説教「導きに従う」

2023年1月15日、六浦谷間の集会

降誕節第4主日

                      

説教・「導きに従う」鈴木伸治牧師

聖書・出エジプト記18章13-27節

   使徒言行録16章11-15節

   ルカによる福音書5章1-11節

賛美・(説教前)讃美歌21・280「馬槽の中に」

   (説教後)讃美歌21・401「しもべらよ、み声きけ」

 2023年が始まり、もはや1月15日ですが、この時期に聖書から示されることは主イエス・キリストの最初のお働きです。クリスマスに世に現れた主イエス・キリストでありますが、聖書のルカによる福音書は、イエス様がベツレヘムでお生まれになり、その後ヨセフさんとマリアさんエルサレムの神殿にお宮参りに行きます。それが終わるとヨセフさんやマリアさん達の町、ガリラヤのユダヤに帰ったと記しています。そしてイエス様が12歳になったとき、過ぎ越しのお祭りがあり、両親と共にエルサレムの神殿にお参りに行くのでした。そしてその後はナザレの町で成長していくのであります。少年、青年時代のイエス様については記していません。その次に現れるのはバプテスマのヨハネヨルダン川で洗礼を授けている時、イエス様も洗礼を受けています。イエス様の洗礼の意義については前週の説教で示されています。この時、イエス様はおそらく30歳頃であったと思われます。洗礼を受けてから荒野の試練があり、そして世に現れるからです。イエス様が世に現れて十字架の死を遂げるまでは3年間であり、この期間は公生涯とされています。

 そしてガリラヤで伝道を開始されます。多くの人々に神様の御心を示し、また病人をいやしたと言われます。その様に最初の働きの後に、今朝の聖書に示されるお弟子さんの選任になるのです。新約聖書の始めに福音書があり、主イエス・キリストについての記録がありますが、これはイエス様の伝記ではありません。示されていることは、救い主イエス・キリストの救いであります。ですからクリスマスにお生まれになったイエス様の幼少年時代、青年時代のことは割愛して、公生涯の3年間、イエス様の救いを示しているのであります。今朝はイエス様がお弟子さんたちを選び、いよいよ救いを人々に示していくのであります。

 一年の始めに、イエス様からの導きをいただき、従いたいのであります。

 聖書は福音の働き人を示し、働き人への召しを与えているのであります。旧約聖書は最初の働き人を示しています。聖書の人々、イスラエルの人々はエジプトの奴隷の時代がありました。それが400年続いたと言われます。神様は聖書の人々をモーセと言う指導者を立てて脱出させたのです。今日の聖書は18章ですので、それまでが脱出物語であるのです。脱出物語は割愛しますが、モーセが救い出した人々の先頭に立って、神様が示す約束の土地カナンへと向かっているのです。ところが、エジプトを脱出し、モーセを中心にしていますので、旅の途上、いろいろな問題が出て来ます。人間関係もあり、生活の問題もあり、人々はそれらの問題をみんなモーセのところに持ってくるのです。従って、モーセは一日中人々の問題処理に当たらなければなりませんでした。

 それらの状況を見たエテロはモーセに助言するのです。エテロはモーセの奥さんの父親です。一人で裁いているのではなく、裁き人制度を作りなさい、と言うことでした。モーセに相談に来るのではなく、21節に示されるように、「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、50人隊長、10人隊長として民の上に置きなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があった時だけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができる。この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう」と助言するのでした。モーセはこの助言を受け止め、実行します。

 聖書は福音の働き人は一人の人に求めるのではなく、人々がそれぞれ使命を与えられ、それぞれの福音の職務へと導かれることを示しています。出エジプト記モーセにより奴隷の国から脱出し、一路カナンへと目指すことが記されていますが、今朝の聖書の示しのように、そこにモーセと共に働き人が選ばれ、共に使命を担いつつ約束の地へと旅をすることが示されているのです。約束の土地出エジプト記では「乳と蜜の流れる土地カナン」でありました。その示しが基本になっています。現代に生きる私たちも「乳と蜜の流れる土地」すなわち「天国」に導かれるための歩みをしているのであります。その導きを与えてくださっているのが主イエス・キリストであります。そして働き人として選ばれている私たちが、人々を「乳と蜜の流れる土地」へと導く使命を与えられているのです。

 主イエス・キリストが具体的に働き人をお選びになっておられます。新約聖書ルカによる福音書5章にはお弟子さんをお選びになることが記されています。ガリラヤ地方の町や村で神様の御心を人々に示し、神様の力の証をされたのでした。5章1節以下はイエス様がゲネサレト湖畔に立っていたと記しています。このゲネサレト湖畔は別名ガリラヤ湖とも言われています。かなり広い湖になります。

 水辺にいるイエス様のもとへ大勢の人が、神様のみ言葉を聞こうとして集まってきました。あまりにも接近しているので、少し離れた所からお話することにし、一艘の舟に乗り、その舟からお話をしたのです。漁師たちは舟から上がって網を洗っていたのです。漁師たちが舟の後片付けをしているのですから、これは朝の時間帯です。この地域の漁師さん達は夜に漁をするのです。日中は暑いので魚が湖面に上がってこないのです。それで夜に漁をすることになるのです。イエス様が神様の御心を人々に話し終えると、イエス様は漁師さん達に、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。すると漁師たちは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言うのです。漁師さん達は、イエス様が人々に神様の御心をお話するほどの偉い人だと思っています。自分達は苦労しながら一晩中漁をしたのですが、何も取れなかったのです。それなのに、舟を漕ぎだしなさいとは、考えられないことでもあります。しかし、権威ある方のお言葉として従ったのでした。すると、一晩中取れなかったのに、今はたくさんの魚が網に入りました。偉大な奇跡を見る思いでした。そこでペトロはイエス様の前にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白するのです。

 思いもよらないことを経験した時、そこにおられる存在が偉大な方であることを示されたのでした。その偉大な存在の前で、自分が罪深い者であると、告白せざるを得ないのであります。ペトロの他にヤコブヨハネの兄弟、そして名前が記されませんが、ペトロの兄弟アンデレもいました。彼らはペトロと同じように告白をしたのであります。その時、イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる」と言われました。その招きの言葉をいただくと、彼らはイエス様に従い、お弟子さんになったと示されています。こうしてイエス様も働き人をお選びになりました。このほかに8人選び、12人のお弟子さん達に御心をお示しになられたのであります。

神様の御用のために、モーセが役割分担をしましたが、主イエス・キリストもお弟子さんを選び、働き人の養成を始められたのです。ですから、お弟子さんに選ばれましたが、まだ役割り分担ではありません。これから養成され、次第にイエス様の福音の僕として訓練されて行くのであります。

 日本基督教団の教職制度は二種教職制になっています。神学校を卒業し、教会に赴任しても、まだ牧師とは言われないのです。神学校を卒業して最初の二年間は教会の務めをしながらも補教師としての身分なのです。補教師なので、まだ聖礼典の執行はできないのであります。聖礼典とは洗礼を授けること、聖餐式を執行することです。従って、教会の責任を持ちながらも聖礼典が執行できないのです。そのため牧師である人を招くことになりますが、多くの場合、隠退牧師が求められるのです。私も2012年4月からは横須賀上町教会の聖餐式を担当するようになりました。その年から第二日曜日に説教を担当し、聖餐式を担当するようになったのです。横須賀上町教会は2012年4月から神学校を卒業した若い先生を招いたのですが、まだ補教師でしたので私が担当するようになったのでした。同教会は2017年5月まで担当しましたが、若い先生が正教師になったので、私の任務は終わったのであります。教団の教会はこのような形で、補教師が実践的に学び、正教師になっていくのであります。

エス様の信仰はいろいろな姿勢があります。富士山に登るにはいろいろな登山ルートがあり、それぞれ登りやすいルートで登るのです。私たちはイエス様への信仰を持つとき、いろいろな信仰の持ち方を調べて、その中から選んだのではありません。多くの場合、最初に出会ったイエス様への信仰を持って歩むようになっているのです。そのように立場は異なりますが、イエス・キリストへの信仰は同じなのです。イエス様のお弟子さんに招かれている私たちは、立場や信仰の形態が異なっていても、イエス様のお弟子さんなのです。違いを拾い上げることではなく、救いへと導かれている共通点を数えつつ、共に弟子としての務めを果たしたいのです。「今から後、人間をとる漁師になりなさい」とイエス様は示されています。

<祈祷>

聖なる御神様。福音の僕として私たちをお選びくださり感謝致します。喜びの福音により歩ませてください。キリストの御名により。アーメン。

noburahamu2.hatenablog.com