説教「始まっている救いをいただき」

2016年10月9日 
聖霊降臨節第22主日

説教、「始まっている救いをいただき」 鈴木伸治牧師
聖書、士師記11章29-40節
    ヘブライ人への手紙9章11-15節
     ヨハネによる福音書11章45-54節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・214「北のはてなる」、
   (説教後)讃美歌54年版・533「くしき主の光」


 10月の歩みはいろいろな取り組みを覚えながら礼拝を捧げることになっています。前週は世界聖餐日としての礼拝でした。世界聖餐日において私は洗礼を受けているので、いつもその証をさせていただいています。10月の第二日曜日の今朝は神学校日、伝道献身者奨励日であり、神学校を覚え、学ぶ神学生を祈る日であります。今朝も示された課題を祈りつつ礼拝をささげますが、今朝は小澤八重子さんの埋葬式がありますので、そのお証を示されたいのであります。小澤八重子さんは去る9月4日に召天されました。そして、6日には娘さんの自宅で葬儀が行われました。その葬儀の司式をさせていただいたのであります。そして、本日は相模メモリアルパークにて埋葬式が行われますので、その司式を承っています。本来、教会員が召天された場合、所属する教会の牧師が葬儀を担当します。しかし、小澤八重子さんは大塚平安教会の教会員ですが、私が担当させていただくことになったのです。小澤八重子さんは座間市立野台にお住まいで、1982年12月に大塚平安教会にて鈴木伸治牧師から洗礼を受けておられます。以後、教会のいろいろなご奉仕をされながら歩まれていました。家庭を開放されて家庭集会も開いていました。1996年にお連れ合いが逝去されたとき、お連れ合いはクリスチャンではありませんでしたが、キリスト教の葬儀をされたのです。ご自分をキリスト者として世に証されたと思っています。2008年頃に追浜にお住いの娘さん、和子さんご家族と住むようになりました。ご高齢になり、和子さんが心配されるようになっていたのです。私達は2010年3月に大塚平安教会を退任し、4月から六浦の地に住むようになりました。そして、その年の11月から六浦谷間の集会として礼拝をささげるようになったのです。そして、その礼拝の二回目の12月5日には小澤八重子さん、そして田野和子さんが出席されたのでした。田野さんは他教会員でしたが大塚平安教会に出席されていました。そして六浦谷間の集会に出席されたのでした。小澤八重子さんは、毎回ではありませんが、時々出席されていました。クリスマスやイースター礼拝の時には知人が結構出席されるので、皆さんとのお交わりが導かれていました。召天されるまで10回のご出席がありました。私達夫婦が外国生活をすることが多かったので、それがなければもっと出席されたかもしれません。出席されますと、いつも大きな声で讃美歌を歌っておられました。最初の頃は聖書もはっきりと読まれていました。最後に出席されたのは2015年4月5日でした。
 小澤八重子さんは洗礼を受けられるまで、いろいろなご苦労があったと証されています。しかし、イエス様が十字架にお架りになり、人々をお赦しくださいと祈りつつ召されたことを示され、ご自身も赦しの道を導かれるようになったのです。そして、隣人を愛する導きを与えられたのです。愛唱聖句はマタイによる福音書22章29節でした。「隣人を自分のように愛しなさい」とイエス様のお導きをいただいていたのです。主イエス・キリストの十字架の救いは2000年前に始まりましたが、その救いをいただいて歩まれた人生であったと示されています。十字架の救いは始まっています。その救いを私達もいただいています。さらに救いを確信しながら、人々に証していきたいのです。

今朝の説教は「始まっている救いをいただき」であります。「救いをいただく」ということは、私が贖われるということです。「贖う」という言葉は、今朝のヘブライ人への手紙の中で使われています。贖うというのは、「つぐなう」ことであり、代償として金品を差し出すことであります。贖いによって一人の人間が赦され、解放されるのです。古代の世界では贖いは動物に求めました。旧約聖書には罪祭という儀式があります。これは罪の贖いのために動物を犠牲にささげるのであります。罪を犯した者は、自分が死ななければならないのでありますが、それでは人間は皆死ななければなりません。ですから動物を犠牲にして、そして、それからは正しく生きようと決心するわけであります。主イエス・キリストの十字架の死には、旧約聖書の罪祭が一つの背景にあるのです。それから今朝の書簡、ヘブライ人への手紙9章15節以下に記される血の清めもあります。22節に、「こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです」と示されています。主イエス・キリストの十字架で流された血が人間の罪を贖うと示しているのであります。
今朝の旧約聖書士師記11章29-40節であります。この聖書の背景にあるものは、古代の世界の「犠牲」、「贖い」であります。士師記は一時的に出現する強い指導者を示しています。この頃は聖書のイスラエルは国ではありません。12の部族が神様を信ずる連合体という形でした。それぞれの地域で歩むとき、敵なる者が侵入し、人々を苦しめたのであります。その時、神様の導きのもとに立てられたのが士師でありました。士師を中心にして敵をやっつけるのであります。今朝はエフタの物語ですが、サムソンとかギデオン等の士師は今日にありましても用いられている名であります。
エフタは兵を従えて戦いに出ていますが、苦戦も考えられます。ここは神様の導きが必要であります。それでエフタは神様に誓いを立てるのであります。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出てくる者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くすささげ者といたします」と祈るのでありました。そして、その通りにエフタはアンモン人との戦いに勝利します。戦いを終えて家に帰ったとき、鼓を打ち鳴らし、家の戸口で踊りながら迎えたのは、実にエフタの娘でありました。エフタは大変悲しみますが、神様に誓いましたので、果たさなければならないのであります。
このお話しは、古代における犠牲をささげる歩みを良く示しているのであります。神様にお願いするときにも、感謝の祈りをささげるときにも、常に犠牲が用いられたのであります。古代でありますから、人間がささげられるということもありました。しかし、これはだんだん無くなってくる儀式であります。贖うことの原点が示されているのであります。

 新約聖書ヨハネによる福音書の今朝の聖書は、前回示されましたラザロの復活の余韻であります。ラザロの復活を目の当たりに示された人々は、多くの人々がイエス様を信じたと冒頭に示されています。しかしまた、この事実を時の社会の指導者に告げるものもいました。指導者達は議員を招集して会議を開きます。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」と言うのでした。人々が主イエス・キリストを信じることはメシア、救い主として信じることであります。人々が待望しているメシアは、昔現れたダビデ王のような存在でありました。従って、人々はイエス様を政治的王様として信じるようになるということです。そうすると主イエス・キリストを立てて、ローマに挑むことが考えられるのです。指導者達が心配しているのは、そのような暴動であります。ローマはユダヤの国が反旗をひるがえしたということで鎮圧にやってきて、神殿を破壊し、国民も滅ぼすのであります。実は、このヨハネによる福音書は紀元100年頃に書かれていますので、都エルサレムがローマに破壊される紀元70年のことは、充分心に残されていたのであります。今はイエス様のメシアということで、ローマに滅ぼされることを結び付けているのであります。そこで、大祭司のカイアファが、「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合だとは考えないのか」と人々を説得するのです。要するに主イエス・キリストを殺すということであります。暴動を抑えるためだとして人々を説得したのであります。
 こうしてイエス様は人間の好都合ということで殺されることになります。しかし、神様は人間の好都合と思っていることを、真に救いの根源にされるのであります。極めて人間的な好都合で殺されることになるのですが、神様は人間が好都合と思っていることを、むしろ神様の救いの根源とされたのでありました。神様は人間を愛しておられます。人間の営みを用いながら、人間を真の救いへと導いておられるのであります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネによる福音書3章16節〜17節)。
神様は主イエス・キリストを「救いの始まり」として世に遣わされたのであります。主イエス・キリストが十字架にお架かりになり、血を流されつつ死なれました。それは私の中にある罪なる姿を滅ぼされるためでありました。私の中には自分という、なかなか譲らない自己満足があるのです。人間の原罪であります。その原罪について、示されておきましょう。原罪については創世記3章に記されています。最初に造られた人間、アダムさんとエバさんはエデンの園に過ごしています。神様は二人に、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と戒めを与えます。彼らは神様の言うとおりに過ごしていました。ところが、蛇なる存在が彼らに現れます。そして、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と言うのです。そう言われると気になります。二人は改めて禁断の木の実を見るのです。すると、「その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」のであります。おもわず手を伸ばしてその実を取り、食べてしまうのです。聖書はここに人間の原罪があると示しています。自分の欲望を満足させるために、たとえ禁止されていようとも自分のものにしてしまう、そういう自己満足が人間の根本にあるのです。
人間は切磋琢磨して自分を克服することができるでしょう。しかし、克服できても根本にある自己満足は克服できないのであります。神様はこの人間を救われたのであります。主イエス・キリストを十字架に架け、イエス様の死と共に、人間の根本にある自己満足を滅ぼされたのであります。従って、私たちは十字架を仰ぎ見、イエス様の十字架の死と共に私が滅ぼされたと信じるのであります。そして、十字架を基として人生を歩む、そのしるしとして洗礼を受けるのであります。しかし、洗礼を受けたからと言って、全く清く正しい人間になったということではありません。やはり、自己満足はあります。しかし、その自己満足は絶えずイエス様の十字架の贖いによって、超えることができるのです。祈りつつ十字架の道を歩んでいるのであります。神様が始められた救いをいただくことが私達の願いなのです。もはやその始められている救いの中に入れられている私達です。

先ほども小澤八重子さんのお証を示されました。神様の始められた救いの中に導かれ、「自分を愛するように隣人を愛しつつ」歩まれた人生でありました。このイエス様の示しは、多くの人々を導いています。
10月を歩んでいますが、この10月はお二人の召天された方を心に示されるのであります。お一人は伊藤雪子さんです。伊藤雪子さんは2000年10月3日に召天されました。84歳のお誕生日をお祝いして、お子さんたちとニューカレドニアに行かれ、楽しまれている最中に召天されたのでした。77歳で教会に出席されました。ご子息が教会員でありました。それまでのご苦労を担いつつ礼拝に出席されるようになり、翌年には洗礼を受けられました。ピアニストでありましたので、以後、教会学校の礼拝で奏楽のご奉仕をされていました。77年間の人生を振り返りつつ、きっぱりと神様の「始められた救い」に身をユタ背寝たのであります。神さまに従う道に切り替えられたのであります。召天されるまでの7年間は、まさに神様の始められた救いの中で、喜びつつの歩みであったと示されています。
 もう一人の方は佐竹正道さんです。2002年10月7日、73歳で召天されました。お誕生日が5月10日であり、私の誕生日と同じで親しみを持っていました。佐竹さんは祖父の佐竹音次郎さんが社会福祉施設児童養護施設を開設され、利用者の皆さんと共に歩まれました。そしてご自身も1961年から10年間、社会福祉法人綾瀬ホームの園長として働かれました。その後は綾瀬町の町長に就任されました。そして1979年から社会福祉法人さがみ野ホーム園長に就任されます。1991年には神奈川県県議会議員になられ、広く活躍されました。何よりも信仰に生きることであり、7人のお子さんたちには、「牧師先生の説教は神様の声として聞きなさい」と諭されていたのであります。お子さんたちの中には牧師になった者、キリスト教主義の幼稚園園長になった者、社会福祉法人キリスト教主義の施設長になった者、正道さんの祈りに導かれているのです。感銘深い歌を残されていますので、いくつかを紹介しておきましょう。「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」、「あの方の感謝の祈りにリズムあり 主の祈りの如詩編読む如」、「この週も悔い改めの数多き 説教聞きつつ悔いつ祈りつ」等の歌は心に示されるのでありました。神様に従う道、「正道」を貫かれたのであります
 神様の「始められた救い」をいただきつつ道を歩む、と一口で言いますが、日々の歩みはまさに祈りつつ歩む日々なのです。私たちは神様にしっかりと向き合い、祈りつつ歩むことです。神様の「始められた救い」に祈りつつ委ねることであります。
<祈祷>
御神様。主の十字架の救いを与えられ、神様の「始められた救い」をいただき感謝いたします。みこころに適う歩みをお導きください。主の名によりおささげします。アーメン。