説教「救いの働き人」

2019年8月4日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第9主日



説教・「救いの働き人」、鈴木伸治牧師
聖書・ ヨシュア記2章6-11節

   フィリピの信徒への手紙4章1-3節
   ルカによる福音書8章1-3節
賛美・(説教前) 讃美歌21・360「人の目には」
   (説教後) 讃美歌21・404「あまつましみず」

 


 日本基督教団は8月の第一日曜日を平和聖日としています。今朝の礼拝は「平和を来らせたまえ」と祈りつつ礼拝をささげているのであります。8月の第一日曜日を「平和聖日」と定めたのは、1962年12月3日に開催された第2回常議員会においてでした。日本の戦争中、1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされました。当時の広島市の人口35万人のうち14万人が犠牲となりました。9日には長崎に原子爆弾が落とされました。当時の長崎市の人口は24万人であり、7万3千人が犠牲となりました。これは亡くなった方々であり、原子爆弾により、今でも苦しんでいる人々がおります。日本はもはや戦争は続けられなくなり、敗戦を認めたのであります。それが1945年8月15日であります。
 日本基督教団は日本の戦争中1941年に成立しました。それまではいろいろな教派により信仰の歩みをしていました。しかし、国の強制的な政策で日本におけるプロテスタントの教会は一つにされたのであります。その頃の信徒運動も一つになることを目指してもいました。一つになって、名称を日本基督教団としたのであります。しかし、戦争が終わると、再び元の教派に戻っていく教会がありました。その中で、せっかく一つになったのであるから日本基督教団の教会として歩んでいくことことにしたのが、今の日本基督教団の教会です。そして、日本基督教団は1962年に「平和聖日」を定め、1969には「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、戦争責任告白を公にしたのであります。しかし、日本基督教団が公にしたというよりは、当時の総会議長の名で公にすることが決められたのであり、日本基督教団の名において公にしたというのではありません。
 平和聖日として平和を祈るのでありますが、今は何が平和であるのか、分からなくなっているのではないでしょうか。むしろ今の平和への願いは、地震災害や豪雨災害の復興であり、被災された皆さんの悲しみをお慰めすることであり、復興を応援することであります。今年も自然災害が多く、大雨による被害も続出しています。平和を祈るということは、戦争の無い地上でありますが、自然災害に対しても安全であるという状況を作りださなければならないのです。世界に目を向ければ、戦争は現実の問題として、苦しみつつ生きている人々がおります。しかし、日本の国は戦争を忘れ、戦争を知らない人々が多くなっているのです。子供ばかりではありませんが、ゲームの世界は相手をやっつけることであり、いとも簡単に相手をなくしてしまいます。相手をやっつけながら、そしてそれを喜びながら成長する子ども達であります。戦争というより、人間関係において、他者を排除する姿勢こそ戦争の根源なのであり、人が共に生きることを繰り返し教えておられる聖書に立ち帰って、平和を来らせたまえと祈りたいのであります。
 本日の聖書は「女性の働き」とのテーマになっていますが、女性に限らず、すべての人々が「救いの働き人」として導かれているのであります。

 本日は「女性の働き」として、特に信仰における「女性の働き」を示されようとしています。しかし今の時代、女性の働きは、この社会の中で普通になっています。日本でもいろいろな場において女性が進出しており、改めて「女性の働き」をとり上げなくても良いのです。しかし、日本においてはまだまだ女性の働き場が少ないとされています。国会議員の中には女性が少ないと言われています。国会ばかりではなく、社会全体の中で、女性が遅れをとっている日本の現状の様です。しかし、散歩していると、女性の郵便配達の人がバイクに乗っている姿を見ますし、タクシー運転手も結構女性ドライバーを見かけます。電車の運転手さんも女性の進出を見かけています。本当は、その様なことを言う必要はないのです。一人の人間として、それぞれの生き方があるということです。
 旧約聖書ヨシュア記であります。聖書の人々は400年間、エジプトの国で奴隷の苦しみを生きてきました。神様はモーセを立てて奴隷の人々を解放したのであります。モーセに率いられて神様の約束の土地、乳と蜜の流れる土地を前にして、モーセの使命は終わり、若き指導者ヨシュアに委ねられたのであります。ヨシュアに率いられて約束の土地を進むうちにも、エリコの町を通過しなければならないのです。それでヨシュアは二人の斥候によりエリコの町を探らせるのでした。聖書の時代も、絶えず戦いがあります。町を皆殺しにするという、残酷なことも記されています。それを聖戦というのですから、理解に苦しむわけです。しかし、この時代は生き残ることが目的ですから、立ちはだかる存在を退けなければならないのです。生き残るために神様の御心が示され、御心に従って歩むのが聖書の人々なのです。
 二人の斥候がエリコの町に入ったことは、エリコの指導者達に伝わります。二人の斥候は遊女と言われるラハブの家に入ります。ラハブは斥候がイスラエル人であることを知っていました。そして、ラハブは神様がイスラエル人を導き、奴隷から解放し、紅海の奇跡を通して海を渡らせ、通過する民族との戦いに勝利したことを知っていました。従って、神様はこのエリコの町をもイスラエル人に渡されると思っていたのです。そのため、斥候をかくまい、探しに来たエリコの兵隊に偽りを述べて、二人の斥候を助けたのでした。その後、イスラエル人はこのエリコを攻め落とすのですが、ラハブと親族は助けられたのです。ラハブが二人の斥候をかくまい、エリコの兵隊をやり過ごし、二人を逃がしたことは、神様の御心に仕えたということになるのであります。神様の御心に仕えたということになります。その仕える生き方が神様に祝福されます。ラハブはイスラエル人のサルモンと結婚し、ボアズを産みます。ボアズはルツと結婚します。つまり人間的に言えばイエス様の家系の一員に加えられたということです。ラハブもルツも外国人ですが、イエス様の家系の一人なのです。いずれも女性たちは神様の御心に仕えたからであります。
 聖書における女性の働きとして、マタイによる福音書の最初に系図が記されています。その系図の中にタマル、ラハブ、ルツ、マリアの名が記されていますが、女性達でした。つまりイエス様に至る系図の中にも女性たちが、神様の御心を力強く生きたことが示されているのでした。この女性たちの働きの一人としてラハブが神様の御心に生きる姿を示されたのでした。

 ヨーロッパの現地人、ゲルマン人ガリア人を征服しつつローマの支配を広げて行ったのはユリウス・カエサルでした。ローマはもともと共和制であり、一人の支配者ということではありませんでした。従って、カエサルは皇帝ではなかったのです。しかし、カエサルは共和制ではなく、皇帝としての支配を求めていたのです。道半ばにしてカエサルは暗殺されてしまいますが、後継者になったのがアウグストゥスでした。アウグストゥスの時代も共和制でありましたが、次第に皇帝としての位置付けを持つようになるのです。このアウグストゥスが初代の皇帝になったということです。「アウグストゥスは全世界の救い主」とまで言われ、「アウグストゥスの平和」とまで言われたのです。このアウグストゥスの時代に主イエス・キリストが現れたことをルカによる福音書は証言しています。アウグストゥスが救い主であり、平和の根源として人々から言われている中で、真の救い主、真の平和の根源として主イエス・キリストの出現を聖書は証しているということです。そのアウグストゥスは紀元14年に死にます。そして第二代の皇帝としてティベリウスが就任します。イエス様は33歳で十字架にかけられるのですが、このティベリウスの時代でありました。ユダヤの国はこの後、ローマに対して反旗をかかげるようになり、紀元70年に滅ぼされることになります。アウグストゥスの救い主とイエス様の救い主を、象徴的にルカによる福音書は示しているということです。
 今朝のルカによる福音書は、イエス様が「神の国」を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けておられることが記されています。そして、イエス様には多くの女性たちも従い、自分達の持ち物を出し合って奉仕したことが記されています。ルカによる福音書8章1節に、「すぐその後」と記されていますが、「その」とは前の段落で、一人の女性がイエス様によって祝福されたことです。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と女性を祝福したのです。この女性はイエス様に救いを求め、全身でイエス様に近づいたのです。この女性に祝福をお与えになるや、イエス様はすぐに「神の国」の福音を人々に宣べ伝える為に、その場を後にしたのでした。「神の国」に生きるとき、状況的には苦しみの最中かもしれません。悲しみの中にあるのかもしれません。決して楽しくはない、そのような状況でありましょうとも、イエス様の福音を信じて生きることが「神の国」に生きていることなのです。
この福音を携えて町や村を巡っておられる主イエス・キリストに多くの婦人たちが従い、奉仕していたのです。イエス様によって悪霊を追い出していただいた婦人たちだとも言われます。悪霊に悩まされるということは病気でもありました。病気が癒されてイエス様に従っていたのです。マグダラのマリアが、今朝の聖書の前に記されている「罪深い女性」であるかは定かではありません。ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナであり、他の女性たちでした。この女性たちはイエス様の「神の国」の福音の奉仕者として働いた人たちですが、最後までイエス様に従っているのです。主イエス・キリストが十字架に架けられた時、そのイエス様を悲しみつつ見守っていたのです。そして、ルカによる福音書は、イエス様のご復活を最初に知ったのはこの女性たちであると報告しています。イエス様が墓に納められ、三日目に女性たちはお墓参りに行くのです。するとイエス様は復活されており、女性たちは空の墓を確認してお弟子さん達に知らせたのでした。イエス様に最後まで従い、奉仕した女性たちが祝福されたと報告されているのです。神様の御心に委ねたラハブが祝福されたように、御心を信じて従った婦人たちの祝福を証しているのです。

 日本の教会は、多くの場合、女性が多く、婦人会の活動が盛んです。大塚平安教会に招かれて1979年9月に就任しました。8月の末に宮城県から引っ越しをしました。宮城から車で家族5人がやってきましたが、教会の玄関を入ると婦人会の皆さんが出迎えてくれました。早速、お茶をいただきながら歓迎会が行われました。その後、皆さんが、既に引っ越しの荷物が届いていますので、それらを紐解いて片付け、整理をしてくれたのです。一人の方は私の蔵書を整理して書棚に収納してくれました。その方は本屋さんにお務めで、本の整理は慣れているので、その奉仕をしてくれたのです。その後、教会の皆さんと共に信仰の歩みが導かれますが、思い出されるのは婦人会の皆さんの奉仕でした。礼拝堂のベンチの座布団作りは迫力がありました。この作業は幼稚園のホールで行われました。礼拝堂を暗くするための暗幕作りも印象深く残っています。教会の歩みを思い出すと、いつも婦人会の働きを思いだしています。もちろん壮年会や青年会の皆さんの奉仕もあります。
教会は皆さんの奉仕によって、歩みが導かれているのです。主イエス・キリストの十字架の救いが、奉仕の原点になっているのです。
<祈祷>
聖なる神様。十字架の救いを与えられ、主の働き人に導かれていますこと感謝いたします。御国を建設させてください。主の名によって祈ります。アーメン。

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