたのです。だから、人々は喜び勇んで都エルサレムに帰るのか。多くの人々は帰らないのです。もはや都を出てから50年になろうとしています。その都は、また神殿は荒廃し、破壊されています。バビロンの生活に慣れ親しんでしまった聖書の人々にとって、なにも荒廃した都に帰る思いはないのです。その時、イザヤは4節で言うように、「わたしは思った。わたしはいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした」と思うのです。50年間を顧みながら、神様の御心に立ち帰るように預言してきたのは、空しいことであったのか、ということです。そのためイザヤは失望をかみしめるのですが、しかし、「わたしを裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのもわたしの神である」と言い、再び神様の導きで立ち上がりました。「主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力」と告白するのです。そして、その時、神様の御声を聞くのです。「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」と新たなる使命を与えられたのです。
50年間、神様の御心を語り続けてきたこと、決して無益ではないのです。自分では「うつろに、空しく、力を使い果たした」と挫折感をもつのですが、力が弱いと思っている預言者に、「国々の光とする」と言われているのです。「光」は明るい希望であります。「光」は喜びであります。その「光」であると言われたとき、その「光」とは、「神様の言葉」であるということです。ただ「光」が希望であるとか、喜びであるというのではなく、「光」が「神様の言葉」あるいは「神様の御心」であるから、希望であり喜びであるのです。それは旧約聖書創世記で示される通りです。
創世記のはじめに天地創造が記されています。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と言うことです。そこで、神様は混沌の状況に言葉を与えます。「光あれ」という言葉です。こうして光があり、闇ができるのです。神様は次々に言葉を与えて天地を創造されました、大空ができ、大地ができ、生き物、植物が造られたと報告しています。神様の言葉が与えられることによって、形ある物が存在するようになったということを聖書は示しているのですが、何よりも第一に「光」が与えられたということです。私は、この創世記の初めの部分が気になってしょうがありませんでした。「光あれ」と神様が言われ、「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」と記されるのです。すると昼には太陽が出て、その光で明るくなり、闇の夜は太陽が隠れて暗くなる、そのように普通の考えになります。だから、ここでは太陽の存在が光と思わなければならないのです。ところが、太陽が造られるのは第四の日であったと記しているのです。創世記1章16節に「神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた」と記しているのであります。これは第四日の創造であり、第二の日は大空が造られ、第三の日は陸と海が造られ、植物や果樹が造られるのであります。太陽と月はその後に造られているのであります。そうすると、最初に神様が「光あれ」と言われた光と闇は何であるかということが疑問になります。「光あれ」と神様の御言葉を与えていますが、その光は太陽を源にしているのではないのです。もう一度、最初の部分を見てみましょう。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と記されています。何が何だかさっぱり分からない状況です。混沌、闇、深淵の状況でありますが、その中に「神の霊が水の面を動いていた」のであります。そこで、神様は「光あれ」と言われたのです。「混沌あれ」と言われたのでも無く、「深淵あれ」と言われたのでもありません。神様はまず「光」を呼ばれ、「神の霊」を呼ばれたのであります。この「神の霊」は2章7節に示されている「命の息」なのです。
創世記2章7節では神様が人間を創造されています。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」と記されています。人間は土で形づくられましたが、まだ人間ではありません。その土の形に神様の「命の息」が吹き込まれて、人間は生きる者となったのです。この「命の息」はルアッハという言葉ですが、他には「霊」と訳され、「風」と訳されるのです。預言者エゼキエルが幻で示された「風」です。人間の枯れた骨が平原一面に散らばっています。そこに「風」すなわちルアッハが吹きまくるのです。人間として立ち上がるのです。使徒言行録の聖霊降臨も、この「風」ルアッハでした。力を無くしているお弟子さん達にルアッハが吹きまくり、お弟子さん達は立ち上がったのです。創世記で、神様は最初に太陽を造ったのではなく、「神の霊」をお呼びになったのです。ルアッハをお呼びになったことが「光あれ」との神様の御言葉なのです。「神様の霊」、ルアッハが神様に呼びだされて、光となったということです。まず「光あれ」と言葉を与えて、祝福の天地創造をなされたのです。祝福の天地でありました。しかし、人間の知恵が神様の祝福を見えなくさせてしまっているのです。しかし、神様はいつの時代でも「光あれ」と言われ、祝福へと導いておられるのです。イザヤに対して、「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」と言われているのは、「光あれ」を実現するためなのです。
この「光」は神様の御言葉であり、御心であるということです。まず神様は御言葉を与え、御心を示し、人々を導いておられるということです。今、イザヤが「国々の光」と言われたとき、国々に、また世の人々に「光」すなわち「御言葉」を与え、新しい存在へと導くことなのです。イザヤの「光」が人々に神様の御心を与えるのです。それにより、人々が真に希望と喜びに導かれ、真の救いへと導かれるのです。
 前週の日曜日、22日午後3時から横須賀上町教会の伝道師就任式が行われました、横須賀上町教会は2010年10月から牧師が不在となり、代務者を立てて今年の3月まで歩んでまいりました。4月から神学校を卒業したばかりの宮澤恵樹さんを伝道師として迎えることになりました。去る神奈川教区総会で准允式が執行されましたので、伝道師就任式になりました。実は私は50年前の斎藤雄一牧師の就任式にも出席しています。斎藤牧師が清水ヶ丘教会の出身でありましたので、私も清水ヶ丘教会員でしたので出席したのであります。それは1961年であり、私が22歳の青年の頃でした。そして、それから30年後の1992年に森田裕明牧師が就任することになります。この森田牧師は私が洗礼を授け、神学校へと送りだしたのです。森田裕明牧師が横浜本牧教会に転任し、代務者を置いての歩みとなったとき、私は月に一度、礼拝説教を担当するようになりました。50年前から横須賀上町教会と関わり、今はお手伝いをさせていただいているのですが、本当に小さな群れです。50年前とそれほど変わらない群れであると思います。しかし、神様はこの小さな群れを「人々の光」としているのであります。新しく就任した宮澤恵樹伝道師を、神様は「世の光」としているのであります。「世の光」は人々に御言葉を与え、御心を示して歩み続けるのであります。祝福の群れであると思っています。

 主イエス・キリストは申されました。「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」と言われ、山上にイエス様のお話を求めて集まった人々を励ましておられます。新約聖書はマタイによる福音書5章13節から16節のイエス様の御教えであります。マタイによる福音書は5章、6章、7章において集中的にイエス様のお話を記しています。それを「山上の説教」と称しています。昔は「山上の垂訓」として小冊子にして配られたものです。最初に「幸い」について教えておられます。私たちのもつ幸福論とは、まるで正反対の教えでもあります。「心の貧しい人」、「悲しむ人」は幸いであるというのですから、理解に苦しむのです。しかし、やはり真の幸せは神様からいただくものであり、自分の満足の幸せではないということを示されるのです。今朝の聖書はその後の教えになりますが、第一に「幸福論」を示し、第二に「私達の使命」をお話しているのです。すなわち、人々に「真の幸い」を与えるのは、神様の御言葉であるということです。それを「光」として示しているのです。「あなたがたは地の塩である」と言われるとき、塩の役目を示されます。腐敗を防ぐ、清める、味を出すような、そういう存在になりなさいと教えているのです。「世の光」についても同じです。人々の中にあって、「光」を掲げることが、世を明るくすることであるのです。塩であること、光であること、イエス様は同じことを言われているのです。創世記で示されましたように、「光あれ」と神様がルアッハを与えられました。その光は、神様の御言葉、御心であることを示されています。今、イエス様も「あなたがたは世の光である」と私たちに言われているのです。

 「あなたがたは世の光である」とイエス様が言われております。それは、太陽の光のように明るいという意味合いではなく、既に示されているように、ルアッハの光、命の息をいただいている光であります。旧約聖書ではこのルアッハに立ち帰るよう預言者たちが活動したのです。私たちにとってルアッハは、命の息は、主イエス・キリストの十字架の贖い、救いということです。イエス様の十字架の御救いが、私達の光なのです。従って、「あなたがたは世の光である」と言われるのは、十字架の救いの喜びが与えられている者としての喜びが光となっているのです。「光をいただく人生」はイエス様の救いの十字架を日々仰ぎ見ることです。いつも光をいただいている私達の人生ではないでしょうか。
 2010年11月より私と連れ合いで二人で始めた「六浦谷間の集会」の礼拝には一人の婦人が時々出席されています。大塚平安教会在任時代に私から洗礼を受けておられますが、お連れ合いの葬儀にはキリスト教葬儀を望まれ、司式を担当しました。今は84歳になられ、追浜に住む娘さん夫婦と共に生活されています。私達が六浦谷間に集会を始めるようになって、月に一度くらいは出席するようになりました。追浜から我が家の自宅まで車で10分もあれば来られるのです。出席されて、聖書は出席されたた皆さんに読んでいただくのですが、大きな声で読まれます。そして讃美歌も大きな声で歌われるのです。お家にいるときは、娘さんご夫婦は働きに出たり、外出が多いので、いつもは一人でおられるのです。言葉を話すお人形さんと共に過ごしているのです。しかし、礼拝に出席されると、大きな声で賛美し、聖書を読まれています。私はこの方が出席されるとき、いつも示されているのですが、「光をいただく人生」は年を重ねても、変わらずに喜びであるということです。
 この三浦、三崎におられる人々に主の光を宣べ伝えて参りましょう。この地に建てられている三崎教会は「光をいただき」、世の人々に十字架の救いの喜びを証して行く使命が与えられているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。主の十字架は、この三崎の地に確実に立てられております。十字架の光を多くの人々に分け与えることができますよう導いてください。主イエス・キリストの御名によりおささげいたします。アーメン。