説教「祝福の人生が与えられているので」

2018年8月12日、伊勢原教会 
聖霊降臨節第13主日

説教・「祝福の人生が与えられているので」、鈴木伸治牧師  
聖書・ミカ書6章1-8節
    マルコによる福音書10章46-52節
賛美・(説教前)讃美歌21・361「この世はみな」
     (説教後)讃美歌21・567「ナルドの香油」
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 本日は伊勢原教会の礼拝にお招きいただき、講壇に立たせていただくお恵みを感謝しています。この4月から伊勢原幼稚園の園長を務めさせていただいていますが、教会において皆様とのお交わりは、まだ二回目であります。4月に就任式ということで礼拝に出席させていただきました。本来、園長としてこちらの教会の礼拝に出席しなければなりませんが、個人的には礼拝の場所が与えられております。2010年にこの湘北地区内にある大塚平安教会を退任しました。30年間、大塚平安教会およびドレーパー記念幼稚園の園長を担わせていただきました。そのときは70歳にもなっていましたので、どこかの教会の牧師になるのではなく、個人的に礼拝をささげるようになりました。それは、連れ合いの二人の礼拝なのですが、六浦谷間の集会として礼拝をささげているのです。それと共にいくつかの教会から定期的に礼拝説教を依頼されております。そのような訳で、伊勢原幼稚園の園長でありながら、こちらの礼拝には出席できないでいるのです。
この4月から伊勢原幼稚園の園長を務めるお話をいただいたとき、何も考えずにお受けしてしまいました。この3月で横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を退任することになっていたのです。この早苗幼稚園園長は暫定的な務めでして、次の園長が就任するまでということで1年半でしたが務めさせていただきました。いよいよ退任するときこちらの伊勢原幼稚園へのお誘いがありましたので、まだ余力がありそうなのでお受けした次第です。この辺りの経緯については過日発行された教会の機関紙「はこぶね」に記しております。重複致しますが、ここでも証しさせていただきます。
 伊勢原幼稚園の園長を担うことになり、いろいろと示されることは、とても長い神様のお導きでした。私は1973年4月に宮城県の仙台の北にあります陸前古川教会牧師に就任しました。同教会は40年間、教会と幼稚園を担った後藤金次郎先生でありました。後藤先生はご隠退されてから伊勢原にお住まいになり、当時、伊勢原教会は高木鍋次郎先生が牧会されていましたが、後藤先生は何かと教会のお手伝いをされていると伺っていました。その当時から後藤金次郎先生の御令嬢である恵宮さんとお交わりをいただくようになり、時には連絡しつつ過ごしていました。そして、私は陸前古川教会を6年半牧会しましたが、1979年9月に綾瀬市にあります大塚平安教会の牧師、ドレーパー記念幼稚園の園長に就任したのであります。伊勢原教会とは同じ地区になり、教会の皆様とのお交わりが導かれたのでした。湘北地区長を担うことになり、高木先生を問安させていただいたことがあります。その後、私は神奈川教区議長に選任されました。議長は教区内の教会・伝道所の牧師就任式の司式を司り、あるいは献堂式等に出席することになっています 。伊勢原教会におきましても就任式を司られていただいています。また、伊勢原幼稚園が学校法人に移行するにあたり、既にドレーパー記念幼稚園は学校法人に移行していましたので、当時の牧師先生が相談に来られたりしました。私は2002年より8年間、日本基督教団総会書記に選任され、教区総会時期には教団三役が各教区を問安していました。書記としていくつかの教区を問安したとき、伊勢原教会の牧師であった先生方ともお会いしています。今まで伊勢原教会を牧会された諸先生の出会いがあり、感謝しています。
 そのように今までの歩みの中で何かと伊勢原教会との関わりがありました。お招きをいただいたとき、何も考えないでお受けしたのですが、この務めをお与えになられたのは神様であると示されるようになりました。神様は長い歴史の中で伊勢原幼稚園へとお導きくださったのです。そのような意味でも、私たちはこの現実に神様のお導きがありますから、いつも神様に向かいつつ歩みたいのであります。神様に向かいつつ歩むとき、いつも導かれていることを示されるのであります。
 私どもの娘がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしていますが、その娘が8年前に横浜本牧教会でピアノのコンサートを開かせていただいたとき、演奏の合間に証をしました。本人は、演奏にあたってはいつも不安を持っていると述べていました。神様に心を向けるときに平安が与えられ、演奏に臨むことができると述べていました。その姿勢を皆さまの前で述べたのは初めてではないかと思います。娘がスペイン・バルセロナに渡り、ピアノの演奏活動をするとき、ときどき電話があります。これから演奏会が開かれるので、お祈りして頂戴と言うのです。それで電話でお祈りするのです。時には歯を磨いているときに電話があり、口の中は歯磨き粉ですが、ゆすいでからであると時間がかかりますので、そのままお祈りしたりするのでした。「苦しい時の神頼み」という諺がありますが、私たちはいつも苦しくなければならないということです。神様に向かわなければ何もできないという姿勢を持たなければならないのであります。

 「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている」と預言者ミカが示しています。人々が神様の御心から離れて生きていることに対するミカの導きであります。旧約聖書はミカ書6章1節以下であります。ミカ自身が貧しい農民であったと思われます。従って、都会の富裕な者たちが、貧しい農民から搾取することに激しく批判するのであります。ミカ書3章5節、「彼らは歯で何かをかんでいるあいだは平和を告げるが、その口に何も与えない人には戦争を宣言する」と示しています。人から何かを取ることができれば機嫌が良いが、何も取ることができなければいじめにかかる、というのです。こうした社会の不正に対して、ミカは神様の御心を力強く示します。すなわち、歴史を回顧すれば、すべては神様の導きであり、恵みの歴史であるということです。
 預言者ミカは神様の御心から離れてしまっている人々に、御心に立ちかえることを示すのです。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」と示します。自分の思いや力ではなく、へりくだって神様と共に歩むことであります。へりくだって神様と共に生きるとき、私達のなすべき歩みが示されてくるのです。ミカは時の社会の指導者たちに、はっきりと神様の御心を示しました。3章12節、「それゆえ、お前たちのゆえにシオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる」と示しました。この言葉をミカから100年も後のエレミヤが引用しました。エレミヤはミカが大胆に神様の御心を示したので、人々は悔い改めた事を述べています。だから、あなたがたも悔い改めなさいと示しているのであります。神様が人々に求めておられることは「これである」と示しています。「これ」とは「正義を行い、慈しみを愛する」ことなのであります。私たちは「これ」を持って生きなければならないのであります。「これ」をもって生きるときに、この地上が平和へと導かれていくのであります。
 日本キリスト教海外医療協力会と言う働きがあります。そこで総主事をされておられる方から「総主事通信」をパソコンに送っていただき、読ませていただいていました。その総主事通信を読むことで、私は日本キリスト教海外医療協力会の認識を改めさせられたのであります。大変浅い認識で申し訳ないとの思いを深めています。その日本キリスト教海外医療協力会は古切手を集め、それをお金に換え、そして薬代とし、海外で医療活動を行っている、という認識でした。確かに医療活動を行っていますが、貧しく生きる人々と共に歩んでいるのです。学校に行くことのできない子ども達、それらの子供たちは古紙を集めてはお金にしていると言われます。また、女性達の問題があり、ワーカーと言われる人たちが指導し、共に歩もうとしているのです。日本キリスト教海外医療協力会がそれらの人々と連絡を取りつつ、海外医療と人間の諸問題にかかわっているということを示されたのであります。ミカが示す「これ」を持って生きる人々であります。すなわち、「正義を愛し、慈しみを愛する」者として導かれなければならないのであります。

 神様に心を向けること、そこに「日々、新しく生きる」歩みが導かれてくるのです。マルコによる福音書は、単に心を向けるのではなく、主イエス・キリストに向かって叫びなさいと示しています。10章46節以下が今朝の聖書です。「盲人バルティマイをいやす」ことが記されています。「一行はエリコの町に着いた」のですが、その町に着いたときでした。盲人バルティマイが道端に座っており、一行がナザレのイエス様であることを知ると、イエス様に向かい「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び始めるのであります。周りの人々がうるさいので黙らせようとしますが、バルティマイは叫び続けるのであります。イエス様は立ちどまり、「あの男を呼んできなさい」と言われました。バルティマイがイエス様のところに来ると、「何をしてほしいのか」と聞かれました。「先生、目が見えるようになりたいのです」と切なる願いを申し上げます。イエス様は、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とバルティマイを祝福致します。バルティマイは癒されました。そして、イエス様に従ったと示しています。
 新約聖書におけるエリコの町は、イエス様の救いにかかわる町として親しまれています。バルティマイがエリコに住む人でしたが、ルカによる福音書19章にはエリコに住むザアカイさんがイエス様の救いに与ることが記されています。さらにルカによる福音書10章には「善いサマリア人」のお話が記されています。強盗に襲われた人は、善いサマリア人に助けられ、エリコの町で介抱されたのであります。エリコの町で救われたのであります。エリコは救いの町として示しているのであります。
 ところで、バルティマイはイエス様に向かって叫びましたが、この叫びは大胆な信仰告白でもあります。「ダビデの子よ」と叫んでいます。「ダビデの子」とは王様の存在であります。従って、やたらに「ダビデの子よ」と言うものなら当局に捕らえられてしまうこともあるのです。バルティマイが叫んだとき、「多くの人々が叱りつけて黙らせようとした」のは、「めったなことを言うな。当局に睨まれる」と言う恐れがあったからでもあります。それでも叫び続けるバルティマイを、イエス様は信仰とされたのであります。自分の思いを神様に向けて発すること、危険であろうと、人々がなんと言おうと叫び続けることであります。「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様は祝福を与えたのであります。
 マルコによる福音書5章25節以下に、12年間も病気の女性が癒されたことが記されています。多くの医者にかかって、むしろ苦しめられていたということです。イエス様がお通りになるというので、群衆の中からイエス様の服に触れました。「この方の服にでも触れば癒していただける」との信仰がありました。イエス様はご自分から癒しの力が出て行くのを知り、「わたしの服に触れたのは誰か」と言われました。女性は進み出て、自分が触れましたと告白するのであります。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と祝福されるのでした。ルカによる福音書7章36節以下には、罪深い女性が救われることが記されています。女性はイエス様の足もとにうずくまり、泣きながらイエス様の足に接吻し、香油を塗りました。側にいる人たちは批判します。イエス様が罪深い女性に足をゆだねているからです。それに対して、イエス様はこの女性のイエス様への信仰を受けとめられました。「あなたの信仰があなたを救った」と祝福されたのであります。
 神様に全身を向けるとき、「これ」が与えられるのです。すなわち「正義を愛し、慈しみを愛する」生き方へと導かれるということです。新約聖書はイエス様に向かって叫ぶこと、心を向けること、イエス様による祝福が与えられることが示されているのであります。

 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と、私達もイエス様に全身を向けなければなりません。私たちは、自分の願うことを神様に申し上げていますが、直接お願いすることに躊躇することがあります。幼稚園の子供たちにお祈りについてお話しているとき、「神さま、かっこいいおもちゃをください」「かわいいお人形さんをください」とお祈りしましょうかと聞いたことがあります。すると、「違います」と答えるのです。そういうことはお祈りではないと思っているのです。毎朝、始まりには先生がお祈りします。そのお祈りは、お友達が休んでおり、病気が治りますようにと言うお祈りなのです。いつもお友達のことをお願いしています。従って、お祈りはお友達のことをお願いすることだと思っているのであります。だから、お祈りについてお話をするとき、自分のことで神様にお願いしてもよいことをお話していました。
 宮城県の教会にいるとき、隣の町から教会に出席される老婦人がおられました。求道者であります。ある時、私に質問されました。「礼拝でお祈りをささげていますが、自分のことはお願いしてないようです。私は病を抱えているのですが、神様に治してくださいとお願いして良いのでしょうか」と聞かれました。「どうぞ、お願いしてください。神様に自分のこと、病気を治してくださいとお願いしてください」とお答えしたのであります。バルティマイのように叫んでよいのです。全身を神様に向けるのです。「あなたの信仰があなたを救った」との祝福がいただけるよう、イエス様に全身を向けることなのです。
 「祝福の人生が与えられているので」主イエス・キリストの十字架の救いを仰ぎみることです。旧約聖書のミカが示したように「これ」が与えられるのです。「正義を行い、慈しみを愛する」者へと導かれるのです。十字架に向かって全身を投げかけて行くことです。祝福の人生が与えられるのです。
<祈祷>
聖なる神様。正義を愛し、慈しみを愛する者へと導いてくださり感謝致します。イエス様に向かい、祝福の人生を増し加えてください。主の御名によりおささげします。アーメン。