説教「光をいただきながら」

2017年6月25日、三崎教会
聖霊降臨節第4主日」 

説教・「光をいただきながら」、鈴木伸治牧師
聖書・イザヤ書60章19-22節
    マタイによる福音書5章13-16節
賛美・(説教前)讃美歌21・353「父・子・聖霊の」
    (説教後)509「光の子となるために」


 前週はお招きをいただきまして、戸塚にあります明治学院教会の講壇に立たせていただきました。明治学院教会は日本基督教団に属さない教会ですが、明治学院として教会を設立し、宣教を推進しているのです。戸塚にある明治学院里山の上に建てられていますので、周りは自然に囲まれており、恵まれた環境であると思います。ここで学ぶ学生さんたちも、勉学に集中できるのではないかと思うのです。その一角に礼拝堂が立てられています。明治学院の正門から入って、両側の自然を見ながら進むと学校と教会になるのです。静かな良いところだと思うのですが、教会としては、なかなか入りにくいのではないかと思います。正門には守衛さんがいて、目的を述べて、山道のような道を進むのです。都会の街中にある教会は、その存在だけで伝道にもなります。道行く人が、突然教会に入って来ることもあるのです。一般の人はなかなか機会がないのですが、教会は学生伝道にも力を入れているのですが、その学生も日曜日の礼拝出席は自由ですので、学生も出席がないのです。以前、教会ではなく、明治学院のお招きをいただいて学生礼拝の説教をいたしました。しかし、学生礼拝と言っても、出席は自由ですから、数人の出席でした。
 明治学院教会は神奈川教区が教区音楽祭の会場として使わせていただいていますので、大塚平安教会時代、聖歌隊が出場するので何回か礼拝堂を出入りしています。誠に教区音楽祭の会場としては良いところであります。おおぜいの皆さんがここで賛美をささげる喜びがあるのですが、日曜日の礼拝となると、少人数しか集まらない現実です。しかし、人々から隔離されているような場所であったとしても、このところから主の光が発進されていると示されました。まさに里山の上に建てられた教会として、戸塚の街に主の光を発進しているのです。教会が立てられている。ではそこに大勢の人が集まるのか。そのような短絡的な思いではなく、人が集まる、集まらないということではなく、ここから主の光が世の人々に発信されているということを示されなければならないのです。
 私は神学校を卒業して、まず東京の青山教会に伝道師として就任しました。そして4年後に宮城県の陸前古川教会に赴任しました。それまで40年間、教会を担ってきた牧師が退任されましたので、その後任として赴任したのです。赴任した頃は30代の前半でしたから、そして、牧師になって初めての教会であり、いろいろと試みながら伝道・牧会に励んだのです。しかし、なかなか伝道の成果が得られませんでした。こんなに一生懸命伝道しているのに、結果が得られないこと、力不足を示されるのでした。それで、前任の牧師に、心境を手紙に書き送ったのでした。すると、退任された牧師からご返事をいただきました。「教会には人が来ないものですよ。40年間の牧会で、あなたと同じような気持ちで務めてきました。それでも福音の種を蒔き続けることです。誰も来なくても、教会は光を世に発信しているのです」とのお言葉でした。私はそのお手紙を読み、なんか肩の力が消えたような思いでした。焦ることなく、人が集まることだけを目指すのではなく、ここから主の光が発進されている、そのことを示されつつ教会の務めを果たすべきだと示されたのでした。それ以来、教会の教勢に重きを持たなくなりました。教団出版局からの「信徒の友」に「日毎の糧」欄があり、毎日教会が紹介されています。礼拝出席が10人、15人という教会が多いのです。いつもその数字を見ながら、この教会から世の人々に主の光が発進されているので、喜ばしく示されています。
 教会はイエス・キリストの光をいただくところであります。イエス様の光をいただき、日々の歩みが導かれ、喜びがあたえられるのです。今朝、私達も教会に導かれています。イエス様の光を与えられているのです。

 キリスト教の私達は主の光をいただき、その光を人々に述べ伝えているのであります。今朝の旧約聖書イザヤ書は神様の「栄光と救いの到来」を人々に示しています。今朝のイザヤ書は60章から示されています。背景的には、聖書の人々が約50年間、バビロンの国で捕われの身分であり、その時代が終わって故郷に帰った人々に対する励ましであります。捕らえられていた時代から解放されて故郷に帰っていますが、かなりの時が経っています。最初は喜びつつ故郷に帰ってきたのでありますが、あまりにも異なる現実の生活でした。もはや昔の面影はありません。苦しい状況の中で生きることを余儀なくさせられていたのであります。そのような人々に神様の「ご栄光と救いの到来」を示しているのが、60章であります。今朝は19節からでありますが、60章の冒頭は大変美しい言葉で救いを述べています。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」(イザヤ書60章1-2節)と示されています。
 太陽の光、月の明かりは人間の喜びであり、また希望でもあります。しかし、日々の歩みにおいて、朝が来ること、夕闇がせまるとき、人間のさまざまな思いが渦巻くのであります。讃美歌21の218番は、「日暮れて闇はせまり、わがゆくてなお遠し、助けなき身の頼る。主よ共に宿りませ」と歌っています。日々の生活で、いろいろな人間関係、社会生活に疲れている人々なのであります。疲れていてもこの生活は担わなければなりません。まさにイザヤ書の背景の人々の姿でありました。現実を失望しつつ生きなければならなかったのであります。「主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」と言い、「主なるわたしは、時が来れば速やかに行う」と示しているのであります。だから、もはや現実に光が射しているのであるから、勇気と希望を持って歩みなさいと宣べ伝えているのであります。神様の光をいただき、あなたがた自身が光となりなさいと示しているのであります。「あなたの民は皆、主に従う者となり、とこしえに地を継ぎ、わたしの植えた若木、わたしの手の業として輝きに包まれる」というのであります。「わたしの植えた若木」は61章では「正義の樫の木」と言い換えています。61章3節に「シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木と呼ばれる」と示されています。今は嘆きの最中にいますが、必ず神様の光が現れると示しているのであります。必ずや私の現実に光が与えられるのです。そして、この私から光が放たれるのであります。人々に希望の光となり、喜びとなる光が人々に示されるのであります。それはイエス様が「あなたがたは世の光である」と示しているとおりなのです。

 「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と主イエス・キリストは示しています。マタイによる福音書は5章から7章まで、主イエス・キリストが山上において説教をしています。まず、「幸い」について教えておられます。そして、その後に「地の塩、世の光」としての教えをしています。「山上」と言いますから、高い山の上かと思われますが、なだらかな丘のことであります。そこに大勢の群衆がイエス様の教えを聞こうと集まってきています。イエス様はそれらの群衆を見て、丘の上の方にあがられ、腰を下ろして話し始められたのであります。従って、今イエス様のお話を聞いている人々は、まずお弟子さん達であります。そして、イエス様のお話しを聞こうと集まってきた積極的な人々なのです。ですから、イエス様は積極的にイエス様のお話しを聞こうとする人々に「あなたがたは地の塩である」と言われ、「あなたがたは世の光である」と言われているのです。これからそのような人になりなさいと言っているのではありません。あなたがたは、既に「地の塩、世の光」になっているといっているのであります。このことはイエス様の教えを聞いている人々が、イエス様の弟子であることを確認していることでもあるのです。お弟子さん達はもちろんでありますが、イエス様の教えを求めて集まってきた人々もイエス様のお弟子さんであると言うことです。この山上の説教はお弟子さん達への教えであるということです。これからそのようになりなさいと言うのではなく、既にそのようになっているということであります。そのことは、 今朝も私達は教会に出席していますが、イエス様の御心をいただくために、積極的にこのところに真似がれているのです。
 お弟子さん達は「地の塩」なのです。ところが、塩であるのに塩気がなくなってしまうのであれば、もはや塩ではありません。「その塩は何によって塩味が付けられよう」と言うのです。塩は塩味を出すのであります。塩気のない塩には塩味が付けられないと示しているのです。「地の塩」と言われるとき、塩は何よりも味を出す働きがあります。腐敗を防ぐ働きがあります。あるいは象徴的に清めの働きをするのです。これらの塩の働きの根源は神様の御心であります。神様の御心は人々に希望を与え、御心に生きる人々には恵みが施されます。しかし、御心から離れるならば、すなわち神様ではない偶像に心を寄せるならば、神様の審きがあるのです。イエス様の弟子として生きるならば、「地の塩」として歩まなければなりません。塩味のない塩は、もはやイエス様の弟子とは言えないのです。「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」と言われています。これは塩気のない塩そのものを言っているのですが、しかし人間に例えるとすれば、悲しいことでもあります。
 主イエス・キリストを信じて生きることこそ喜びであり、希望でありますが、その信仰を無理矢理に無くそうとすること、迫害というものがあります。これはローマ帝国時代のキリスト教迫害があります。旧約聖書でもダニエル書は信仰の迫害に対する励ましでありますが、その迫害に信仰を捨てざるを得ない人々もいたのです。新約聖書ではヨハネの黙示録がローマの迫害に生きる人々への励ましであります。励ましを受けながらも信仰を捨てた人々があるのです。日本では戦争中、キリスト教に対する迫害は厳しいものでした。「天皇陛下とキリストはどちらが偉いのか」と尋問を受けたり、天皇を神様として崇めない人は厳しく処罰されたのでした。遠藤周作という小説家が「沈黙」という作品を書いています。キリシタン迫害の物語です。その頃、幕府は信仰する者を棄教させるために「踏み絵」を用いました。最初は紙にイエス・キリストの十字架の絵や聖母マリアの絵が書かれており、その絵を足で踏むということでした。しかし、多くの人が踏むと紙は破けてしまうので、板に彫り付けたり、青銅で作るようになったということです。「踏み絵」を踏めば信者ではないことになります。しかし、信者はその信仰においてイエス様の「踏み絵」は踏めないのです。それで捕えられて拷問を受け、無理矢理に棄教させられるか、拷問により死んで行くのでした。拷問の恐ろしさに「踏み絵」を踏む信者もいました。「踏み絵」を踏んだ信者は、内面的には信仰をもって生きていたとしても、もはや信者ではなく、社会にあっても相手にされないような、無意味な人間になってしまうのであります。まさに塩気がない塩であり、投げ出される塩なのであります。
 「地の塩、世の光」としての教えを示されていますが、今朝の御言葉への向かい方は、「地の塩」になることの教え、「世の光」になることの教えではありません。イエス様の弟子として、既に「地の塩、世の光」であるのです。むしろ、塩でなくなることの警告、光の役目をしないことの警告でもあります。「ともし火をともして升の下に置く者はいない」とも示されています。ともし火、光は燭台の上に置くことにより、家中が明るくなるのです。「世の光」でありながら、その光を陰に置いてはいないか、テーブルの下に置いていないかとの警告であります。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と主イエス・キリストは私たちの弟子であることの確認を与えておられるのです。

 先ほどは明治学院教会のことをお話ししました。ひっそり奥まったところにある教会ですが、しかし、主の光が発進されているのです。私がイエス様の光に招かれるのは、やはり学校の中にある教会でした。そのことについては、今までも証させていただいていますが、今日はかいつまんでお話しをしておきます。日本の敗戦後、私の母は病院で入院していたのです。その母を近くの教会学校の子どもたちがお見舞いしてくれたのです。6月の第二日曜日、「こどもの日・花の日」の行事でした。母は、その後退院しますと、私を連れてその教会の教会学校に出席しました。花の日のお見舞いのお礼を述べ、これからはこの子が出席しますから、よろしくお願いしますと言うのでした。それからは母に押し出されて教会学校に出席したのでした。その教会は関東学院教会であったのです。学校の中にある教会であり、一般の人は出席しにくいのですが、どのような状況でありましょうとも、教会はイエス様の光を発進しているのです。その発進された光に、小学校3年生であった私が照らされたのです。だから、私もイエス様の救いの光、喜びの光を証ししているのです。その教会学校時代、忘れられない思い出があります。教会学校はほとんどが関東学院小学科の生徒でした。その関東学院が運動会の日でした。教会学校に行っても、数人の子どもたちしか出席していません。礼拝が終わり、分級になったときも、私一人でした。教会学校の分級の先生は、大学生であったと思います。生徒が一人なので、お祈りして終わりましょうということでした。そして、そのお祈りは私のためにお祈りしてくれたのでした。教会学校の先生が、私のために一生懸命お祈りしてくれたこと、その後の力になったと示されています。これこそイエス様の光なのです。
エス様の光は私達の日々の生活を照らし、お導きくださっているのです。
<祈祷>
聖なる神様。「地の塩、世の光」としての歩みを導いてくださることを感謝いたします。神様の永遠の光を人々に輝かすことができますよう導いてください。主によって、アーメン。