説教「希望の教会として」

2018年6月3日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第3主日

説教・「希望の教会として」、鈴木伸治牧師  
聖書・歴代誌下15章1-8節
    使徒言行録4章13-31節
     マルコによる福音書1章29-39節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・166「イエス君はいとうるわし」   
    (説教後)讃美歌54年版・502「いともかしこしイエスの恵み」

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 本日は聖霊降臨のペンテコステ礼拝から三回目の礼拝を迎えています。ペンテコステ聖霊降臨をいただき、三位一体の神様を信じて歩む私達です。いよいよ聖霊に導かれて、力強く歩むことを示されるのであります。本日は、教会の存在をいよいよ社会の皆さんにお知らせすることであります。そして、教会こそ人々の希望であることを示されるのです。   この4月から伊勢原幼稚園の園長を担うようになり、電車を利用して2時間もかかりますが、最初は大変だなあと思っていましたが、電車で通うことを喜んでいます。今までは本牧にあります早苗幼稚園であり、車で行き来していました。今度は電車を利用することになったのですが、楽しみも出てきました。それは京急線横浜駅に向かうのですが、南太田駅付近を通過するとき、目線の高さに清水ヶ丘教会の存在があるのです。清水ヶ丘教会は高台にありますが、電車も高架であり、丁度目線の高さで教会が見えるのです。いつも教会を見つめながら、いろいろなことがよみがえってきます。清水ヶ丘教会は私が中学生の頃から出席しており、その教会で信仰が育まれたのであります。
清水ヶ丘教会は1947年9月28日が創立記念日でありますので、70年の歴史であります。初代牧師の倉持芳雄牧師によって形成された教会でした。最初は横浜市中区にある生糸検査所を借りて礼拝が始められました。そして現在の南太田の丘に会堂を建てたのは1952年であります。その頃、私は中学1年生でしたが、新会堂と共に清水ヶ丘教会に出席し始めていたのです。中学、高校生の頃は、日曜日は一日中教会で過ごしていました。そして高校3年生の時に倉持芳雄牧師から洗礼を受けたのであります。倉持牧師は1990年に天に召されますが、その後は清水ヶ丘教会出身の島田勝彦牧師が主任牧師になり、25年間牧会されて退任されたのでした。そしてその後は中島聡牧師が赴任されています。その中嶋牧師の就任式の時、私もお祝いに出席しました。就任式の後に祝会が開催されました。数人の方が祝辞を述べられましたが、その中で印象深くお聞きした祝辞がありました。それは清水ヶ丘教会が建てられている地域の町内会長さんのご挨拶でした。クリスチャンではありませんが、新しい牧師の就任式に町内会長さんもお招きしたのであります。町内会長さんは、町内の者は清水ヶ丘教会に希望を持っていると言われるのです。数年前に会堂を新しく建て替えましたが、そのとき道路を広くして、町内の皆さんの便宜を計ったということです。そして、何よりも清水ヶ丘教会が丘の中腹にあり、災害の時には避難場所であると思っているということでした。これは教会と契約を結んでいるのではありませんが、町内の人々の暗黙の希望となっているというのです。災害時には避難場所があるという希望でもあります。信仰の希望ではないとしても、人々の生きる希望となっているのです。教会が希望であるということ、町内の人々は毎日、丘の中腹に建てられている教会を喜びつつ見つめているのです。
 教会が災害時の避難場所としての希望でありますが、教会は私達人生の希望であるのです。私たちの人生は80年、90年、100年でありますが、それは人生でありますが、さらに永遠の命があるのです。その永遠の命への希望を与えてくれるのが教会であり、教会で示される主イエス・キリストの教えが希望の原点となるのであります。今朝も希望の原点を与えられ、力強い日々の歩みを導かれたいのであります。そのためには常に神様に心を向けたいのであります。

 まず神様に心を向けた人々を旧約聖書は示しています。旧約聖書の示しは、神様に心を向けることによって、改めて神様の導きに従った人々を示しています。歴代誌下15章の示しをいただいています。歴代誌は歴史を記していますが、特にダビデ王朝の興隆が記されています。日本で言えば徳川幕府の殿様達の興隆であります。中でも王様たちがどのように神様のご支配をいただいて歩んだのかが示されています。神様のご支配をいただくことはエルサレム神殿に対する姿勢であります。今朝の歴代誌下15章はダビデ王朝のアサ王の時代であります。この時代にアザルヤという預言者がいました。アザルヤはアサ王の前に出てはっきりと神様の御心を示すのであります。「アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちに御自分を示してくださる。しかし、主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる」と示しました。そして、歴史を回顧しながら、たとえどのような社会的騒乱があったとしても、主に向かうことを示しているのであります。「しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある」と励ますのであります。このアザルヤの言葉を示されたアサ王は、自らの歩みを反省し、ただちに神殿を新しくしたのであります。いつの間にか偶像を造り、偶像に心を寄せてもいたのであります。しかし、アサ王が治める全土におふれを出し、偶像をことごとく排除したのでありました。
 歴代誌にはアサ王のように預言者の言葉を素直に受け入れ、悔い改める王様と悔い改めない王様が記されています。悔い改めない王様は偶像を造っては拝み、神様のことをないがしろにするのであります。神様を礼拝し、御心に従う人々はいつも祝福されていました。「彼らは心を尽くし、魂を尽くして先祖の神、主を求め、子供も大人も、男も女も主を求めた」と記されています。そして「主は彼らに御自分をお示しになり、主は周囲の者たちから彼らを守って、安らぎを与えられた」のであります。
 アサ王は神様に向かった時、自らの歩みを反省しました。「主の祭壇を新しくした」とその姿勢を示しています。神様に向かうとき、新しい自分が導かれてくるのです。しかし、そのアサ王は堕落します。神様に御心を求め、その力により頼むことが歩むべき道でした。しかし、アサ王は外国の王様の力を求めたのであります。そのアサ王が病にかかり、その病は極めて重かったのですが、彼は神様に求めず、お医者さんに頼ったのであります。当然でありますが、神様に委ねなかったのでした。そして、神様に頼らないままに眠りについたと記しているのであります。一人の人の中に、神様に信頼する姿勢と反する姿勢があります。神様に信頼すれば新しい歩みが、反するなら祝福は遠のくと示しているのです。

 主イエス・キリストは人々の前に現れたとき、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と人々に示されました。その後、イエス様はお弟子さん達をお選びになり、福音を述べ伝え始められたのであります。今朝はマルコによる福音書1章29節からであります。イエス様とお弟子さん達はシモンとアンデレの家に行きました。シモンすなわちペトロの家であります。しかし、家につくとペトロの奥さんのお母さんが熱を出して寝ていました。イエス様はすぐさまおしゅうとめさんを癒したのであります。おしゅうとめさんは元気になるとイエス様の一行をもてなしたのであります。そこへ近所の人々が集まってきました。病人や悪霊につかれている人々が大勢来ましたが、イエス様によって癒されたことが記されています。さらに35節以下もイエス様が町や村へ行き、宣教をいたしました。多くの人々が福音に導かれたのであります。
 新約聖書の時代、イエス様が福音を示し、宣教を行ったこと、それはイエス様が示す福音を信じることでありました。イエス様はまだ十字架による救いの時が来ていないのであります。では何をお示しになったのか。それは、最初のイエス様の言葉、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」であります。神の国が近づいたことを信じること、悔い改めることであります。悔い改めるということは、神様のお心に向かうということであります。基本的には旧約聖書でお示しになった十戒を受けとめて生きることであります。イエス様はその十戒を二つにまとめられました。「神様を愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と言う教えであります。この愛に生きることが神の国に生きることであることをお示しになられたのであります。
 多くの場合、人々は十戒を守って生きていると思っていたのであります。戒めの中に「汝、殺すなかれ」と教えられています。普通の生活をしていれば、人殺しはいたしません。だから、私は十戒を守っているということになります。しかし、イエス様はそのような表面的な守り方は真に神様に向かっているのではないと示されたのであります。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てるものは誰でも裁きを受ける」と示されました。つまり、表面的な結果ではなく、今自分の前にいる存在に対してどのような姿勢を持っているか、と示しているのであります。心の中で相手を憎むこと、それも戒めを破っていることを示されたのでありました。
 イエス様が人々に福音を述べ伝えたとき、人々は真にイエス様に心を向けたのであります。多くの人々がイエス様のもとに参じたのであります。主イエス・キリストに自分を向けること、そこに新しい自分が導かれてくるのであります。
 ペンテコステの日に聖霊が与えられたお弟子さん達は、聖霊の導きをいただきながら大胆に主イエス・キリストの福音を伝えました。この福音はイエス様による十字架による救いであります。そして、常にお祈りをささげていました。使徒言行録4章30節、「どうか、御手を伸ばして聖なる僕イエスの名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」と祈りました。祈りが終わると、一同が集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出したのであります。お弟子さん達の伝道は、人々がイエス様に向くということであります。自分を主イエス・キリストに向けること、そこに私たちの生きる基、原点があるのです。イエス様に心を向けることは希望の原点なのであります。

エス様と出会うこと、イエス様に心も体も向けること、そこに新しい生き方が導かれてくるのです。ただ神様に心を向けること、人生の基、原点があるのです。
私は30年間、綾瀬市にあります大塚平安教会の牧師として務めました。2010年3月に退任しました。私の在任中に計画を進めてきたのですが、その大塚平安教会は新しく会堂を建設することになり、もうすでに今までの会堂は解体されています。木造の建物でしたから、解体も困難ではなかったようであります。大塚平安教会は県道座間・長後線に沿って建てられていますので、人々の目に触れる存在でした。しかし、道路より少し高台にありますので、いつも下ばかり見て歩いている人は、教会があることに気が付かない人もあるのです。ここに教会があったんですか、と言うわけです。大塚平安教会が創立50周年を迎えたとき、そのお祝いには地域の市会議員の方が祝辞を述べてくださいました。この地に育ち、何時も教会を見ながら成長してきましたが、教会がここにあるということで、なんとなく安心する思いを持っていましたと言われていました。教会に来ませんが、教会がそこにあるということ、人々の希望になっているのです。教会を新しくするということで、さらに人々の希望となることでしょう。
その大塚平安教会の付属幼稚園でもあったドレーパー記念幼稚園は、私が退任してからですがドレーパー先生の銅像を造り、門のところに設置しました。私がその幼稚園の園長を退任した後、幼稚園の理事会では、今までもドレーパー記念幼稚園は地域の人々の希望になっているが、さらにその存在を知っていただくためにドレーパー先生の銅像を門の付近に設置しようということにしたのでした。大塚平安教会が幼稚園を開設することになったとき、保育の先駆けをしてくださったのがドレーパー先生でした。お父さんのギデオン・ドレーパー先生は宣教師として日本におられたのです。横浜の上原教会を中心にしながら伝道をしていました。そして海老名、座間、綾瀬の方面にも伝道にやってこられたのです。そのとき娘のウィ二フレッド・ドレーパー先生も一緒に来られたのです。そのとき気が付いたことは、子ども達が所在無く過ごしているということでした。綾瀬は養蚕が盛んな土地でした。所在無く過ごす子ども達を一時的に集めて季節託児所を開いたのが娘のドレーパー先生であったのです。大塚平安教会が幼稚園を開設する時、幼児教育の先駆けとなってくださったドレーパー先生の取り組みを受け止めたのでした。ドレーパー先生の銅像はイメージです。ドレーパー先生の姿かたちを銅像にしたのではなく、ドレーパー先生が子ども達と共に神様を見上げている銅像なのです。子ども達と共に神様を見上げている銅像は、とても楽しそうな銅像として造られていました。
こうして教会にしても幼稚園にしても地域の人々の希望になっています。しかし、人々の希望は、教会は避難場所であり、昔からあるという安心感でもあるのです。更に幼稚園はどんな子でも受け入れてくれるという希望です。その様に人々の精神的な希望を与えていることは、教会・幼稚園にとりましても存在の意義があります。しかし、人々の希望である教会の本当の希望は、人々が神の国を生きることなのです。今この世にありながら神様の祝福の国に生きることなのです。それにより永遠の生命が与えられ、喜びと感謝を持ちながら人生が導かれるのです。希望の原点は主イエス・キリストの福音を信じることです。イエス様が十字架にかけられることにより、私たちの内面的な罪、自己満足・他者排除を十字架により滅ぼしてくださったのです。教会への希望の原点は十字架なのです。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様により救いの導きをくださり感謝いたします。多くの人々にこの救い示す力を与えてください。イエス様のお名前によりおささげいたします。アーメン。