説教「福音に生きる人生」

2015年1月18日 六浦谷間の集会礼拝
降誕節第4主日

説教・「福音に生きる人生」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記18章13-27節
    使徒言行録16章11-15節
     ルカによる福音書5章1-11節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・413「父のみかみよ」
     (説教後)讃美歌54年版・239「さまよう人々」


 2015年が始まり、もはや1月18日ですが、この時期に聖書から示されることは主イエス・キリストの最初のお働きです。クリスマスに世に現れた主イエス・キリストでありますが、聖書のルカによる福音書は、イエス様がベツレヘムでお生まれになり、その後ヨセフさんとマリアさんエルサレムの神殿にお宮参りに行きます。それが終わるとヨセフさんやマリアさん達の町、ガリラヤのユダヤに帰ったと記しています。そしてイエス様が12
歳になったとき、過ぎ越しのお祭りの時、両親と共にエルサレムの神殿にお参りに行くのでありました。そしてその後はナザレの町で成長していくのであります。少年、青年時代のイエス様については記していません。その次に現れるのはバプテスマのヨハネヨルダン川で洗礼を授けている時、イエス様も洗礼を受けています。イエス様の洗礼の意義につついては前週の説教で示されています。この時、イエス様はおそらく30歳頃であったと思われます。洗礼を受けてから荒野の試練があり、そして世に現れるからです。イエス様が世に現れて十字架の死を遂げるまでは3年間であり、この期間を公生涯とされています。
 そしてガリラヤで伝道を開始されます。多くの人々に神様の御心、また病人をいやしたと言われます。その様に最初の働きの後に、今朝の聖書に示されるお弟子さんの選任になるのです。新約聖書の始めに福音書があり、主イエス・キリストについての記録がありますが、これはイエス様の伝記ではありません。示されていることは、救い主イエス・キリストの救いであります。ですからクリスマスにお生まれになったイエス様の幼少年時代、青年時代のことは割愛して、公生涯の3年間、イエス様の救いを示しているのであります。今朝はイエス様がお弟子さんたちを選び、いよいよ救いを人々に示していくのであります。
 私達夫婦が昨年10月21日から1月7日までスペイン・バルセロナで滞在したことについては、説教の中でもお話ししています。今回の滞在は娘の羊子がスペイン人と結婚するためでありました。結婚式は10月25日でありますが、さらに滞在していたのは、カトリック教会のクリスマスを体験するためであり、そのため顕現祭の1月6日までとしたのであります。今までも二度ほど羊子のもとで滞在しましたが、その時私達は羊子の両親として紹介され、皆さんも親しくお交わり下さったのであります。しかし、今回は羊子の父親でありますが、キリスト教の牧師としての存在として皆様に覚えられたのでありました。サグラダ・ファミリアの教会で結婚式をすることになったとき、司式をしてくださる神父さんが、羊子の父親がプロテスタントの牧師であることを知り、それなら一緒に結婚式の司式をしましょうと提案してくれたのです。カトリック教会の神父さんとプロテスタント教会の牧師が共同司式をするという前代未聞の結婚式となったのでした。列席された皆さんも羊子の父親であるとともにプロテスタントの牧師であると深く受け止めてくださったのであります。そして、12月25日にはクリスマスのミサに出席したのでありますが、その教会の神父さんがミサを一緒に司りましょうと申し出てくださいました。これには驚きましたが、お導きであると信じて共にミサを担当したのでした。それから羊子のお友達に招かれ、夕食をいただいたのでありますが、食前の感謝のお祈りを求められました。過去二回の滞在の時にも、そのお友達に招かれましたが、お祈りということはありませんでした。今回の滞在でプロテスタントの牧師であると覚えられたのであります。
 これらの体験を通して、もはや隠退していますが、牧師としての働きがまだまだ導かれていると示されたのです。ひとたび伝道者としての道を歩み始めたことは、死ぬまで伝道者であると示された次第です。今朝はイエス様のお招きをいただき、伝道者になったお弟子さんたちを示されますが、イエス様の救いを信じて歩んでいる皆さんは、全て伝道者であり、死に至るまでイエス様の救いを人々に証しするのです。その始まりであるイエス様のお弟子さんをお選びになることを示されるのであります。

 聖書は福音の働き人を示し、働き人への召しを与えているのであります。旧約聖書は最初の働き人を示しています。聖書の人々、イスラエルの人々はエジプトの奴隷の時代がありました。それが400年続いたと言われます。神様は聖書の人々をモーセと言う指導者を立てて脱出させたのです。今日の聖書は18章ですので、それまでが脱出物語であるのです。脱出物語は割愛しますが、モーセが救い出した人々の先頭に立って、神様が示す約束の土地カナンへと向かっているのです。ところが、エジプトを脱出し、モーセを中心にしていますので、旅の途上、いろいろな問題が出て来ます。人間関係もあり、生活の問題もあり、人々はそれらの問題をみんなモーセのところに持ってくるのです。従って、モーセは一日中人々の問題処理に当たらなければなりませんでした。
 それらの状況を見たエテロはモーセに助言するのです。エテロはモーセの奥さんの父親です。一人で裁いているのではなく、裁き人制度を作りなさい、と言うことでした。モーセに相談に来るのではなく、21節に示されるように、「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、50人隊長、10人隊長として民の上に置きなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があった時だけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができる。この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう」と助言するのでした。モーセはこの助言を受け止め、実行します。モーセは指導者として全体の人々を見るのであります。
 聖書は福音の働き人は一人の人に求めるのではなく、人々がそれぞれ使命を与えられ、それぞれの福音の職務へと導かれることを示しています。出エジプト記モーセにより奴隷の国から脱出し、一路カナンへと目指すことが記されていますが、今朝の聖書の示しのように、そこにモーセと共に働き人が選ばれ、共に使命を担いつつ約束の地へと旅をすることが示されているのです。約束の土地出エジプト記では「乳と蜜の流れる土地カナン」でありました。その示しが基本になっています。現代に生きる私たちも「乳と蜜の流れる土地」すなわち「天国」に導かれるための歩みをしているのであります。その導きを与えてくださっているのが主イエス・キリストであります。そして働き人として選ばれている私たちが、人々を「乳と蜜の流れる土地」へと導く使命を与えられているのです。

 主イエス・キリストが具体的に働き人をお選びになっておられます。新約聖書ルカによる福音書5章にはお弟子さんをお選びになることが記されています。イエス様はガリラヤ地方で伝道を開始します。しかし、育った故郷では受け入れられなかったことが記されています。ガリラヤ地方の町や村で神様の御心を人々に示し、神様の力の証をされたのでした。5章1節以下はイエス様がゲネサレト湖畔に立っていたと記しています。このゲネサレト湖畔は別名ガリラヤ湖とも言われています。かなり広い湖になります。
 水辺にいるイエス様のもとへ大勢の人が、神様のみ言葉を聞こうとして集まってきました。あまりにも接近しているので、少し離れた所からお話することにし、一艘の舟に乗り、その舟からお話をしたのです。漁師たちは舟から上がって網を洗っていたのです。漁師たちが舟の後片付けをしているのですから、これは朝の時間帯です。この地域の漁師さん達は夜に漁をするのです。日中は暑いので魚が湖面に上がってこないのです。それで夜に漁をすることになるのです。イエス様が神様の御心を人々に話し終えると、イエス様は漁師さん達に、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。すると漁師たちは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言うのです。漁師さん達は、イエス様が人々に神様の御心をお話するほどの偉い人だと思っています。自分達は苦労しながら一晩中漁をしたのですが、何も取れなかったのです。それなのに、舟を漕ぎだしなさいとは、考えられないことでもあります。しかし、権威ある方のお言葉として従ったのでした。すると、一晩中取れなかったのに、今はたくさんの魚が網に入りました。偉大な奇跡を見る思いでした。そこでペトロはイエス様の前にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白するのです。
 思いもよらないことを経験した時、そこにおられる存在が偉大な方であることを示されたのでした。その偉大な存在の前で、自分が罪深い者であると、告白せざるを得ないのであります。ペトロの他にヤコブヨハネの兄弟、そして名前が記されませんが、ペトロの兄弟アンデレもいました。彼らはペトロと同じように告白をしたのであります。その時、イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる」と言われました。その招きの言葉をいただくと、彼らはイエス様に従い、お弟子さんになったと示されています。こうしてイエス様も働き人をお選びになりました。このほかに8人選び、12人のお弟子さん達に御心をお示しになられたのであります。
以前、聖地旅行をしました。このガリラヤ湖のほとりのホテルに泊まりました。朝起きると、何の鳥か、カモメのような水辺で生きる鳥が一列になって湖を旋回していました。とても印象的な情景です。このガリラヤ湖に着いて舟に乗りました。イエス様が漁師さんたちと漁をした体験です。舟に乗ると漁師さんが網を水に投げ入れます。写真を写しやすいように、スローモーションで行います。そのうち日本の国歌と言われる「君が代」が流れてきます。女性のガイドさんは日本人でしたが、しかもクリスチャンであるということですが、私たちに一緒に歌うよう促し、一人大きな声で歌っていました。陸に上がると、食事になりましたが、ガリラヤ湖で取れるピーターズフィッシュという魚を食べさせられました。非常に淡白な魚で、ヒラメとかタラのようでした。イエス様が水辺でお話した場所にも行きましたが、そんなに広くなく大勢の人がここにいた状況を思ってみるのでした。
神様の御用のために、モーセが役割分担をしましたが、主イエス・キリストもお弟子さんを選び、働き人の養成を始められたのです。ですから、お弟子さんに選ばれましたが、まだ役割り分担ではありません。これから養成され、次第にイエス様の福音の僕として訓練されて行くのであります。

 またスペインのお話しになりますが、神父さんの生き方を示されました。娘の羊子は15年前にバルセロナに渡り、ピアノを研鑽し、今では各地で演奏活動をしています。バルセロナに渡り、当初はプロテスタントの教会を捜しましたが、近くに適当な教会がなく、カトリック教会に出席しました。その教会の神父さんにプロテスタントの信者であるが聖餐式を受けられるかと尋ねましたら断られてしまいました。それで別のカトリック教会に出席し、その教会の神父さんに聖餐式を尋ねました。そしたらその神父さんはカトリックであろうとプロテステントであろうと、イエス様の救いをいただいているので、共に聖餐を受けてくださいと言われたのです。ですからその教会に出席するうちにも奏楽をするようになりました。今までは奏楽なしで賛美していたので、教会の皆さんは羊子の奏楽を喜んで下さるようになったのです。そして昨年からはサグラダ・ファミリアのミサでも奏楽をするようになり、皆さんに喜ばれているのです。ところで今まで奏楽をしているパロキアの教会には神父さんでも聖餐式を担当しない神父さんがおられます。この方はもともと神父さんなのですが結婚したのです。カトリック教会の場合、神父さんは独身でなければなりません。しかし、結婚し、さらに神父の職務を続けたいと言われる方があるのです。その場合、聖餐式は担当できませんが、ミサを担当することができるのです。いわば身分を下げて、それでも神父を続けたいのです。そこには主イエス・キリストを信じて生きる信念が据えられているのです。ですからその神父さんはバロキアの教会の主任の立場でありますが、職務的には身分を下げなければなりません。ミサには別の神父さんが来て主体的にミサを担当しますが、結婚した神父さんは手伝いという形でミサに関わっているのです。その様な姿勢を貴く姿勢を示されたのでした。ひとたびイエス様に捕われた者として生涯に渡り信仰の道を歩むこと、深く教えられました。
 大塚平安教会時代、ある時、年末のことでしたが、一人の婦人から電話をいただきました。他の教会の方ですが、綾瀬市に住んでおり、今までお孫さんの世話などで教会にはしばらく行かれないでいたというのです。しかし、孫の世話もありますが、このままでは、イエス様に申し訳ないと言われ、年が明けたら大塚平安教会に出席させてくださいと言われるのでした。そして年が明けて、新年になると礼拝に出席するようになりました。教会のお交わりにも入って来られ、今までの教会から大塚平安教会に転会されたのでした。イエス様の救いに与り、しかし今は礼拝に出席していない。イエス様に申し訳ないと思われていたのです。
 主イエス・キリストの十字架の救いをいただいた人生は、終わりがありません。生涯に渡り救いを喜びつつ歩むのです。そのためには教会に結びついて歩むことなのです。
<祈祷>
聖なる御神様。福音の僕として私たちをお選びくださり感謝致します。いよいよ喜びの福音により生涯を歩ませてください。主イエス・キリストの御名により。アーメン。