説教「与えられている賜物」

2019年10月20日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第20主日

説教・「与えられている賜物」、鈴木伸治牧師
聖書・士師記7章1~8節

   ヘブライ人への手紙11章32~12章2節
   ルカによる福音書19章11~27節
賛美・(説教前)讃美歌21・404「あまつましみず」

   (説教後)讃美歌21・457「神はわが力」


 今朝の日本基督教団の歩みは、本日から信徒伝道週間、教育週間になります。信徒と言いますのは、キリスト教の教えを信じ、信仰に生きる人々です。どこかの教会に所属しますが、教会には牧師がおり、牧師の説教に励まされながら歩んでいるのです。キリスト教という宗教ですが、自分が信じて歩む喜びがありますので、人々にも伝えたいのです。その姿が伝道ということですが、信徒伝道週間として、わざわざこのような週を設けるのは、ともすると伝道は牧師に任せ、信徒として教会生活をしていれば良いと考えてしまうので、信徒としての歩みを顧みる時なのです。
 伝道というと、キリスト教の集会を開いて人々を誘うことだと思う人がいますが、もちろんそれは伝道ですが、信徒の一人一人が自分の信仰の歩みを証しすることなのです。だから、何をするのでもなく、普通の生活をすればよいのですが、イエス様を信じる人は、自然に信仰に生きる喜びを表しているのです。昔、神学生の頃ですが、いろいろなアルバイトをしている中で、ある会社の夜の留守番の仕事をしたことがあります。夜であっても、昼間の人々と接するのですが、その中に一人の社員が心に示されていました。特別にお話をしたわけでもないのですが、何となく信仰に生きる姿のようでした。後で知ったことですが、やはりその社員の方はクリスチャンであるということでした。信仰に生きる喜びを、それを言って回るのではなく、普通に歩んでいる中にもほとばしってくるということです。そういう生き方が伝道なのであり、大きな集会も伝道ですが、一人一人が信仰に生きる姿を人々に証しすることなのです。
 伝道者になるべく神学校に入りました。私が23歳の時でした。その頃の校長先生は金井為一郎先生でした。池袋の教会の牧師でもありました。栄光に輝く姿とは、この先生の人ではないでしょうか。お会いしただけでも栄光の姿を示されるのでした。何かのお話を聞いてのことではなく、そのお姿だけで栄光に輝いていることを示されるのでした。金井先生は神学校に入ってから半年後には天に召されました。神学校では聖書の講義を受けていました。講義より、先生のように栄光に輝きたいものだと示されていますが、そのようにはなりません。私達は神様からそれぞれの賜物を与えられているのですから、賜物を用いながら、与えられている歩みをすることだろうと思っています。それが栄光に輝く人生へと導かれることであると示されているのです。

 イエス様の福音をいただいて生きる人々は、まさに祝福された人生を歩んでいると示されています。日々の歩みがいつも喜びであるのです。今朝の聖書は、この世の人生を「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜く」ことを教えています。そのために「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」歩みなさいと教えているのです。主イエス・キリストを見つめながら生きることが祝福の人生なのであります。
 旧約聖書は、神様の御心をもって生きる人々を示しています。士師記は一時的に現れた指導者を記しています。士師記ヨシュア記の次に置かれています。モーセの後継者ヨシュアと共に、聖書の人々は神様の約束の土地、乳と蜜の流れる土地カナンに侵入し、定着するのです。その時、神様はカナンに侵入するにあたり、皆殺しにしなさいと命じています。古代の生き残る術でもありました。しかし、ヨシュアは無益と思える殺生はしませんでした。従って、定着後、生き残った現地の人々が力をもち、聖書の人々を悩ますことになるのです。まだ、国家ではなく、12部族の連合体でありましたので、部族ごとの歩みでありました。襲ってくる周辺の国々に対抗するために立てられるのが士師と言われる人々です。ヘブライ人への手紙にも記されていますように、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ等の人々が士師として登場したのです。
 今朝はギデオンの働きです。聖書の人々はミディアン人と戦いをしていました。その戦い方を今朝の聖書は示しているのです。聖書の人々は32,000人の軍で戦おうとしています。その時、神様はその人数は多すぎるから民を帰らせなさいと言うのです。「恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ」と言うのです。なぜ帰らせたか。「イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう」と神様は言われました。救いは神様が導くことであり、自分で切り開くことで、傲慢とおごりが出ると言うのです。結局、22,000人が帰り、10,000人が残ります。しかし、神様は10,000人でも多いというのです。そこで、この10,000人の戦いの姿勢を調べるのです。10,000人を川の水辺に連れて行き、水を飲ませるのです。その飲み方が焦点になります。川の水にいきなり動物のように口をつけて飲む人は除かれたのです。水を手にすくって飲む人300人が選ばれたのです。動物のように口を水につけて飲む人は、外敵が迫っているのに気が付きません。しかし、手にすくって飲む人は、目は周囲に向けている訳ですから、外敵が襲ってくればすぐに分かるのです。こうして300人が選ばれ、9,700人はそれぞれ自分の所に帰ったのであります。
 この300人をもってミディアン人と戦うのですが、まさに神様の御心に従いつつ戦ったのであり、だから自らの力の強さで勝利を収めたとは思わないのです。神様の導きに委ねたということです。「イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう」と神様が言われた通りです。御心に従う人生が祝福であると聖書は示しているのです。

 御心に従う姿勢を主イエス・キリストは教えています。ルカによる福音書19章11節以下が今朝の新約聖書の示しです。11節の前の段落、1節からは徴税人のザアカイさんがイエス様と出会い、御心による生き方を示されたことが記されています。人々から疎外され、自分の殻の中に閉じこもっていたザアカイさんは、イエス様と出会い、自分ではなく御心により生きることへと導かれるのです。自分に与えられた賜物を十分に用いて生きる決心をしています。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、四倍にして返します」との告白が、主の御心に生きることであったのです。「今日、救いがこの家を訪れた」とイエス様はザアカイさんを祝福しました。
 今朝の聖書は、イエス様はまだザアカイさんの家にいるのです。11節に「人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された」のであります。従って、ザアカイさんの主の御心に生きる決心は人々も聞いていたのです。ザアカイさんはイエス様だけに告白したのではなく、社会の人々にも告白しているのです。このようなザアカイさんの告白を聞いて、イエス様はたとえをお話されました。ここでは「ムナ」のたとえ話です。マタイによる福音書25章で「タラントン」のたとえ話をしています。1ムナはギリシャの銀貨で100ドラクメであり、1ドラクメは銀4.3グラムであります。それに対して1タラントンは6000ドラクメです。従って、タラントンとムナのたとえは似ているようでありますが、取り扱いが異なるのです。タラントンのたとえは莫大なお金を主人から預かるのでありますが、ムナのたとえはそんなには預からないのです。一ムナはローマの銀貨デナリオンと等価であります。一日の労働賃金が一デナリオンであるとはマタイによる福音書20章の「ぶどう園の労働者」のたとえで示されています。従って、一ムナを預かるということは三ヶ月分くらいのお金になります。ルカの場合は10人の人に一ムナずつ預けたのでした。
 「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、10人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰ってくるまで、これで商売をしなさい』と言った」という例えと、そこから続く国民の感情のお話は違うことをお話されています。ムナをお弟子さん達に預け、「これで商売をしなさい」と言われているのは、御心により歩みなさいと示しているのです。そうすれば十ムナを得るほど祝福があると言う教えです。弟子の務めを奨励しています。並行して国民の感情をお話しているのは、イエス様を救い主ではないとする人々を示しているのです。たとえは、ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つのですが、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせるのです。しかし、このたとえは、王の位を受けて帰ってきます。そして、反対した人たちへの審判があるのです。明らかに主イエス・キリストを示しています。遠い国とは神様の御もとであり、十字架にお架りになって復活し、その後昇天されますが、再びお出でになるとは聖書の証言であり、再臨信仰になっています。この神様のご計画に対して、人間は自分の都合で事を進めようとしている訳です。最後は自分たちの成果であると誇ることになります。ギデオンの300人選びのメッセージで示される通りです。人間を救うために主イエス・キリストをこの世に出現させ、十字架の救いを完成されました。その十字架の救いの完成に対して、人間は口をはさむことはできないのです。救いを信じ、御心に従うことが人間の生きる道なのです。そのために一ムナを与えられています。このムナは神様の御心であり、力であり、その人の生きる基であるのです。

娘の羊子がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしていることについては、いつもお話しをしています。演奏したり、教えたり、演奏の打ち合わせをしたり、一日があっという間に終わってしまうと言っています。その彼女が、「一日が終わって、美喜子おばさんの言葉をかみしめている」と言うのです。美喜子おばさんと言うのは私の姉のことです。その姉が、いつも口にしていたことは、「今日も一日生かされて感謝」と言う言葉であり、言葉と共に日記にも必ず書いていたのです。その姉が信徒として、一人の伝道者を生みだしたと思っています。信徒伝道日にあたり、姉の証をお話しさせていただきます。
姉は20年前に68歳で亡くなりました。約15年間、リュウマチを患い召されて行ったのです。この姉とその次の姉が清水ヶ丘教会の教会員でしたので、私も中学生になってから清水ヶ丘教会に出席するようになったのです。私が高校生になって、将来は伝道者、牧師になる導きを与えられていました。しかし、両親はあまり良い返事をしませんでした。反対されていたのです。ですから、すぐにその道を歩みませんでした。一つには、私自身も躊躇していたのです。私は五人兄弟で、すぐ上の兄は戦後まもなく亡くなっています。二番目と三番目の姉は結婚しています。一番上の姉・美喜子が共に生活していました。そういう状況で、老いゆく両親を残して神学校に入り、牧師になれば地方に行くかもしれませんので、親から離れることになります。本来、自分が親と一緒にいて、両親と共に暮らすことです。そんな思いがありましたので、牧師の道を歩む決心をしつつも、なかなか神学校には入れなかったのです。しかし、高校を卒業して5年を経たころ、姉の美喜子が私に言ってくれました。「お父さんとお母さんとは私が一緒に暮らすから、あなたは神学校に入りなさい」と言ってくれたのです。両親も、いまだに牧師への道を決心している私に対して、その道を歩むことを許してくれたのです。そして、神学校を卒業するや東京の青山教会、そして宮城の陸前古川教会の牧師として赴任したのでした。その頃の両親は75、6歳でした。もう隠居生活であったのです。そして、神奈川県の大塚平安教会に赴任したとき、私は40歳、両親は82、3歳になっていました。そして姉は53歳頃になっていました。私が大塚平安教会に就任してまもなく、姉はリュウマチを患うようになるのです。
リュウマチを患っても寝たきりになるとかではなく、両親と共に暮らしていました。その姉が59歳の時、母を亡くしました。その後、母が亡くなってから7年後に父が亡くなるのです。父は98歳の長寿を全うしたのです。そして、父を亡くしてから2年後の1997年に、姉も召されて行ったのです。父をおくってから姉はリュウマチの病が進行していました。父が亡くなったときも入院中であったのです。姉が召天したとき、姉の言葉がよみがえってきました。「お父さんとお母さんは私が一緒に暮らすから、あなたは神学校に入りなさい」と言われたことです。母を送り、父を送ったとき、姉は自分の使命が終わったと思ったのでしょう。「責任を果たしたよ」と私に言っているようです。姉が両親と共に暮らしてくれたので、安心して牧師になりました。宮城県の教会にも赴任しました。
自分ができる神様の御心の人生を歩むことでは、姉はまさに祝福の人生を歩んだのです。栄光に輝く人生であったと示されています。そして、日々生かされている喜びを持ち、感謝をささげながら祝福の人生を歩んだのです。
<祈祷>
聖なる御神様。お導きを感謝致します。与えられた賜物を用いつつ歩ませてください。主イエス・キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。

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