説教「永遠の命に至る食べ物」

2020年8月2日、六浦谷間の集会

聖霊降臨節第10主日

 

 

説教、「永遠の命に至る食べ物」 鈴木伸治牧師

聖書、列王記上17章8-16節

   ローマの信徒への手紙14章10-23節 

   ヨハネによる福音書6章22-27節

讃美、(説教前)讃美歌54年版・420「世界のおさなる」

   (説教後)讃美歌54年版・525「めぐみふかき」

 

 いよいよ8月の歩みになっています。8月は夏の盛りであり、暑い日々を歩むのですが、ようやく昨日の8月1日に関東地方の梅雨明けが発表されました。この8月の暑い時に「平和」の祈りが深められることに意味があると思います。8月6日は広島に、9日は長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人々が犠牲となりました。それにより8月15日に、日本は敗戦を宣言したのであります。しかし、原子爆弾が落とされたことで、日本は敗戦を宣言したと申しましたが、アメリカ人の中には、それによって戦争が終わったのであるから、原爆投下を評価している人々がいるのです。しかし、日本人は原爆投下により多くの犠牲者が出たことについては、悲しむべきこととして受け止めています。原爆投下に対して、日本の真珠湾攻撃による犠牲者を悲しんでいる人々がアメリカには多くいるのです。日本人は原爆投下を謝罪すべきであると主張する人々がいますが、アメリカでは真珠湾攻撃を謝罪すべきだと主張している人々がいるのです。原因は戦争であります。戦争が起きてはならないのです。多くの人々が犠牲になったのでありました。

 私は敗戦の翌年、小学校1年生に入学しました。私は横須賀市浦郷というところで生まれました。すぐ近くに追浜飛行場という軍の施設がありました。戦争が激しくなってきて、飛行場の周辺の人々は強制移転をさせられたのでありました。横浜市金沢区六浦に移転したのは、私が4歳のときでした。1943年(昭和18年)8月でした。それから2年後に敗戦を迎えますが、戦争が激しくなっていくときであり、住んでいた家の上空をアメリカのB29という戦闘機が編隊をなし、横浜・東京方面に飛んでいく情況をいつも見ていたのです。そして、横浜方面の空が赤く染まっていたことも心に焼きついています。実際的な戦争体験、戦時下の苦しい体験はありませんが、戦争の悲惨は心に染み付いています。私の兄は小学校4年生のとき肺炎で死にました。栄養失調でもありました。戦争中、学童疎開があり、しばらく家から離れての生活でした。敗戦となり帰ってきましたが、翌年には病気となり、死ぬことになってしまうのも、やはり戦争のためであったと思っています。戦争は悲しみを生むばかりで、例えば侵略して他の国を得たとしても、それは決してよいことではないのです。人の死を犠牲にして、国力が強くなったところで、国民は喜びません。

 日本の今の時代は多くの人々が戦争を知らない人々です。ゲームの世界では次々に相手をやっつけて勝利者になります。相手を倒すことをゲームの世界で覚えていく時代であります。青少年ばかりではありませんが、人を殺すことを平気で、ただ自分の感情で実行していくこと、何としても時代を変えなければならないと示されます。障碍者施設で19人もの人が、一人の人によって殺害されるという恐ろしい、悲しい事件が起きています。他の存在を心から受け止め、共に生きること、それが平和の根源であります。人間は努力して平和を実現していますが、真の平和ではありません。神様により人間が生きるために、「永遠の命に至る食べ物」をいただことで、平和な世界が出来上がっていくのです。

2.

 旧約聖書は神の人エリヤが神様により命の糧を与えられて養われることの示しであります。聖書の人々は神様を忘れ、偶像の神に心を寄せていました。それで、神様はエリヤを通して干ばつが来ることを王様のアハブに伝えます。神様は干ばつに当たり、エリヤをヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を寄せさせるのでありました。干ばつとなり、雨も降らなくなり、食べるものもなくなってきました。しかし、神様は烏に命じて、パンと肉をエリヤのもとに運ばせるのでありました。水は川の水を飲んでいました。しかし、干ばつにより、その川の水も涸れてしまうのです。

 そこで今朝の聖書になります。列王記上17章8-16節が今朝の聖書であります。神様は今までエリヤがいたケリトの川のほとりからシドンのサレプタに行くように命じるのです。川の水が干ばつにより涸れてしまったからであります。ケリトの川からシドンのサレプタまではかなりの距離であります。神様が言われるには、そのサレプタには一人のやもめと子どもがいるので、そのやもめによってエリヤを養うということでありました。エリヤがサレプタに行ったとき、一人の女性が薪を拾っていました。エリヤはその女性に、「器に少々水を持ってきて、わたしに飲ませてください」というのです。彼女がとりに行こうとすると、「パンも一切れ、手に持ってきてください」と言うのでした。それに対して女性は言うのです。「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壷の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」と言うのです。それを聞いたエリヤは、それしかないのであれば、私はいらないとは言わないで、「まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、私に持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい」というのでした。何か無理を言っているような印象です。それを食べたら死ぬのを待つばかりの量しかないのです。酷い話にも聞こえます。しかし、エリヤは言います。「主が地の面に雨を降らせる日まで、壷の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」というのでした。この女性はエリヤの言うとおりにします。神様がエリヤに告げたとおり、壷の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかったのでありました。

 このようにしてエリヤは干ばつと飢饉の中にも、神様によって養われたのは、この後に偶像礼拝との対決があるからです。今までアハブ王から身を隠していたエリヤですが、いよいよアハブの前に現れるのです。偶像を奉っていたアハブ王に対して、偶像に仕えるバアルの預言者450人、偶像アシェラの預言者400人をカルメル山に集めるようアハブ王に申し渡します。そしてエリヤは民衆に対して、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」と言うのでした。そして、真に神であるなら、それぞれが用意した祭壇の薪に神様が火を点けるだろうというのでした。バアルの預言者たちは用意した祭壇の周りで躍り狂うのですが、もちろんバアルの神が火をつけることはできません。バアルの預言者たちは剣や槍で体を傷つけ、血を流しながら叫び続けるのでした。エリヤはそのようなバアルの預言者たちを嘲笑いながら、「大声で叫ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それともひと目を避けているのか、旅にでも出ているのか。おそらく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう」と言うのでした。そして、今度はエリヤが神様に向かってお祈りをします。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう」と祈るのでした。すると、神様は火を祭壇に降らせ、焼き尽くす献げ物と薪を燃え上がらせるのでした。これでバアルの偶像礼拝の預言者たちの敗北となるのでした。

 偶像は人が造ったものであり、神ではありません。神ではない偶像に心を向けたことの審判でありました。人々はエリヤの導きに救われたのであります。この救いのために、神様は干ばつと飢饉の中において、エリヤを養ったのであります。烏の運ぶパンと肉、底をついていた女性の家の粉の壷と油の瓶は尽きることなく、エリヤと食事の用意をする女性が養われたのであります。それは神様の真の救いを与えるための順序でありました。人々はむなしい偶像礼拝から真の神様を礼拝する者へと導かれました。それは命の糧を与えられたということなのです。神様の御心によって養われる者へと導かれたのであります。

 その昔、聖書の人々が奴隷の国エジプトを脱出して、神様の約束の土地、カナンへと向かっているとき、人々は食べるものが底をつき、モーセに詰め寄ります。「あなたは我々をこの荒れ野で死なしめるためにエジプトから連れ出したのか。こんなことであれば、奴隷でもいい、エジプトにいて肉の鍋を食べたかった」と不平を言うのでした。そのような人々に対して、神様はマナという食べ物を与えるのです。マナは朝になると地面の上一面に置かれています。一日分を取りますが、欲張ってたくさん取ると腐ってしまうのでした。毎日、朝になるとマナを与えられて養われたのでした。生活の糧を与えられ、それが命の糧にもなっていくのであります。すなわち、神様のお恵みは霊肉共に養うものであることを示されていくのであります。

3.

  神様のお恵みは私たちの霊肉共に養うこと、そのことを深く示されたのが主イエス・キリストであります。新約聖書ヨハネによる福音書6章22-27節であります。表題には「イエスは命のパン」と内容を説明しています。今朝の聖書は27節までですが、35節に「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して乾くことがない」と示されています。イエス様が「命のパン」と言われるとき、その示しに至る経過がありました。言うまでもなく、6章1節以下に記される「五千人に食べ物を与える」ことであります。

 イエス様は山で大勢の人々にお話しをいたします。山と記されていますが、実際的には小高い丘であり、ガリラヤ湖を見下ろす丘でもあります。イエス様はお弟子さんのフィリポさんに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と尋ねます。それはフィリポを試すためであったと言います。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」とフィリポは答えるのでした。そのときペトロさんが、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にもたたないでしょう」と言うのでした。フィリボにしてもペトロにしても、この状況では何もできないとあきらめきっているのです。そのとき、イエス様はお弟子さん達に人々を座らせるように命じます。イエス様はパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えたのでありました。魚も同じようにして分け与えたのでありました。五千人以上の人々はイエス様の与えられたパンによって養われたのであります。

 聖書を示されるとき、そこには神様のお恵みとして、食べ物があたえられ、人々が養われたことが記されています。聖書の人々がエジプトで奴隷であり、そこから解放されて神様の約束の土地へと導かれるとき、神様は「マナ」というパンで人々を養ったのであります。さらに今朝の旧約聖書でもエリヤが神様に養われています。そのような旧約聖書のめぐみを示され、そして新約聖書の時代になりましても、神様の日々のお恵みを示されるのです。五千人の人々を養うイエス様をまず示し、そして「イエス様が命のパン」であると示すのでした。私たちはイエス様から「命のパン」をいただくとき、そのパンは「永遠の命に至る食べ物」であると示されるのです。そして、その食べ物は「聖餐式」として、現代に生きる私たちにも与えられています。私たちもイエス様の「命のパン」を与えられており、「永遠の命に至る食べ物」を与えられているのです。

 新型コロナウィルス感染予防のため、いろいろと自粛しながら歩むことになっていますが、一つの特色は、お友達同士の会食が自粛されたということでしょう。とにかく複数の人々が集まるとクラスターと言われ、感染源にもなるので、なるべく会食は避けるようにしています。バルセロナに滞在しているうちにも、食べることのお恵みを示された思いです。何かと友達と食事をすることが多いのです。誕生日の時は、お友達を招いて一緒に食事をします。羊子の家でも、共に食事をするときは10名くらいの皆さんをお招きしています。誕生日ばかりではなく、何かと一緒に食事をすることが多いのでした。久しぶりにお会いしたとか、一緒にイベントをしたからとか、特別な出会いでなくても皆さんと食事をすることが多くありました。そしてまた、招かれることも多いのです。皆さんの誕生日の時に招かれますので、いつもどなたかの誕生日に招かれているのです。もっとも娘の羊子が各地でピアノの演奏活動をしているので、知り合いも多いということもあります。しかし、スペインの皆さんが共に食事をいただくことは、キリスト教の習慣でもあります。聖書でも、最初の信者たちは、いつも一緒に食事をしていたことが記されています。特に貧しい人々も共に食事をしていたのです。まさに日々のお恵みを喜びつつ過ごしていたのです。カトリック教会の信仰に基づく歩みであると示されたのでした。

 コロナのゆえにお友達との会食が少なくなりましたが、しかし、神様が下さる食事、イエス様の「命のパン」をいただきつつ歩むことは、自粛どころか、積極的に求めていただいているのです。私達の六浦谷間の集会でも聖餐式をしています。私たちもイエス様の「命のパン」をいただきつつ歩みを感謝しています。イエス様の十字架の救いをいただき、御心を信じて歩むことが、日々、お恵みを喜びつつ生きることなのです。「永遠の命に至る食べ物」をいただいて歩んでいることを喜びたいのです。

<祈祷>

聖なる神様。十字架のお恵みを感謝致します。このお恵みを多くの人々と共にいただくことができますようお導きください。キリストのみ名によっておささげします。アーメン

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