説教「生きる喜びを与えられ」

2020年7月12日、六浦谷間の集会

聖霊降臨節第7主日

 

 

説教、「生きる喜びを与えられ」 鈴木伸治牧師

聖書、ホセア書14章2-8節

   使徒言行録9章36-43節 

   ヨハネによる福音書4章43-54節

賛美、(説教前)讃美歌54年版・244「行けどもゆけども」

   (説教後)讃美歌54年版・532「ひとたびは死にし身も」

 

 今は梅雨時で、大雨による被害が各地であり、悲しい結末となっていることに心を痛めています。九州地方ばかりではなく北陸、東海等、いたるところで大雨被害が発生しています。早く雨の季節が終わることを願っています。新型コロナウィルス感染予防のため、日々大事を取りながら歩み、そして大雨の心配があり、自然の中に生きている人間は、どうしても自然災害を被らなければなりません。災害を経験しながら、復興に立ち向かう、人間の力強い姿を示されています。人間は立ち直る姿を持っているのです。互いに励まし合って、この状況を切り抜けて行くことが大切なのであります。今朝は「生きる喜びを与えられ」との説教題であります。聖書には死んだ者が生き返ることが示されていますが、聖書の示しは、力を失くした者が再び現実を踏みしめて行くことの導きなのであります。これで終わりというのではなく、力が与えられていることの導きを示されているのです。

 私自身のことですが、隠退していますが、いまだに用いられていることを感謝しています。2010年3月に30年間務めた大塚平安教会を退任しました。もうこれですべての職務が終わったと思わされたのですが、大塚平安教会を辞めるや横浜本牧教会の代務者そして付属幼稚園の園長を担うことになりました。しかし、それは半年であり、その後は六浦谷間の集会として、自宅で礼拝をささげるようになりました。日曜日に他の教会に出席しなくても、自宅にて夫婦で礼拝をささげるようになったのです。そのように歩んでいましたが、横浜本牧教会を退任する頃から、横須賀上町教会の説教を月一回でありますが、務めるようになりました。さらに2012年8月から三崎教会の礼拝説教を隔月ではありますが担うようになりました。そして2016年10月からは再び横浜本牧教会付属の早苗幼稚園の園長を担うことになりました。この度は一年半の務めでしたが、終わりましたら伊勢原幼稚園の園長を担うことになったのです。2018年4月から勤めていますが、2021年3月には退任することになっています。

 こうして職務が終わったと思っているのに次々と職務を担うことになり、神様に用いられていることを感謝しているのです。この後、どのように導かれるかわかりませんが、御心のままに歩みたいと示されています。

 旧約聖書ホセア書の示しをいただきましょう。「イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ」と冒頭の呼びかけがあります。聖書の人々が神様のお心から離れてしまい、自分勝手に生きるようになってしまいました。それで、人々は自分達がどのように生きてよいか分からなくなってしまうのです。そのような人々に神様のお心を示しているのが今朝のホセア書であります。「あなたは咎につまずき、悪の中にいる。誓いの言葉を携え、主に立ち帰って言え。『すべての悪を取り去り、恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手で造ったものを、再びわたしたちの神とは呼びません。親を失った者は、あなたにこそ憐れみを見出します』」とホセアは人々に言います。神様から 離れ、神様ではなく偶像により頼み、また神様ではなく人間的な力により頼んでいた人々でありました。しかし、偶像は何の助けにもなりません。他の力は限りがあり、真に人々の力にはならないのです。そのことに気づき始めた人々に、ホセアは、今こそ神様のもとに立ち帰ることを示しているのです。アッシリアは強力な国であります。その強さに頼ることを求めたのです。しかし、他の国は自分の国の繁栄のみを意図しますので、聖書の人々の力にはならないのでありました。「イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ」とホセアは叫んでいます。

 ホセアが人々に神様のもとへ立ち帰ることを示したとき、ホセアは自分の体験において言っているのであります。ホセアは他の預言者、イザヤとかエレミヤのように特別な召命体験をもってはいません。召命とは神様の御用へと導かれるとき、神様の呼び出しの声であります。イザヤもエレミヤも呼び出しの体験をもっています。ところが、ホセアはその体験はありません。ホセアはむしろ自分の体験の中で、神様の御心を示されるのです。彼は結婚しますが、その後、彼の妻は心を翻して他の男性のもとへと行ってしまうのです。この悲劇的な体験をしたとき、これはまさに神様の示しだと悟ります。彼の妻ゴメルはホセアの愛を裏切って彼を捨て、他の男性のもとへ走ったのですが、ホセアはこの妻を捨てず、忍耐して待ち、彼女を再び迎え入れたのでありました。このことは神様と聖書の人々との関係でありました。神様と人々とは密接な関係でありました。聖書にはこの関係を花婿と花嫁としています。その人々が神様から離れ、偶像の神に心を向けるようになったのです。ホセアの体験は神様と人々との関係であることを示されたのであります。「イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ」と声を大にして人々に示すのでありました。神様のお心に帰るならば、回復と祝福が戻ってきますと示します。再び神様の愛が注がれることを示しているのです。神様のお心に生きるならば生命の回復、再び生きる者へと導かれるのです。

 再び生きる者へと導いてくださるのは主イエス・キリストであります。今朝のヨハネによる福音書には、王の役人の息子の生命の回復、また11章にはラザロの生命の回復が記されています。ルカによる福音書7章にはナインの町で、ある母親の息子の生命の回復が記されています。その他にも病気の人などの回復が記されています。いずれも生命の回復、再び生きる者へと導かれることを示しているのです。

 今朝のヨハネによる福音書4章43節以下は、ガリラヤのカナにおける生命の回復であります。カナはイエス様が結婚式に招かれ、お祝いのぶどう酒が無くなり、裏方では大変になるのですが、イエス様により水がぶどう酒に変えられた場所であります。そのカナにいるとき、王様の役人がイエス様に、息子が死にかかっているので、どうぞおいでいただきたいとお願いいたします。この役人はカファルナウムという町からやってきました。カナから随分と離れています。しかし、イエス様はそのカファルナウムへは行かず、「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われました。この役人はイエス様の言葉を信じて帰って行ったのです。ところが、帰っていく途中、家から僕たちが迎えに来ました。息子が治ったので、早く主人に知らせるためでありました。「昨日の午後1時に熱が下がりました」と僕は言いました。その時間は、イエス様が「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われた時でした。役人も家族もみなイエス様を信じたと示しています。

 このお話しと似たような聖書がいくつかあります。マタイによる福音書8章には百人隊長の僕が癒されたことが記されています。ここではイエス様に癒しをお願いしますが、この百人隊長は、「ただ、一言イエス様のお言葉をください」とお願いしています。「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるようなものではありません」と言い、ただお言葉をいただければ、わたしの僕は癒されます、というのでした。イエス様は百人隊長の信仰を祝福します。僕は癒されたのです。再び生きる者へと導かれたのです。

 聖書、福音書にはイエス様により再び生きる者へと導かれる出来事がいろいろと示されています。では私たちも再び生きる者へと導かれるのか。導かれているのです。生き返るのか。生き返るのです。しかし、私たちは、実際的に生命が生き返ることを考えます。当然のことであります。大塚平安教会在任時代、まだ若い笠倉正道さんが次第に死期に近づきつつあるとき、一人の青年が、ルルドの泉へ連れて行きましょうと熱心に言ったことがあります。ルルドの泉で生命の回復があることが伝えられていたからです。笠倉正道さんはその後、天国へと導かれました。一年半の闘病生活でありました。しかし、私は、笠倉正道さんは生命の回復が与えられたと信じています。永遠の生命へと導かれたのであります。闘病生活の中から信仰が深められ、イエス様の愛のうちに生きるようになったのであります。そこに生命の回復が与えられていたのであります。

このヨハネによる福音書は私たちが永遠の生命に生きることが主たる目的で書かれています。私たちが永遠の生命に生きるために、神様は独り子なる主イエス・キリストをこの世に与えられたのであります。十字架の贖いにより、人々を神様のお心へと導かれたのであります。十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見ること、そこに生命の回復が与えられます。福音書の中で、実際的に生命が回復され、病気が癒されることを記しているのは、私たちが再び生きる者へと導かれること、永遠の生命へと導かれることなのであります。神の国においては、みな祝福のうちに導かれることを聖書は示しているのです。永遠の生命への回復を示しているということです。

 生活の途上におきまして、いろいろな出来事があります。人とのかかわりの中で、社会のさまざまな課題の中に押し流されそうな私たちであります。苦しみ、悲しみ、弱さを覚えるのでありますが、そのとき、主イエス・キリストの十字架が示されるのです。主イエス・キリストが私のために血を流され、死なれたことを示されるのです。そのとき、私の中にある罪の姿をも共に滅ぼされたことを示されます。再び、十字架の贖いを示されたとき、私たちはいつの間にか再び生きる者へと導かれているのです。その回復は永遠の命への導きであります。そうです、社会や自分の生活に埋没されて、永遠の生命への歩みを見失っていたからです。再び生きる者へと導かれるのは、永遠の生命への導きなのです。

 最近、私の出身の学校、日本聖書神学校同窓会から、名簿が送られてきました。その名簿は、今では随分と分厚くなっています。名簿を見ると、第一期生は1948年の卒業であり、6名が卒業しています。私は21期生で1969年3月に卒業しています。そして今は72期生が卒業しています。最初の卒業生の皆さんは、ほとんど天に召されていますが、それでもまだお働きの先生たちもいるのです。私が卒業したころは神学校創立20年後くらいですから、比較的初期の時代に神学校を卒業したことになります。改めて卒業生名簿を見て、思い出に残るというより、いろいろとお世話になりご指導いただいた先生たちを示されるのでした。

 神学校を入学して二年目には夏期伝道ということで、北海道の余市教会に行きました。夏休み中はその教会で過ごし、特に中学、高校生たちに伝道することでした。その余市教会の牧師が吉岡一先生で、いろいろと示しを与えられたと思っています。社会活動を積極的にされる牧師で、その頃、北海道の冷害があり、その救済活動のため、他の神学生と共に手伝いに行ったことがありました。その後、神学生の仲間とキャラバンを組んで北海道の教会を訪問したことがりました。その時、出会った先生たちもおられ、名簿をめくりながらいろいろな牧師先生たちを示されたのであります。

 クラスの友達で杉村さんがいました。実は北海道の夏期伝道に行った余市教会は彼の出身教会であったのです。その彼に教会の牧師が、夏休みには帰省して若い人たちを指導してもらいたいとの要請がありました。しかし、彼は職場を離れることができず、代わりに私が行くように勧めてくれたのでした。ある時、授業中に酔った人が入ってきて、授業の妨げになるのでした。その後、出て行きましたが、杉村さんは聖書をもって酔った人を追いかけていきました。いろいろと伝道したのでしょう。彼は神学校を卒業すると、開拓伝道をはじめ、一生懸命に伝道していましたが、天に召されたのでした。友達としては横山さんがいます。私が彼の結婚式の披露宴の司会をしたのですが、彼もまた、私たちの結婚式の披露宴の司会をしてくれたり、親しい友達として過ごしました。彼もまた開拓伝道を行い、隠退牧師の老人ホーム信愛荘の主事等をしましたが天に召されています。

 名簿には岩﨑隆牧師がおります。同じ清水ヶ丘教会の出身です。彼とは中学生のころから交わりがありました。最初は高輪教会の伝道師でしたが、その後は開拓伝道をはじめ、今年の3月に隠退しましたが、50年間も開拓伝道をされたのです。私たちの結婚のお世話をしてくれたし、大塚平安教会を紹介してくれたのも彼でした。彼も隠退するようになり、彼にはいろいろな賜物があり、神様が用いてくださるでしょう。その他、名簿を見ているといろいろな人とのかかわりが示されてきます。いずれも神様のお導きのままに、命を与えられている者として力強い歩みをされているのです。

 隠退しても再び生きる者へと導かれる、それはいつも喜びつつ歩むことであります。主イエス・キリストの十字架の救いが、再び生きる者へと導いてくださるのです。イエス様による生命の回復の奇跡は、現実には信じられないようなことであります。しかし、そのことに思いを巡らすのではなく、生命の回復の奇跡は、私たちが、再び生きる者へとお導きくださっていると示されなければならないのです。喜びの歩みとなるのです。

<祈祷>

聖なる神様。十字架により再び生きる者へとお導きくださり感謝します。地上の人々に生命の回復を与えてください。キリストのみ名によりおささげ致します。アーメン。

noburahamu2.hatenablog.com