説教「神様が耳を傾けられるので」

2016年9月11日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第18主日

説教、「神様が耳を傾けられるので」 鈴木伸治牧師
聖書、歴代誌下7章11-16節
    エフェソの信徒への手紙3章14-21節
    ヨハネによる福音書10章22-30節
讃美、(説教前)讃美歌54年版・168「イエス君のみ御名に」
    (説教後)讃美歌54年版・512「わがたましいの」


 8月が終わり、9月からは伝道の秋との思いを深めつつ歩みだしています。その様な思いで9月4日、六浦谷間の集会の礼拝を始めようとしていました。朝、8時頃であったと思いますが、追浜にお住いの小澤八重子さんの娘さん、和子さんから電話がありました。小澤八重子さんが4日の未明に召天されたということでした。ついては葬儀のことを相談したいと言われたのです。実は、8月2日に小澤八重子さんを連れ合いと共にお見舞いしています。娘さんの和子さんが、母の体調が良くないので、お祈りしてくださいと言われたので、お訪ねしたのでした。その時、お医者さんから、家族に会わすようにと言われていたので、三人のお子さんたちが来ておられました。それで、お子さんたちは「その日」が近いだろうからと、わたしに葬儀の依頼をされたのでした。本来は所属する教会の牧師が葬儀の司式をするのですが、小澤八重子さんと私達夫婦との関係を御存知のお子さんたちでしたので、依頼されたのでした。
 小澤八重子さんは2008年に追浜におられる娘さん家族と共に過ごすようになりました。それまでは座間市立野台の家にお住まいでした。私達は2010年4月から横浜市金沢区六浦の家に住むようになっています。そしてその年の11月28日には六浦谷間の集会として自宅にて礼拝をささげるようになったのです。そして、第二回目の12月5日の礼拝には小澤八重子さんも出席されたのでした。以後、毎週ではありませんが、時々ですが、娘さんの和子さんに送迎されて出席するようになっています。特にクリスマスやイースターの礼拝には出席されていました。その時には知人の皆さんも出席されるので、皆さんとのお交わりが導かれていたのです。昨年の2015年4月5日のイースター礼拝が最後でした。その前の2014年のクリスマスは、私達夫婦はスペイン・バルセロナに滞在していましたので、六浦谷間の集会としてのクリスマス礼拝は開かれませんでした。ですから翌年のイースター礼拝にはお出でくださったのです。その頃も随分と高齢となっており、その後お誘いはしませんでした。今年の8月2日には連れ合いとお見舞いしたのでした。
 「その日」のために式次第を作り始めていました。従って、9月4日に召天され、6日には告別式ですから、準備しておかなかったら間に合わなかったことでした。小澤八重子さんの歩まれた人生、そして「証」も式次第に入れることができました。小澤さんの「証」は、イエス様の十字架の愛に励まされていることです。そしてイエス様が導いておられる「赦し」ということです。葬儀ではこの小澤さんの信仰の人生を示されたのでした。今日まで、いろいろな困難、諸問題がありましたが、神様に委ねて歩まれたということです。自分の思い、願いに「神様が耳を傾けていてくださる」という信仰です。その信仰の人生をイエス様の十字架に励まされて歩まれたのです。神様がいつも「耳を傾けてくださっている」と言う信仰の人生であったのです。私達もその信仰に励まされたいのです。

 「神様が耳を傾けられる」信仰は、旧約聖書ではソロモンでした。それを示しているのが歴代誌下7章の示しであります。ソロモンがダビデ王の後継者としてイスラエルの国の王様になったとき、まずしたことは神殿の建築であり、自分のための王宮を造ることでありました。父のダビデも神殿を造ろうとしましたが、神様はナタンという預言者を通して、神は人の造ったものの中には住まわないと示したのであります。それでダビデは神殿を造ることは思いとどまりました。しかし、ソロモンが神殿を造ることになったとき、神様は何も示さないで、ソロモンの計画に任せたのであります。それは、ソロモンの神殿造りに深い意味があるからでした。ソロモンは大変立派な神殿を造りました。そして、完成したとき、ソロモンは人々を集め神様にお祈りをささげました。それは6章に記されております。17節以下、「イスラエルの神、主よ、あなたの僕ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることはできません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが御名を置くと仰せになったところです。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください」とお祈りしています。ソロモンが神殿を造ったとき、この神殿に神様がお住まいになる、ということではなく、この神殿に神様が昼も夜も、神様の御目を注いで下さり、耳を傾けてくださるということであります。従って、この神殿に向かって祈りをささげることは、御目を注いで下さっている神様が祈りを聞いてくださるのであります。
 そこで、今朝の聖書は神様の御心が示されるのであります。「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もし私の名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後、この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる」と示されたのです。まさにソロモンが建設した神殿は神様が耳を傾ける場であったのです。人々は神殿に来ては、耳を傾けてくださっている神様に向かったのでした。
 この事は教会の存在の基本であります。教会の中に神様が鎮座していると言うのではなく、教会に神様が御目を注ぎ、そこでの祈りに耳を傾けてくださっているのであります。だから教会は建物であり、礼拝以外は空いているので、いろいろな活動をしても良いと考える人もおられます。そのことについて反対を示しているのではなく、基本は神様が耳を傾けておられる場であるということです。祈りの場を求めて教会に来られる方がいます。前任の大塚平安教会時代、時にはお祈りに来られる方がいました。礼拝堂の前の席で、しばらく頭を垂れてお祈りしています。何か晴れ晴れとした顔で帰られる方もいました。教会に行っても、何かの集いで人がいる。いつ行っても人がいるのでは、祈りの場がないのです。従って、教会は空いているのではありません。祈りの場を提供しているのですから、何もしていないのではないのです。家庭ではその様な祈りの場がないのです。やはり周囲に邪魔されない場が教会なのです。そこには十字架が掲げられており、祈りつつ、イエス様の十字架の救いへと導かれるのです。

 主イエス・キリストは私たちのお祈りを励ます意味でこの世に宿られたのであります。ヨハネによる福音書はこの世に宿られた主イエス・キリストに、人々がどのように向くか、詳細に報告しているのであります。ヨハネによる福音書は最初の部分で、「言が肉となった」ことを示しています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と書き始めています。この言とは主イエス・キリストを証しています。1章1節から5節までは言としての主イエス・キリストを紹介しています。その紹介したイエス様は、14節になって、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」のであります。ヨハネによる福音書は、宿られた言、すなわち「イエス・キリスト」であり、「福音」に対して、人々がどのように対応したかを記すのであります。私たちの中に宿られたイエス様は、今朝のヨハネによる福音書10章28節に示されますように、「わたしは彼らに永遠の命を与える」事なのであります。主イエス・キリストによって永遠の命を与えられるのであります。そのために、宿られている言、福音をしっかりといただき、祈りが励まされるのであります。ヨハネによる福音書は私たちの中に宿っている言、イエス様により祈りが導かれるのですが、その事実を信じることができない姿を詳細に記すのであります。
 今朝の聖書、10章19節以下、「この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。多くのユダヤ人は言った。『彼は悪霊に取り付かれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。』他の者たちは言った。『悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。』」このように、主イエス・キリストをめぐって、信じない人々の姿を浮き彫りにしているのであります。22節以下はユダヤ人がイエス・キリストを拒絶することが示されているのであります。救いが人々の間に宿っているのに、あえて拒否し、受け止めようとしない悲しい姿をヨハネによる福音書は報告しているのです。そうではなく、永遠の命を与えるために、私たちの現実に宿られている主イエス・キリストを受け止めるならば、私たちは主の導きのままに永遠の命へと導かれるのです。
 このヨハネによる福音書は今朝の聖書に示されるように、イエス様を拒否する人々を記していますが、それと共にイエス様を受け入れ、救いが宿り、祈る者へと導かれるに至った人々をも示しているのであります。本来そのことを記すことが目的でありますが、ヨハネにとって、イエス様を証する時、あまりにもイエス様を拒否する人々が多かったということであります。ヨハネによる福音書4章には、サマリア人が救いを信じる姿が記されています。サマリアの女性がイエス様と出会い、まさにこの方は救い主だと信じます。そして、サマリアの人々にイエス様の証をするのです。最初は、この女性によってイエス様を示されていましたが、もはや主体的にイエス様の救いいただき、祈る者へと導かれたのであります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であるとわかった」と言うのでした。
 「祈りが導かれる」とは、この私が救いを信じて生きるということです。主イエス・キリストの十字架の救いを信じ、十字架を仰ぎ見つつ歩むこと、「祈りが導かれる」人生なのであります。使徒パウロはエフェソの信徒への手紙で、心から祈っています。「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強め、信仰によってあなたがたの心のうちにキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださいますように」と祈っています。祈りの人生こそ祝福の人生なのであります。

 先ほども小澤八重子さんを示されましたが、1982年12月19日に大塚平安教会にて鈴木伸治牧師より洗礼を受けられ、クリスチャンになられました。洗礼を受けられた後、教会の週報に証を掲載されました。1983年2月6日の週報です。

「私とキリスト教
私とキリスト教との出逢いは、女学校を卒業して、お勤めを始めた頃でした。当時は戦後間もない頃で、労働組合員9名の解雇がありました。それで全員無期限ストをもって戦うことになりました。しかし、戦いが二ヶ月以上も続くとくずれ始め、第二組合ができて、残った人は20名足らずになってしまいました。その内訳は共産党員の方とクリスチャンの方と私くらいでした。最後まで人のために尽くす人は誰か、ぎりぎりのところで本当の人の心が見えたようでした。しかし、この事は大変父の怒りを買い、つらい毎日でした。こんな合間に、このクリスチャンの方から聖書のことを少し学び、心の安らぎを覚えました。戦いは法廷闘争に切り替えられ勝訴したものの、その人たちは自己退職し、寂しい思いに沈んでいる時、縁談が持ち込まれ、とても嫌で死んでしまいたい思いでした。私にとって一番大切なことなのに、今まで心ならずも親に背いていたので断ることもできず、成り行き任せの無責任な結婚をしていまいました。この人にはとてもついて行けそうもないと思ったとき、長男を妊娠しており、次々と三人の子供を育てる夢中になって過ごしてしまいました。主人は次々と職を替え、やっと10年くらい続いたところも辞め、自分で仕事を始めると言いだし、折角貯めた増築資金も使われてしまいました。既に井上先生の御紹介で大塚平安教会で教えを受け、一生懸命にお祈りして心を静めていました。イエス様の十字架の苦しみを知らなかったらとても赦すこともできず、めちゃめちゃになったと思います。ご近所の松本様、辻様の家庭集会が心の休みどころとなっていた感じがします。お蔭様で増築も済み、主人はソニーの中高年に採用され、子供達も社会人となり、私は定年を迎え、私を導いてくださった多くの方々に深く感謝し、受洗させていただきました。」

小澤さんはイエス様の十字架の救いをいただき、心からお祈りすることができました。お連れ合いに対して、時には激しくお怒りでしたが、お連れ合いがお亡くなりになったとき、キリスト教の葬儀を申し出られたのです。ご親族に対しても大きな証をされたと示されています。愛唱聖句はマタイによる福音書22章39節、「隣人を自分のように愛しなさい」との御言葉です。祈りつつ歩まれた人生のお証を示されたのであります。
<祈祷>
聖なる神様。いつも私たちのお祈りに耳を傾けてくださり感謝致します。何事も神様に委ねて歩ませてください。イエス・キリストのみ名によりお祈りいたします。アーメン。