説教「導きの声を聞きながら」

2015年3月15日 六浦谷間の集会礼拝
「受難節第4主日

説教・「導きの声を聞きながら」、鈴木伸治牧師
聖書・出エジプト記34章29-35節
    コリントの信徒への手紙(二)3章4-18節
     ルカによる福音書9章28-36節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・138「ああ主は誰がため」、
   (説教後)讃美歌54年版・298「やすかれ、わがこころよ」


 前週3月11日は東北関東大震災が起きて4年目を迎えました。各地で犠牲者の追悼が行われていました。また、テレビもしばらく前から、被災者の生活、原発事故で帰ることができない人々を特別に報道していました。また、復興に関わる人々の働き、取り組み等を示されていました。復興はほど遠く、原発事故対策もままならぬ状況が続いています。これらの状況を、ただ見ているようでありますが、なるべく被災地の野菜や魚類等を買う努力をしています。それなりに復興の協力はしています。私達は何もできないのではなく、ただ神様にお祈りをささげることなのであります。
 災害地では不通になっていた常磐線が開通し、浪江、鹿島等にも行かれるようになったということです。浪江には浪江伝道所があり、以前のことですが、何回か訪問したことがありました。浪江は東北教区福島分区相双地区と申しまして、浪江伝道所がありました。以前、大塚平安教会出身の牧師がこの浪江伝道所の牧師に就任していました。建物が古くなり、十字架塔も錆びが出てきているというので、大塚平安教会の有志がワークキャラバンとして訪問したのでした。浪江伝道所は教会員も少なく、若い人がほとんどいません。就任した牧師も結構の年齢なので、あまり力仕事はできないということでした。草むしり、ペンキ塗り等をしたのであります。それが1989年でした。翌年には、大塚平安教会には音楽家が何人かいましたので、聖歌とお話の集いとして、相双地区を訪問し、鹿島栄光教会、中村教会、小高伝道所、原町教会等を訪問し、聖歌を中心とした伝道集会を開催したのであります。その時、比較的近くにある福島原子力発電所を横眼で見ながら移動したことが思い出されます。その相双地区に地震と共に大津波が襲い、多くの被害を与えたのであります。さらに原発事故による放射能危険地区になったのであります。災害により、この浪江伝道所がどうなったのか、情報が得られないままでいます。おそらく大津波によって流されてしまったのかもしれません。現地には行くことができないので、東北教区をはじめとして日本基督教団は案じていたのであります。日本中が救援に立ちあがっていますが、日本基督教団も10億円を目標に募金活動をしているところであります。このとき私達は何をする術が分らないのですが、神様がイエス様を示しながら「これに聞け」と言われていますので、イエス様の御心を聞きつつ、導かれたいのであります。
 3月11日になると大震災を示されるのでありますが、この震災の復興協力を別の角度から示されたのであります。大震災が起きたばかりですが、私達家族は4月4日にスペイン・バルセロナに赴いたのでした。バルセロナには娘の羊子がピアノの演奏活動をしていますので、一ヵ月半、連れ合いと二番目の娘と共に行くことにしたのです。2010年10月からは現役を退任し、どこの教会にも属さない無任所教師になりました。それで行くことができるようになったのでした。日本の災害の直後にバルセロナに行くことを躊躇しましたが、長年の希望でもあり、行くことにしたのです。行って良かったと思います。というのは、スペインにおける日本の災害復興協力が行われており、実際に経験することができました。
4月4日に行きましたが、二日後の4月6日には日本の災害復興協力コンサートが、学校を会場にして開催されました。そこで羊子がピアノの演奏を行い、他にも管弦楽団の演奏とかトランペットの演奏等がありました。入場は無料でした。しかし、帰りに復興協力献金をささげるという方式でした。また、日本の総領事が主催して、4月11日に一ヶ月追悼集会をバラ公園と言う場で行われました。記念のバラを植樹し、また碑文が建てられていました。復興支援コンサートはマドリッドでも行われ、バルセロナから急行電車でも3時間も離れているのですが、出かけて行きました。そして、5月17日には私達は帰国するのですが、その前日の16日には、カタルーニャ音楽堂で復興支援コンサートが開かれたのであります。日本の総領事も2000人の入場者の皆さんに挨拶をしたのでした。羊子のピアノ演奏に割れんばかりの拍手が送られたことを忘れることができません。それだけ多くの人々が日本の災害復興をお祈りしてくれているということを示されたのでした。

 今朝の旧約聖書出エジプト記34章29節以下でありますが、「モーセの顔の光」との標題で示されています。エジプトの奴隷であった聖書の人々は、神様がお立てになったモーセによってエジプトを脱出しました。奴隷から解放されたのであります。その時、壮年男子は60万人でありました。女性や子供たちを数えれば100万人を超える人々がエジプトから出て行ったのでありました。もともと聖書の人々がエジプトに住むようになったのは、ヤコブの時代であります。11番目の子供ヨセフが、神様の不思議な導きでエジプトの大臣になっていたのであります。全国的に冷害となり、エジプトの大臣であったヨセフは、ヤコブと一族をエジプトに呼び寄せ、そこから寄留の生活が始まったのでありました。実に430年間のエジプトの生活でした。聖書の人々がエジプトに寄留していることの理由を知らない王様が、増大するこの外国の民に恐怖を持ち、奴隷にしてしまったのであります。苦しい奴隷の生活を神様が顧みてくださり、モーセを通して解放させたのでした。エジプトを出て3ヶ月を経てシナイ山の麓に着き、そこでしばらく宿営することになります。シナイ山モーセがエジプトで奴隷である人々を救うように召命をいただいた場でもあるのです。再び、そこに戻ってきたモーセは、神様の導きのもとにシナイ山に登りました。シナイ山は2285mの高さであります。
 以前、聖地旅行でこのシナイ山に登りました。その時のお話は何かと日曜日に講壇に立ったとき、お話致しましたので割愛しますが、岩の山という印象です。私達は山と言えば、緑の多い、または高山植物があることを思いますが、シナイ山は麓から岩山が上に伸びているのです。ほとんど草木が生えていません。そういうシナイ山モーセは登って行き、神様の御心をいただき、十戒をいただいたのです。十戒をいただいて下山すると、人々は指導者であるモーセが山に登ったまま帰って来ないということで、中心となるべき金の子牛の偶像を作り、その周りで踊り狂っていたのであります。モーセは激しく怒り、その石の十戒を砕いたのでありました。従って、十戒の石の板が無くなっているのです。そこで、神様は再び十戒を授けるとし、石の板を用意させて、モーセを再びシナイ山に招くのでした。モーセは改めて、神様の御心を示され、石の板に十戒を刻むのでした。
そこで今朝の聖書になります。モーセシナイ山から下山すると、モーセの顔は光を放っていたのです。従って、人々はモーセに畏れを持ち、近づけなかったのでありました。しかし、モーセの招きのもとに、人々の指導者達がモーセのもとに集まってきました。モーセは神様から示された御心を示し、今後はいただいた十戒を守りながら歩むことを示すのでありました。「光を放つ」というヘブライ語は「角」にも由来致します。「角が出る」とも訳されるのです。昔のヒエロニムスという人がラテン語ウルガタ)で、「モーセに角が出ていた」と訳したので、ミケランジェロの「モーセ」には角が生えているのであります。正しくは光を放つモーセの顔であり、神様の御心に生きるときモーセを示しているのです。光であり、角が生えて見えるということ、その存在を強調することです。神様はモーセという存在に人々が向き、モーセから神様の御心を示すようにしたのであります。

 ルカによる福音書9章28節以下が今朝の示しになっています。28節、「この話をしてから八日ほど経ったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」と記されています。「八日の後」とは前週示されました弟子達の信仰告白であり、イエス様が十字架への道をお示しになってからのことです。山に登られ、イエス様が祈っておられるうちに、イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いたのであります。そこにはモーセとエリヤが現れ、イエス様と語り合っていたというのです。何を語らっていたのか、「イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について」であったのです。ペトロと仲間は、ひどく眠かったのですが、じっとこらえていたのです。そういう中でイエス様と二人の人を見たのでした。夢とも幻とも受け止められるのですが、確かに三人の栄光に輝く姿を見たのです。するとペトロは、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」と言うのでした。すると光り輝く雲が彼らを覆ったのであります。そして雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と神様の声が聞こえたのであります。その声が聞こえたとき、もはやそこにはイエス様しかおられませんでした。それは一瞬のことでありました。
他の福音書にも、この「山上の変貌」は記されています。しかし、イエス様とモーセ、エリヤが栄光のうちに語らっていた内容について記すのはルカによる福音書だけです。何を話していたのか。「イエス様がエルサレムで遂げようとしておられる最期について」なのであります。栄光に輝く姿は十字架の主・キリストでありました。十字架と栄光、これは切り離されないこととして、ルカは三人の語らいとしたのであります。この山上の変貌は十字架の道を歩むイエス様の勝利の姿であると示されます。まさにその通りでありますが、モーセとエリヤの出現が山上の変貌を意味深く示しているのであります。モーセもエリヤも昔の存在でありますが、モーセ十戒を与えられ、人々に神の言葉として教え導いた人であります。そしてエリヤは神様の御言葉を人々に示す預言者であります。預言の言葉は力となり、人々に神様の御心を示したのでありました。モーセは律法であり、エリヤは預言であるのです。イエス様がモーセとエリヤと話していたということは、主イエス・キリストが律法と預言であることを示しているのであります。そして、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言われたのでありますが、マタイやマルコは「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との神様のお言葉でした。しかし、ルカは十字架による救いのために、神様がお選びになっているのであると示しているのであります。十字架に向かう主イエス・キリストが栄光に輝いていることをルカによる福音書は私達に示しているのであります。まさに「ひかり輝く存在」は主イエス・キリストなのであります。そして、神様はこのイエス様に「聞け」と導いておられるのです。栄光に輝く存在を示したのは、旧約聖書モーセと同じように、特別な存在として示し、その存在によって御心を示されるのです。そして「これに聞け」と示しているのです。

 イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から招きをいただいて以来、イエス様の言葉、御心を「聞いて」きたのです。「聞く」ことによって祝福へと導かれていることは、ルカによる福音書も証しているのです。まずこのルカによる福音書5章1節以下に「漁師を弟子にする」と題して書かれています。漁師であるペトロ、ヤコブヨハネ等が漁の後の仕事をしています。彼らはその日は何も取れなかったのです。そこへイエス様が来られて、船から群衆に神様の御心をお話しされたのです。お話が終わると、もう一度漁をしなさいと言われるのです。しかし、彼らは漁をしたものの、一匹も取れないまま、後片付けをしていたのです。だから、イエス様の言葉に反対したのかといえば、「お言葉ですから、網を下してみましょう」と、イエス様の言葉に従ったのです。それにより豊かな祝へと導かれたことを経験しています。さらに9章10節以下では、「五千人に食べものを与える」ことが記されています。イエス様が神様の国についてお話しをしています。多くの人々がイエス様のお話しを聞いているのですが、もはや夕刻になっているのです。だからお弟子さんたちは人々を解散させることを提案しました。自分達で食事をさせるためでもあります。ところがイエス様は、「あなたがたが彼らに食べものを与えなさい」と言われたのです。そんなことを言われても、お金もないし、お金があったとしても、人里離れた場所でパンを売る店が無いのです。お弟子さんたちは、そんなことはできないと思いました。しかし、イエス様が五つのパンを手にしてお祈りしたとき、イエス様の言われることを「聞いた」のでありました。お弟子さんたちはイエス様から渡される祝福のパンを人々に与え続けたのでした。今までもイエス様の御言葉、お導きに「聞いて」来たお弟子さんたちです。神さまから「これに聞け」と改めて示されているのです。イエス様の御心に「聞く」ということが祝福へと導かれることなのです。
 今、私達が、神様が言われた「これに聞け」を受け止めるとき、「これ」とはイエス様なのですが、どのように受け止めるのでしょうか。言うまでもなく主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ることです。プロテスタントの教会は聖壇には十字架が掲げられています。救いの原点であるからです。スペインのカトリック教会のミサに出席していましたが、十字架ばかりではなく、十字架につけられているイエス様を示されるのです。サグラダ・ファミリアの受難の門には、イエス様が裸で十字架につけられている像が飾られています。また、サグラダ・ファミリアの内部、大聖堂には上からイエス様が十字架につけられている像が吊るされています。カトリック教会は十字架ばかりではなく、イエス様ご自身を十字架と一緒に示されるのです。私達が「これに聞け」と言われたとき、やはり十字架に架けられておられイエス様を見つめることなのです。十字架だけを見つめるのではなく、イエス様がそこにおられることを示され、「これに聞け」と神様が導いておられますから、十字架のイエス様に導かれたいのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。栄光のイエス様は十字架により私達をお救いくださいました。「これに聞け」との導きに従わせてください。イエス・キリストの御名によりおささげします。アーメン。