説教「お導きに委ねて」

2017年1月1日、六浦谷間の集会
降誕節第2主日」新年礼拝

説教・「お導きに委ねて」、鈴木伸治牧師
聖書・エレミヤ書31章15-17節
    マタイによる福音書2章13-23節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・412「きかずや」
    (説教後)讃美歌54年版・527「わがよろこび」


 新しい年が始まりました。今年は1月1日が日曜日であり、私たちキリスト者にとって礼拝をもって始まるこの年を感謝し、この一年も神様のお導きに委ねて歩むこと、主イエス・キリストにあって力強く歩むことを願っています。前週のクリスマス礼拝では、六浦谷間の集会が始まって以来の、クリスマス礼拝に出席された皆さんを示されました。今回は新年礼拝の六浦谷間の集会が始まって以来の出席状況を顧みてみました。礼拝出席記名簿に記すようになったのは2012年4月1日からですので、六浦谷間の集会の最初の新年礼拝である2011年1月2日は手帳に記録を記しています。私たち夫婦、子どもの星子や優、そして西尾弥生さんの5名で礼拝をささげました。2012年も1月1日が新年礼拝でしたが、この日は横須賀上町教会の講壇に招かれて、皆さんと新年礼拝をささげました。2013年は我が家の家族と西尾さんの5名で新年礼拝をささげています。2014年1月5日の新年礼拝も我が家の家族の5名で礼拝をささげています。2015年1月4日はバルセロナ滞在中であり、その日はサラゴサにいたので、あの大きなカトリック教会のピラール教会のミサに出席したのでした。出席ではなく見学でもありました。ある程度ミサを見学した程度であります。礼拝は1月1日に羊子がミサの奏楽奉仕をしているパロキアの教会に出席しています。そして、1月4日にはマドリッド日本語で聖書を読む会の皆さんと共に礼拝をささげ、そこで説教を担当させていただいたのです。さらに1月6日にはバルセロナ日本語で聖書を読む会の皆さんと共に礼拝をささげ、そこでも説教をさせていただいています。そして、1月7日には帰国の途に着いたのです。昨年2016年1月3日は六浦谷間の集会としての新年礼拝を、初めて夫婦二人でささげたのでありました。子ども達はそれぞれの予定があり、礼拝には出席できなかったのです。礼拝記名簿には、連れ合いのスミさんがいつもコメントを記しています。その日のコメントとして、「全国的に暖かい日が続いているが、この辺は特に暖かい。物音一つしない静けさにびっくり」と記しています。
 六浦谷間の集会における新年礼拝を振り返ってみましたが、2010年11月から始められた六浦谷間の集会が、神様のお導きをいただき、そしてそれぞれの皆さんも神様のお導きをいただき、今日まで祝福のうちに歩んでおりますことを、心から感謝したのでした。それらのお導きを基としまして、2017年の主題として、「神様のお導きに委ねつつ」の聖書の言葉を与えられています。聖書の言葉は、「わたしたちは、霊の導きに従って生きているのなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」(ローマの信徒への手紙5章25節)です。私たちは自分の力で日々歩んでいると思っているのですが、神様のお導きであることを忘れてはならないのです。私は2010年10月以来、無任所牧師になりました。横須賀上町教会や三崎教会のお招きをいただきつつ礼拝を担当させていただいます。その他は六浦谷間の集会として、基本的には夫婦二人で礼拝をささげています。時には家族、知人が出席され、今日まで礼拝が導かれています。この事を覚えても、「神様のお導きに委ねつつ」歩んできたことを示されています。横須賀上町教会は昨年の7月で終了しましたが、10月からは横浜本牧教会の説教を月に一回担当するようになり、神様はまだまだ牧者としての導きをあたえてくださっていると示されているのです。10月から担うようになった早苗幼稚園の園長も、やはり神様のお導きであると示されています。隠退牧師でありながら、お導きがあるということ、誠に感謝であります。この新しい年も、「神様のお導きに委ねつつ」歩みたいと願っています。

 旧約聖書エレミヤ書31章は「新しい契約」でまとめられています。聖書の国はもともと一つの国でありましたが、お家騒動で国が二つに分かれてしまいます。北イスラエルと南ユダであります。北イスラエルは大国アッシリアにより滅ぼされてしまいました。南ユダもアッシリア、エジプト、バビロン等の大国の間で苦渋の選択をしなければならない状況でした。エレミヤはそのような時代に現れた預言者であります。常に希望をなくしている人々に神様のお心を示し、希望をもって生きるよう励ますのであります。31章7節では、「主はこう言われる。ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。諸国民の頭のために叫びをあげよ。声を響かせ、賛美せよ。そして言え。『主よ、あなたの民をお救いください。イスラエルの残りの者を』」と示しています。神様は確実に導いてくださるので、希望を持ちなさいと示しているのであります。そして、新しい契約として示しているのは31節以下であります。33節以下に、「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らは私の民となる」ということであります。聖書の人々はエジプトの国で400年間の奴隷生活でありましたが、神様はモーセを立てて、救い出したのであります。エジプトを出た人々に、神様は十戒を人々に示したのであります。これが契約というものでありました。十の戒めを守るならば、あなたがたは後々までも祝福が与えられるというのであります。しかし、この十戒を守らないならば祝福はないというのでありました。十戒は神様のお導きをいただき、御心に従って生きる基本的な示しであります。しかし、エレミヤは、新しい契約は「彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」と示しているのであります。目で見て悟り、耳で聞いて悟るのではなく、直接心に授けるというのでありました。このエレミヤの預言こそ、主イエス・キリストの出現であり、十字架の救いなのであります。
 エレミヤ書の今朝の聖書は31章15〜17節であります。ここではラケルの悲しみが記されています。ラケルヤコブの最愛の妻で、彼女はヨセフとベニアミンの二人の子どもができました。ヨセフの子どもがエフライムで、北イスラエルを意味するようになります。今や北イスラエルアッシリアに滅ぼされていますので、その悲しみをここに示しているのです。その悲しむ人々に慰めと希望を与えているのです。「主はこういわれる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰ってくる。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰ってくる」と示し、あなたの未来には希望があると示しています。主イエス・キリストの出現があるということです。旧約聖書における未来は、新約聖書における現実であります。預言されていたことが、すべて成就したと新約聖書は示しているのであります。そして、私たちにとっては未来とは主イエス・キリストの成就から発展へと導かれているのであります。

 主イエス・キリストヘロデ王の時代にユダヤベツレヘムでお生まれになられたとき、東の国から占星術の学者たちが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言いつつ都エルサレムにやってきたのでした。ヘロデ王も都の人々も皆不安を抱いたといわれます。ヘロデ王は国の主だった者たちに、学者達が言っていることについて調べさせます。それにより、救い主はベツレヘムで産まれることになっていることが分かり、学者達にそのことを教えるのです。学者達がベツレヘムに向かうと、再び導きの星が現れて、幼子のもとへ導いたのでありました。学者達は喜びにあふれ、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬の宝物を贈り物としてささげたのでありました。黄金は天の国の豊かさであり、乳香は天の国の香りであり、没薬は死後の祝福すなわち永遠の天の国を意味すると理解できます。黄金、乳香、没薬からメッセージが示されますが、今朝は特に天の国の豊かさと香りと永遠の天の国の意味づけを学者たちがささげたことに留めます。その後、学者たちはヘロデ王に報告することなく自分達の国へ帰っていったのでありました。
 ヨセフさんに主の天使が現われて言います。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と告げます。ヨセフはすぐさまエジプトに逃れたのでありました。ヨセフとマリア、そして幼子イエス様がエジプトにどれくらい滞在したかは定かではありません。しかし、滞在したことにより、ここにおいてもキリスト教が成立するのであります。コプト教と称しています。エジプトにはヨセフとマリア、幼子イエス様が過ごした家があり、そこを根拠としてコプト教が発展していったのであります。私も聖地旅行をしたとき、そこを訪ねたのですが、狭い路地を通って行きましたが、家そのものは随分と大きなものでした。だんだん記憶が遠のいています。従って、エルサレムの神殿跡にもコプト教の聖壇が置かれておりました。
 ヘロデ王は学者達が報告に来ないで帰ってしまったので、大いに怒りました。そして、ベツレヘムとその周辺一体にいた二歳以下の男の子を殺したといわれます。そこで、エレミヤ書31章15節以下の言葉が引用されるのです。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ」とエレミヤの預言を引用していますが、マタイによる福音書は悲しみの声だけを重ねていますが、その後の「希望の未来」については引用していません。なぜならば、希望の未来であるべき主イエス・キリストが出現したからであります。エレミヤの時代にあっては、まさに希望の未来でありましたが、マタイにおいては希望が現実になったからであります。「主はこういわれる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰ってくる。あなたの未来には希望がある、と主は言われる」との預言は主イエス・キリストの出現により成就したのであります。
 権力者であるユダヤヘロデ王が死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現われ、「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっている者どもは、死んでしまった」と告げるのでした。そこで、ヨセフは幼子とその母を連れてイスラエルの地に帰ったのであります。そして、お告げのままにガリラヤ地方のナザレという町に行って住んだのでありました。「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった」と示されています。これはイザヤ書11章1節の言葉、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」と預言されています。ここで示されている「若枝」はヘブル語でネセルといいます。そのネセルがギリシャ語で言えばナザレとなります。その意味でも預言の成就としてガリラヤ地方のナザレに若枝が育つのであります。
 この若枝は人々に希望を与え、喜びを与え、生きる勇気を与える存在として現れたのであります。この救い主イエス・キリストに希望をおくことが私たちの人生なのであります。私たちはこの現実をイエス様が導いてくださっていることを信じるのであります。「導きに委ねつつ」歩む私たちでありたいのです。

 どこの国の人々も新年の喜びは同じです。過ぎ去った一年を振り返り、新しい年への希望を持っているのです。1995年12月29日から翌年の1月7日までイスラエル旅行をしました。いわゆる聖地旅行です。まずエジプトに渡り、そこからバスでシナイ半島に渡り、31日の夜にシナイ山に登り、元日の朝、ご来光を経験することでした。その前の31日はシナイ山の麓で自由時間でありましたので、近辺を散策していました。川崎教会の山鹿昭明牧師と一緒でした。そのとき、現地の青年に会いましたとき、青年は親し気に「happy new year」と挨拶してくれました。しかし、まだ31日ですので、思わず私達は顔を見あわせてしまいました。現地の青年も、早く新年になるのを望んでいたのかもしれません。
 ところでクリスマスには占星術の学者たちが、星に導かれてイエス様を拝みに来たことは、マタイによる福音書の報告であり、先ほども触れました。ヘロデ王から、救い主はベツレヘムに生まれることになっていることを示され、彼らはベツレヘムへと向かったのです。すると、導きの星が再び現れ、彼らを導いたと記されています。ここで、疑問を持ちます。占星術の学者たちは星に導かれて救い主の現れた方角を目指していたのです。ところが彼らは都のエルサレムに行ってしまいました。そこは星の導きではなかったので、彼らは迷ってしまったのです。それで、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ね歩かなければならなかったのです。そこでは星の導きはありませんでした。星を見失ってしまっているのです。疑問とはこの点です。彼らが星に導かれるままに従っているなら、そのままベツレヘムへと導かれたはずです。しかし、彼らは極めて人間的な思いに駆られたのです。救い主、ユダヤ人の王としてお生まれになったのであるから、都のどこか、王宮の中にいると思ったのかもしれません。それで、星の導きを無視して、自分達の思いで都に入ってしまったのです。もはや星の導きはありませんでした。そして、ベツレヘムへと向かったとき、再び導きの星が現れたのでした。人間的な思いに生きる限り、導きはないのです。主の「導きに委ねて」歩むとき、導きの星は、常に私達の前に輝いているのです。私たちの導きの星はイエス様の十字架であります。
<祈祷>
聖なる御神様。主の十字架のお導きを感謝致します。この救いの星を見失うことなく歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。