説教「喜びにあふれる」

2015年1月6日 バルセロナ日本語で聖書を読む会


説教、「喜びにあふれる」 鈴木伸治牧師
聖書、 エレミヤ書1章11〜13節、
    マタイによる福音書2章1〜12節
賛美、(説教前)讃美歌21・278番「暗き闇に星光り」
    (説教後)讃美歌21・567番「ナルドの香油」


 2015年の歩みが始まりました。クリスマスにおいて新しい歩みが始まっていますが、この世のカレンダーが新しくなり、それなりに新しい歩みを導かれたいのであります。新しい歩みでありますが、今朝は顕現祭、エピファニーであります。まだクリスマスが続いているのです。東の国の占星術の学者さんたちがイエス様にお会い、喜びにあふれた事、それは世界中の人々が喜びにあふれる始まりなのです。その意味でもキリスト教の国々は顕現祭、エピファニーを大切にしているのです。日本では12月25日が終わればクリスマス飾りは撤去され、松飾りになります。その変わり様の早さには笑ってしまうのですが、クリスマス時期にはいろいろな場でクリスマスの歌が歌われることだけでもうれしく思っています。特に「きよしこの夜」の讃美歌は知らない人はいないくらいに知れ渡っています。
 私は2010年3月を持ちまして、それまで30年間務めました大塚平安教会を退任しました。その後も代務牧師として務めましたが、現役としては42年間の牧師でした。大塚平安教会の30年間の牧会はいろいろな職務を持ちつつの働きでした。クリスマスの時期になりますと、教会に関わる知的障碍者施設が二つありまして、いずれもそれぞれクリスマスのお祝いをします。教会には幼稚園があり、その幼稚園ではクリスマス・ページェントを全園児が演じます。本番のために毎日練習をするのですが、ほとんど毎日「きよしこの夜」を歌うのです。そして幼稚園のお母さんたちのクリスマスが開かれます。お子さんを家族に託し、お母さんたちは教会でクリスマス礼拝をささげるのですが、その時に歌う「きよしこの夜」に感激致します。教会では婦人会と家庭集会が合同でクリスマスのお祝いをいたします。そこでも「きよしこの夜」が歌われます。そして教会のクリスマス礼拝、キャンドルサーヴィス、教会学校のクリスマスで「きよしこの夜」が歌われます。さらに私は八王子医療刑務所教誨師であり、また神奈川医療少年院篤志面接委員であり、そこでも皆さんと「きよしこの夜」を歌っていました。
 12月はまさに「きよしこの夜」を歌い続ける月でもありました。毎年、毎年繰り返し「きよしこの夜」を歌っていますが、意外とこの歌が作られていく過程を知りませんでした。それで、今回少しばかり調べてみたのです。
この歌の作詞者はヨーゼフ・モール(1792-1848)であり、作曲者はフランツ・グルーバー(1787-1863)と言われています。オーストリアザルツブルグで生まれたヨーゼフ・モールは、子供の頃には聖歌隊で歌い、後にザルツブルグからそう遠くないチロル地方のオーベルンドルフという人里離れた村の教会の助祭となりました。1818年の12月24日、モールは、自分の教会のオルガニストで友人でもあるフランツ・グルーバーから、教会のパイプオルガンが壊れているので、クリスマス・イブの深夜のミサには使えないだろうと聞かされました。なんと、ネズミがオルガンのふいごをかじったのです。しかも、雪が深く積もっており、礼拝の前に修理工が来るのは無理でありました。モールは、よりによってクリスマス・イブの礼拝にオルガンを使えないと聞いて、途方に暮れました。そこへ誰かが、貧しい農婦に赤ん坊が生まれたから祝福してやってほしいと知らせに来ました。星の輝く冬の夜、雪道を通って家に帰る途中のモールは、初めてのクリスマス(イエス様の誕生)のことを考えていた。訪問先の家で母親の腕に抱かれた赤ん坊を見たせいで、マリヤさんと赤ん坊のイエス様のことが思い出されたのでしょうか。
その昔、イエス様の誕生の夜に、天使たちは羊飼いたちに歌を歌ったのでした。帰宅し、そのことを考えていると、感動が言葉になって出てきました。ペン先から言葉がすらすらと流れ、紙に最初の行を書くやいなや、また次の行が書かれるという具合だったのです。そしていつのまにか、数節の詩ができあがっていました。しかし、そのためのメロディーがありません。モールは何とかクリスマスの礼拝でそれを歌いたかったのです。そこで、曲を作ってもらおうと、グルーバーの元に急いで行きました。グルーバーはモールの求め通りにし、1時間もしない内にその曲を書き上げた。というわけで、1818年のクリスマス礼拝に、モールのイタリア製ギターの伴奏にのって、モールがテノール、グルーバーがバスを担当し、二人の女性の歌い手と共に四重唱をしました。この歌は人々に喜ばれながら広まっていきましたが作詞作曲者不明で広まっていったのです。
1854年プロイセン王国フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が初めて「きよしこの夜」を耳にしました。ベルリンの皇帝教会で聖歌隊が歌うのを聞いて、プロイセン王国でのすべてのクリスマス・プログラムでは最初にこの曲が歌われなくてはならないと宣言しました。また、宮廷音楽家たちに、作詞者と作曲者を探し出すようにと命じた。その年、音楽家たちはザルツブルグの聖ペテロ修道院の修道士たちに、この曲の出所について何か知らないか尋ねました。喜ばしいことに、そこの聖歌隊の中に、フランツ・グルーバーの息子、フェリックス・グルーバーがいて、この少年はそれが父の書いた曲であることを修道士たちに納得させたのでした。こうして、オーストリアの小さな村で誕生した「きよしこの夜」は、たくさんの言語に訳されて、世界中の人にクリスマスの安らぎを告げています。願わくは、この歌により真に「喜びにあふれる」ことであります。

 「きよしこの夜」を歌いながら、私達は何を見ているのでしょう。楽しいクリスマスに「きよしこの夜」と歌いながら、人々は何を見たのでしょうか。多くの場合、ただ「楽しい」だけに終わっているのです。お正月に何を見るか。この場合は、人々は「新しさ」を見ているのではないでしょうか。新たなる思いで歩み出すことは大切なことであります。今与えられている事柄の中に何を見ているのか、このことが大切なことなのです。
 今朝の旧約聖書エレミヤ書1章11節以下ですが、神様がエレミヤに「何が見えるか」と問うています。エレミヤは「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます」と答えます。すると神様は「あなたの見る通りだ。わたしは、私の言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)」と言われたのです。へブル語で「アーモンド」と「見張る」との言葉が似たような言葉であり、「アーモンド」を見ては「見張る」ことが示されるということです。神様が世の動きを見張っていることを示しているのです。まず、エレミヤに神様の「見張り」を示し、見張りの結果を示すのです。さらに神様は幻を示し、「何が見えるか」と尋ねています。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています」とエレミヤは答えるのでした。「北から災いが襲いかかる。この地に住む者すべてに」と神様はエレミヤに示しているのです。だから神様はエレミヤに、「あなたは腰に帯を締め、立って彼らに語れ。わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな。わたし自身があなたを、彼らの前でおののかせることがないように」と言われています。北からの恐るべき侵入者に対して、この国の指導者達はうろたえるが、はっきりと神様の御心を示しなさいと告げているのです。そのために神様はエレミヤに「アーモンド」を示し、神様が見張っていることを示しているのです。アーモンドはアーモンドです。ただアーモンドであると理解しただけでは、真に見ていないということです。アーモンドを見ることにより、言葉が似ている「見張り」を見なければならないのです。
 私達は見方によって異なる絵があります。一枚の絵の中で、見方によっては「若い娘」に見えますが、視点を変えると「老婦人」としても見ることが出来るのです。2012年9月10月にももバルセロナに滞在しましたが、その期間にダリ美術館を見学しました。ダリの作品の中に「だまし絵」があります。リンカーンの顔が描かれているのですが、見方によってはダリの愛人ガラにも見えるのです。目の錯覚でもありますが、多くの場合、自分の意思が先行して物事をみますから、自分の思いのように見てしまうことがあるのです。この事柄の中に何を見るのか、常に問われていることです。

新しい年が始まり、新しいということで喜べないのが現実の社会です。今までの課題はそのまま残されているのです。不安の社会の中に、苦しみの社会の中に神様のお導きがどこにあるのか、しっかり見つめなければならないのです。
新約聖書は「何が見えるか」との旧約聖書の問いを示しています。マタイによる福音書2章1節以下であります。これはクリスマス物語であります。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤベツレヘムでお生まれになった」と報告しています。主イエス・キリストベツレヘムで現れることは旧約聖書からの待望でありました。占星術の学者達が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と言いつつ、都のエルサレムにやってきたのであります。それを聞いたヘロデ王は不安を抱きます。そしてヘロデ王は祭司長たちや律法学者たちを集めて、占星術の学者たちが言っているメシアについて調べさせるのです。そこで得たことは、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決して小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」との旧約聖書のミカ書5章の預言でありました。つまり、救い主はベツレヘムから現れるということをマタイによる福音書は強調しているのであります。
 面白いという言い方は語弊がありますが、占星術の学者たちは東方で救い主出現の星を見ました。その星に導かれてやってきたのですが、目的地を見失ったのでしょうか。ベツレヘムではなく都エルサレムに来たのです。そして、どちらにいますかと捜しています。それで、ヘロデ王が調べた結果、ベツレヘムであることが分かり、学者たちに教えてあげるのであります。ヘロデ王ですから、本来は自分の家来を学者たちと共に行かせるのでありましょうが、それをしないで占星術の学者たちだけを行かせるのでありました。ヘロデ王は不安を抱いており、都の人々も同様でありました。ここは秘かにことを運ばなければならないのであります。しかし、学者たちは救い主の幼子に出会いますが、彼らはヘロデ王に報告することなく自分の国へと帰って行ったのであります。学者たちがヘロデ王の言葉を聞いてベツレヘムに向かうと、再び東方で見た星が先立って進み、救い主のいる場所の上に止まったのでありました。星が見えなくなり、学者たちがエルサレムに行ったことは、ヘロデ王や人々への告知であったのでありましよう。不安を抱く、恐れが生じる、それは救い主が現れたからです。新しい歩みが始まるとき、不安と恐れが生ずるのです。
 占星術の学者たちは星を見ては世の中の流れを人々に示していました。ですから毎日天を仰いでは星を見つめていました。どんな星をも見ようとしていたのです。いろいろな星を見つめるうちにも、一つの星を見つめることになるのです。「何を見るか」との神様の問いは占星術の学者たちにも与えられました。そして、その星は単なる星ではなく、大切な星であり、救い主が現れたというしるしの星であることが示されたのです。「何を見たか」の答えは、星ではなく救い主降誕のしるしであったのです。そして星に導かれて、お生れになったイエス様のもとに行きました。「喜びにあふれた」と聖書は記していますが、導きの星を見て、喜びにあふれたのであります。

 トルストイの童話「靴屋のマルチン」は良く知られています。孤独に生きるマルチンさんが聖書を読んでいると、「明日、行くから待っていなさい」とイエス様の声が聞こえたのです。そして、翌日の朝になって、マルチンさんはイエス様が今来るかとそわそわしていました。ふと外を見ると雪かきの仕事をしているおじいさんがぼんやりしていました。マルチンさんは気の毒に思って、おじいさんを家に入れ、温かい飲み物を振舞ってあげました。それからしばらくすると、外で赤ちゃんの泣き声がします。見ると、この寒さの中で女の人が普通の服で、泣いている赤ちゃんをなだめているのです。マルチンさんはすぐに声をかけて家に入れてあげました。温かい食べ物を食べさせてあげ、マルチンさんの外套を与えてあげました。涙を流しつつ帰って行きました。またしばらくすると、外で騒々しい声がします。男の子がおばあさんが持っている籠からリンゴを盗もうとしたのです。マルチンさんはすぐに二人のもとに行き、なだめてあげました。おばあさんも怒るのをやめ、子供もおばあさんに謝っています。二人は仲直りし、子供はおばあさんの荷物をもって帰って行きました。さて、もはや夜になったとき、マルチンさんはイエス様は来なかったと思うのです。すると何やらもの音がしました。後ろを振り返ると、あの雪かきのおじいさん、赤ちゃんを抱いた女の人、リンゴのことでいざこざを起こしていたおばあさんと男の子が現れたのです。そして、イエス様の声が聞こえてきました。「マルチン、わたしは今日、あなたの家に行ったのだよ。あなたが親切にしてあげた人たちはわたしだったんだよ」と言われたのです。
 マルチンさんは人々がイエス様には見えませんでしたが、イエス様のお心を持って人々に出会いました。「何が見えるか」との問いは、一人の存在でした。その存在に心を寄せたとき、イエス様には見えませんが、イエス様に出会っていたのです。 ペトロの手紙<一>1章8節「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びにあふれています」と示されています。一人の存在をしっかりと見つめること、「何が見えるか」との問いに応えていることになるのです。十字架のイエス様がそこにおられるのです。イエス・キリストは十字架にお架りになり、すべての人々が心を寄せあい、共に生きるように導いてくださっているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架を仰ぎ見させてくださり感謝致します。真実を見ることができますようお導きください。主イエス・キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。