説教「信仰の人生を喜びつつ」

2018年11月11日、六浦谷間の集会 
「降誕前第7主日

説教・「信仰の人生を喜びつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・創世記18章1-15節
    ローマの信徒への手紙9章1-9節
     ルカによる福音書3章1-14節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・461「主われを愛す」、
    (説教後)讃美歌54年版・495「イエスよ、この身を」

 前週は召天者を覚えつつ礼拝をささげました。生前、信仰に生きた人々の証を示されたのであります。信仰に生きたことがどんなにか祝福であったかを示されたのであります。その信仰は仏教であるかもしれません。実際、わたしの両親は浄土真宗門徒であり、その信仰を持った人生であったと思います。仏教の信仰を持ちつつ、三人の子供たちがキリスト教の信仰を持って歩むことに理解を示しましたし、私が牧師になることも理解してくれたのでした。自分の信仰を大事にするとともに、子供たちの信仰を理解してくれたのだと思います。その意味でも両親の証しとして示されています。
さて、今朝は幼児を覚えつつの礼拝であります。教会に集う子ども達がまさに信仰の人生へと導かれ、生涯を通して祝福の人生を歩むことを祈るのであります。前任の大塚平安教会時代は幼子祝福礼拝としていました。当初は、幼稚園の子供たちを礼拝に招き、祝福式を行いました。4、50人の子供たちに祝福のお祈りをするのは大変であり、次の年からは、幼稚園児は週日に招いて祝福式を行うようになりました。ですから教会における幼子祝福礼拝は、毎年2、3名の幼児に祝福を与えるようになりました。幼子を覚え、お祈りする日として、意義ある礼拝であったと思います。
教会は幼児洗礼式と幼児祝福式を行います。幼児洗礼式は幼児の保護者が信者であり、幼児が成長して自分で信仰の告白ができるまで、祈りつつ信仰の成長を導く保護者の決心として子どもに洗礼を授けます。従って、子どもの意思ではなく、保護者の意思であります。子どもは教会に連なりながら成長し、主イエス・キリストの十字架の救いを自分の救いとして受け止めるとき、信仰告白式をいたします。または堅信礼とも言います。大体、中学生や高校生になって堅信礼を受ける場合が多いのです。しかし、幼児洗礼を受けているものの、成人しても、または生涯信仰告白をしない人もいます。それに対して幼児祝福式があります。この幼児祝福式は、いわゆる七五三的な祝福ではありません。幼児洗礼を授けないものの、やはり神様のお心にあって成長してほしいという保護者の願いであります。保護者が信者の場合に限らず、信者でなくても幼児祝福式を執行しています。幼児洗礼は子どもに負担をかけるのではないかとの思いで、幼児祝福式に臨む保護者もおられるのです。祝福を受けていることが、子どもを励まし、いよいよイエス様のお心に導かれて歩むことを祈る次第であります。
幼児洗礼を授けられ、青少年の頃になって堅信礼を受けてキリスト教の信者になります。堅信礼は信仰告白式とも言っています。私どもの三人の子供たちも幼児洗礼を授けましたが、それぞれ中学・高校生の頃、自分の意志で堅信礼を受けました、親として強要したのではなく、自らの信仰において堅信礼を受けたことを喜び感謝しています。こうして堅信礼を喜びますが、西洋において、特にカトリック教会の堅信礼を深く受け止めています。娘がバルセロナでピアノの演奏活動をしていますので、私たち夫婦は何度か滞在しています。娘がカトリック教会でミサの奏楽をしていますので、一緒にミサに出席していました。ある時、教会に行きましたら、教会の玄関付近が賑わっていました。結婚式かと思いました。花嫁さんのように白いドレスを着ている女の子、スーツを着ている男の子の周りで、人々が喜びあっていたのです。よく見れば、まだ子供です。結婚式ではなく、堅信礼が行われたということでした。カトリック教会では聖体拝受式と言っています。幼児洗礼を授けられた子供が、信仰の告白をする日です。その時は親戚、知人が集まり、みんなでお祝いするのです。ピカソが妹の聖体拝受を受けた絵を描いていますが、厳粛におこなわれ、そして喜びあうこと、大きな出来事なのです。今朝は幼児の健やかな成長を祈りつつ礼拝をささげています。

 旧約聖書アブラハムは祝福の旅路を歩んだ人として示されています。聖書は創世記18章1節からですが、アブラハム物語が始まるのは創世記12章からであります。アブラハムの父親テラは家族と共にカルデアのウルを出発し、カナン地方に向かいましたが、ハランという場で落ち着いたのでありました。アブラハムの父テラはそこで生涯を終えました。その後、神様はアブラハムに現れ、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」と言われました。神様が「わたしが示す地」と言われても、そこが何処であるのか分かりません。しかし、アブラハムは神様のお言葉を信じ、神様のお導きに委ねて出発したのであります。アブラハムが75歳の時でありました。その時、アブラハムの妻サラ、甥のロトも一緒でした。「あなたを大いなる国民にする」と言われています。しかし、アブラハムとサラの間には子供が生まれませんでした。神様の約束を信じて故郷を後にしたものの、子供ができないし、約束の土地にも行きあたらない現実を受け止めていました。そういう思いが、人間的な苛立ちにもなっていました。それで妻のサラの提案で、サラに仕えるハガルから子供を得たのであります。ハガルがアブラハムの子供を産むと、ハガルは主人であるサラを見下すことになります。それでアブラハムはハガルを追放してしまうのです。その辺りは極めて人間的な思い、行いがどろどろと示されるのです。焦りと人間的な思いで過ごしている時、神様のお使いがアブラハムの家を通過しようとしていました。今朝の聖書になります。旅人をもてなすことは神様のお心であります。アブラハムは三人の神の人を呼びとめ、休息を勧めるのです。アブラハムは大層なもてなしを致します。その時、神の人が不思議なことを言うのでした。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラには男の子が生まれているでしょう」と言うことでした。陰でそのことを聞いていたサラは思わず笑ったのです。それを知った神の人は「なぜサラは笑ったのか」と言いました。サラは自分が笑ったことを否定しますが、「あなたは確かに笑った」と念を押されてしまうのです。サラが笑うこと、それは、サラは既に90歳にも近かったからである。その来年の今ごろはアブラハムが100歳、サラが90歳になっているのです。昔のこととしても高齢です、高齢の身では子供は生まれないと思うのは当然であり、神の人の言葉であったとしても、自分にはあり得ないこととして笑ったのであります。
 しかし、神様のお約束を信じて故郷を後にしたアブラハムとサラです。約束が実現しない苛立ちを持ちながらも、基本的には約束に従っていたのです。そして、神様の約束が実現しました。彼らに与えられた子供はイサクと命名されたのです。アブラハムに関しては、まだいろいろな出来事がありますが、今朝はただ神様の約束を信じて従っているアブラハムから示されています。いろいろなことがありますが、アブラハムは約束を信じて旅路を歩んだのであります。その旅路が祝福の旅路でありました。アブラハムはイサクという子どもが与えられましたが、「大いなる国民にする」との約束は感じられません。また、土地はと言えば、サラが死んで埋葬する墓地だけがアブラハムの土地でした。約束はなんであったのかと思います。しかし、神様はその後のイサク、ヤコブを通して次第に民族の祝福を与え、多くの民になったのです。そして、約束の土地をも与えられたのであります。自分に与えられた約束は、後の代になって実現されていくのです。アブラハムは現実には約束の実現を見ないにしても、神様の約束を信じて歩んだのです。祝福の旅路であったのです。ヘブライ人の手紙11章1節以下、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められたのです」と示されています。アブラハムは信仰の人生を喜びつつ歩んだのでした。

 信仰の人生は神様のお約束を信じて歩みを続けることです。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」との信仰を強めて歩みましょう。新約聖書バプテスマのヨハネの証しです。
 ルカによる福音書3章1節以下はバプテスマのヨハネの宣教が記されています。新約聖書にはヨハネさんが多数登場致します。イエス様のお弟子さんのヨハネヨハネによる福音書を書いている人、ヨハネの手紙を書いている人、ヨハネ黙示録に登場するヨハネ、そして今朝のヨハネさんです。ヨハネが人々にバプテスマを授けたので「バプテスマのヨハネ」と称しています。このヨハネはイエス様より先に人々に現れ、神様のお心を示しました。それと共に、後から現れる主イエス・キリストの証をしたのです。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打もない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と救い主を示したのであります。ヨハネは時の社会に向かって悔い改めることを叫びました。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく示しました。ヨハネの教えは人々にとって恐ろしい審判として示されたのです。だから不安になり、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」というのであります。徴税人と言われる人たちも洗礼を志願し、「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。それに対してヨハネは、「規定以上のものは取りたてるな」と言うのでした。次に兵士も「このわたしたちはどうすればよいのですか」と聞きます。「誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」とさとしています。
 バプテスマのヨハネの教え、諭しは十戒を基としています。他の存在を思いやること、だましたり、盗んだり、むさぼってはいけないと示しています。この世に生きる者として、アブラハムが祝福の旅路を歩んだように、あなたがたも祝福の旅路を歩みなさいと示しているのです。だから、ヨハネは人々に、「我々の父はアブラハムだ」などという考えを起こしてはならないと示しています。人々にとって、先祖のアブラハムが祝福の旅路を歩んだので、だから我々も祝福を受けていると思っているのです。だからヨハネは、はっきりと示しました。アブラハムアブラハム、あなたがたはあなたがたであるということです。個人責任論と言うものです。昔は全体主義でした。誰かが悪いことをすれば、部族全体が裁かれました。それに対して、次第に個人の生き方の責任が求められてきたのです。エレミヤ書31章29節に、「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と示されています。またエゼキエル書18章2節にも同じような示しがあります。先祖がこうであったから、我々がこうなのだと、先祖と結び付けて考えることです。ヨハネアブラハムを示しながら、アブラハムの祝福の旅路はアブラハムの信仰であると示したのであります。だから、あなたがた一人一人は神様のお心にたち、祝福の旅路をしなさいと示したのです。
 こうしたバプテスマのヨハネの教えと諭しがありますが、ヨハネが証しするように、人々が真に祝福の旅路が導かれるのは、主イエス・キリストの十字架の贖いを与えられてからであります。イエス様はご自分が十字架にかけられて、私達を真に祝福の旅路を導いてくださっているのであります。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」と示されています。信仰の人生を喜びつつ歩みたいのであります。

 神様はアブラハムに故郷から導き出し、未知の世界を歩ませました。アブラハムは旅の一生でしたが、祝福の人生であったことを聖書は示しているのです。
旧約聖書の示しで、ヨシュアの信仰を示されます。人々を前にして、「わたしとわたしの家は主に仕えます」と証ししたのです。エジプトで奴隷であった人々を、神様はモーセを通して救い出しました。エジプトを出た人々は40年間、荒れ野の旅をします。そしてついに神様の約束の地、カナンの大地に到着したのです。しかし、モーセの使命はそこまでで、モーセの後を継いだのはヨシュアでした。ヨシュアによってカナンの地に定着するとき、ヨシュアは人々の前で、自分と家族の信仰をはっきりと示したのでした。「わたしとわたしの家は主に仕えます」と示し、神様を信じて歩むことを公言したのでした。この証しは、私達に強く示しを与えています。私の家族は、教会が自分の家でした。最初の青山教会時代は副牧師でしたので、家は別の場所に住み、通っていました。そのとき上の二人の子供が生まれていますが、間もなく宮城の陸前古川教会の牧師になりました。牧師館は教会と共にありました。三番目の子供が生まれ、子供たちは教会の中で成長しました。そして、大塚平安教会に招かれましたが、牧師館は教会の中にあり、そこで子供たちは成長し、それぞれ成長して、それぞれの歩みをするようになりました。この子供たちは、教会で成長したことを喜びつつ歩んでいます。そして、それが信仰として子供たちを支えていると示されています。2010年3月に退任しましたが、11月より「六浦谷間の集会」として夫婦で礼拝をささげるようになっています。子供たちも時には出席しています。また、今でも三崎教会の礼拝説教をさせていただいていますが、いつも子供たちも一緒に出席しています。「わたしとわたしの家は主に仕えます」と証していますが、子供たちも喜んで信仰の歩みを過ごしていると示されています。信仰の生涯を目ざして歩むことを祈っているのです。祝福の人生であるからです。子供たちが洗礼を受けていること、教会の中で成長したことは信仰の原点なのです。信仰の人生を喜びつつ歩みたいと示されています。
<祈祷>
聖なる神様。永遠の命へのお約束をくださり感謝致します。主の十字架を仰ぎ見つつ、信仰の人生を喜びつつ歩ませてください。主の御名によりおささげします。アーメン。