説教「恵みの感謝をささげつつ」

2014年9月21日、六浦谷間の集会
聖霊降臨節第16主日

説教・「恵みの感謝をささげつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・列王記上21章1-8節
    ガラテヤの信徒への手紙1章6-10節
     マルコによる福音書12章38-44節
賛美・(説教前)讃美歌54年版・218「夜を守る友よ」
    (説教後)讃美歌54年版・492「かみのめぐみは」


 早いもので9月も半ばを過ぎ、今週23日は「秋分の日」になります。つい先日まで、暑い、暑いと言いつつ過ごしていましたが、朝晩は涼しくなり、これからは日一日と昼間の時間が短くなっていくのです。秋を迎え、冬となり、春を喜び、また夏となる、一年を過ごしながら、日々恵みのうちに導かれていることを示されています。まさに日々の歩みを示されるとき、お恵みに満たされていると思います。現役を退任してもはや4年を過ごしていますが、現役時代は忙しく過ごしていましたので、しみじみとお恵みを感謝することは少なかったと思います。何しろ、朝起きれば、一日の予定が思いの中に迫ってきて、どのように予定をこなして、常に次の予定を見据えながら、その時々を歩んでいたのです。今は隠退生活をしていまして、何も予定がないことについては、現役を退いたときは寂しく思っていましたが、今は大きな恵みとして示されているのです。今日は何をして過ごそうかと思いますが、何よりも今を生かされているという、恵みとして受け止めています。 そんな心境で日々の歩みをしていますが、本日の六浦谷間の集会における礼拝と共に発行されている週報が100号になったことを感謝しています。
 この六浦谷間の集会を始めたのは2010年11月28日でした。30年6ヶ月間、務めた大塚平安教会を2010年3月に退任しましたが、その後4月から9月まで横浜本牧教会の代務者として務めることになりました。代務者と言うのは、いずれ牧師が就任するのですが、それまでの間の留守番牧師ということになります。これは宗教法人法で決められていることであり、2ヶ月以上牧師が不在となる場合は代務者を置くことになっているのです。横浜本牧教会は、それまで横須賀上町教会の森田裕明牧師を10月から迎えることになりました。4月から9月まで牧師が不在になりますので、私が留守番牧師として務めることになったのです。それで私も9月で代務者が終わり、10月からはどこの教会に出席すべきか、定まらないでいました。当初は私の出身である清水ヶ丘教会、連れ合いのスミさんの出身である高輪教会の礼拝に出席しました。そして10月になりまして大塚平安教会も横浜本牧教会もそれぞれ後任牧師が決まり、就任式が行われましたので、礼拝から出席したのでした。一方、横須賀上町教会は森田牧師が横浜本牧教会に転任しましたので、その後は牧師が定まらないので、代務者を置いての歩みとなりました。代務者は湯河原教会の金子信一牧師でありますが、自分の教会がありますから、横須賀上町教会の礼拝説教を毎週行うわけにはいきません。それで私が第一日曜日に礼拝を担当することになったのでした
 このようにしていくつかの教会に出席していたのですが、どこの教会に出席しようかと思案するのではなく、六浦谷間の集会としての礼拝をささげることになったのです。2010年11月28日からです。もちろん最初から、私達夫婦、たった二人だけの礼拝ということで始まりました。しかし、その次の礼拝は追浜にお住いの小澤八重子さん、横浜の瀬谷にお住いの田野和子さんも出席されました。その後は、時には私達の家族、また知人等も出席することもありますが、原則二人の礼拝を今日まで続けているのです。当初は礼拝をささげるにあたり「礼拝順次」をプリントしていました。2011年4月4日から5月17日までスペイン・バルセロナにおります羊子のもとで連れ合いのスミさんや娘の星子と共に過ごしてきました。そして帰国したとき、いろいろと報告事項があることを示され、5月29日から週報を発行するようになったのです。
 週報は礼拝順序と共に教会のいろいろな活動を報告し、また消息や予定等報告するものです。教会でもないのに週報を発行するほどの記事はないと思いますが、個人的な報告もしていますので、ここで発行される週報はそれなりに大切であると示されています。週報を発行することは、与えられているお恵みの報告と示されているのです。

 私に与えられたお恵みを感謝し、与えられている人生を歩むこと、祈っていくこと、今朝は聖書の示しをいただいています。旧約聖書は列王記上21章であります。「ナボトのぶどう畑」の物語が記されています。ナボトはイズレエルの土地にぶどう畑を持っていました。ぶどう畑はサマリアのアハブ王の宮殿のそばにありました。アハブ王はナボトに「お前のぶどう畑を譲ってくれ。わたしの宮殿のすぐ隣にあるので、それをわたしの菜園にしたい。その代わり、お前にはもっと良いぶどう畑を与えよう。もし望むなら、それに相当する代金を銀で支払ってもよい」と頼むのであります。それに対してナボトはアハブ王に、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と答えたのであります。アハブ王は、このナボトの言葉にすごすごと引き下がりました。王様なのだから、自分の権威でナボトの畑を自由にすることができると思われます。実際アハブ王の妻イゼベルは、アハブ王の弱気な姿勢を嘲るかの如く、王の名においてナボトをならず者によって殺させ、ナボトの畑をアハブ王のものにしてしまいます。それは聖書に記される通りであります。アハブ王がナボトの言い分を聞いて、すごすごと引き下がったのはアハブ王もナボトの言い分をよく理解していたからであります。すなわちナボトが述べた「嗣業の土地」ということであります。
「嗣業」とはもともと賜物と言う意味でありますが、神様によって与えられる土地を意味するようになりました。アブラハムに神様の召しが与えられた時、嗣業としての土地を与えるということであります。そして、モーセの時代に奴隷の国エジプトから脱出し、カナンの土地に入っていきますが、そこで得た土地がイスラエルの12部族の嗣業の土地になりました。そして、部族から個人の嗣業になっていったのであります。嗣業は神様の恵みによって与えられた土地であり、その土地を通して祝福の歩みが導かれることなのであります。嗣業の土地は大切なものであり、人に売ったり、関係ない人が相続することは許されないことでありました。このような嗣業の意味は、聖書の人々自身が神様の嗣業であると信じられるようになったのであります。従って、神様の嗣業でありますから、与えられた十戒を守り、正しく生きることが嗣業としての人々なのであります。
アハブ王とイゼベルの行為は許されざることでありました。神様は神の人エリアを通して、アハブに対する審判を告げます。アハブ王は自分のしたことは悪いことであることを知っていましたから、エリアの言葉を聞くと、すぐさま悔い改めを行います。アハブ王はエリアの審判の言葉を聞くと、「衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、打ちひしがれて歩いた」と21章27節以下に記されています。神様はアハブの悔い改めを受けとめ、アハブ王の命を長らえさせたのでありました。嗣業に対するアハブ王の姿勢も示されているのであります。神様の恵み、賜物は大切であり、生涯の恵みとし、嗣業を通して神様を仰ぎ見ることなのであります。

 嗣業には賜物という意味がありますが、新約聖書ではタラントンのたとえ話があります。主イエス・キリストの示しであります。ある人が旅に出かけるにあたり、僕たちに持っている財産を預けます。ある人には5タラントン、ある人には2タラントン、ある人には1タラントンを預けます。預けられた人は商売をし、倍の利益を得るのであります。主人が帰ってきて預けた財産の清算をした時、倍にした人たちは褒められました。しかし、何もしないで地面に隠しておいた人は叱られたというのです。タラントンは神様が人々に与えている賜物であり、その賜物を通して神様の祝福に与ることであります。タラントンは嗣業でもあるのです。十分に与えられた嗣業を用いるということなのであります。
 そこで新約聖書の示しは「やもめの献金」であります。イエス様は神殿で、人々がささげものをするのをご覧になっています。大勢の金持ちが沢山のささげものをしていました。そこに一人の女性がやってきました。この人はレプトン銅貨二枚をささげたと言われます。レプトン銅貨は最も低いお金であります。1デナリオンの128分の1と言われます。1デナリオンは一日の日当と考えられています。イエス様は弟子たちに言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と言われたのであります。イエス様はささげる人々がいくらささげたのか知っているのでしょうか。誰がいくらささげたか、分からないと思います。マルコによる福音書の著者が記したいのは、ささげものは額や量ではなく、その人自身であると示しているのであります。今朝の聖書の前、12章38節から40節に「律法学者を非難する」ことが記されています。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩きまわることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」と厳しく批判しています。律法学者は当時の社会はユダヤ教の宗教社会ですから、人々を戒律、律法によって導く存在であります。今、神殿の賽銭箱にささげる人々は、大勢の金持ちであったと示しています。どのくらいのお金を入れているのかは分かりません。そして、女性がレプトン銅貨二枚ささげたということであっても、この女性の生活状態も分からないと思います。イエス様だから、みんな知っているのだ、と考える必要もありません。マルコによる福音書が示しているのは、人間の評価ではなく、神様にどのように向くかと言うことなのであります。金持ちが有り余るお金の中から、多くささげたと思っている姿勢であります。神様に向かっているのではなく、人に対する評価を求めているのであります。
 夏はお祭りや盆踊りが行われました。町内の皆さんがそのために寄付金を出します。いただいたお金は感謝の意味で皆さんに報告しています。○○さんは3万円、△△さんは1万円と書いて貼りだすわけです。前任の教会にいるとき、町内の住民として役員をしなければなりません。盆踊りの準備があるので役員が集まります。牧師だからできませんと言うわけにはいかないので、手伝いに行きました。提灯に電球を入れたり、寄付金を貼りだしたりするわけです。その貼りだす仕事をさせられて、渡された紙を適当に貼りますと、「鈴木さーん、その紙は千円だから一番下、その3万円は一番上に貼ってください」なんて言われるのです。人間の評価が基準であります。
 神様にどう向かうか。神様の嗣業である私が、私という嗣業をどう生きているかということなのであります。イエス様も嗣業の意味を含めて示しておられるのであります。嗣業は私自身であるということ、神様の嗣業である私は、私自身を神様にささげることであります。持てる物すべてをささげる姿勢が嗣業としての生き方なのであります。一人の女性が「だれよりもたくさん入れた」と言われたのは、この女性が自分自身をささげていることをお弟子さん達に示しているのであります。

 最初に、六浦谷間の集会が発行した週報が100号にもなったことをお話ししました。一年の日曜日は52週でありますので、二年間で100号になりますが、途中お休みしているのです。2011年4月から約一ヶ月半、スペイン・バルセロナで過ごしました。2012年9月からもバルセロナで二ヶ月間過ごしました。そして、2013年3月から約三ヶ月間、マレーシア・クアラルンプールで過ごしましたので、その間は六浦谷間の集会としての礼拝はお休みになったのです。そして、毎月第一日曜日は横須賀上町教会の礼拝を担当しています。第四日曜日は三崎教会に招かれる場合が多いのです。従って、週報100号になるのに3年半も要したのでした。
 1969年4月から、神学校を卒業して最初の教会は青山教会でした。伝道師、副牧師ですから、もっぱら事務仕事でした。毎週の週報を作成することが職務でした。高校生時代から、昔はガリ版印刷でしたが、会報を発行したり、いろいろな文書を発行していたことが、牧師になって役に立つようになりました。宮城県の陸前古川教会では、週報もB5番4頁のものを作ったりしています。そして大塚平安教会に就任したときにも、タイプ印刷、ワープロ印刷等を経てパソコンで作るようになりましたが、何時も牧師が先駆けて作成していたようです。皆さんも大塚平安教会の週報を喜んで下さっていました。歴史を紐解くとき、週報を見れば歴史がわかると言われるほど、その時代の出来事を細かく報告していました。教会によっては、週報と言っても集会案内くらいしか書いていないものがあるので、大塚平安教会の内容のある週報が喜ばれていたのです。
 原則、与えられているお恵みを報告していたということです。ですから、教会員の消息等もできるだけ報告していました。しかし、教会員の中には、自分の出来事を牧師にお話しくださるのですが、お帰りになるときには、「先生、今日のことは週報に書かないでくださいね」と言いつつ帰られるのです。週報に報告するということはお恵みの感謝なのです。人間に報告しているということより、神様のお恵みを報告しているということなのです。病気が治った、痛みが消えた、日々喜びつつ歩むようになった、家族の喜びがある、そういう報告をすることは神様のお恵みを感謝しているのです。今朝は恵みの感謝をささげながら歩むことを示されたのであります。
<祈祷>
聖なる神様。イエス様が御自身を十字架におささげくださいました。このお恵みを感謝いたします。恵みを数えつつ歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。