説教「神様の御心で養われる」

2016年2月7日、六浦谷間の集会 
降誕節第7主日

説教、「神様の御心で養われる」 鈴木伸治牧師
聖書、申命記8章1-10節
    フィリピの信徒への手紙4章10-14節
     ヨハネによる福音書6章1-15節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・132「めぐみにかがやき」
    (説教後)讃美歌54年版・501「生命のみことば」


 本日は2月の最初の礼拝です。2月ともなると、やはり春が近づいたとの思いが深まります。実際、前週の2月4日に立春を迎えており、これからは春に向かい、暖かさが増してきます、とテレビの天気予報で気象予報士さんが述べていました、しかし、まだまだ寒さが、続きますから注意しましょうとも言っていました。冬の寒さを身に染みて感じていますが、散歩の途上、渡り鳥が侍従川や平潟湾にたくさん飛来しているのを見ています。水鳥たちは、水の上で首を羽の中に入れて休んでいるのや、水の中に潜って餌をとっているのも見られます。水の中に潜ると2、3分は出てこないのです。そんな渡り鳥達を見ながら散歩していますが、暖かくなると、いつの間にかいなくなってしまうのです。渡り鳥もいずれはどこかに飛び立っていくのでしょう。
 2月4日は立春でしたが、その前日の3日は節分と言われています。「節分」は季節の移り変わりのことで、立春立夏立秋立冬の前日を節分と言われていました。その中でも立春が一年の最初にあるので、節分といえば春の節分に集中されるようになったということです。その節分の日には豆まきが行われます。節分の豆まきは神社仏閣で行われ、多くの人々が豆拾いに集まるのです。多くの人に来てもらいたいので、神社仏閣は有名人に来てもらって豆まきを行います。最近、活躍したスポーツ選手や俳優たちが豆まきをするというので、豆拾いと共に有名人を見るために集まると言うわけです。豆をまくのは、今までの悪いものを追い払って新しい歩みを始める意味があります。
 この豆まきになると、いつも昔の幼稚園園長時代を思い出しています。ドレーパー記念幼稚園でも豆まきの行事を行っていました。以前、一人の保護者が、その方はクリスチャンで他の教派の教会に所属している方ですが、キリスト教の幼稚園なのに、どうして豆まきをするのですか、と質問をされました。確かに、豆まきと言えば神社仏閣で行っているので、キリスト教が行うのはおかしなことです。しかし、豆まき行事はイエス様の教えを具体的に示されるのです。それはマタイによる福音書4章1節以下で、イエス様が誘惑する者、悪魔、サタンと戦い、悪を退けたことから、私たちも内面にある悪い自分を退ける教えとして示されるのです。子ども達にとって、わがまま、意地悪をイエス様のお心をいただいて追い出すということなのです。豆まきは神社仏閣で行うので宗教的に受け止められていますが、むしろ生活の知恵的なものでもあります。それをキリスト教的に受け止めることは、むしろ具体性があってよろしいと思います、とお答えしています。批判的に質問されたのですが、納得されたようでした。
 幼稚園では、毎週合同礼拝を行っていますが、合同礼拝が終わってから豆まき行事を行っていました。子ども達はそれぞれが楽しい鬼のお面を作りました。自分で作ったお面をかぶった子ども達に、園長が「わがまま鬼、意地悪鬼、出て行け」と言いながら、やさしく豆を投げてあげます。豆と言っても殻つきのピーナツです。子ども達は、キャアキャア言いながら逃げ回るのです。今度は園長が鬼になります。鬼のお面をつけてわめくのですが、子ども達は鬼に向かって豆を投げるのです。思いっきり投げますので、それはそれは痛いというものです。園長の受難日でもありました。
2月となり寒さがありますが、暖かい春に向かっていきますので、何となく安らぎと希望を持つ歩みとなります。しかし、今度は花粉の季節となり、鼻炎や目のかゆみで苦しまなければなりませんので、必ずしも喜べないのであります。花粉の苦しみ、生活の苦しみ、社会に生きる諸問題等を抱えながら日々の生活を歩む私たちであります。節分で豆をまき、悪いものを追い出し、立春を喜びながら、希望を持ちつつ歩みます。私たちは礼拝に導かれ、日々の歩みを懺悔し、新しい命をいただき、喜びと希望の明日の歩みが導かれるのです。礼拝において、私たちは「神様の御心」を与えられるのです。神様の御心は私達を養い、人生を力強く導いてくれるのです。

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」と今朝の旧約聖書申命記8章1節以下で示しています。「知らせるためであった」というのは、人は神様の口から出るすべての言葉によって生きることであります。知らせるために奇跡をもって導かれているのです。神様は常に奇跡、人々にとっては不思議なことを与えながら聖書の人々を導かれておられるのです。
 申命記の書名は、ヘブライ語原典の書名は「これらは…ことばである」ということであります。日本語では申命記となっていますが、申命の「申」には「重ねる」の意味があり、重ねて語られる命令ということで申命記となっているのであります。従って、申命記には重ねて、あるいは繰り返し主の戒め、教えが示されているのであります。そもそも繰り返し主の戒めを語るのは、指導者モーセでありますが、モーセは繰り返し主の戒めを語ることによって、モーセの使命を終えるのであります。モーセにエジプトで奴隷として苦しむ人々を救い出しなさい、との神様の使命が与えられました。モーセは躊躇しますが、神様の励ましと力、大いなる奇跡をいただき、奴隷の人々をエジプトから脱出させたのでありました。そして、40年間の荒野の旅があります。モーセは人々の不平不満の声を抑え、行く手に阻む諸問題を切り抜けながら、ついに神様の約束の土地、乳と蜜の流れる土地カナンにたどり着きました。今、その約束の土地を見つめながら、歴史を回顧し、神様の導きの奇跡を示し、主の戒め、教えを守るよう諭しているのであります。
 「今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それをとることができる」と示しています。モーセは神様から使命を与えられたとき、二つのことをしなければなりませんでした。一つは奴隷で苦しむ人々を救い出すことです。それは果たされました。そして、次の使命は、救い出した人々に神様の御心を示すことでありました。神様の戒め、十戒を示し、しっかりと受け止めて守るように教えます。それによって神様を信じて生きる者へと導いたのであります。しかし、人々は示され、教えられても、なかなか守って生きることはできなかったのです。人は常に自己満足に生きるからであります。
 「あなたの神、主が導かれた40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた」と示しています。奴隷の国エジプトを出て、まず困るのは食べ物でありました。そこで人々はモーセに詰め寄り、「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」というのでした。それに対して、神様はマナという食べ物を与え、荒れ野の40年間を養ったのでありました。さらに、飲み水がない状態のとき、「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも乾きで殺すためなのか」と不平を言うのでありました。モーセは神様に言われるままに岩を打ちます。すると水が流れ出てきて人々の喉を潤したのであります。空腹を与え、渇きを与え、いろいろな困難を与えたのは神様でありました。それは人々が一層神様の導きを知るためなのであります。その都度、奇跡と思える「しるし」を与え、主の道を生きることの喜びを与えたのであります。まさに、この奇跡、「しるし」は神様のお恵みでありました。そして、それは困難のときにこそ、神様の戒めを守って生きる訓練でもありました。「あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい」とモーセは教えています。

 主イエス・キリストは「永遠の命」を得させるために奇跡を与えています。今朝のヨハネによる福音書はイエス様が5,000人の人々を五つのパンと二匹の魚で養ったことを報告しています。このパンの奇跡はマタイ、マルコ、ルカによる福音書もそれぞれ報告しています。このヨハネによる福音書は、イエス様が山に上り、一休みしていると大勢の人々がイエス様を見つけて近づいてくる状況であります。そこで、イエス様は近づいてくる人々を見ながら、お弟子さんのフィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか。」と言われたのであります。それひとり。フィリポは、二百デナリオン分のパンを買っても足りないと答えます。お弟子さんの一人、ペトロの兄弟アンデレが、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、なんの役にも立たないでしょう」と言うのでした。弟子達はまったく不可能を前提にしています。大勢の人々に対する、自分達の考えで結論付けているのです。この時、アンデレにしてもフィリポにしても、あの最初の奇跡、カナの婚礼で水をぶどう酒に代えた、あの奇跡をどうして思い出さないのでしょうか。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」とイエス様が言われたとき、「あなたならおできになります」と言わなければならなかったのであります。
 主イエス・キリストの教えを求めて、主の驚くべき御業を与えられるために集まってくる人々に、日毎の糧は加えて与えられるのです。それが荒れ野の40年の導きでありました。今、イエス様は人々に生活の糧を与えられるのです。パン五つと魚二匹が大勢の人々を養うのであります。主に教えを求め、御業を求める人々に、必ず応えられるのであります。40年間、神様はマナをもって養われたのであります。
 「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々は満腹した」と報告されています。こうして、日毎のパンを与えられたイエス様は、この6章34節で、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と示しています。そして、最後の晩餐では、食事のパンを弟子達に与えながら、今後はわたしの体と思って食べなさいと言われ、さらにぶどう酒を与えながら、わたしの血だと思って飲みなさいと示されたのであります。このことが聖餐式として、今に生きる私たちも恵みにあずかっているのであります。私たちは聖餐をいただく毎に神様の御心へと導かれるのであります。主イエス・キリストの奇跡は、私たちの命を養うのであります。

 聖書のお話しは昔のことで、私達の現実とは異なると思われるでしょうか。そうではありません、現代に生きる私達にも、イエス様は奇跡を与えておられるのです。大塚平安教会に赴任する前、陸前古川教会を牧会しつつ、古川から車で1時間離れた登米教会を兼牧していました。登米教会は信徒数10人という小さな教会です。町の人口は8千人でありました。教会は付属の幼稚園により、牧師の生活を何とか支えていたのです。兼任牧師として赴任したとき、教会の幼稚園を学校法人にすることが進められていました。町の人と教会の皆さんが設立準備委員会を組織して計画をしていました。しかし、この設立準備委員会は、もう何年も前から組織されているのですが、なかなか計画が進まないのでありました。教会の10人の皆さんは一人の青年の他はみな女性でありました。どうしても町の力を借りなければ進められないと思っていたのです。そういう中で、これは教会の業なのであり、教会が主体的に取り組まなければ進められないことを示され、設立準備委員会を解散したのでありました。そして、10人の皆さんが立ち上がったのであります。このような小さな群れで何ができるのか、との思いを持ち続けていたのですが、イエス様の奇跡を信じて取り組むことになったのでした。町の人たちは、ほとんど女性ばかりの教会で、しかも高齢者が多いのに何ができるのか、と思っていたのです。しかし、教会の皆さんが主体的に立ち上がったとき、幼稚園の歴代母の会の皆さんも立ち上がったのです。募金活動を展開してくれました。町も協力してくれることになりました。そして、ついにこの小さな教会は学校法人に必要な園舎を建てました。イエス様の奇跡が与えられたと感謝をしたのでした。その人たちの半数近くは、今は「永遠の命」を与えられています。奇跡を現実に与えられ、喜びつつ歩まれた皆さんでした。
 このような自分に何ができるのか、と思っていないでしょうか。私たちはこんな自分でありますが、今までの自分を振り返るならば、イエス様の数々の奇跡が見えてくるのです。こんな自分というなら、イエス様に申し訳ないのであります。イエス様は私の人生に奇跡を与えて導いておられるのです。今の自分は歴史を通して、イエス様が導いてくださった自分なのです。私たちはイエス様の奇跡が与えられるとき、まさに自分を超えた存在になっているのです。さあ、さらに私に奇跡を与えてくださって導いてくださっているので、救いの奇跡、十字架を仰ぎ見つつ歩みましょう。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架の救いを与えてくださり、心から感謝致します。現実の生活を力強く歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。