説教「祝福される人生」

2015年5月10日 横須賀上町教会
「復活節第6主日

説教・「祝福される人生」、鈴木伸治牧師
聖書・ダニエル書6章19-25節
    ルカによる福音書7章1-10節
賛美・(説教前)讃美歌21・544「イエス様が教会を」
    (説教後)讃美歌21・493「いつくしみ深い」


 ゴールデンウィークが終わり、世の中の人々はホッとしているのではないかと思います。このお休みに家族と共に出かけ、何日間か過ごして帰ってきたお父さんが、駅でテレビの取材を受け、普段は子供との触れ合いがないので、この連休で子供との触れ合いができて喜んでいますと述べていました。また、駅で孫たちを見送った婦人が、久しぶりに孫と過ごせて嬉しかったですが、またさみしくなります、と涙を拭きながらお話ししていました。ゴールデンウィークは「昭和の日」、「憲法記念日」、「みどりの日」、「子供の日」等が重なるのでありますが、「家族の休日」との思いでいます。そして、その仕上げが本日の「母の日」であります。「母の日」が第二日曜日ですので、こちらの横須賀上町教会の講壇の御用をする日であり、我が家の子供たちも出席するために土曜日には我が家に集まることになっています。実は私の誕生日が5月10日でして、だからいつも私の誕生日と母の日感謝とを一緒にしています。
 毎年、だいたい「母の日」と私の誕生日が前後するので、私自身の信仰の証をお話しさせていただいています。あるいは6月の第二日曜日、教会における「こどもの日・花の日」にお話しさせていただいています。毎年お話しさせていただいているので、皆さんも「またあのお話し」と思われるのでありますが、今朝の主題は「信仰の祝福の人生」でありますから、私の祝福の人生をお話しさせていただくことにいたします。
 本日の誕生日で76歳になりました。小学校3年生の途中から教会に出席するようになりましたので、10歳頃からですから、65年以上は神様を見つめつつ歩んできたのであります。そのわたしの信仰の人生を導いたのは私の母でありました。1945年8月に日本は戦争の敗戦を宣言しました。その頃の混乱については、私は6歳でしたから、それに金沢区六浦という場所にありましては、その状況が分りませんでした。敗戦から3年を経て、母が戦争疲れもあり、私の兄を亡くした悲しみもあり、何の病気であったか分りませんが、病院に入院するようになりました。私の家から比較的近くにあります横浜南共済病院です。ある日のこと、見知らぬ子供たちが病室に入ってきて、花をいただいたのです。おそらく「早く良くなってください」と言われたのでしょう。その子供たちは、亡くなった私の兄くらいであったようです。小学校3年生、4年生くらいの子供たちでした。母は見知らぬ子供たちから花をいただいてお見舞いされる意味については分かりません。しかし、そこで聞いたことは、この子供たちが関東学院教会の日曜学校の子供たちであるということです。6月の第二日曜日であり、教会では「こどもの日・花の日」の行事を行っていました。この行事は今でも教会で行っていますが、日本の敗戦後の教会では、既にこの行事が行われていたのです。教会に花を飾り、子供たちの信仰を励ますことでした。そのために子供たちも花を持参して飾るようになり、さらに礼拝が終わると、病院を訪問しては入院している人々をお見舞いしたのでした。1979年に大塚平安教会に就任した頃は、近くの病院に行き、入院している人々に、花の日のメッセージと共に花を差し上げていました。しかし、その様なことができなくなってきたのです。それで、教会と関係する知的障碍者施設を訪問し、利用者の皆さんにお花をあげることにしています。
 母は見ず知らずの子供たちから花を贈られ、大変感動しました。その後、退院しますと、私を連れて関東学院教会の日曜学校に行ったのです。花の日の御礼を述べ、これからは息子が日曜学校に来ますから、よろしくお願いしますと言っているのです。私の意思ではなく、母の願いでありました。自分の子供も人様に喜んでいただく人になって欲しいとの願いであったのです。ですから、日曜日になると私は日曜学校に行かなければならなかったのです。日曜日は友達と遊びたいのですが、背中を押され、ある意味ではお尻を叩かれるようにして日曜学校に通ったのです。ですから4年生、5年生、6年生の3年間は精勤賞までいただいたのでした。こうして小学生時代は関東学院教会の日曜学校に通っていましたが、中学生になってからは二人の姉たちが出席している清水ヶ丘教会に出席するようになるのです。母は子供たちが教会に出席するのを理解し、むしろ励ましていたのです。だからと言って、自分も教会に出席するということはなく、むしろ鈴木家の浄土真宗の信仰を固く持っていたのであります。
 清水ヶ丘教会に出席するようになり、その後、信仰の世界に導かれて行くことは割愛しますが、私のキリスト教との結びつきは浄土真宗の信仰に生きる母の導きであったということです。その母によってキリスト教の人生を生きるようになり、76歳になって、この人生を振り返ったとき、まさに祝福の人生であったと証させていただいているのです。

 信仰に生きる人生がどんなにか祝福であるかが今朝の聖書の示しです。まず旧約聖書における信仰を示されます。今朝はダニエルの信仰です。ダニエル書は聖書の人々がバビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕らえ移されたことが背景になっています。背景と言っていますが、ダニエル書が書かれるのは、背景よりはるか後の時代であります。バビロンに捕えられていた時代を示しながら、後の時代の人々の信仰に生きる人生を励ましているのです。バビロンに滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕われます。捕らえ移された者の中にダニエルと3人の若者がいました。彼らは真の神様を心から信じ、異教の世界の中にあっても、信仰に強く生きたのであります。この四人の若者は、知識と才能を神様から与えられており、文書や知恵についても優れていたと記されています。特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができました。それは神様の御心をいただいているからです。バビロンの王様はネブカドネツァル、ベルシャツァル、ダレイオスと代わりますが、そのダレイオス王の時代が今朝の聖書、ダニエル書6章であります。今までの王様もダニエルを大事にしてくれましたが、ダレイオスもダニエルを三人の大臣の一人にもしていたのでした。しかし、捕われの身分でありながら大臣になっているダニエルに対して妬む人々がおりました。何とかしてダニエルを陥れようとしていました。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、妬む人々は訴え出る口実を見つけることができなかったのです。しかし、一つだけ見つけることができるのです。それはダニエルの真の神様への信仰であります。
 それで、妬む人々は王様に進言するのであります。「向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、誰であれ獅子の洞窟に投げ込まれる」との禁令を発布することでした。王様はそれに署名します。ダニエルはダレイオス王がそのような禁令に署名したことを知っていましたが、家に帰ると、いつもの通り二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を神様にささげていたのです。妬む人々はこの事実を見届け、ダレイオス王に訴えたのでした。王様は何とかしてダニエルを救済したいと思うのですが、自分が署名して出した禁令であり、どうすることもできません。家来の言うとおり、ダニエルを獅子の洞窟に投げ込ませたのであります。さて、ダニエルはどうなるのでしょうか。
 そこで今朝の聖書になります。ダレイオス王はダニエルのことで心が痛み、食事をとることもしませんでした。そして朝になると急いで洞窟に行ったのであります。そして不安に満ちた声で洞窟に向かって言うのです。「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救いだす力があったか」というのでした。すると洞窟の中から、「王様がとこしえまで生き永らえますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしは何の危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません」とのダニエルの声が帰ってきたのであります。すぐさまダニエルは洞窟から引き出されました。何一つ体に害はありませんでした。
 このダニエルの物語は、信仰に生きる人々を励ましているのであります。このダニエル書の背景は、バビロンに捕われている人々を示していますが、時代的には後の時代になります。その時代はマカバイ時代ということですが、信仰に生きる人々の迫害の時代でした。ダニエル書の著者は時代を遡って、バビロンに捕われの時代における、苦しい状況の中でも信仰に力強く生きた人々を示し、今の迫害の時代に生きる人々を励ましているのであります。神様に向かって生きるならば、必ず祝福が与えられるということです。このことは旧約聖書の信仰の中心なのであります。それはモーセを通して与えられた十戒に示されているのです。神様に向かい、神様の御心に生きるならば、「千代に至るまで恵みが与えられる」ということなのです。これが旧約聖書の基本です。

 神様に向かうならば必ず恵みが与えられるという基本は主イエス・キリストにおいて奨励されているのです。ルカによる福音書7章1節以下は「百人隊長の僕をいやす」との標題で示されています。イエス様の一行がカファルナウムの町に入ると、ユダヤ人の長老達がイエス様にお願いにやってきます。ユダヤにはローマから遣わされている兵隊がいます。百人の兵を率いる隊長、百人隊長はイエス様が町にやってきたことを知り、部下が病気で死にかかっているので、ユダヤ人の長老達に使いを出し、イエス様によって部下を助けてもらいたいとお願いするのです。そこで長老達はイエス様のもとに来て、「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛し、自ら会堂を建ててくれたのです」とお願いしたのでした。普通なら自分達を支配しているローマ兵のために何かをするということはないのですが、長老達が言うように、この百人隊長はユダヤ人の人望を得ていたのです。それを聞いたイエス様は長老たちと百人隊長の部下のもとへ向かいました。それを知った百人隊長は友達によりイエス様に使いを出すのです。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるようなものではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、その通りにします」というのでありました。
 イエス様は、この百人隊長の言葉に感心します。そして、イエス様についてきた群衆に向かって言われるのです。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と信仰というものを教えられました。百人隊長によって使いに出された者が家に帰ると、部下は元気になっていたのであります。百人隊長の神様への信仰、主イエス・キリストへの信仰が祝福されたということです。苦しい時の神頼みという言葉がありますが、この百人隊長は部下が死にそうだから、神様にお願いしようということではなく、日ごろから神様に向かう姿勢を持っていたのです。長老達が言うように、この百人隊長は「ユダヤ人を愛し、自ら会堂を建てた」のであります。それは神様に向かう姿勢です。神様に向かう姿勢がそのままイエス様に向けられたということなのです。日ごろから神様に向かう姿勢が祝されているということなのです。イエス様は「これほどの信仰」と言われて感心されていますが、感心される信仰は他にも記されています。他の聖書にも「あなたの信仰があなたを救った」と言われ、祝福されています。

 信仰とは神様を仰ぎ見ることです。それにより神様の御心をいただくことであります。神様の御心は主イエス・キリストにより私達に与えられています。神様の御心は、人間が祝福の人生を歩み、永遠の生命に生きることです。しかし、人間は自己満足、他者排除に生きていますので、どうしても神様の祝福の歩みができないのです。そのため、神様は主イエス・キリストの十字架により私達を真に生きる者へと導いてくださいました。十字架は私の奥深くにある罪なる姿を滅ぼしてくださるのです。私達が主の十字架に向かいつつ歩むとき、私達は祝福の神の国に生きる者へと導かれるのです。
 関東学院教会日曜学校に導かれ、清水ヶ丘教会で信仰が導かれる中で、私が23歳の時に神学校に入ることになります。そして29歳の時、1969年に神学校を卒業し、最初に赴任したのは東京の青山教会でした。そこで伝道師、副牧師として4年間務めました。その後、宮城県の陸前古川教会に赴任しました。6年半務めるうちにも、1年間は登米教会の牧師としても務めました。そして、その後は大塚平安教会に招かれ、30年間6ヶ月務めて2010年3月に退任したのであります。その後は6ヶ月間、横浜本牧教会の代務者として務めましたが、その後はどこの教会にも所属することなく、無任所教師、隠退教師になるのであります。こちらの横須賀上町教会は2010年10月から講壇に立たせていただくことになり、今日まで導かれていますこと、誠に感謝であります。
 隠退教師でありながら、毎月第二日曜日にはこちらの教会で説教、聖餐式を司らせていただくことを感謝しています。必ずしも毎月ではありませんが、三崎教会には第四日曜日の礼拝で説教をさせていただいています。その他の日曜日は、六浦谷間の集会として夫婦二人で自宅にて礼拝をささげています。二人ではありますが、時には我が家の子供たち、また知人が出席されますので、まったく二人の礼拝というのではありません。こちらの横須賀上町教会の礼拝に招かれるということも、不思議な神様のお導きであると示されているのです。齋藤雄一牧師がこちらの教会に招かれ、その就任式の時に、当時高校生でありましたが出席しています。その後、齋藤先生を訪ねて来たこともあり、また私の叔母が清水ヶ丘教会からこちらの教会に転会しています。信仰の始まりの時点、そして人生の晩年に横須賀上町教会に関わることのお恵みを示されているのです。祝福の人生であると思っています。
 今朝は私の誕生日ということで、私の信仰の人生を証させていただきました。神様につながり主イエス・キリストの御心をいただきつつ歩む人生が、どんなにか力強く導かれるか、そのことを聖書により示されたのであります。私の中心はイエス様の十字架であるということ、いつも十字架が私に楔(くさび)を打ち込んでくださっていると思っています。進にも戻るにも十字架が基となっているのであります。そういう人生を歩んできたと思います。祝福の人生であったと思っているのです。「一生青春」と言っておられる方がありますが、私達は「一生信仰」なのです。祝福の人生を導かれているのです。
<祈祷>
聖なる御神様。イエス様を仰ぎ見つつ歩む人生へとお導きくださり感謝いたします。御心を実践しつつ歩むことを得させてください。主イエス・キリストの御名によりおささげ致します。アーメン。