説教「同じ信仰になりつつ」

2018年9月16日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第18主日

説教・「同じ信仰になりつつ」、鈴木伸治牧師  
聖書・出エジプト記12章21-28節
    ヘブライ人への手紙9章23-28節
     マルコによる福音書14章12-26節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・280「我が身ののぞみは」
    (説教後)讃美歌54年版・515「よわきものよ」
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 明日の9月17日は「敬老の日」とされています。昔は「敬老の日」は9月15日であり、固定的になっていました。しかし、祝日法案が決まり、祝日は日曜日の翌日、月曜日にして連休にしたのです。1月の「成人の日」、7月の「海の日」、9月の「敬老の日」、10月の「体育の日」等が月曜日になり、毎年日程が変わることになります。
 「敬老の日」は一般的に70歳以上の皆さんをお祝いし、慰労するという方針です。私は79歳になっていますが、毎年、町内会からお祝い品をいただいています。稲荷ずしや果物、お菓子等をいただいています。町内会ではお祝いの集いをしているのですが、私は出席していません。私の父が毎年、このお祝いの集いに出席していました。90歳を過ぎているので、皆さんが大事にしてくれていることを喜んでいたようです。私も父と同じように高齢者としてお祝いされるようになり、なんとなく複雑な思いを持っています。前任の大塚平安教会時代、長寿者のお祝いをしていました。教会の慶弔規定に、75歳になったら高齢者としてお祝いするということなのです。そしたら、75歳で長寿者としてお祝いされることに抵抗を覚える方がおられました。まだ車を運転したり、教会の奉仕をしているし、高齢者とは思わないのでした。私自身も来年は80歳になるので、まさに高齢者の仲間入りなのですが、あまり高齢者とは思わないのです。それでも、やはり年齢相応の状況ではないかと思います。歩くにしてもゆっくりと歩いていますし、無理が効かなくなっています。庭の草むしりをしても、すぐに疲れを感じて止めてしまうような状況でもあります。若い人と同じように考えようとするからで、年齢相応の生活をすることでしょう。むしろ、聖書が示す高齢者のあり方を示されているのです。聖書では、高齢者の前では起立しなさいと教えています。単に高齢者だから起立するというのではなく、高齢者は長い人生で、それだけ多く神様の御心を示されているのです。いろいろな人生を歩んできて、苦しいこと、うれしいことがありましたが、いつも神様の御心が示されていたのです。高齢者は神様の御心により導かれてきたのです。その生き方を証しすることが高齢者の務めなのです。
 現役のころ、いろいろな役職に選ばれ、いろいろな会合に出席していました。ある協議会には韓国から来た牧師がいました。鋭く意見を言う方で、その協議会でも激しい意見のやり取りがありました。そんな中でその韓国の牧師は、意見を言うのをとどめ、相手に対して年齢を聞くのでした。意見の応酬をしていた相手が自分より年上であることを知ると、それからは態度を改め、おとなしく議論するようになったのでした。韓国では、年上の存在を敬う風習があるようです。それは聖書に示されているからで、高齢者を敬いなさいということであり、高齢者は神様の御心を自分より多く示されているということが根底になるのです。神様の御心を共にいただいて、共に生きることが聖書の導きなのです。同じ信仰に立つことが導きなのです。

 旧約聖書出エジプト記の教えであります。神様の救いの根本がここに示されています。最初の人アブラハム、そしてイサク、ヤコブの族長時代の救いというものも示されますが、奴隷からの解放は、救いは聖書全体の救いの下敷きになっているのであります。
 今朝の聖書、出エジプト記12章21節以下は神様の救いが実現するにあたり、聖書の人々が救いに与る準備をする所であります。聖書の人々がエジプトで奴隷である、この意味を分からない人々がいます。奴隷として働かせているエジプト人も、奴隷として働かせらせている聖書の人々、イスラエル人も、なぜなのか分からない人々がいるのです。これは少し遡らなければなりません。族長ヤコブの時代、飢饉、冷害が起こり、食べ物に窮することになりました。それでエジプトに食料があるというので、ヤコブの子ども達10人が買い出しに行くのであります。そこで、はからずも11番目の兄弟ヨセフに出会います。ヨセフはエジプトで王様に次ぐ大臣になっていました。兄弟達は驚くと共に恐れるのであります。なぜならば、このヨセフを兄弟達が奴隷として売り渡してしまったからであります。ヨセフはヤコブの12人の子ども達の中でも、父のヤコブがこよなく愛している息子でした。他の兄弟達は面白くありません。何とかしなければとの思いが、ヨセフを奴隷として売ってしまうことでした。本当は殺すことまで考えたのですが、一番上の兄が殺すことは思いとどまらせたのでありました。売り飛ばされたヨセフは、不思議な力がありました。それは夢を解くということです。王様が変な夢を見ました。誰もその夢を解き明かすことができません。それがヨセフへの導きとなり、ヨセフは王様の不思議な夢を解き明かすのであります。7年間は豊作が続き、その次に来る7年間の飢饉は豊作を飲み込んでしまうというものです。だから、豊作の期間、穀物や食料を貯蔵することを王様に進言するのであります。王様はヨセフの夢の解き明かしを喜び、ヨセフを大臣にして食料の管理をさせたのであります。そこで食料の買い出しに来た兄弟達との再会になりました。ヨセフは恐れる兄弟たちに、「わたしはあなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と言うのであります。
 こうしてヤコブの一族はエジプトに寄留することになりました。その後、ヤコブもヨセフも死んでしまいます。そして、このエジプトに外国人が住んでいることの意味を知らない王様の時代になります。自分の国で外国人が多くなっていくことに恐れを持つのであります。それにより奴隷の時代が始まるのであります。奴隷として苦しむこと400年と言われています。この苦しみの声を神様が受けとめ、モーセという指導者を立てて救い出すのであります。モーセはこの大きな職務に恐れを持ち躊躇します。しかし、神様はモーセを励まし、救いの業を行わせるのであります。モーセはエジプトの王様ファラオに、聖書の人々がこの国から出ていくことを交渉します。しかし、王様は応じません。今や奴隷の力はエジプトにとっては大きな力になっているのであります。奴隷の労力がなければ何もかも進められなくなるのであります。かたくなに拒否をする王様に、モーセは神様の力を持って迫ります。水を血に変えてしまいます。いよいよ飲み水がなくて、王様は出て行ってもよいと言うのですが、元に戻ると再び過酷な労働を命じるのであります。この後、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災い、疫病の災い、はれ物の災い、雹の災い、いなごの災い、暗闇の災いを与えました。災いを与えられて苦しむときには、もはや奴隷を解放すると言うのですが、災いが無くなると心を翻してしまうのであります。
 そして、ついに最後の災いが下されるのであります。それが今朝の聖書になります。神様の最後の災いは、エジプトに住むすべての初子は死ぬということでした。聖書の人々もエジプトに住んでいるのです。神様の審判から救われるために、聖書の人々の家の鴨居に羊の血を塗っておくのです。審判の日、モーセは聖書の人々に、「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血をご覧になって、その入り口を過ぎ越される」と示すのであります。
 こうして過越の救いが与えられたのであります。この救いの過越は定めとし、永遠に守らなければならないと示しているのであります。子どもたちが、この儀式にはどういう意味があるのですか、と尋ねるならば、こう答えなさいと示します。「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と示しなさいと言うことです。従って、毎年この過越の祭りがおこなわれ、救いの原点を示され、救いを確認しつつ歩むのであります。救いは昔の出来事ではなく、今の出来事であると受けとめるのであります。今生きている場が救いの出来事であるということであります。今生きている現実に神様の御心が与えられているのです。高齢者はもちろん、若者にも同じように現実に神様の御心が与えられているのです。救いの現実を確実にすること、同じ信仰に導かれ、共に御心をいただきつつ歩むということを示しているのであります。

 主イエス・キリストも過越の食事を致します。旧約聖書過越の祭りが、イエス様による救いの時となるのであります。「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意致しましょうか」と弟子たちが聞きました。すると、イエス様は、「都に行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子達と一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい」と言われたのであります。
最初のところに「除酵祭」とありますが、これは「種入れぬパンの祭り」であります。旧約聖書で、神様の最後の審判の時、羊の血を家の鴨居と二本の柱に塗っておきました。それによりエジプトに審判が下され、王様のファラオは奴隷を解放したのであります。人々は急いで種入れぬパンを作り、それを持って脱出したのであります。種とは膨らまし粉、イースト菌であります。パンをこねて、ゆっくりとパンを作る時間がありません。急いで脱出した記念であり、救いの記念でありました。それは歴史を通して守られてきました。イエス様の時代も種入れぬパンの祭りとして過越の祭りがお祝いされたのであります。
 こうして準備された食卓で、イエス様は救いの儀式を示されたのであります。マルコによる福音書14章22節以下は「主の晩餐」として示されていますが、「最後の晩餐」なのであります。「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」と言われたのであります。イエス様の十字架による贖いはこの後ですが、あらかじめ儀式を示されたのであります。イエス様が十字架にお架りになり、復活されたとき、お弟子さん達はイエス様の残された儀式をしっかりと受け止め、聖餐式として守るようになりました。イエス様が十字架にお架りになる前に、最後の晩餐を通して聖餐式をお定めになられたのは、十字架の救いが前提であります。十字架により血が流されること、その血は救いのしるしであるということを示されているのであります。従って、十字架の救いを信じて洗礼を受けること、そして聖餐式に与ることが救いの確信となるのであります。同じ信仰に導かれるのであります。

 救いの出来事は生涯にわたり、信仰者の基であります。救いの出来事をいつも原点にしつつ歩むことが私たちの願いであります。
 聖餐式は信仰を導く原点ですから、聖餐式に向かう姿勢が大きな証しになっています。私は1979年9月に大塚平安教会牧師に就任しました。大塚平安教会は神奈川教区の中でも湘北地区に属します。湘北地区は大和、綾瀬、海老名、座間、伊勢原、秦野、相模原市にある教会の群れです。地区には17の教会があります。毎年、1月1日には湘北地区新年合同礼拝が開かれていました。多くの場合、新しく就任した牧師の教会で礼拝をささげ、新任の牧師が説教を担当するということでした。9月に就任したばかりですが、その新年合同礼拝の説教を行うことになったのです。説教は何とか務めさせていただいたのですが、その後に行われた聖餐式で、私は強烈な印象を与えられました。聖餐式の司式は私が行い、配餐者のお一人が相模原教会牧師の伊藤忠利先生でありました。相模原教会は伝統的なメソジスト教会の流れを受け継いでいる教会です。聖餐式において、伊藤先生はパンを会衆の皆さんに配り、そして最後にご自分も聖餐式に与るのですが、パンを受けた先生は、そこで膝まずき、パンを押し頂いて、口にされたのでした。それはぶどう酒の杯も同じであります。聖餐を押し頂いて受けること、初めての経験でした。それまで、私の信仰は清水ヶ丘教会で導かれ、その後は神学校時代に奉仕教会として川崎教会、曙教会に出席しました。そして、神学校を卒業して、伝道者として青山教会、陸前古川教会、登米教会、そして大塚平安教会であります。いくつかの教会を経験しましたが、伊藤忠利先生のような姿勢で聖餐式に臨む姿は経験していません。聖餐式を真にお恵みとして頂く姿勢、強烈な印象でした。出身の清水ヶ丘教会も聖餐式に臨む姿勢は大切にしています。250名も出席する礼拝で、聖餐式には10名の皆さんが配餐者として奉仕しますが、奉仕者は白い手袋をして聖餐に臨むのです。伊藤忠利先生の聖餐式に臨む姿勢に示されましたが、だからといって、私も同じようにしているのではありませんが、聖餐式に臨む姿勢を教えられているのです。
 イエス・キリストが十字架にお架りになって、私の中にある自己満足、他者排除の姿を滅ぼしてくださったのです。イエス様はご自分を犠牲にして、私達人間を真に生きる者へと導いてくださっているのです。その救いの原点が聖餐式なのです。聖餐式に繰り返し臨むことが、私達の救いということなのです。それは私たちが同じ信仰に導かれるということなのであります。
<祈祷>
聖なる神様。救いの出来事により、主の十字架の救いを与えてくださり感謝致します。救いの出来事が生涯の支えとなり、導いてください。主の名によって祈ります。アーメン。