説教「神様に委ねつつ」

2018年10月7日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第21主日

説教・「神様に委ねつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・ダニエル書3章13-18節
    使徒言行録5章27-42節
     マルコによる福音書14章53-65節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・202「奇しきみすがた」、
    (説教後)讃美歌54年版・525「めぐみふかき」


今朝は世界聖餐日であり、世界宣教の日として定められています。世界の人々が聖餐式に与り、主イエス・キリストの救いを確認する日であります。聖餐式はイエス様が十字架にお架りになる前、お弟子さんたちと最後の食事をしました。この場面を「最後の晩餐」としてレオナルド・ダ・ヴィンチが絵画を残していますが、今でもこの絵を示され、イエス様の当時のお姿を示されています。何よりも聖餐式の意味です。イエス様は12人のお弟子さんたちと最後の夕食をしました。最後のというのは、この後に捕えられて十字架へと向かうのです。イエス様は最後と示されていますが、お弟子さんたちは分かりません。食事をしながらパンを取り、お弟子さんたちに配ります。そして、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と示されました。次にぶどう酒の杯を取り、感謝の祈りを唱え、「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と示されたのです。お弟子さんたちは、イエス様が十字架に架けられた後、このイエス様の晩餐を示され、「主の聖餐」としていただくようになり、今日もなおイエス様の聖餐をいただいています。聖餐式は各教会で行われていますが、今朝は特に世界の皆さんが共に主の聖餐式に与ることを目指しているのです。私たちも、いつも聖餐式にあずかり、イエス様の十字架のお救いを仰ぎ見つつ、導かれたいのであります。
実は私はこの世界聖餐日の日に洗礼を受けました。高校三年生であり、18歳の時でした。私は中学・高校生の頃、横浜の清水ヶ丘教会に通っていました。高校生のグループ、ぶどうの会があり、そこで信仰が導かれ、交わりが深められたのであります。清水ヶ丘教会の青年会が葉山のレーシー館で修養会を開催しまして、高校生の私も参加しました。二人の姉が青年会の会員でもあったからです。海水浴のプログラムがあり、泳いでいるうちに、いつの間にか倉持芳雄牧師と一緒に泳いでいたのです。その時、今まで心にあった気持ち、「洗礼を受けたい」という気持ちが、自然に口からでてきたのです。泳ぎながら、倉持牧師は喜んでくれました。この洗礼志願告白が倉持牧師の強烈な印象になったようです。洗礼式の当日の説教で、泳ぎながらの洗礼志願告白を皆さんに紹介していました。私たちの婚約式、また結婚式におきましても、海上洗礼志願告白を皆さんにお話するのでした。
 海からの出発という印象があります。私たちが結婚した時、先輩の牧師が祝電を送ってくれました。「レントのさなか船出する。主の働き人に幸多かれと祈る」というものでした。私は、今は隠退していますが、隠退しても牧師であります。約50年間の牧師人生を顧みたとき、荒波の中に立ちたもうイエス様に導かれて歩んできたと示されています。いろいろなことがありましたが、いつも「神様に委ねつつ」歩んできたのです。イエス様を信じて歩む人生は、何事も「神様に委ねつつ」歩まなければならないのです。神様に委ねる歩みですが、日々の歩みはまさに祈りつつ歩む日々なのです。私たちは神様にしっかりと向き合い、祈りつつ歩むことです。神様に従う道として、しっかりと踏みしめた聖書の人々を示されましょう。

 旧約聖書はダニエル書3章です。ダニエル書は困難な状況の中でも、神様に従う道を歩み、信仰の勝利者を示されるのです。ダニエル書の前半1-6章は、ダニエルを中心とした物語です。時代的な背景は聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンの空の下で生きることになった時代です。青年ダニエルは3人の友人と共にバビロンに移されました。青年たちは神様の恵みにより、知識と理解力に富み、バビロンの王様に仕えることになりました。今朝の聖書はダニエルではなく、3人の友人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の証しです。この3人について王様に密告をする者がいました。「御命令によりますと、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえたなら、だれでも金の像にひれ伏して拝め、と言うことでした。そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです。バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々はご命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません」と言いつけるのです。そこで今朝の聖書になりますが、「これを聞いたネブカドネァアル王は怒りに燃え、
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れてくるように命じ、この三人は王の前に引き出された」のであります。
 王様は3人に改めて金の像を拝むよう命じます。しかし、拝まないなら直ちに燃え盛る炉に投げ込ませるというのでした。それに対して3人は、「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知下さい。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決して致しません」と答えたのであります。王様は血相を変えて怒り、彼らを燃え盛る炉に投げ込ませたのであります。炉はいつもの七倍も熱く燃やすよう命じたのであります。炉が激しく燃え上がり、3人を炉に連れて行った者が焼け死ぬのであります。
 しかし、王様は驚きの声をあげました。王様は縛ったまま炉に投げ込んだ3人の少年たちが、火の中で自由に歩いている姿を見るのです。王様が炉の中にいる3人に、「いと高き神に仕える人々よ、出てきなさい」と呼びかけます。彼らは体のどこも損なわれておらず、上着も元のままでした。この時、王様は、「彼らの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神により頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうとしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。彼らの神をののしる者がれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことができる神はほかにはない」と言うのでした。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの信仰の勝利をダニエル書は示しているのです。
 ダニエル書は、聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに連れて行かれたことが時代背景になっています。バビロンに捕囚となるのは紀元前587年であり、538年にはバビロンが衰退し、ペルシャによって捕囚が解かれることになります。しかし、ダニエル書が書かれたのは紀元前164年頃であります。つまり、その時代において信仰を持って生きることが困難な状況であり、迫害に苦しむ人々を励ますために、バビロン捕囚を背景にダニエル書が書かれているのです。実際に迫害の中で信仰を持って生きる人々への励ましであり、導きであるのです。「神に委ねつつ」歩むこと、必ず祝福へと導かれるということであります。

 どのような苦しみがあり、迫害があっても、神様を仰ぎ見つつ歩むことを示されておられるのは主イエス・キリストであります。教団の聖書日課は主イエス・キリストが十字架への道を一歩一歩踏みしめて進んでおられることを、毎週の聖書で示されています。本来、イエス様のご受難の聖書は春に迎える四旬節、レント、受難節で示されるのですが、今の示しになっています。イエス様はご自分のご受難を3度も予告しました。そして、ご受難へと進んで行かれるのでありました。過越しの食事をして、聖餐式を示されました。お弟子さん達の離反をも指摘されています。ゲッセマネではご自分の気持ちを願いながらも、神様に委ねておられます。そして、裏切られ、逮捕されるのであります。今朝の聖書は逮捕されたイエス様が最高法院で裁判を受けている示しであります。最高法院とは議会でありますが、ユダヤ教の社会の中で指導的な立場の人が議員になっていました。指導的な立場とは祭司、長老、律法学者、ファリサイ派サドカイ派の人々でありました。人々は主イエス・キリストに対し不利な偽証を次々に申し立てるのです。しかし、それに対してイエス様は反論することもなく、黙っていました。大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言いますと、イエス様「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と言われたのでした。大祭司は衣を裂きながら、神を冒涜する言葉であると断言します。それにより、最高法院は死刑の判決を下すのであります。しかし、最高法院が死刑の判決を下しても執行することはできません。ユダヤの国はローマの支配下にあり、全権を委ねられているローマの総督の判断が必要なのであります。それはこの後、マルコによる福音書は15章からになります。総督ピラトの尋問を受け、死刑の判決を受け、十字架につけられるのであります。この後は春の四旬節、レントになって示されることになります。
 私たちは主イエス・キリストのご受難をしっかり受け止めなければなりません。ダニエル書で示されましたように、神様のお導きにすべてを委ねることであります。イエス様はご自分の気持ち、願いを持ちながらも神様に委ねておられるのです。そして、十字架への道を歩むことが、神様の御心であることを受けとめ、人間の救いの基となることを知っておられたのであります。「神様に委ねつつ」でありますが、先の結果は分かりません。ただ神様に委ねることが大切なのであります。そして、神様のお示しになる道を歩むことが、祝福の人生であり、永遠の神の国、永遠の生命へと導かれるということであります。この世の苦しみがあるとしても、救いに至る順序として受けとめつつ歩むことです。
 使徒言行録5章27節以下では使徒たちの信仰の証しを示しています。使徒たちは主イエス・キリストの証しを人々に示していました。それに対して時の社会の指導者たちが、使徒たちの働きを妨害したのです。使徒たちも最高法院で裁かれることになりました。大祭司が尋問します。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか」との尋問に対して、ペトロと他の使徒たちは「人間に従うよりも、神に従わなければなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました」と証しするのです。これを聞いた人々は使徒たちを殺そうとします。しかし、指導者のガマリエルと言う人が、過去の例をあげ、「邪教なら自然に消滅する。しかし、真実なら神に逆らうことになる」と人々を説得するのです。これにより釈放されるのですが、ペトロや使徒たちはなおもイエス様の福音を人々に示していくのであります。神様に従う道を示し、救いを与えたのであります。迫害や困難がありましたが、永遠の祝福を信じて神様に委ねつつ歩み続けたのであります。

 今朝は「世界聖餐日」であり、「世界宣教の日」であります。世界の人々が共に聖餐に与ること、そこに平和の原点があるのです。イエス様の平和が実現するために、いつも聖餐式に与りたいと思います。聖餐式ということで、いくつかの思いがあります。娘の羊子がスペイン・バルセロナにわたり、プロテスタントの教会があまりないこともあり、カトリック教会のミサに出席しました。そして、プロテスタントの信者でも聖餐式に与れるか神父さんに聞きました。そしたら拒否されたというのです。それで、今度は別のカトリック教会のミサに出席し、そこの神父さんに聖餐式に与れるかと聞きました。ぜひ、一緒に聖餐をいただいてくださいと言われ、以後、そのカトリック教会に出席し、奏楽の奉仕もしています。神父さんでもいろいろな考え方があるというものです。しかし、プロテスタントでもカトリック教会の聖餐式は遠慮するという経験をしています。以前、宗教研究所の主催でカトリック教会を学ぶ研修に参加しました。実際にミサに臨みました。聖餐式になったとき、研修の責任者は、見学であるからとミサにおける聖餐式に与らない方針を示したのです。同じキリスト教であるのに、不可解な思い出を持っています。
 2014年にバルセロナに滞在しましたが、娘の羊子の知り合いである神父さんが羊子に奏楽を依頼しました。私たちも一緒にミサに出席しました。そうしましたら神父さんが、私も一緒にミサの司式をするように依頼されるのです。驚きましたが、求められるままに、神父さんのガウンを着て、短い奨励を行い、その後聖餐式が執行され、私もぶどう酒を会衆の皆さんにお配りしたのでした。カトリックの神父さんとプロテスタントの牧師が共同でミサと聖餐式を司ったのでした。何度かバルセロナに滞在しています。日曜日には六浦谷間の集会バルセロナ集会として礼拝をささげていましたが、合わせてカトリック教会のミサにも出席していました。カトリック教会はミサの終わりに必ず聖餐式が行われるのです。私もその聖餐式に与っていました。
 カトリック教会にしてもプロテスタント教会にしても、イエス・キリストが御示しになった聖餐式は同じです。教派が異なるということで、聖餐を拒否することは、真の聖餐式ではないと思います。みな、こころを一つにしてイエス様の聖餐式に与ることです。それにより「神様に委ねつつ」歩む人生へと導かれるのです。その点ではカトリック教会の神父さんは開かれていると思います。日本の教会は教会を担うのは役員会であり、教会のすべての歩みは役員会の決議で決められるのです。礼拝の中でカトリックの神父さんと一緒に司式を行うことになると、長いこと論議して、なかなか決められないのではないでしょうか。その点、共にミサを司ることを提案してくださった神父さんは開かれていると思います。このことも「神様に委ねつつ」共にミサを司ったと思います。何事も神様に委ねつつ歩みたいと示されました。
<祈祷>
聖なる神様。日々の歩みを十字架のイエス様がお導き下さり感謝します。永遠の生命を目指して、信仰を深めて歩ませてください。主イエス・キリストの御名により、アーメン。