説教「日々の恵みを喜びつつ」

2016年7月17日、六浦谷間の集会 
聖霊降臨節第10主日

説教、「日々の恵みを喜びつつ」 鈴木伸治牧師
聖書、列王記上17章8-16節
    ローマの信徒への手紙14章10-23節 
     ヨハネによる福音書6章22-27節
賛美、(説教前)讃美歌54年版・239「さまよう人々」
    (説教後)讃美歌54年版・525「めぐみふかき」

 本日は地域の祭りということです。祭りは昨日の宵宮から始まっており、昨日は提灯行列、夜店が開かれたり、祭りを盛り上げているようです。そして、本日の祭りは神輿や屋台が町内を練り歩き、一日中祭りで賑わうようです。例年ですと、祭りであっても無関心で過ごしていました。ところが今年は町内の班長に役割が回ってきて、祭りの行事に参加せざるを得なくなっています。関心がないからと断るわけにはいかず、祭りの行事に参加することになりました。祭りは神社の行事ですが、町内会は祭りにより、地域の活性化を図っているようです。おそらく日本中の地域が、祭りを地域の行事としているようです。町内の予算にしても、事業計画にしても、祭りの行事を盛り込んでいるのです。町内がその様な方針で歩んでいるのですから、今更、関心がないといって断るわけにはいかないのです。まして、班長という役目をこの一年間担っていますので、協力しなければなりません。昨日は朝9時から準備が行われました。宵宮には提灯行列の一行が町内にやってきます。行列に参加している皆さんにお茶を出したりしてくつろいでもらうのです。そのため、おにぎりを作ったり、麦茶を作ったり、いろいろと準備をするのでした。そして、本日は午後3時頃に神輿や屋台が町内にやってきますので、参加している人々への接待をすることになっています。いくつかの食べ物、飲み物等を用意します。そのために午後1時には担当者が集まって準備をするのです。
 前任の大塚平安教会時代も、住民ですから役割が回ってきました。いつもは連れ合いのスミさんが役割を受け持ってくれていました。ある時、盆踊りの準備に行くことになりました。提灯を付けたり、寄付金の名前を張りだしたりしました。寄付金は高い額は上に張り、少ない額は下の方です。私は構わず上から張っていたのですが、張り方が違うというので注意されたりもしました。役割がない時は、子ども達は小学生くらいでしたから、三人の子ども達と夜店をのぞきに行ったりしていました。日本に住んでいる限り、自然に日本の宗教的行事に従って歩むようになるのです。それについては議論しても始まらないのです。日本の伝統的な文化なのでありましょう。
 そのように宗教的文化と共に歩むこと、何回かスペイン・バルセロナで過ごすうちにも、考え方を示された思いでいます。バルセロナでもいろいろな祭典が行われています。クリスマスは三人の博士、バルセロナでは王様ですが、王様を中心にして町中の人々が喜びあいます。お菓子が配られたり、楽しいことがたくさんあります。人間の塔にしても、大きな人形の踊りにしても、そこにはキリスト教の文化が背景になっているようです。カトリック教会の国ですから、聖人にちなむいろいろな祭りがあります。12月26日はステパノの日とされています。信仰によって殉教してステパノを記念する日ですが、その日の意味を知らない人たちも、この日はお休みであり、クリスマスのご馳走を食べる日として喜ばれているようです。宗教的意義を知らなくても、その日を喜んで過ごしている人々もあるのです。それはそれで町の活性化になっているのですから、喜ばしいことであると示されたのでした。日々のお恵みを喜びつつ過ごしているのでありますが、そのようなイベントがなくても、私達は日々のお恵みをいただいている者として、感謝しつつ歩みたいのであります。
2.
 旧約聖書は神の人エリヤが神様により命の糧を与えられて養われることの示しであります。聖書の人々は神様を忘れ、偶像の神に心を寄せていました。それで、神様はエリヤを通して干ばつが来ることを王様のアハブに伝えます。神様は干ばつに当たり、エリヤをヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を寄せさせるのでありました。干ばつとなり、雨も降らなくなり、食べるものもなくなってきました。しかし、神様は烏に命じて、パンと肉をエリヤのもとに運ばせるのでありました。水は川の水を飲んでいました。しかし、干ばつにより、その川の水も涸れてしまうのです。
 そこで今朝の聖書になります。列王記上17章8-16節が今朝の聖書であります。神様は今までエリヤがいたケリトの川のほとりからシドンのサレプタに行くように命じるのです。川の水が干ばつにより涸れてしまったからであります。ケリトの川からシドンのサレプタまではかなりの距離であります。神様が言われるには、そのサレプタには一人のやもめと子どもがいるので、そのやもめによってエリヤを養うということでありました。エリヤがサレプタに行ったとき、一人の女性が薪を拾っていました。エリヤはその女性に、「器に少々水を持ってきて、わたしに飲ませてください」というのです。彼女がとりに行こうとすると、「パンも一切れ、手に持ってきてください」と言うのでした。それに対して女性は言うのです。「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壷の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」と言うのです。それを聞いたエリヤは、それしかないのであれば、私はいらないとは言わないで、「まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、私に持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい」というのでした。何か無理を言っているような印象です。それを食べたら死ぬのを待つばかりの量しかないのです。酷い話にも聞こえます。しかし、エリヤは言います。「主が地の面に雨を降らせる日まで、壷の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」というのでした。この女性はエリヤの言うとおりにします。神様がエリヤに告げたとおり、壷の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかったのでありました。
 このようにしてエリヤは干ばつと飢饉の中にも、神様によって養われたのは、この後に偶像礼拝との対決があるからです。今までアハブ王から身を隠していたエリヤですが、いよいよアハブの前に現れるのです。偶像を奉っていたアハブ王に対して、偶像に仕えるバアルの預言者450人、偶像アシェラの預言者400人をカルメル山に集めるようアハブ王に申し渡します。そしてエリヤは民衆に対して、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」と言うのでした。そして、真に神であるなら、それぞれが用意した祭壇の薪に神様が火を点けるだろうというのでした。バアルの預言者たちは用意した祭壇の周りで躍り狂うのですが、もちろんバアルの神が火をつけることはできません。バアルの預言者たちは剣や槍で体を傷つけ、血を流しながら叫び続けるのでした。エリヤはそのようなバアルの預言者たちを嘲笑いながら、「大声で叫ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それともひと目を避けているのか、旅にでも出ているのか。おそらく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう」と言うのでした。そして、今度はエリヤが神様に向かってお祈りをします。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう」と祈るのでした。すると、神様は火を祭壇に降らせ、焼き尽くす献げ物と薪を燃え上がらせるのでした。これでバアルの偶像礼拝の預言者たちの敗北となるのでした。そのとき、エリヤは民に命じ、バアルの預言者たちを殺してしまうのでした。
 偶像は人が造ったものであり、神ではありません。神ではない偶像に心を向けたことの審判でありました。人々はエリヤの導きに救われたのであります。この救いのために、神様は干ばつと飢饉の中において、エリヤを養ったのであります。烏の運ぶパンと肉、底をついていた女性の家の粉の壷と油の瓶は尽きることなく、エリヤと食事の用意をする女性が養われたのであります。それは神様の真の救いを与えるための順序でありました。人々はむなしい偶像礼拝から真の神様を礼拝する者へと導かれました。それは命の糧を与えられたということなのです。神様の御心によって養われる者へと導かれたのであります。
 その昔、聖書の人々が奴隷の国エジプトを脱出して、神様の約束の土地、カナンへと向かっているとき、人々は食べるものが底をつき、モーセに詰め寄ります。「あなたは我々をこの荒れ野で死なしめるためにエジプトから連れ出したのか。こんなことであれば、奴隷でもいい、エジプトにいて肉の鍋を食べたかった」と不平を言うのでした。そのような人々に対して、神様はマナという食べ物を与えるのです。マナは朝になると地面の上一面に置かれています。一日分を取りますが、欲張ってたくさん取ると腐ってしまうのでした。毎日、朝になるとマナを与えられて養われたのでした。生活の糧を与えられ、それが命の糧にもなっていくのであります。すなわち、神様のお恵みは霊肉共に養うものであることを示されていくのであります。
3.
神様のお恵みは私たちの霊肉共に養うこと、そのことを深く示されたのが主イエス・キリストであります。新約聖書ヨハネによる福音書6章22-27節であります。表題には「イエスは命のパン」と内容を説明しています。今朝の聖書は27節までですが、35節に「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して乾くことがない」と示されています。イエス様が「命のパン」と言われるとき、その示しに至る経過がありました。言うまでもなく、6章1節以下に記される「五千人に食べ物を与える」ことであります。
 イエス様は山で大勢の人々にお話しをいたします。山と記されていますが、実際的には小高い丘であり、ガリラヤ湖を見下ろす丘でもあります。イエス様はお弟子さんのフィリポさんに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と尋ねます。それはフィリポを試すためであったと言います。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」とフィリポは答えるのでした。そのときペトロさんが、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にもたたないでしょう」と言うのでした。フィリボにしてもペトロにしても、この状況では何もできないとあきらめきっているのです。そのとき、イエス様はお弟子さん達に人々を座らせるように命じます。イエス様はパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えたのでありました。魚も同じようにして分け与えたのでありました。五千人以上の人々はイエス様の与えられたパンによって養われたのであります。 
4.
先ほどもスペイン・バルセロナの体験をお話ししましたが、滞在しているうちにも、食べることのお恵みを示された思いです。何かと友達と食事をすることが多いのです。誕生日の時は、お友達を招いて一緒に食事をします。羊子の家でも、共に食事をするときは
10名くらいの皆さんをお招きしています。誕生日ばかりではなく、何かと一緒に食事をすることが多いのでした。久しぶりにお会いしたとか、一緒にイベントをしたからとか、特別な出会いでなくても皆さんと食事をすることが多くありました。そしてまた、招かれることも多いのです。皆さんの誕生日の時に招かれますので、いつもどなたかの誕生日に招かれているのです。もっとも娘の羊子が各地でピアノの演奏活動をしているので、知り合いも多いということもあります。しかし、スペインの皆さんが共に食事をいただくことは、キリスト教の習慣でもあります。聖書でも、最初の信者たちは、いつも一緒に食事をしていたことが記されています。特に貧しい人々も共に食事をしていたのです。まさに日々のお恵みを喜びつつ過ごしていたのです。カトリック教会の信仰に基づく歩みであると示されたのでした。
 日本の国では、もちろん共に食事をしていますが、家族や親族が集まって共に食事をすることがありますが、日常の生活でお友達を招いての食卓は、あまり多くは聞きません。近所の皆さんと親しくお付き合いしても、食事まで一緒にすることはないのです。共に食事をすることがお恵みであるとしても、日々の個人の生活においても、私達はお恵みをいただきつつ歩んでいるのです。その意味でも教会はいつも食事を共にしています、大塚平安教会時代におきまして、祝祭日は皆さんが食事を持ち寄って共にいただいていました。皆さんが共にいただくお恵みを与えられていました。それと共に礼拝後には、必ず食事が用意されていました。それは建築資金を得るためでもありましたが、礼拝のお恵み、そして食事のお恵みを示されていたのです。旧約聖書は、今朝の聖書は神様がエリヤを養ったことが記されていました。新約聖書は、五つのパンで五千人を養ったイエス様が示されています。これらのことは、日々、神様が私達を養ってくださっていることを示しているのです。イエス様はご自分を「命のパン」と示されています。イエス様の十字架の救いをいただき、御心を信じて歩むことが、日々、お恵みを喜びつつ生きることなのです。
<祈祷>
聖なる神様。十字架のお恵みを感謝致します。このお恵みを多くの人々と共にいただくことができますようお導きください。キリストのみ名によっておささげします。アーメン。