説教「良い知らせを与えられる」

2016年4月10日、横須賀上町教会 
「復活節第3主日

説教、「良い知らせを与えられる」 鈴木伸治牧師
聖書、イザヤ書61章1-4節
    ヨハネによる福音書21章1-14節
讃美、(説教前)讃美歌21・318「勝利の声を高くあげよう」
    (説教後)讃美歌21・481「救いの主イエスよ」


 4月も10日になりましたが、今は春爛漫という状況です。桜が開花したものの、しばらく寒さが続きましたので、入学式や入社式の頃は、丁度、桜が満開で、新しい歩みを祝福しているようでした。桜を始め、いろいろな花が咲いています。毎日、散歩していますが、様々な花を鑑賞しながら歩く喜びを持っています。我が家の庭には源平桃の花が満開になっています。もう花びらが落ち始めていますが、源平すなわち赤と白の花が、同じ木から咲くのです。もともと源平桃の木は父が育てたもので、父は源平桃の苗を皆さんに差し上げていますので、我が家の近辺の家には、同じように源平桃の花が咲いているのです。
 スペイン・バルセロナにいる娘の羊子が、ピアノの演奏活動をしていますが、いくつかの作曲をしています。その中に「源平桃」と題しての曲があります。羊子は実家に咲く源平桃の花を示されながら作曲したと思われます。源平と言っても分らない人がいると思います。日本の昔、戦いの時代でしたが、源氏と平家が戦いをしたのです。その時、源氏は白い旗、平家は赤い旗を立てて戦いました。運動会の鉢巻きが赤と白とで競い合うのは、源平合戦が始まりであろうと思います。そのように赤と白は分かれて競い合うのですが、源平桃の木は、一つの木から赤と白の花が咲くのです、共存してきれいな花を咲かせている様は、平和を象徴しているようです。源平から示されることは戦いですが、源平桃は共存を示しているのです。その意味で、源平桃は平和の木であると示されています。旧約聖書において「平和」は「シャローム」と言う言葉です。人々はお互いに「シャローム」と言って挨拶を行うのです。「あなたに平和がありますように」と祝福をお祈りしているのです。その意味で、私は源平桃を、別名「シャローム」と示されているのです。源平桃の花を見つめながら、平和への祈りが導かれるということです。
 赤と白は相反する色です。しかし、相反する存在が共に美しい花を咲かせるのです。人間の基本であります。しかし地球上では相反する存在は排除する姿があります。歴史を通して、異なる存在を排除し、卑下してきました。それは今でも続いているのです。異なる姿は排除する。差別、排除が根強く存在しているのです。シリア難民がヨーロッパに逃れて行くのですが、今は受け入れ拒否があります。自分の国が立ち行かなくなってしまうということですが、中には外国人の流入を阻止するという姿勢もあります。困難な状況にいるのですから、何とかして共存の道が開かれることを願っているのです。
 前任の大塚平安教会時代にスリランカ人家族の日本仮滞在保証人になりました。スリランカから難民として日本に渡りました。難民申請を出しましたが、入国管理局は受け入れてくれませんでした。それで裁判により難民申請を受理してもらいたかったのです。最高裁まで上訴しましたが、上告棄却となりました。今弁護士さんと、今後どうするか検討しているところです。日本は特に難民を受け入れることは困難姿勢があります。いろいろな事情を考慮してのことですが、困難を訴えている人々と共に歩まなければならないのです。
 私達は聖書の示しをいただき、「良い知らせを与えられる」ことを信じたいのであります。

 今朝の旧約聖書イザヤ書は、弱き存在、貧しい者達への励ましを与えています。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」とイザヤは使命の内容を述べるのであります。今朝のイザヤ書の背景は、もはやバビロンの国に捕われているのではなく、解放されて故国に帰っている人々に対する預言の言葉であります。約50年間、捕囚として捕われの境遇でありました。しかし、バビロンの国が衰退し、ペルシャの王様キュロスによって捕囚から解放されたのであります。喜び勇んで故国に帰ってきました。しかし、都エルサレムは破壊されたままの状態でありました。しかも、エルサレムには外国の民とされるサマリア人が住み着き、また捕囚とならなかったユダヤ人が住んでいましたが、50年も経ている今、それらの人々がバビロンの国から帰還した人々に冷たく対応するのでした。早速、そこで生活をしていかなければなりません。しかし、食べるにしても着るにしても、また住む場所にしても思うようには行かないのであります。そして、人々のよりどころである神殿を再建しなければなりませんでした。そのような人々にイザヤは、神様が私を選んであなたがたのところへ遣わされましたと告げるのであります。「主はわたしに油を注ぎ」というのは、指導的立場になる人は油が注がれると言うことなのです。「油注がれた者」はメシアと言います。メシアは人々を幸せに導くので「救い主」と言われるようになります。メシアはヘブル語でありますが、この言葉をギリシャ語で言うとキリストという言葉になります。従って、イエス・キリストは救い主イエスとの意味であります。イエス・キリストというと名前と苗字と受け止めてしまいますが、そうではありません。十字架の救いを与えたイエス様との意味であります。
 今、イザヤが油注がれたと言うとき、救い主としての使命があることを人々に示しているのであります。「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」神様がイザヤをメシアとしたと示しているのです。この61章10節には「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる」との言葉を人々に与えています。生活の諸問題で苦しんでいた人々にとって、この言葉はまことに「良い知らせを与えられる」のでした。この私の現実に神様が共にいてくださり、喜びと希望を与えてくださったと信じることができたのであります。従って、いつまでも躊躇するのではなく、新しい一歩を踏み出そうと決心するのであります。救い主イザヤは現実に生きる人々を力強く励ましたのであります。「良い知らせを与える」神様の導きを知らせているのです。

 現実の生活は主イエス・キリストが導いてくださっています、とヨハネによる福音書が示しています。今朝のヨハネによる福音書は、三度目にお弟子さん達に復活のお姿を現したイエス様を示しています。最初に復活のイエス様が現れるのは、週の初めの日の夕方でありました。その初めの日の朝に主イエス・キリストは復活されたのであります。イエス様が殺されてしまったということで、お弟子さん達は社会の人々を恐れて家の中に閉じこもっていたのです。戸にはしっかりと鍵をかけていました。そこへ復活のイエス様が入ってこられ、「あなたがたに平和があるように」と言ってお弟子さん達を力付けました。そこにはお弟子さんのトマスさんがいなかったので、お弟子さん達は「わたしたちは主を見た」とトマスさんに言いました。しかし、トマスさんは、そんなことは信じないと言い切りました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのでした。それから八日の後、再びイエス様がお弟子さん達に現れました。そのときはトマスさんもいました。もちろん、トマスさんは自分の指をイエス様の傷跡に触れるということはしません。「わたしの主、わたしの神よ」と告白したのでありました。
 お弟子さん達はご復活のイエス様にお会いしましたが、今後どのようにして生きていったらよいのか、迷っていました。今までは先生であるイエス様と一緒であり、イエス様のお仕事の参与に与っていました。しかし、復活されたイエス様は、もはやお弟子さん達と一緒にいるわけではありません。お弟子さんの中でシモン・ペトロは漁師でありました。それで、イエス様がいない今、再び漁をする気になりました。「わたしは漁に行く」というと、他のお弟子さん達も「わたしたちも一緒に行こう」ということになり、舟に乗ったのであります。しかし、その夜は何も取れませんでした。魚をとるには夜の仕事になります。日中は暑いので、魚が水面に上がってこないのです。それで夜の仕事になりますが、何も取れませんでした。既に夜が明けました。岸辺に立っている人がいました。その人が、「子たちよ、何か食べるものがあるか」と言っているのであります。魚は何も取れないので、「ありません」と答えます。すると岸辺の人は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」と言っています。何を言っているのかと思ったでしょう。今まで、魚をとるためにいろいろと試みていたのですから。しかし、言われた通り、舟の右側に網を打つと、たくさんの魚が網にかかり、あまりにもたくさんなので引き上げるのに困難なくらいでした。そのとき分かったのでした。岸辺で言っている人は、ご復活のイエス様であることを知りました。イエス様の愛していた弟子、すなわちヨハネでありますが、「主だ」とペトロに言ったのです。それで、ペトロは裸同然だったので、上着をまとって海に飛び込み、岸へと泳いで行ったのであります。他のお弟子さん達はたくさん取れた魚を舟に積んで岸へと向かって行ったのでした。
 さて、岸に上がってみると、炭火がおこしてありました。そこで魚が焼かれていました。イエス様が、「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われました。魚は153匹取れたということです。陸に上がったお弟子さん達は、そこにおられるのはご復活のイエス様であることを知っていますので、何も言葉にしませんでした。「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われるままに、取れた魚を差し出しました。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」とイエス様はお弟子さん達を朝食へと招いたのであります。イエス様ご自身がパンをお弟子さん達に分け与えました。そして焼き魚も一人ひとりに渡されたのであります。イエス様が与えてくださったパンと魚を食べながら、今後どのように生きようとも、このように復活のイエス様が、生活の糧を備えてくださると確信したのであります。そして、お弟子さん達はパンと魚を食べながら、イエス様が大麦のパン五つと魚二匹で5千人の人々を養ったことを思っていたことでありましょう。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたイエス様に対して、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」とお弟子さん達は言ったのでした。しかし、イエス様はそこでパン五つと二匹の魚で5千人の人々を満たしたのでした。今、お弟子さん達は、そのことを思い出しながら朝の食事をしています。生活の糧を与えてくださる主イエス・キリストを信じたのでした。最後の晩餐は私たちの信仰を養ってくれます。最初の朝餐はイエス様が生活の糧を与えてくださるのです。霊肉ともどもに私たちを養ってくださる主イエス・キリストであります。 
 最初の朝餐で関連して示されることは、マタイによる福音書6章25節以下のイエス様の教えであります。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」と示しています。そして、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」と言われています。結論的に教えられていることは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな」と教えられています。最初の朝餐で示されるように、その日の糧を導いてくださる主イエス・キリストなのであります。

 今朝は聖餐式に与ります。聖餐式は、イエス様が十字架にお架りになる前、お弟子さんたちと最後の夕食を食べました。「最後の晩餐」と言われます。食事の時、パンを示しながら、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われてパンを配りました。その後、「この杯から飲みなさい。これはわたしの血、契約の血である」と言って杯を順次回したのであります。イエス様が十字架に架けられ、ご復活した後、イエス様を信じる人々は、この最後の晩餐を行うようになりました。イエス様の十字架の救いを信じる原点としたのでした。それに対して、本日の聖書は、「最後の晩餐」ではなく、イエス様がお弟子さんたちと最初に朝の食事をしたのです。「最初の朝餐」ということです。「最後の晩餐」の信仰は信仰を養うイエス様なのです。それに対して、「最初の朝餐」は、私達の生活を導くイエス様として示されるのです。
 先ほどもスリランカ人家族のことをお話ししました。当初は企業の下請け会社に勤めていましたが、入管の立ち入りにより、ビザを持たない人たち、不法滞在者は働くことができなくなりました。今まで企業の会社の社宅に入っていましたが、出なければなりませんでした。たまたま大塚平安教会には別館があり、そこで住んでもらうことにしたのです。働くこともままならぬ状況ですが、教会の皆さんや知人が何かと食料を提供してくれています。従って何とか生活ができるのですが、難民申請が却下されていますので、今後の歩みが祈りの課題です。しかし、「最後の晩餐」、「最初の朝餐」を与えてくださっているイエス様のお導きに委ねて歩んでいるのであります。私達は「最後の晩餐」、「最初の朝餐」という「良い知らせをあたえられる」歩みです。良い知らせを信じて歩みたいのであります。
 <祈祷>
聖なる神様。今朝は主の聖餐をいただく恵みをいただいていますが、日毎の糧をも備えてくださる恵みに委ねて歩ませてください。イエス様のみ名によりお祈りします。アーメン。