説教「神様が耳を傾けられるので」

2020年9月27日、三崎教会

聖霊降臨節第18主日

 

説教、「神様が耳を傾けられるので」 鈴木伸治牧師

聖書、歴代誌下7章11-16節

   ヨハネによる福音書10章22-30節

賛美、(説教前)讃美歌21・224「われらの神、くすしき主よ」

   (説教後)讃美歌21・495「しずけき祈りの」

 

 9月の礼拝も今朝が最後で、次週からは10月の歩みとなります。暑い暑いと言いつつも、秋が深まっていることを示されています。今朝は、9月27日ですが、実は、私の父の誕生日でもあります。父は1995年に98歳で亡くなりましたが、明治30年の9月27日が誕生日でした。今更、父を思い出していたのは、実は今朝の聖書から示される、私たちのお祈りを神様が聞いてくださるということで、お祈りしている父を示されたからであります。父は典型的な日本人であったと思いますが、非常に信仰深い姿がありました。朝起きると、東の空に向かってお祈りをしていました。それは朝日に向かってのお祈りなのです。雨の日も、いつも朝起きれば東の空に向けてお祈りしていたのです。それが終わりますと、神棚の前に行きお祈りをささげています。神棚には鎌倉八幡宮を始め、瀬戸神社、雷神社等のお札が掲げられています。神棚が終わると仏前に行きます。先祖が祀られているわけです。チーンと金を鳴らし、何やら声を出してお祈りしていました。それで終わりかと思いますが、まだあります。今度は台所に祀られている荒神様にお参りをするのでした。こうして毎日、お祈りをささげていた父でありました。

 最初から父のお参りの姿を紹介しましたが、私たちもいろいろな姿勢において神様にお祈りをささげているのです。その場合、私たちのお祈りを聞いてくださる神様を示されているのでしょうか。一方的にお祈りをしていますが、ひたすらお願いをする者の、神様が聞いてくださっており、お導きを与えてくださっていることまで示されないのです。そのような私たちの姿勢ですが、今朝は、改めまして私たちのささげるお祈り、そして聞いてくださる神様を示されたいのであります。

 「神様が耳を傾けられる」信仰は、旧約聖書ではソロモンでした。それを示しているのが歴代誌下7章の示しであります。ソロモンがダビデ王の後継者としてイスラエルの国の王様になったとき、まずしたことは神殿の建築であり、自分のための王宮を造ることでありました。父のダビデも神殿を造ろうとしましたが、神様はナタンという預言者を通して、神は人の造ったものの中には住まわないと示したのであります。それでダビデは神殿を造ることは思いとどまりました。しかし、ダビデの子どもソロモン王が神殿を造ることになったとき、神様は何も示さないで、ソロモンの計画に任せたのであります。それは、ソロモンの神殿造りに深い意味があるからでした。ソロモンは大変立派な神殿を造りました。そして、完成したとき、ソロモンは人々を集め神様にお祈りをささげました。それは6章に記されております。17節以下、「イスラエルの神、主よ、あなたの僕ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることはできません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが御名を置くと仰せになったところです。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください」とお祈りしています。ソロモンが神殿を造ったとき、この神殿に神様がお住まいになる、ということではなく、この神殿に神様が昼も夜も、神様の御目を注いで下さり、耳を傾けてくださるということであります。従って、この神殿に向かって祈りをささげることは、御目を注いで下さっている神様が祈りを聞いてくださるのであります。

 そこで、今朝の聖書は神様の御心が示されるのであります。「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、もし私の名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後、この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる」と示されたのです。まさにソロモンが建設した神殿は神様が耳を傾ける場であったのです。人々は神殿に来ては、耳を傾けてくださっている神様に向かったのでした。

 この事は教会の存在の基本であります。教会の中に神様が鎮座していると言うのではなく、教会に神様が御目を注ぎ、そこでの祈りに耳を傾けてくださっているのであります。だから教会は建物であり、礼拝以外は空いているので、いろいろな活動をしても良いと考える人もおられます。そのことについて反対を示しているのではなく、基本は神様が耳を傾けておられる場であるということです。祈りの場を求めて教会に来られる方がいます。前任の大塚平安教会時代、教会は、前の通りは県道であり、道行く人も多くいました。そのため、時にはお祈りに来られる方がいました。礼拝堂の前の席で、しばらく頭を垂れてお祈りしています。何か晴れ晴れとした顔で帰られる方もいました。教会に行っても、何かの集いで人がいる。いつ行っても人がいるのでは、祈りの場がないのです。従って、教会は空いているのではありません。祈りの場を提供しているのですから、何もしていないのではないのです。家庭ではその様な祈りの場がないのです。やはり周囲に邪魔されない場が教会なのです。そこには十字架が掲げられており、祈りつつ、イエス様の十字架の救いへと導かれるのです。

 主イエス・キリストは私たちのお祈りを励ます意味でこの世に宿られたのであります。ヨハネによる福音書はこの世に宿られた主イエス・キリストに、人々がどのように向くか、詳細に報告しているのであります。

 今朝の聖書、10章19節以下、「この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。多くのユダヤ人は言った。『彼は悪霊に取り付かれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。』他の者たちは言った。『悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。』」このように、主イエス・キリストをめぐって、信じない人々の姿を浮き彫りにしているのであります。22節以下はユダヤ人がイエス・キリストを拒絶することが示されているのであります。救いが人々の間に宿っているのに、あえて拒否し、受け止めようとしない悲しい姿をヨハネによる福音書は報告しているのです。そうではなく、永遠の命を与えるために、私たちの現実に宿られている主イエス・キリストを受け止めるならば、私たちは主の導きのままに永遠の命へと導かれるのです。

 このヨハネによる福音書は今朝の聖書に示されるように、イエス様を拒否する人々を記していますが、それと共にイエス様を受け入れ、救いが宿り、祈る者へと導かれるに至った人々をも示しているのであります。本来そのことを記すことが目的でありますが、ヨハネにとって、イエス様を証する時、あまりにもイエス様を拒否する人々が多かったということであります。ヨハネによる福音書4章には、サマリア人が救いを信じる姿が記されています。サマリアの女性がイエス様と出会い、まさにこの方は救い主だと信じます。そして、サマリアの人々にイエス様の証をするのです。最初は、この女性によってイエス様を示されていましたが、もはや主体的にイエス様の救いいただき、祈る者へと導かれたのであります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であるとわかった」と言うのでした。

 「祈りが導かれる」とは、この私が救いを信じて生きるということです。主イエス・キリストの十字架の救いを信じ、十字架を仰ぎ見つつ歩むこと、「祈りが導かれる」人生なのであります。使徒パウロはエフェソの信徒への手紙で、心から祈っています。「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強め、信仰によってあなたがたの心のうちにキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださいますように」と祈っています。祈りの人生こそ祝福の人生なのであります。

 私たちはお祈りすることの喜びを持っています。最初にも紹介しましたが、特別な信仰を持たなくても、いろいろな存在に向かってお祈りをささげているのです。新約聖書の中で、パウロという人がアテネという街を訪問した時、あまりにも多い神様に驚いているのです。その中には「知られざる神」のあることから、「まことの神様を知らせてあげます」とパウロは示しているのです。私たちの神様は主イエス・キリストの証しされた「耳を傾けてくださる神様」なのです。その神様にお祈りをささげることです。神様がお祈りを聞いてくださっているという喜びとなり、力となり、お導きとなるのです。日々、お祈りをささげつつ歩むことを今朝は示されたのであります。

<祈祷>

聖なる神様。いつも私たちのお祈りに耳を傾けてくださり感謝致します。何事も神様に委ねて歩ませてください。イエス・キリストのみ名によりお祈りいたします。アーメン。

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