説教「信仰による生涯」

2018年10月14日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第22主日

説教・「信仰による生涯」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記2章11-22節
    ヘブライ人への手紙11章23-28節
     マルコによる福音書14章66-72節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・225「すべてのひとに」、
    (説教後)讃美歌54年版・205「わが主よ、いまここに」


 前週も示されましたが、日本基督教団は、毎年10月は幾つかの課題を祈りつつ礼拝を捧げることにしています。前週の7日は世界聖餐日・世界宣教の日でした。そして、本日の14日は伝道者を祈る日であります。伝道者を育てる神学校、そこで学ぶ神学生のためにお祈りするのです。そして、次週の21日は信徒伝道週間・教育週間としています。キリスト教を人々に宣べ伝えるのは、牧師の仕事ではありません。信徒の皆さんも伝道者なのです。一人一人がイエス様の十字架の救いを人々に証していかなければならないのです。さらに子ども達への教育です。その教育は、イエス様の十字架による救いを子供たちに教えることです。幼き頃からイエス様を信じて歩み、成長してもらいたいのです。
今朝は10月の第二日曜日、「神学校日・伝道献身者奨励日」として定め、伝道者の育成を祈ることになっています。神学校日が近づくと、私の出身である日本聖書神学校から学校案内書が送られてきます。立派な案内書を手にすることになります。これらの案内書を見て、いろいろと考えさせられたのでした。こういう立派な案内書に触発されて神学校に入るのかと思ったりします。日本聖書神学校はこんなに良い所ですよと紹介しています。何か大学の案内書のようで、豪華な紹介でもあるのです。神学校は日本基督教団立の東京神学大学、認可されている日本聖書神学校、東京聖書学校、農村伝道神学校、同志社大学神学部、関西学院大学神学部です。それぞれ特色がありますので、献身して神学校に進むとき、これらの神学校の中から選ぶというより、既に学ぶべき神学校を決めている場合が多いということです。案内書を見て、案内書により神学校を決めるというのではありません。また、学校案内に触発されて決心するということでもないでしょう。学校案内を批判しているのではなく、案内はそれでよろしいと思いますが、献身を奨励し、伝道者の証等を示しつつ学校案内をすべきだと思ったのです。
 前週は世界聖餐日ということで、私が世界聖餐日に洗礼を受けた証をさせていただきました。その年は10月6日が世界聖餐日でした。その私が伝道者へと導かれるのは高校生の頃でした。高校生の頃に伝道者への道を示されるのですが、その時はまだ洗礼を受けていませんでした。普通は洗礼を受けてから伝道者への道を歩み始めるのですが、まだ洗礼を受けていないのに伝道者への道を示されました。高校2年生の時、教会高校生の全国集会が開催され、私は神奈川を代表して参加したのでした。そして、秋に神奈川教区の高校生の集いが開かれたとき、全国集会に出席したこともあり、証しをさせていただきました。そのときはまだ洗礼を受けていなかったのです。洗礼を受けてないのに証しをしたので、友達から驚きの声をもらったものです。その頃、伝道者の道をなんとなく示されていました。そして、当時の「福音と世界」というキリスト教の雑誌に、ある牧師の手記が掲載されており、それを読んで強烈な印象を与えられたのでした。青森県五所川原にある教会の牧師、菊池吉弥先生が書いているものでした。農村地帯における伝道がいかに困難であるかを報告していました。しかし、困難な伝道の中にも福音を宣べ伝える喜びがあり、教会に来なくても周辺の皆さんとの触れ合い等を記しているのです。この報告を読んで、ここに私の進むべき道があると思うようになったのです。困難だからこそ私の歩むべき道ではないかということです。そのため、当初は農村伝道神学校で学ぶつもりでいましたが、いろいろな導きがあり日本聖書神学校に進むことになったのでした。
 当時のことですから、どこでも簡単な案内書であったと思います。案内書というより募集要項だけであったと思います。だから入学して初めて学校の様子、寮や図書館のこと等を知ることになるのです。昔の寮は二人部屋で、新入生は卒業年度の先輩と一緒の部屋でした。先輩に教えられながら寮生活をするうちにも、神学生としての姿勢が導かれてきたということです。昔と今を比較する必要はありませんが、伝道献身者を奨励する場合、何をもって奨励するのかということでありましょう。主イエス・キリストの十字架の贖い、救いの喜びを、福音を宣べ伝える伝道献身者を奨励したいのであります。

 旧約聖書出エジプト記であります。モーセについて記されています。ここにはモーセの召命については記されていません。召命というのは、神様のお導きということです。神様の御用をすることを召命と言っています。具体的には伝道者として歩むことであります。今朝の聖書はモーセの召命に至る前のことが記されています。モーセが神様に呼び出される前の状況が報告されています。
 聖書の人々はエジプトに寄留していました。それはヤコブの時代になりますが、全国的に飢饉が続き、エジプトは食料が蓄えられていたので、ヤコブの子供たちが食料の買い出しに来るのでした。実は、その時、エジプトの大臣はヤコブの11番目の子供ヨセフでした。このヨセフは兄弟たちの妬みにより、エジプトに奴隷として売られてしまったのです。しかし、ヨセフは神様の導きでエジプトの大臣になるのです。そこに至る物語は割愛しますが、創世記には興味深く記されています。結局、飢饉のゆえにエジプトに寄留するようになる聖書の民、イスラエル民族ですが、もはやヤコブもヨセフのいない時代になり、そして新しい王様の時代になっています。新しい王様は、自分の国に他国の人々イスラエル人が住んでおり、しかもだんだんと多くなってきているので不安を覚えるようになるのです。いつかエジプトの国を乗っ取るのではないかと危惧するようになります。それでイスラエル人を奴隷にしてしまうのです。それでも増えつつあるイスラエルに対して、新しく生まれる男の子を殺害するという命令が出されます。その状況の中でモーセが誕生するのです。両親は男の子であるモーセのことが知られると殺されてしまうので、籠に入れてナイル川に隠すのでした。その籠を見つけて拾い上げたのが、エジプトの王女でした。彼女は拾った赤子がイスラエル人であると分かっていながら、自分の子供として育てるのでした。従って、モーセは奴隷の子でありますが、王子として王宮で成長するのでした。しかし、モーセは成人すると、自分が誰であるか知るようになります。今は奴隷として苦しんでいる人たち、その同じ民族であることを知るようになるのです。
 ある時、奴隷であるイスラエル人がエジプトの兵士に苦しめられているのを見ます。思わず、そのエジプトの兵士を殺してしまうのです。それによりモーセはエジプトから逃れることになります。エジプトからは遥かに遠いミディアンの地に辿り着いたのであります。そしてミディアンの祭司の家で過ごすことになり、祭司の娘とも結婚して平和に暮らすことになるのです。モーセがミディアンの土地で平和に暮らしつつも、エジプトではイスラエルの人々が苦しみの声を上げているのです。そこで神様は、エジプトで苦しむ奴隷の人々を救うためにモーセをお呼びになるのです。そのモーセの召命については、次の3章に記されていますが、今朝は神様が召命を与えて呼び出すモーセに対して、救いの現場を示しているのです。神様がお呼びになる時、神様がお救いになる場があるということです。その救いの現場のために召命が与えられるということです。そして、モーセの信仰の生涯が、今始まるということであります。

 「今、信仰の生涯が始まる」こと、新約聖書も示しています。今朝の新約聖書はペトロのつまずきを示しています。イエス・キリストは十字架への歩みを進まれています。お弟子さんたちと最後の夕食、晩餐をします。お弟子さんたちは最後の晩餐とも思わないで、イエス様と共に晩餐の席に付いています。その時、イエス様はパンをお弟子さんたちに配り、これは「わたしの体」と言われて食べさせるのでした。次にぶどう酒の杯をまわし、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言ってお弟子さんたちに与えるのでした。お弟子さんたちは、このときはこの意味を理解しないままにいただきました。しかし、イエス様が十字架にお架りになってから、イエス様と共にいただいた最後の晩餐の意味を示されるのでした。パンとぶどう酒はイエス様の御体であると示され、以後、イエス様の御体をいただいては信仰が導かれるようになるのです。
 最後の晩餐をした後に、イエス様はゲッセマネの園に行き、お祈りをしています。「この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたのでした。「この杯」とは十字架への道なのです。そのお祈りが終わると、時の指導者たちが差し向けた兵士たちがイエス様を捕えるのです。そして、最高法院で裁判を受けるのであります。最高法院は時の指導者達の裁判の場です。イエス様のお弟子さんのペトロは、捕らえられたイエス様を案じつつ付いていきます。最高法院の外の庭で、他の人が焚火をしているので、ペトロも心配しながら焚火の側にいたのでした。すると、何人かの人が、ペトロが捕えられているイエス様の仲間だと証言します。ペトロは慌てて否定します。三度も否定しなければなりませんでした。三度目に否定したとき、鶏が鳴いたのです。その時、ペトロは「はっ」と気がつくのです。ペトロがイエス様を三度否定することは、イエス様ご自身が言われていたのです。イエス様が十字架への道を歩まれることをお弟子さんたちに伝えたとき、イエス様は「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われたのです。するとペトロは、「たとえみんながつまずいても、わたしはつまずきません」と強く言いました。それに対してイエス様は、「あなたは、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われるのです。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とペトロが言い、他のお弟子さんたちも口を揃えて言うのでした。
 鶏が鳴きました。その時、ペトロは三度もイエス様を否定していたのです。イエス様の言われた通りでした。イエス様のお言葉を思い出しペトロは泣き出したのでした。ルカによる福音書は鶏が鳴いたとき、イエス様はペトロを振り返って見つめられたと記しています。あれほど強く、イエス様に従う決意を述べましたが、結局、イエス様を知らないと告白してしまった自分の弱さをペトロは深く示されるのです。このペトロがどのように立ち直っていくのかは示されていませんが、イエス様の示されましたように祈りつつ、そして主の聖餐いただきつつ歩んだと示されます。イエス様がご復活されたとき、急いでお墓に行きましたし、他のお弟子さんたちと共にイエス様の御心をいただきながら歩んだのでしょう。そのペトロのつまずきは信仰の原点にもなっていくのです。いくら強い信仰があっても、イエス様の原点、聖餐式をいただくことによって、信仰が強められていくのであり、信仰による生涯が導かれてくるのです。「信仰による生涯」は主の聖餐をいただきつつ歩むことで、導かれてくるのです。ペトロは人間の弱さを知っています。その弱さを強めるのがイエス様の御体をいただくことであったのです。そして、そのペトロがイエス様の救いの証人として、多くの人々に伝道したのでした。

 今朝は神学校日、伝道献身者奨励日であります。最初にも示されたように伝道をするということは、牧師の働きではありません。イエス様を信じる人は皆、伝道者として導かれているのです。神様は私たちにタラントン、賜物を与えてくださっているので、与えられた賜物を生かしつつ歩むことです。しかし、そのことを思うと、何かしなければいけないとの責任感が、何もしていない自分を見いだそうとするのです。賜物をいただいている者として、何をするのではなく、日々の生活の中で主に向いつつ歩むことが「信仰による生涯」であると示されます。
伝道者はこの世に生きるものです。社会の人々と共に生きるのです。私はキリスト教の牧師であるから、隣近所のお付き合いはしませんというのでは、小事に忠実ではないということです。神学校を卒業して青山教会の担任教師になり、4年後には宮城県の陸前古川教会に赴任しました。6年半の牧会でしたが、信者が増えたということではありません。むしろ、隣近所のお付き合いが深まったということでした。どなたかが亡くなれば葬式に参列し、法事に出なければなりません。法事に出ると、食前の前に経文を渡され、一同が一緒に読むのです。私は牧師であるから読みませんというのではなく、一緒に読み、一緒に会食を行い、故人の思い出を皆さんから聞いたりするのです。隣近所の付き合いをして、その土地の住人として認められ、教会には来ることはありませんが、牧師さんとしての位置付けが認められるのです。最初にお話した五所川原教会の菊池吉弥先生の手記を、東北の教会で経験したのでした。土地の人々に心を開いてもらって、存在が認められ、牧師としてのメッセージを語ることができるのです。陸前古川教会に赴任し、就任式には周辺の教会の牧師がお祝いに出席されました。お祝いの言葉が今でも忘れられません。東北の教会は、少なくても10年はいないと伝道はできない、ということでした。地域の人々と共に歩むようになることを勧めてくれたのです。私は10年もいなくて、6年半で転任してしまいました。そして、神奈川の綾瀬市にある大塚平安教会に赴任しました。10年どころか、30年も務めることになりました。
30年も同じ土地に住みましたが、信仰による生涯が導かれたことを感謝しています。いろいろな失敗、挫折がありますが、私たちは信仰の原点が与えられているのです。いつもイエス様の聖餐式に招かれているのです。いつもそこから新しい歩みが導かれてくるのです。信仰による生涯は、どのような状況になっても、人生の勝利者なのです。
<祈祷>
聖なる御神様。救いの十字架を与えてくださり感謝致します。信仰による生涯を喜びつつ歩ませてください。主イエス・キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。