説教「生涯のささげもの」

2018年9月2日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第16主日

説教・「生涯のささげもの」、鈴木伸治牧師  
聖書・列王記上21章1-16節
    ガラテヤの信徒への手紙1章6-10節
     マルコによる福音書12章38-44節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・214「北のはてなる」
    (説教後)讃美歌54年版・535「今日をも送りぬ」
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 早いもので9月になりました。しかし、夏の暑さはまだ続いているので、8月が終わったという思いが薄らいでいます。そうは言うものの、やはり9月ですから、これからは涼しくなっていくでしょう。そして9月は秋分の日があり、陽が短くなっていのです。隠退牧師になっていますが、この夏もゆっくり過ごすことはありませんでした。伊勢原幼稚園の園長を担っているからです。夏休み中でも週に2、3回は幼稚園に行っていました。認定こども園なので、保育園として数人の子どもたちを預かっていました。昨年の夏は横浜本牧教会の付属幼稚園の園長でありましたので、何かと幼稚園に行っておりました。従って、この二年は8月でもゆっくり過ごすことはありませんでした。来年は80歳になりますが、今でも与えられた職務を担うことができ感謝しています。牧師は隠退しているにも関わらず、幼稚園の園長を今でも担っていることに不思議な思いを持っています。不思議なというより、神様のお導きなのかもしれません。
 私は1969年に神学校を卒業し、最初の教会は東京の青山教会でした。そこで伝道師、副牧師を務めました。教会は幼稚園を担っていましたが、私は幼稚園には関係なく、教会のみのお勤めでした。4年後に東北の教会からお招きをいただきました。その教会の牧師は40年間、教会の牧師と共に幼稚園の園長を担ってきたのです。ですから、お招きをいただいたとき、その牧師の後任でありますから、私も牧師と園長を担うこととして受け止めていました。そうしましたら、先方から、牧会に専念していただくために園長は教会員が担うということでした。この知らせをいただき、話が違うのではないかと、しばらくはご返事をしませんでした。紹介してくださった牧師も心配して助言をしてくれました。結局、折角お招きくださったのであり、園長はしなくてもよいというのなら、それはそれで良いことにし、赴任したのでした。宗教法人の幼稚園ですから、園長でなくても設置者としての務めがあります。しかし、幼稚園関係は全て園長と事務を担当する方がしてくれましたので、私は教会のみのお勤めでした。しかし、教会の中に幼稚園がありますので、牧師と園長の二人の責任者がいるみたいで、なんとなくやりにくい面もあったのです。
 教会に赴任して、5年を経たとき、その教会から車で1時間くらい離れた教会から兼牧のお招きがありました。兼牧というのは二つの教会の牧師になるということです。そちらにも幼稚園がありまして、そちらでは牧師と幼稚園を担うことになったのです。そちらでは幼稚園を学校法人にするための準備をしているところでした。準備と言っても、町から選ばれた人たちと一緒に協議していたのです。なかなか計画が進められない状況でした。私が赴任して、ちっとも進まない学校法人準備委員会を解散し、教会の役員会で進めることにしたのです。教会の役員と言っても高齢の婦人たちでした。だから解散して教会が主体的に進める方針を打ち出したとき、町の人達の厳しい批判がありました。高齢の婦人たちに何ができるかということです。しかし、進めたのです。そして、ついに幼稚園の歴代母の会の皆さんが立ち上がり、募金活動を始めてくれました。町の役所も黙っていられなく、助成金を出してくれることになったのです。こうして園舎も敷地も整備され、後は書類を県庁に提出するだけになりました。その時、大塚平安教会からのお招きがあり、最後の書類提出は後任に任せ、東北を後にしたのでした。
 そのような歩みを思いだしながら、最初は幼稚園の園長に就任できなかったことでしたが、今は牧師を隠退してまでも幼稚園の園長を担うことになっており、やはり神様のお導きであると思っています。私に与えてくださった賜物を、今もささげて歩むことへと導いてくださっているのです。今朝は「生涯のささげもの」と題して示されており、まず私の証をさせていただきました。

 私に与えられたお恵みを感謝し、与えられている人生を歩むこと、祈っていくこと、今朝は聖書の示しをいただいています。旧約聖書は列王記上21章であります。「ナボトのぶどう畑」の物語が記されています。ナボトはイズレエルの土地にぶどう畑を持っていました。ぶどう畑はサマリアのアハブ王の宮殿のそばにありました。アハブ王はナボトに「お前のぶどう畑を譲ってくれ。わたしの宮殿のすぐ隣にあるので、それをわたしの菜園にしたい。その代わり、お前にはもっと良いぶどう畑を与えよう。もし望むなら、それに相当する代金を銀で支払ってもよい」と頼むのであります。それに対してナボトはアハブ王に、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と答えたのであります。アハブ王は、このナボトの言葉にすごすごと引き下がりました。王様なのだから、自分の権威でナボトの畑を自由にすることができると思われます。実際アハブ王の妻イゼベルは、アハブ王の弱気な姿勢を嘲るかの如く、王の名においてナボトをならず者によって殺させ、ナボトの畑をアハブ王のものにしてしまいます。それは聖書に記される通りであります。アハブ王がナボトの言い分を聞いて、すごすごと引き下がったのはアハブ王もナボトの言い分をよく理解していたからであります。すなわちナボトが述べた「嗣業の土地」ということであります。
「嗣業」とはもともと賜物と言う意味でありますが、神様によって与えられる土地を意味するようになりました。アブラハムに神様の召しが与えられた時、嗣業としての土地を与えるということであります。そして、モーセの時代に奴隷の国エジプトから脱出し、カナンの土地に入っていきますが、そこで得た土地がイスラエルの12部族の嗣業の土地になりました。そして、部族から個人の嗣業になっていったのであります。嗣業は神様の恵みによって与えられた土地であり、その土地を通して祝福の歩みが導かれることなのであります。嗣業の土地は大切なものであり、人に売ったり、関係ない人が相続することは許されないことでありました。このような嗣業の意味は、聖書の人々自身が神様の嗣業であると信じられるようになったのであります。従って、神様の嗣業でありますから、与えられた十戒を守り、正しく生きることが嗣業としての人々なのであります。
アハブ王とイゼベルの行為は許されざることでありました。神様は神の人エリアを通して、アハブに対する審判を告げます。アハブ王は自分のしたことは悪いことであることを知っていましたから、エリアの言葉を聞くと、すぐさま悔い改めを行います。アハブ王はエリアの審判の言葉を聞くと、「衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、打ちひしがれて歩いた」と21章27節以下に記されています。神様はアハブの悔い改めを受けとめ、アハブ王の命を長らえさせたのでありました。嗣業に対するアハブ王の姿勢も示されているのであります。神様の恵み、賜物は大切であり、生涯の恵みとし、嗣業を通して神様を仰ぎ見ることなのであります。

 嗣業には賜物という意味がありますが、新約聖書ではタラントンのたとえ話があります。主イエス・キリストの示しであります。ある人が旅に出かけるにあたり、僕たちに持っている財産を預けます。ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントンを預けます。預けられた人は商売をし、倍の利益を得るのであります。主人が帰ってきて預けた財産の清算をした時、倍にした人たちは褒められました。しかし、何もしないで地面に隠しておいた人は叱られたというのです。タラントンは神様が人々に与えている賜物であり、その賜物を通して神様の祝福に与ることであります。タラントンは嗣業でもあるのです。十分に与えられた嗣業を用いるということなのであります。
 そこで新約聖書の示しは「やもめの献金」であります。イエス様は神殿で、人々がささげものをするのをご覧になっています。大勢の金持ちが沢山のささげものをしていました。そこに一人の女性がやってきました。この人はレプトン銅貨二枚をささげたと言われます。レプトン銅貨は最も低いお金であります。1デナリオンの128分の1と言われます。1デナリオンは一日の日当と考えられています。イエス様は弟子たちに言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と言われたのであります。イエス様はささげる人々がいくらささげたのか知っているのでしょうか。誰がいくらささげたか、分からないと思います。マルコによる福音書の著者が記したいのは、ささげものは額や量ではなく、その人自身であると示しているのであります。今朝の聖書の前、12章38節から40節に「律法学者を非難する」ことが記されています。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩きまわることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」と厳しく批判しています。律法学者は当時の社会はユダヤ教の宗教社会ですから、人々を戒律、律法によって導く存在であります。今、神殿の賽銭箱にささげる人々は、大勢の金持ちであったと示しています。どのくらいのお金を入れているのかは分かりません。そして、女性がレプトン銅貨二枚ささげたということであっても、この女性の生活状態も分からないと思います。イエス様だから、みんな知っているのだ、と考える必要もありません。マルコによる福音書が示しているのは、人間の評価ではなく、神様にどのように向くかと言うことなのであります。金持ちが有り余るお金の中から、多くささげたと思っている姿勢であります。神様に向かっているのではなく、人に対する評価を求めているのであります。
 夏はお祭りや盆踊りが行われました。町内の皆さんがそのために寄付金を出します。いただいたお金は感謝の意味で皆さんに報告しています。○○さんは3万円、△△さんは1万円と書いて貼りだすわけです。前任の教会にいるとき、町内の住民として役員をしなければなりません。盆踊りの準備があるので役員が集まります。牧師だからできませんと言うわけにはいかないので、手伝いに行きました。提灯に電球を入れたり、寄付金を貼りだしたりするわけです。その貼りだす仕事をさせられて、渡された紙を適当に貼りますと、「鈴木さーん、その紙は千円だから一番下、その3万円は一番上に貼ってください」なんて言われるのです。人間の評価が基準であります。
 神様にどう向かうか。神様の嗣業である私が、私という嗣業をどう生きているかということなのであります。イエス様も嗣業の意味を含めて示しておられるのであります。嗣業は私自身であるということ、神様の嗣業である私は、私自身を神様にささげることであります。持てる物すべてをささげる姿勢が嗣業としての生き方なのであります。一人の女性が「だれよりもたくさん入れた」と言われたのは、この女性が自分自身をささげていることをお弟子さん達に示しているのであります。

 先日、8月のお盆の頃かと思いますが、Sさんが訪ねてくれました。Sさんは、昔は近所の人で、私より一歳上ですが、小さい頃は遊びながら成長したのです。私が日曜日に教会学校に通うようになると、冷やかされたものです。遊ばないで教会学校に行ってしまうからでもありました。中学生頃になるとそれぞれの道を歩むようになり、遊ぶこともなくなりました。私が神学校に入り、実家に帰ったとき、Sさんが訪ねてきました、そして、言うことは、「イエス様が…」でした。彼はいつの間にか教会に出席していたのです。洗礼も受けていたのです。彼のお父さんは船大工さんで、野島に工場を持っていました。彼はお父さんの仕事をするようになり、以来、今日まで船を造る仕事をしています。今は相模原の方に住んでいるのですが、お盆になると、両親の家でもありますので、顔を出すようです。先日はそのついでにお訪ねくださったのです。彼は野島の近くにある教会に出席しています。毎週日曜日には相模原から教会に出席しているのです。以前にもお尋ねくださったとき、私の説教集「最初の朝餐」を贈呈しています。
 今回もお訪ねくださり、私が牧師を隠退してもキリスト教幼稚園の園長を担っていることを喜んでくれました。これは神様のお導きであるから、いつまでもやるべきだよ、と彼は言うのです。私は彼の励ましの言葉というより、自分に与えられた生涯の務め、生涯のささげものと思うようになっていますので、彼の言葉を、改めて神様の御心として受け止めたのでした。一つの職務を長い間務めていることが、生涯のささげものというのではありません。今、与えられている歩みは、神様が賜物をくださっているのですから、その賜物を十分に用いながら歩むことなのです。
 賜物を考えたとき、自分には賜物などはないと思ってしまうことがあります。いつも人の姿を見ているので、いろいろな人たちの賜物を示されています。それに対して自分は、と思うのです。どう見ても自分には賜物はないと思ってしまいます。そうでしょうか。自分がそのまま生きればよいのです。いつも人と比較しての生き方ではなく、自分の生活をしていれば良いのです。そこには必ず賜物が働いているのです。自分の一言が友達に喜ばれこともあるでしょう。自分の笑顔が、ある人の励みになっていることもあるのです。何か、賜物と言うと、特別な才能のように受け止められますが、自然の姿で良いのです。例えば、畑に立てられている案山子を考えてみると、何も感じない人もいれば、その案山子によって慰められている人もいるのです。案山子というのではたとえが悪いのですが、私という自然の姿で過ごすこと、しかし、その自然な姿は神様の御心をいただく姿勢でなければなりません。その姿が賜物に生きる、生涯のささげものなのです。
<祈祷>
聖なる神様。イエス様が御自身を十字架におささげくださいました。このお恵みを感謝いたします。恵みを数えつつ歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。