説教「神様の喜びとなる」

2016年4月17日、六浦谷間の集会 
「復活節第4主日

説教、「神様の喜びとなる」 鈴木伸治牧師
聖書、イザヤ書62章1-5節
    ヨハネの黙示録3章14-22節
     ヨハネによる福音書21章15-19節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・155「空はうららに」
    (説教後)讃美歌54年版・243「ああ主のひとみ」


 4月も半ばとなり、本格的な春となりました。桜の花や桃の花、そしていろいろな木に咲く花等を喜んで鑑賞していましたが、花も終わりになりつつある今、それぞれの木は新緑の葉が生え始めています。花びらが落ちた後は、初々しい葉を鑑賞するようになっています。日本の国は季節の移ろいを常に喜ぶことができるのです。昔、小説家の川端康成さんがノーベル賞をいただき、受賞の際、講演をしましたが、「美しい日本の四季」と題してお話しをしたと言うことでした。私達はこの美しい自然の移ろいを神様のお恵みとして受け止めています。お恵みをいただいて歩む私達は、私の存在において「神様の喜びとなる」生き方をしたいと願っています。
 前週は水野喜美さんと言う方が4月10日に召天されました。告別式が14日の木曜日に横須賀小川町教会で行われましたので列席しました。81歳で召されたのであります。水野喜美さんと出会いますのは、1995年頃でありますので20年前になります。その頃、神奈川教区の中に、キリスト教シニアホームを建設する動きが始まりました。神奈川教区の総会でも議論しましたが、最終的には有志の取り組みとなり、現在、秦野に「神の庭・サンフォーレ」を設立しております。このキリスト教シニアホームは株式会社サンフォーレさんと提携して設立されました。運営はサンフォーレさんですが、入居する皆さんの信仰を支えることが目的で、「支える会」を組織しております。設立されてから15年を経ております。ここまでになる過程において水野喜美さんと共に奔走したのでした。神奈川教区の中に「老人施設プロジェクト委員会」を立ち上げ、キリスト教シニアホームの調査・研究をしたのであります。その中に水野喜美さんもおられたのです。当初は葉山の候補が上がり、何回も物件の場所にいっては、調査をしたのでした。葉山の物件は見送ることになり、秦野の物件が候補となり、最終的に決められたのでありました。そして、1998年10月に「神の庭・サンフォーレ」が開設されたのでした。キリスト教シニアホーム「神の庭・サンフォーレ」を支える会の活動が始まったとき、水野さんは会計を担当し、募金活動等に奔走されました。その後、年令が増し加わって、委員を退任されました。退任されてからはお会いすることもなかったのですが、この度の訃報をいただき、改めまして、水野さんのお働きを示され、感謝しているのです。シニアのキリスト者が信仰を喜びつつ生活できる場のために働いたのです。シニアの皆さんがお喜びでありますが、何よりも「神様の喜びとなる」お働きをされたと思っています。自分の生き様において、人々の喜びとなる生き方は「神様の喜びとなる」のです。私達は神様からそれぞれ賜物をいただいているのであり、その賜物を用いて人々に喜ばれて歩む、「神様の喜びとなる」のであります。

 今朝の旧約聖書イザヤ書62章の背景については、前週もイザヤ書61章でしたので同じ背景であります。前週も示されましたが、イザヤ書の背景は、もはやバビロンの国に捕われているのではなく、解放されて故郷に帰っている人々に対する励ましの言葉であります。約50年間、捕囚として捕われの境遇でありました。その後、捕囚から解放されたのであります。喜び勇んで故国に帰ってきました。しかし、都エルサレムは破壊されたままの状態でありました。しかも、エルサレムには外国の民とされるサマリア人が住み着き、また捕囚とならなかったユダヤ人が住んでいましたが、50年も経ている今、それらの人々がバビロンの国から帰還した人々に冷たく対応するのでした。早速、そこで生活をしていかなければなりません。しかし、食べるにしても着るにしても、また住む場所にしても思うようには行かないのであります。そして、人々のよりどころである、神様を礼拝する場所、神殿を再建しなければなりませんでした。そのような人々にイザヤは、神様があなたがたを導き、励ましていますよ、と告げるのであります。
 そして、今朝の62章は「シオンの救い」をテーマに示しています。シオンは都エルサレムのことであります。中心である都をまず回復する事を述べます。「シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず、エルサレムのために、わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明のように燃え上がるまで」と述べています。「彼女」とはシオンであり、都のことです。そのシオンは荒廃したままです。その荒廃したシオンに人々はバビロンから帰ってきました。それで、気が抜けたように、失望とみじめな思いで過ごしていた人々でありました。しかし、人々を捕われの身から解放したのは神様でありました。まず、その導きを受け止めなければなりません。そして、神様はイザヤを遣わして、「貧しい者への福音」を示しました。さらに、「シオンの回復」を示しているのです。神様は決して口を閉ざさないと言い、シオンのために決して黙ってはいないと励ましているのです。いつまでも現実を悲嘆するのではなく、新しい歩みが始まっていることを受け止めるべきなのであります。「あなたの土地は再び『荒廃』と呼ばれることはない」と言っています。都のシオンは「松明のように燃え上がる」とまで言われているのです。この新しい動きに身をゆだねるべきです。悲しみの過去をいつまでも引きずってはならないのです。新しい現実は神様の導きであります。そこに希望を持ち、喜ぶのであります。

もはや今までの自分ではありません。新しい歩みを与えてくださる主イエス・キリストであります。新約聖書ヨハネによる福音書21章は、お弟子さん達が復活されたイエス様に三度目にお会いしたことが示されています。イエス様は復活されましたが、今までと同じようにお弟子さん達と寝食を共にするというのではありません。それで、お弟子さん達は何をもって生きていくのか思案している中で、ペトロは魚をとる漁師であったので、とりあえず漁に出かけました。一晩中、漁をしましたが取れませんでした。もはや朝になりました。すると、岸辺にいる人が、「舟の右側に網を打ちなさい」と言うのです。言われるままに網を打ちました。するとおびただしい魚が取れたのでした。それにより、岸辺の人が復活されたイエス様であることが分かるのでした。岸辺に上がると、イエス様が朝の食事を用意されていました。イエス様の勧めでお弟子さん達は朝の食事をしたのでした。「最後の晩餐」に対して「最初の朝餐」として、前週のメッセージを示されたのであります。何をもって生きていくのか、そのような課題にいる時、日毎の糧を与えてくださるイエス様の導きを示されたのであります。
食事が終わりました。そのとき、イエス様はお弟子さんの中でもいつも中心的な存在であるペトロさんに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と尋ねるのです。ここでは、もちろんイエス様を愛しているかとの問いです。「この人たち以上に」というのは、「わたしとこの人たちとどちらを愛しているか」ではなく、「この人たちがわたしを愛している以上に、わたしを愛しているか」との問いであるのです。一晩中、漁をしましたが魚が取れなく、岸辺の人の示しでたくさんの魚が取れ、それで岸辺の人が復活されたイエス様であることが分かったとき、ペトロは裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込み、岸辺へと泳いでいったのであります。それほどイエス様への思いが深いのであります。他のお弟子さんはそのようなことはせず、取れた魚は船に引き上げることもできず、舟で網を引いて岸辺に戻ってきたのでした。イエス様への思いが深いペトロさんに問われたのです。「あなたはわたしを愛しているか」と問われたとき、ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言いました。岸辺の人が復活されたイエス様であることが分かったとき、一番にイエス様のもとへ行ったほどの愛し方でもあるのです。だから、自分がイエス様を愛していることは、イエス様ご自身が分かっていると思っているのです。ペトロの答えに対し、「わたしの小羊を飼いなさい」とペトロの職務を与えるのでした。さらにイエス様はペトロに、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と尋ねます。問われるままに、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えるのでした。そのときもまた、「わたしの羊の世話をしなさい」と職務の任命がありました。ところが、イエス様はまたペトロに聞くのです。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と同じことを聞くのでした。さすがにペトロは同じことを三度も聞かれ、悲しくなったと記されています。そして、悲しみをもちながら、「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と言うのです。そのときもまた、イエス様は「わたしの羊を飼いなさい」と言われたのでした。
ところで、「わたしを愛しているか」とのイエス様の問いに対して、ペトロは「わたしはイエス様を愛しています」と言わないで、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言っています。どうして「わたしはあなたを愛しています」と言わないのでしょうか。ペトロが、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言ったとき、ペトロの心の中には、イエス様を三度裏切ったことが悲しみとして残っているのです。イエス様が捕らえられたとき、ペトロは心配しながらついて行きました。すると、「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と言われるのです。ペトロは、「違う」と言い、イエス様との関係を否定したのです。そういうことが三度もありました。ペトロは「わたしが愛していることは、あなたがご存じです」と言い、「ご存じ」の中には三度裏切ったこともご存じであることを含めているのでありました。イエス様を愛している。しかし、裏切ってもいる。イエス様は自分の何もかもご存じであることを知ったのです。三度も「わたしを愛しているか」との問いは、三度も裏切ったことと重ねているのでありますが、もう一つの意味があります。
すなわち、今朝のメッセージとして「主イエス・キリストが確実に私をとらえ、私を新しく歩ませてくださること」であります。もはや今までの私ではないのです。旧約聖書では、捕われの身から故郷に帰ったとき、悲しみの現実がありました。その悲しみに次第にならされていくとき、イザヤが神様のお心を力強く示したのであります。「貧しい者への福音」「シオンの救い」を示された人々は、「主の口が定めた新しい名をもって、あなたは呼ばれるであろう」と言われ、その名は「望まれる者」といわれると言うのでした。人々から「望まれる者」として生きるようになるのです。
ペトロは三度もイエス様への愛を問われました。もはや、イエス様がいないからと家の中に引きこもるものではありません。自分の弱さ、至らぬ姿をすべてご存じのイエス様に自分を投げて生きる者へと導かれているのです。その確認のために三度も念を押されたということとして示されるのであります。

 私は大塚平安教会に赴任する前は宮城県にある陸前古川教会で6年6ヶ月間の牧師でした。同じ地区には鳴子教会がありました。その教会の牧師は高橋トキ先生で、お連れ合いが高橋萬三郎さんであり、この方は保育園の園長をしていました。童謡詩人として知られている方であります。古川に赴任してから高橋萬三郎さんと出会いました。その頃、クリスチャン新聞が証文学賞を設定し、原稿を募集していることを知りました。それで、高橋萬三郎さんに了解を得て、萬三郎さんの童謡詩人としての半生を書くことになり、証文学賞に応募しました。入選には至りませんでしたが、佳作として評価されたのでした。原稿用紙50枚も書いたので、もったいない思いでおりました。萬三郎さんが童謡詩集を発行し、その出版記念会にあわせて、私の書いたものを小冊子として出版したのでした。題して「鳴子こけしの歌」というものです。前置きが長くなりましたが、その文章の中で、一人の人が真実に神様の導きを知り、以後喜びの童謡が次々に生まれてきたことを証したのであります。萬三郎さんは小さいとき失明しました。しかし、片方の目は何とか見え、それで字を覚え、歌を書き、自分の思いを歌に託してきたのです。しかし、少し見えていた片方の目も次第に暗くなっていくのです。悲しみつつ暗闇の世界に生きるようになっていきます。そして、ついにまったく見えなくなったとき、初めて神様の導きを知るのでした。むしろ、全盲となってから新しい歩みが始まったのです。今まではわずかの視力にしがみついていました。しかし、全盲となったとき、復活のイエス様がはっきりと見えるようになったのです。この現実は悲しみの現実ではない。新しい歩みの始まりであったのです。次から次へと童謡を書き続けたのでありました。
 この現実は今までの続きではありません。悲しみの現実にイエス様が復活されたというお知らせをいただいています。今や復活の主イエス・キリストが私の現実に、共に歩んでくださっています。だから、この現実は新しい私の歩みなのです。復活の主イエス・キリストに、ペトロのように、「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、自分のすべてをイエス様に投げかけて生きることなのです。「わたしの羊を養いなさい」との神様の御用、職務を私に与えてくださるのです。私が生きる道は、「神様の喜びとなる」、そういう人生を歩んでいるのです。
<祈祷>
聖なる御神様。私の現実に、イエス様が共に歩んでくださること、ありがとうございます。新しい一歩を歩ませてください。イエス様のみ名によってお祈り致します。アーメン。