説教「日々、恵みを与えられ」

2020年4月26日、六浦谷間の集会
「復活節第3主日

 

説教、「日々、恵みを与えられ」 鈴木伸治牧師
聖書、イザヤ書61章1-3節

   ペトロの手紙<一>1章13-25節
   ヨハネによる福音書21章1-14節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・151「よろずの民」
   (説教後)讃美歌54年版・525「めぐみふかき」

 


 4月も下旬も迎えています。4月は桜の季節で、例年ですとお花見の喜びがあります。ところが今年は新型コロナウィルス感染予防で外出の自粛が求められており、残念ながらお花見の喜びはありません。日本には「花より団子」という諺があり、お花見と称しては桜の木の下でおいしいものを食べることが目的の場合もあります。それができないのですから、本当に残念なのです。毎年、お花見で混雑するところでは、お花見の自粛の張り紙があり、やはりお花見をしなくなっているのです。お花見で、やはり思い出すのは綾瀬市在住の頃です。その頃、桜並木があり、桜の時期は多くの人がお花見に訪れたものです。まだ小学生、中学生の我が家の子どもたちとお花見に出かけたことがありました。子供たちは一目散に桜並木を駆け抜けていきました。お花見に来たのだから、綺麗な桜を鑑賞すべきところなのですが、先に行った子供たちが待っていたのは食べ物屋さんであったのです。花見は楽しいのですが、おいしいものを食べる方が良いわけです。桜の時期になると、その頃のことが思い出されます。ところが私たちが大塚平安教会を退任し、六浦の地に住むころは、その桜の木がすべて切り倒されたのでした。その桜は、かなり老木になっており、いろいろな被害が出ていたからです。老木を切り倒し、並木通りもきれいに造り直され、そして新しく桜の苗が植えられていました。以前のように桜見物を楽しむのは、まだ何年も先のことになるのでしょう。
 桜のお花見ができないことで、昔の喜びを思い出してみましたが、自然の移ろいは、同じように私たちに喜びを与えてくれるのです。我が家の庭には源平桃の花が咲き、4月の頃は楽しみつつ見ています。しかし、その源平桃が庭を覆うようになり、昨年の秋にかなり枝を掃ったのでした。従って、今年は残された枝に咲く程度でした。今は花の時期が終わったのですが、源平桃の幹には新しい芽が生えており、その芽が成長して、来年は花を咲かせてくれると期待しています。木は切り倒しても、根があるかぎり新しい芽が出てくるのです。このような自然のお恵みは神様がお造りになられたからなのです。
 今は新型コロナウィルス感染が世界中に広まっており、感染予防に留意していますが、いつかは収束すると思います。歴史を紐解いてみれば、ペスト、コレラ天然痘チフスマラリア等が発生し、多くの人々が死んだのです。そのような疫病と闘いながら歩んだ歴史がありますが、今はコロナウィルスとの闘いを全世界の人々がしているところです。日本の国も全国に非常事態宣言が出され、外出自粛が求められています。求められていても、観光地には出かける人がおり、鎌倉から江の島に抜ける道路は大渋滞であったと報道されていました。とにかく今は人との接触を極力避けなければならないのです。日本の国では外出禁止という戒厳令ではありませんので、欲望が先になるのでしょう。このような状況ですが、私たちは神様が「日々、恵みをあたえられ」ていることを信じなければなりません。神様のお恵みを受け止めつつ歩まなければならないのです。

 今朝の旧約聖書イザヤ書は、弱き存在、貧しい者達への励ましを与えています。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」とイザヤは使命の内容を述べるのであります。今朝のイザヤ書の背景は、もはやバビロンの国に捕われているのではなく、解放されて故国に帰っている人々に対する預言の言葉であります。約50年間、捕囚として捕われの境遇でありました。しかし、バビロンの国が衰退し、ペルシャの王様キュロスによって捕囚から解放されたのであります。喜び勇んで故国に帰ってきました。しかし、都エルサレムは破壊されたままの状態でありました。しかも、エルサレムには外国の民とされるサマリア人が住み着き、また捕囚とならなかったユダヤ人が住んでいましたが、50年も経ている今、それらの人々がバビロンの国から帰還した人々に冷たく対応するのでした。早速、そこで生活をしていかなければなりません。しかし、食べるにしても着るにしても、また住む場所にしても思うようには行かないのであります。そして、人々のよりどころである神殿を再建しなければなりませんでした。そのような人々にイザヤは、神様が私を選んであなたがたのところへ遣わされましたと告げるのであります。「主はわたしに油を注ぎ」というのは、指導的立場になる人は油が注がれると言うことなのです。「油注がれた者」はメシアと言います。メシアは人々を幸せに導くので「救い主」と言われるようになります。メシアはヘブル語でありますが、この言葉をギリシャ語で言うとキリストという言葉になります。従って、イエス・キリストは救い主イエスとの意味であります。イエス・キリストというと名前と苗字と受け止めてしまいますが、そうではありません。十字架の救いを与えたイエス様との意味であります。
 今、イザヤが油注がれたと言うとき、救い主としての使命があることを人々に示しているのであります。「打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」神様がイザヤをメシアとしたと示しているのです。この61章10節には「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる」との言葉を人々に与えています。生活の諸問題で苦しんでいた人々にとって、この言葉はまことに「良い知らせを与えられる」のでした。この私の現実に神様が共にいてくださり、喜びと希望を与えてくださったと信じることができたのであります。従って、いつまでも躊躇するのではなく、新しい一歩を踏み出そうと決心するのであります。救い主イザヤは現実に生きる人々を力強く励ましたのであります。「良い知らせを与える」神様の導きを知らせているのです。

 現実の生活は主イエス・キリストが導いてくださっています、とヨハネによる福音書が示しています。今朝のヨハネによる福音書は、三度目にお弟子さん達に復活のお姿を現したイエス様を示しています。最初に復活のイエス様が現れるのは、週の初めの日の夕方でありました。その初めの日の朝に主イエス・キリストは復活されたのであります。イエス様が殺されてしまったということで、お弟子さん達は社会の人々を恐れて家の中に閉じこもっていたのです。戸にはしっかりと鍵をかけていました。そこへ復活のイエス様が入ってこられ、「あなたがたに平和があるように」と言ってお弟子さん達を力付けました。そこにはお弟子さんのトマスさんがいなかったので、お弟子さん達は「わたしたちは主を見た」とトマスさんに言いました。しかし、トマスさんは、そんなことは信じないと言い切りました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのでした。それから八日の後、再びイエス様がお弟子さん達に現れました。そのときはトマスさんもいました。もちろん、トマスさんは自分の指をイエス様の傷跡に触れるということはしません。「わたしの主、わたしの神よ」と告白したのでありました。
 お弟子さん達はご復活のイエス様にお会いしましたが、今後どのようにして生きていったらよいのか、迷っていました。今までは先生であるイエス様と一緒であり、イエス様のお仕事の参与に与っていました。しかし、復活されたイエス様は、もはやお弟子さん達と一緒にいるわけではありません。お弟子さんの中でシモン・ペトロは漁師でありました。それで、イエス様がいない今、再び漁をする気になりました。「わたしは漁に行く」というと、他のお弟子さん達も「わたしたちも一緒に行こう」ということになり、舟に乗ったのであります。しかし、その夜は何も取れませんでした。魚をとるには夜の仕事になります。日中は暑いので、魚が水面に上がってこないのです。それで夜の仕事になりますが、何も取れませんでした。既に夜が明けました。岸辺に立っている人がいました。その人が、「子たちよ、何か食べるものがあるか」と言っているのであります。魚は何も取れないので、「ありません」と答えます。すると岸辺の人は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」と言っています。何を言っているのかと思ったでしょう。今まで、魚をとるためにいろいろと試みていたのですから。しかし、言われた通り、舟の右側に網を打つと、たくさんの魚が網にかかり、あまりにもたくさんなので引き上げるのに困難なくらいでした。そのとき分かったのでした。岸辺で言っている人は、ご復活のイエス様であることを知りました。イエス様の愛していた弟子、すなわちヨハネでありますが、「主だ」とペトロに言ったのです。それで、ペトロは裸同然だったので、上着をまとって海に飛び込み、岸へと泳いで行ったのであります。他のお弟子さん達はたくさん取れた魚を舟に積んで岸へと向かって行ったのでした。
 さて、岸に上がってみると、炭火がおこしてありました。そこで魚が焼かれていました。イエス様が、「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われました。魚は153匹取れたということです。陸に上がったお弟子さん達は、そこにおられるのはご復活のイエス様であることを知っていますので、何も言葉にしませんでした。「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われるままに、取れた魚を差し出しました。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」とイエス様はお弟子さん達を朝食へと招いたのであります。イエス様ご自身がパンをお弟子さん達に分け与えました。そして焼き魚も一人ひとりに渡されたのであります。イエス様が与えてくださったパンと魚を食べながら、今後どのように生きようとも、このように復活のイエス様が、生活の糧を備えてくださると確信したのであります。そして、お弟子さん達はパンと魚を食べながら、イエス様が大麦のパン五つと魚二匹で5千人の人々を養ったことを思っていたことでありましょう。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたイエス様に対して、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」とお弟子さん達は言ったのでした。しかし、イエス様はそこでパン五つと二匹の魚で5千人の人々を満たしたのでした。今、お弟子さん達は、そのことを思い出しながら朝の食事をしています。生活の糧を与えてくださる主イエス・キリストを信じたのでした。最後の晩餐は私たちの信仰を養ってくれます。最初の朝餐はイエス様が生活の糧を与えてくださるのです。霊肉ともどもに私たちを養ってくださる主イエス・キリストであります。 
 最初の朝餐で関連して示されることは、マタイによる福音書6章25節以下のイエス様の教えであります。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」と示しています。そして、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」と言われています。結論的に教えられていることは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな」と教えられています。最初の朝餐で示されるように、その日の糧を導いてくださる主イエス・キリストなのであります。

 私たちは聖餐式に与りながら歩んでいます。聖餐式は、イエス様が十字架にお架りになる前、お弟子さんたちと最後の夕食をしました。「最後の晩餐」と言われます。食事の時、パンを示しながら、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われてパンを配りました。その後、「この杯から飲みなさい。これはわたしの血、契約の血である」と言って杯を順次回したのであります。イエス様が十字架に架けられ、ご復活した後、イエス様を信じる人々は、この最後の晩餐を行うようになりました。イエス様の十字架の救いを信じる原点としたのでした。それに対して、本日の聖書は、「最後の晩餐」ではなく、イエス様がお弟子さんたちと最初に朝の食事をしたのです。「最初の朝餐」ということです。「最後の晩餐」の信仰は、信仰を養うイエス様なのです。それに対して、「最初の朝餐」は、私達の生活を導くイエス様として示されるのです。
 最初の朝餐はガリラヤ湖の浜辺で行われました。ブログを公開していますが、このところ25年前のイスラエル旅行を再び掲載してます。そして、前回はイエス様のガリラヤ伝道の足跡を訪ねたことを記しています。ご復活のイエス様がガリラヤ湖の浜辺から漁をしているお弟子さんたちに声をかけた場所に私もたたずんだ写真を掲載しています。写真で見るように、浜辺と言っても石がごろごろとしているところです。そういう場所でイエス様が焚火をして食事の用意をしたのでした。浜辺で食事を与えたという印象は、綺麗な砂浜で食事を与えたという印象ですが、実際には座ることも困難な状況のようです。困難な場所にこそ、イエス様がお恵みをくださっていることを示されるのです。今は、病原菌で困難な状況です。しかし、この困難な状況だからこそ、最初の朝餐を与えてくださっているのです。「日々、お恵みをあたえられ」ていることを感謝しつつ歩みたいのです。
 <祈祷>
聖なる神様。今朝は主の聖餐をいただく恵みをいただいていますが、日毎の糧をも備えてくださる恵みに委ねて歩ませてください。イエス様のみ名によりお祈りします。アーメン。

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