説教「教会の一致と交わり」

2011年6月26日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第3主日」、

説教、「教会の一致と交わり」 鈴木伸治牧師
聖書、サムエル記下7章8〜17節、
   使徒言行録2章37〜47節
   ルカよる福音書14章15〜24節
賛美・(説教前)讃美歌21・352「来たれ全能の主」、
   (説教後)讃美歌21・542「主が受け入れてくださるから」


 前週の6月24日は日本基督教団創立記念日でありました。今年で70周年になるのであります。「日本基督教団成立の沿革」が作られていますので、創立記念日にあたり、引用しておきます。この沿革については、見直しすることの意見もありますが、まだ定められたままですので、このまま引用しておくことに致しましょう。

わが国における福音主義キリスト教は、1859(安政6)年に渡来した外国宣教師の宣教にその端を発し、1872(明治5)年2月2日(旧暦)横浜に最初の教会として,日本基督公会が設立された。この教会は外国のいずれの教派にも所属しない超教派的な教会であったが、その後欧米教会諸派が移植せられ、その宣教が国内全般に発展するにともなって、教派の数もとみに増加するようになった。これと共に他方各派の間にしばしば合同の議が生じ、海外における教会合同運動の刺激もあって、ついに全福音主義教会合同の機が熟するに至り、たまたま宗教団体法の実施せられるに際し、1940(昭和15)年10月17日東京に開かれた全国信徒大会は、教会合同を宣言するに至った。これに基づいて30余派の福音主義教会が、翌1941(昭和16)年6月24日および25日の両日富士見町教会に開かれた創立総会において、次のような教義の大要のもとに合同を実現し、ここに本教団は成立したのである。
イエス・キリストに由りて啓示せられ聖書に於て証(あかし)せられる父、子、御霊なる三位(み)一体の神は世の罪と其の救の為め人となり死にて甦(よみが)へり給へる御子の贖(あがなひ)に因り信ずる者の罪を赦(ゆる)して之を義とし之を潔(きよ)め永遠(とこしへ)の生命(いのち)を与へ給ふ教会はキリストの体(からだ)にして恩寵(ちょう)に依りて召されたる者礼拝を守り福音を宣(のべ)伝へ聖礼典を行ひ主の来り給ふを待ち望むものなり」
その後宗教団体法の廃止にともない教団機構に改正の議が起り、1946(昭和21)年10月16日新たに教憲を制定して自主的に公同教会たることを明かにした。さらに1948(昭和23)年10月27日教憲を改正して、使徒信条を告白することを決定したが、ついに1954(昭和29)年10月26日本教団としての信仰告白を制定するに至った。かくて創立以来くすしき摂理のもとに御霊(みたま)のたもう一致により堅実な教会形成の努力を続けて来た本教団は、ここに公同教会としての一体性を確立するに至ったのである。
(1956年10月26日制定、1968年10月24日標題変更)

 日本基督教団は昨年の2010年10月に第37回総会を開催しました。それまで4期8年間、総会議長を務めた山北宣久牧師から石橋秀雄牧師に引き継がれたのでした。私も山北宣久議長と共に4期8年間の総会書記を務め、雲然俊美牧師へと引き継いだのでありました。毎年、5月は17教区の総会期であり、教団四役がそれぞれの教区を訪問しています。教団総会議長の挨拶を行うのです。教区総会に臨み、いろいろな教会の歩みを示されていました。各地にあって、教会は神の国に生きる喜びを人々に証ししているのです。教会に連なり、信仰に生きる喜びを人々に伝えていく、その使命を深めながら教会の歩みが導かれていることを示されました。教会の集まり、信徒の交わりは何よりも神様のお導きであり、祝福なのです。

 「導きと祝福」は神様のお約束でありました。神様は信じて歩む群れを導き、祝福すると約束されているのです。旧約聖書はサムエル記下7章です。この部分は「ナタン預言」と言われ、神様の御心を意味深く示しているのです。もともと聖書の国、イスラエルは王国ではなく、12部族の宗教連合体でした。しかし、周辺の国々は王国であり、王を中心とする勢力には対抗できないのでした。それで、聖書の人々は王国を建設したのです。最初の王様はサウルでしたが、サウルは神様の御心ではなく、自らの思いで支配しましたので失脚するのです。その後がダビデ王になります。ダビデが王になるまでの経過は、苦難の連続でしたが、ついにダビデの時代になったということです。
 王と王宮に住むようになった時、ダビデは深く反省することになるのです。それでダビデ預言者ナタンに言いました。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」と言うのでした。その時、ナタンは「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます」と王様に言いました。つまり、ダビデは神の箱を安置する神殿を造る思いをナタンに告げたのです。「神の箱」の中には十戒が収められているのです。エジプトを出て、シナイ山にて神様から授与され、以後は十戒を中心にして導かれてきました。その神の箱は天幕の中に安置されています。天幕は聖書の人々が十戒を授与された時、荒れ野を旅するなかで、宿営するときは天幕を張りますが、神の箱を収める特別な天幕を張りました。言うなれば、移動式組み立てお宮さんと言うことになります。ダビデの時代になっても神の箱は移動式組み立てお宮さんの中に安置されていたのでした。ダビデレバノン杉で作られた立派な王宮にいる自分を思い、ここは神殿を造る思いが深まったのでした。ぜひ、立派な神殿を造り、神の箱を安置したいとの思いです。ところが、神様はナタンを通して御心をダビデに告げました。
 「わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける民はそこに住み着いて、もはやおののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることはない」と言われています。そして、神殿を造るのはダビデの後の王になると示しているのです。ダビデの後の王国もとこしえに続く約束しているのであります。つまり神様に向かいつつ、戒めを守り、神様を中心にして歩むならば、神様の祝福はとこしえに続くと示しているのです。祝福の群れは喜びと希望が与えられ、共に喜びあいつつ生きることを示しています。神の国に生きる喜びを、後々に至るまで与えることを示しているのです。ダビデは自分の手で神殿を造る決心をしたのですが、神様の御心のままに、今与えられている祝福の歩みを喜びつつ生きることになるのです。

 主イエス・キリストの宣教の中心は「神の国に生きる」と言うことであります。イエス様がいつも神の国についてお話しますので、ある時、ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと聞きました。するとイエス様は、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書17章20節以下)と示しています。「神の国はあなたがたの間にある」と言うことです。人と人との間にあるということ、人と人とが共に喜びあって生きるとき、そこに神の国があると示しているのです。このことは今朝の聖書である使徒言行録2章43節以下において示しています。ここには原始教会の交わりの生活が記されています。
 「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分けあった。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」と報告しています。イエス様が示す神の国の姿なのです。共に生きる、共に喜びを分かち合う姿です。神の国は、共に見つめ合いつつ生きるということですが、その基となるものは、主イエス・キリストの十字架の贖い、救いを信じるとき、真に神の国に生きる者へと導かれるのであります。イエス様の十字架の贖いを信じる者が、真に「自分を愛するように隣人を愛する」ことができるからです。イエス様が十字架により私の自己満足、他者排除を滅ぼしてくださったという信仰が神の国に生きる者へと導いてくださるのであります。
 そこで今朝のイエス様の教えに示されましょう。ルカによる福音書14章15節以下に示されています。ここには「大宴会のたとえ」として記されています。「食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう』と言った」と記しています。それに答えてたとえ話をしているのです。実はこの聖書の前の部分において、「客と招待する者への教訓」をイエス様がされています。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない」と示しています。後から来た人に上席を譲らなければならないこともあるからです。むしろ末席に座ることにより、上席に案内されることになるとしているのです。「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と教えているのです。このあたりの教えは、日本人には適切に示されることですが、日本人は最初から末席にいたがるのです。上席への遠慮が強いということです。教会は前の席が空いていて、後ろの席が混み合っているというのも、日本人の謙遜の悪い姿でもあるのです。
 イエス様はもう一つ教訓を与えています。昼食や夕食の会を催す場合、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならないと示しています。その人たちも、あなたを招いてお返しするかもしれないからであると説明しています。そして、招くのは貧しい人を招きなさいというのです。その人たちはお返しができないから、あなたにとって幸いであるというのです。
 これらのイエス様の教訓を聞いた人が、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と賛辞を述べたのでした。それに対してイエス様は、神の国の食事に招かれているのに、実際に食事の席に着く人は少ないと示しているのです。そこでたとえ話になります。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、お出でください』と言わせた。すると皆、次々に断った」と言うのです。「畑を買ったので、見に行かなければなりません」とか、「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです」と断ります。また、「妻を迎えたばかりですので、行くことはできません」と断るのでした。僕はそれらの報告を主人にします。主人は怒りを発し、「急いで町の広場や路地に出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい」と僕に言いつけるのです。僕が言われたようにしますが、まだ宴会の席は埋まりません。すると主人は、「通りや小道に出ていき、無理にでも人々を連れてきて、この家をいっぱいにしてくれ」と言うのでした。そして、「あの招かれた人達の中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない」と言われたのであります。
 このたとえ話は、前の段落、7節以下の「教訓」の教えと関連することになります。教訓では、金持ち等お返しのできる人を招くなと示しているのですが、「大宴会のたとえ」は社会的にお金のある人をまず招いているのです。この人たちは「お返し」ができる人たちなのです。ところが「お返し」どころか大宴会を拒否するのです。社会的にお金のある人を招いているというのは、神様の恵みに対して、神様は「お返し」を求めているのです。めぐみの感謝と言うことです。しかし、恵みを自らの力の成果として、神様に感謝をささげないのであります。それで神様は恵みを全身で喜ぶ人々を大宴会に招いたのでした。この人たちは「お返し」ができないのですが、神様の恵みとして心から喜び、身をもって神様に向かう人々なのです。大宴会のたとえ話は、神様の導きと恵みは人々に与えられているのであり、その神様の恵みを、神の国に生きる者として、心から喜ぶことを示しているのであります。

 人々が集まり、共に食事をすること、神の国の祝福の姿であります。前任の大塚平安教会ではクリスマスやイースター礼拝後は祝会開きますが、ポトラックの食事をしては、食事を喜びあうのでした。横浜本牧教会では代務者として6ヶ月の牧会でしたが、婦人会の皆さんがいつも食事を用意してくださり、楽しくお交わりをしつついただいたのでした。それぞれの教会も祝福の食事、神の国の食事が導かれているのでしょう。ある教会で創立記念日であったか何かのお祝いを開催しました。教会の玄関には、お祝いの立て看板を置いています。道行く人々の目にとまります。祝会の会食は立食で、自由においしいものをお皿に盛っていただくのでした。いつの間にか見知らぬ人が入ってきて、食べているのです。路上生活者のようです。皆さんは遠巻きにしてその人を見つめており、誰も近づかなかったということです。やがて、その人はお腹いっぱいになって出て行ったということです。お腹が一杯になったとしても、心は一杯にならなかったのではないでしょうか。
 神の国の食事は祝福の群れです。そこにいる一人一人が主の十字架の贖いをいただいた喜びの人々なのです。そこには一致と交わりがあるのです。イエス様によって皆一つに導かれているのです。その喜びを世に証しして行くことを今朝は示されました。
<祈祷>
聖なる御神様。お約束の祝福の歩みへと導いてくださり感謝致します。主のお導きの歩みを世の人々に証しできますよう導いてください。主の御名によりささげます。アーメン。