説教「時代に生きる信仰」

2019年1月27日、六浦谷間の集会 
降誕節第5主日

説教・「時代に生きる信仰」、鈴木伸治牧師
聖書・ハガイ書2章1-9節
    コリントの信徒への手紙<二>6章14節-7章1節
     ルカによる福音書21章1-9節
賛美・(説教前)讃美歌21・288「恵みにかがやき」
    (説教後)讃美歌21・458「信仰こそ旅路を」

今朝は、今の時代に生きる信仰について示されます。その信仰の原点は「新しい神殿」ということになります。神殿は聖書の人々の中心です。神殿には神様の契約の十戒が収められています。神殿を通して神様に礼拝をささげるのであります。今朝の聖書は、神殿が破壊されているので、再建についての示しなのでありますが、それと共に神殿は私達自身であることが示され、新しい神殿としての生き方が導かれるのです。神殿は聖書の人々の中心でありますように、今日の私たちにとりましても、教会が中心であります。教会の再建は常に課題となります。それは、もはや古くなった教会の建物の改築であり、また災害で倒壊した教会の再建であります。
 阪神・淡路大震災が1995年1月17日に起きました。つい先日も、当時を振り返りながら、その後の人々を報道していました。その頃、地震に関わる報道が続いていました。なかでも、その後の後遺症で苦しみ、いまだに立ち直ることができない人、会社等のことが報道されていました。改めて当時のことが思い出されるのでした。1月17日早朝に起きた大地震により、兵庫県南部地域は一瞬にして壊滅的な被害を受けました。日本基督教団兵庫教区では、全壊教会・牧師館は15、半壊13、一部損壊・損傷は61などの被害がありました。教会員とその家族、教会学校、附属施設関係者計84名が永眠されました。日本基督教団は直ちに「阪神大震災救援活動センター」を設置し、兵庫教区と共に救援活動を展開したのです。「阪神大震災救援募金」には、全国から2億8千万円を超える献金が寄せられました。また、兵庫教区救援募金には1億5千万円を超える献金が寄せられました。さらに会堂・牧師館再建資金募金には2億3千万円を超える献金が寄せられたのです。こうして全国の皆さんから祈りが寄せられ、教会・伝道所等の復興が導かれましたが、6,434名が亡くなり、 43,792名が負傷されましたので、悲しみは消え去ることはないのです。その頃、私は神奈川教区の副議長をしており、議長と共に兵庫教区を訪れ、被災教会を訪問し、お見舞いしたのでした。
 その後、2004年10月23日に新潟県中越地震が起きました。この日、幼稚園の先生が結婚式を行い、披露宴で横浜のホテルでお祝いしている最中でした。天井のシャンデリアがかなり大きく揺れていました。ホテル側の人たちはパニックになることを恐れて、平然と披露宴を進めていました。日本基督教団は「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会を立ち上げ、救済を始めたのであります。そして、2007年3月25日に能登半島地震が発生しました。これに対しても日本基督教団は「能登半島地震」被災教会会堂等再建支援委員会を発足させ、救援活動をしたのでした。さらに2011年3月には東北関東大震災が起きました。その時の津波の被害、原発事故等の問題が今でも続いています。災害を受けたにも関わらず、教会の復興が早いと他の宗教の人々が驚いていることを聞いています。神社や寺等は、なかなか復興に着手できずにいるのに、またたく間に復興していることに感心されたというのです。災害のお見舞いがありますが、教会の復興を願うのは、キリスト教会の人々は、自分のことのように受け止め、献金をささげるのでありました。

 旧約聖書はハガイ書であります。神殿再建を励ます預言書であります。聖書の人々は紀元前587年にバビロンに滅ぼされ、神殿も破壊され、多くの人々がバビロンに捕われの身として連れて行かれました。約50年間、バビロンの空の下で苦しく生きていたのです。しかし、バビロンの勢力はいつまでも続くのではありませんでした。ペルシャの国が勢力を強め、ペルシャ王キュロスは聖書の人々がエルサレムに帰り、神殿を再建することを許すのであります。紀元前540年に第一陣がエルサレムに帰り、神殿の建て直しを計ったのでありますが、いろいろな状況で進展しませんでした。それは故郷を離れて50年も経ており、まず生活基盤を作らなければならないのです。バビロンにつれて行かれなかった人々もおり、外国人もいるような状況の中で、社会的な混乱があり、神殿再建を願いながらも進展しなかったという状況なのです。第一陣がエルサレムに帰ってから18年も経過しています。第二陣がエルサレムに帰って来るのは、18年経過しても廃墟のままの神殿の状況でした。その第二陣にはハガイがいたのです。社会的にも、生活的にも困難な状況ですが、ハガイは神殿再建に情熱を傾けます。次第にエルサレムに人々が帰ってきています。今こそ神殿を再建し、人々の中心となることを願ったのであります。
 主の言葉が、預言者ハガイに示されました。この言葉は指導者達、また聖書の人々の残りの者に告げる言葉でした。「お前たち、残った者たち、誰が、昔の栄光のときのこの神殿を見たか。今、お前たちの見ている様は何か」と言っています。「残った者」と言っているのは、50年前に神殿が焼き払われ、壊された現実を見ている人達であります。この人たちは破壊される前の、元の神殿を知っているのであります。そうすると、破壊された時、例えば20歳であれば70歳にはなっているのです。50年間の間に、バビロンで死んだ人もいます。今、この廃墟の神殿を見ている人達は、昔の神殿を若いときに見ているのであり、そこで礼拝した人たちなのでした。それが「残った者たち」なのであります。ハガイは特にそれらの人々の奮起を促しているのであります。「国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる」と述べています。「働け、わたしはお前たちと共にいると万軍の主は言われる」と励ましています。今こそ神様が共にいまして、中心となるべき神殿の再建を導いてくださるのです。
 「ここに、お前たちがエジプトを出たとき、わたしがお前たちと結んだ契約がある。わたしの霊はお前たちの中にとどまっている」と神様が共におられて導いてくださっていることを示すのであります。聖書の人々にとって、神様が聖書の人々と契約を結んでくださったこと、これが原点なのであります。あの苦しい奴隷から解放してくださり、特別な神様の民としてくださったこと、そのために十戒を与えられ、戒めに生きることが祝福となることを示されているのであります。その契約を神様が忘れてはおられないということをハガイは示すのであります。契約の民であることは、今も変わらないということです。その十戒を中心に再び生きること、そのために神殿を再建すること、これがあなたがたの生きる方向であると示すのであります。神殿こそ人々の象徴となるのであります。神殿を中心に生きることが聖書の人々の生き方なのであります。ハガイの熱意は人々を動かし、神殿の再建を人々は目指しました。それにより4年半で神殿が再建されたと言われます。ソロモンの神殿建築は7年半かかったと言われますが、それよりも早く再建を成し遂げたのであります。まさに人々の中心、生きる中心を作ったということになるのであります。「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与えると万軍の主は言われる」とハガイは人々に示しているのであります。神殿は神様の栄光であり、ここから平和が生まれることを示しているのであります。神殿は、単に建物ではありません。人々が神様のご臨在を示される場であり、神殿を通して平和に導かれるということなのです。
 旧約聖書における神殿の基本的な信仰をハガイ書は示しているのであります。

 神殿に対する信仰は神様に対する信仰であります。しかし、ともすると神殿を通して人間の誇りが前面に出てくるのです。そのことを示しているのが今朝のルカによる福音書21章であります。21章には冒頭に「やもめの献金」についてのイエス様の示しがあります。神殿には賽銭箱がありますが、いろいろなささげものの寄付箱というものが13個あったと言われます。それぞれの場所でささげものを致します。イエス様は人々が賽銭箱に献金を入れている姿を見ています。金持ちたちがたくさん入れていたということです。献金をささげるとき、ささげる人は、特にたくさんささげる人は、祭司にどれだけの献金をするということを声を大にして言うのです。その声は周りに聞こえますから、人々はその人の多額の献金により、信仰の深さを知ることになるのです。そういう状況の中で、貧しいやもめがレプトン銅貨二枚をささげていました。ギリシャ貨幣の最小の額です。「この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」とイエス様は言われたのであります。明らかにこの貧しいやもめは神様に向けてささげています。しかし、金持ちたちは、神様ではなく自分に向けての献金なのです。人々の評価、称賛を得るためなのであります。
 イエス様は貧しいやもめの献金を祝福しました。21章の前の段落、20章45節以下で、指導者達をイエス様が非難しています。「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩きまわりたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」と指導者達、金持ちたちを非難しているのであります。宗教的指導者でありますが、神様に対することではなく、すべては自分のためなのであります。
 21章5節以下では、人々が神殿の見事な石と奉納物で飾られていることを話し合っていることを聞き、それに対して、イエス様は「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と述べられたのでありました。人々にとって神殿は美しく、見事な石で造られていることで喜んでいます。そういう神殿に金持ちたちが献金しているのです。神様ではなく、神殿を通して自らを高めるためなのです。ささげる献金も「やもめの家を食い物に」したものなのです。
 神殿とは何か、主イエス・キリストは貧しいやもめの献金を通して問いかけ、示しているのであります。神殿は心から神様に自分をささげる所なのです。美しい神殿に見とれているのではなく、その神殿を通して神様を仰ぎ見なければならないのであります。神殿を通して神様の御心をいただくであります。これは教会の原点であります。教会に集められ、共に賛美と祈りをささげるのです。神様に向けての祈りであり、神様は御心を示してくださるのであります。

 私たちが「生ける神の神殿」であるとパウロが示しています。コリント人への手紙<二>6章14節以下に示されています。神殿は、当初は幕屋でありました。聖書の人々はエジプトで奴隷でありましたが、神様はモーセを立てて奴隷から救い出されたのであります。エジプトを出て、神様が導く乳と蜜の流れる土地カナンに向けての旅が始まりました。神様は十戒を与えます。それは聖書の人々を祝福に導く契約のしるしなのです。人々は十戒を先頭にして旅を続けます。そして、宿営をしますが、その十戒を安置する場所が幕屋でありました。いわば移動式お宮さんです。旅を続けるときには幕屋をたたんで行くことになります。この幕屋は約束の土地カナンに定着しても続いていました。
 ダビデの時代になり、ダビデは周囲の敵を退けて安らぎの日々になったとき、預言者ナタンに言いました。「わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」と言いますと、ナタンは「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます」というのです。つまり、ダビデは神の箱、その中には十戒が収められているのですが、天幕ではなく神殿を造って収めたいと言っているのです。ナタンは賛成していました。しかし、神様はナタンを通して御心を示されたのであります。神様はダビデを通して王国を安定させました。神様は常にダビデを導いておられるのであります。それに対して一度だって、神様のために家を建てることなど求めてはいないのです。神様はご自分の家ではなくダビデの王国を完成させておられるのです。神様の家、神殿はダビデの後の王が行うというのでした。そして、ダビデの後の王がソロモンです。ソロモンは立派な神殿を造り、また立派なお城も造り上げるのです。しかし、ソロモンは神殿を造り上げたとき、神様にお祈りをささげています。「我が神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになったところです」と祈りました。つまり、この神殿に神様がお住まいになるというのではなく、この神殿に神様のお名前がとどめられているということです。そのお名前に対して、心からなる祈りをささげるので、神様が常にこの神殿に目を注いでくださいと祈っているのです。これが神殿の意味なのです。
 教会は主イエス・キリストの体であります。主イエス・キリストの救いをいただいた人々が、イエス様を中心にして神様の御心をいただく場なのです。そして、私達自身が神殿になり、神様の御心を宿すのであります。そのように導くのは主イエス・キリストの十字架の救いをいただくからです。パウロはこのようにも示しています。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(コリントの信徒への手紙<一>3章16節、17節)。私達が神の神殿であるのか、ないのか、それは私達が神様に心を向けることにより導かれるのであります。神様の御心をもつ者は神様の神殿であるということです。この神殿に神様が御心をさらに注いでくださるのです。その生き方が「時代に生きる信仰」なのです。
<祈祷>
聖なる神様。主の十字架の救いを与えられ、私達が神様の神殿へと導かれていますこと感謝致します。御心を豊かに宿す神殿とさせてください。主の名により祈ります。アーメン。